クリスマスで家主もロンドンの実家に帰り、 黒猫のミチャに私が朝夕、御飯をあげる毎日。 家主が家を出るときに、クリスマスはどうするのか、 と聞かれて、「もちリョん、仕事」と答えると、 家主は「あなたが羨ましい。 他のことと違って、仕事の喜びだけは決して私たちを裏切らない。 いや、滅多に裏切られない。いや、ほとんど裏切りません」 と「亭主関白」みたいな捨て台詞を残して、出ていった。
25 日だけはオックスフォードの町の中心部の店も、 ほとんど全て閉まっていたが、 24 日は通りも賑やかだったし、 今日、26 日のボクシングデイも、ほとんどの店が商売を始めていて、 生活上は特に支障なかった。
そして、今日で翻訳の仕事の初稿を全て提出。 「年内に」とお約束していた期限を何とか守った。 私のエスティメイトではクリスマスまでには楽々、 提出できるはずだったが、 やはりマージンは十二分にとっておくのが正解だ。 どこの世界でも原稿については、締切りはあってなきが如しで、 書く方も受け取る方も信じていないのが普通、 とは良く聞く話だが…それは何故なのだろうか。 ゲーム業界やソフトウェア業界もそのようだ。 おそらく、多くの人が、 締切りを巡る阿吽の呼吸の交渉戦術や、締切り症候群や、 いわゆる「デスマーチ」などのイヴェントを、 エンジョイしているのだろう。
これから年末年始は一月上旬のシンポジウムの講演準備の予定。
今年一年の反省会として、年内にもう一回くらいは更新。
大晦日は特にイヴェント性がないようで、 町は普通にクリスマス休暇が続いているだけの雰囲気。 パブではニューイヤーイヴの企画があったりもするようだ。 「伝統の年越しをこのパブで!」と言った感じの看板が出ていた。 今、京都の家は、 副業を長期休暇中の執事が大掃除してくれているらしい。 猫のクロソフスキ(愛称クロ)を健康診断に連れて行ってもくれたらしく、 健康状態は良好だが、5.3 キロに太っていたとのことだった。
今年、最後に読了した本は、サガンの "Bonjour Tristesse" の英訳。 知合いと雑談していて、 書庫が一杯なので本のために、 できれば今の二倍の広さの家に住みたいと言っていたら、 晩年のサガンじゃあるまいし、と言われて、ふと読みたくなったので。 晩年、一文無しになったサガンが、 自分のために五十平米、 犬のために二百平米の広さがあるアパートに住みたい、 と言っていたそうだ (彼女にしては随分と控え目な希望だと、私は思った)。
町でサガンの自伝を探したところ、あったのは上の小説一冊だけだったので、
あまり好きな作品ではないが、今回は英語で再読。
以前に読んだときは、自分も非常に若かったので、
主人公の十代の女の子の一夏の思い出として読んだが、
今、読み返してみると、陰画のようにして、
アンヌと言う中年女性を描いた物語だったのだな、と思った。
サガンは常に通俗的な作家だと思う。
結局のところ、著者本人も込めて、とても頭の良い女性が、
ブルジョワ的で、かつ通俗的だったら、どんな悲劇が起こるか、
と言う主題が、本人が意図したかどうかは別にして、
通俗的かつブルジョワ的な物語の中にどうしても浮かびあがってきて、
時にして成功するのがサガン、
というあたりが今の時点での私の印象。
この日記は、GNSを使用して作成されています。