「Keisuke Hara - [Diary]」
2005/04版 その2


2005/04/11 (月)


2005/04/12 (火)


2005/04/13 (水)

神話作用と経済 (日常, thoughts)

BBC の TV ニュースでも、 中国での反日暴動が大きく取りあげられた。 公平な報道だったとは思うが、 映像がショッキングなので、 激しく投石したり、ソニーの看板を壊したりと、 日本企業の店舗を襲うおびただしい群衆、 と言うイメージだけが印象が残る。 とは言え、ニュースを伝える最初の一言が、 「十数年前、中国政府を攻撃していた若者たち。 しかし、今、攻撃しているのは日本です」で、 BBC らしい何だか皮肉な物言いだな、と思った。 ニュースのまとめも、 中国が経済的プレゼンスを増したことだけに原因を帰着させていて、 その単純化も、少なくともアジア人の私には、 皮肉ぽく聞こえるのだった。

しかし、良く考えると、 この二つは恐しいほど冷静で冷酷な判断だな、 と後で思った。穿った見方かも知れないけど…



2005/04/14 (木)

4 の法則 (books)

"The rule of four" (I. Cardwell & D. Thomason) 読了。 稀覯本の謎を解くことと、 この本を巡って現代で起こる事件が背景になっているのだが、 むしろ主題はプリンストンの知的な学生たちの青春のようでもあり、 度々挿入される回想のシーンが分かり難いこともあって、 焦点のぼやけたものになっている。 「ダヴィンチ・コード」と並べて宣伝されたことも (やむをえないことながら)不幸だったが、 主な原因は著者たちの小説を書く技術の不足だろう。 とは言え、おや、と思うような、 描写や表現の冴えが所々にある。 ミステリや娯楽小説的な舞台を借りず、 ずばり青春小説として書けば、 このようなベストセラーにはならなかっただろうが、 小説としては成功していたと思う。



2005/04/15 (金)

逃避力 (日常)

数学の進展は行き詰まり気味。 せめて、五月のセミナ講演の準備などしたり。 と思っていたら、秘書がオフィスにやってきて、 お願いがあると言う。 何かと思えば、 新学期最初の講演者がキャンセルになったため、 私の予定を早めて第一週にしてくれないかとのこと。 うーむ、いきなり十日後に近付いてしまった。 弱ったな…

しかし、こんなときほど逃避してしまうもので、 Ruby でちょこちょことプログラミング。 私は数値計算もしないし、数学にコンピュータも使わないが、 私的なツールの作成に、 せいぜい数十行の小さなプログラミングをすることはある。 このような「ちょこっとした」プログラムを書くとき、 世間では Perl と言うことになっているようだ。 しかし、どうも Perl と(私自身との)相性が悪いようで、 今まではシェルで何とかするか、 C で無理矢理書くかしていたところ、 最近、Ruby の存在に気付き勉強中。 今のところの印象は、すばらしく良い。便利だ。 ところで、 逃避のパワーを何か他の勉強や仕事に使う、 って言うテクニックは重要(笑)。 私は「逃避力」と呼んでいる。



2005/04/16 (土)


2005/04/17 (日)


2005/04/18 (月)

外国 (日常, thoughts)

講演の準備の合間に同僚と雑談。 彼はイランで高校を出た後、 オックスフォード大に入って、 その後 21 歳で博士号を取った、いわゆる天才児。 しかし、まだ三十にもならないが色々苦労していて、 話をしていると、 自分が平和な場所と時代に育ったことに感謝もし、 何だか後ろめたいような気にさえもなる。

イランはイラクとの戦争で滅茶苦茶になってしまったので、 もちろんまだ、まともな数学研究が出来る場所でない。 それで、彼は学位を取ったあと、 英国のパスポートで数年、イスラエルに研究に行った。 勿論、両国間の問題は知っていたが、彼は若かった。 政治と自分は違う、自分は学問をしに行くのだ、 誰が何と言おうが自分は自分だ、と思っていた。 イスラエルは色々問題のある国だが、先進国である。 少なくとも周囲の人々は優しく、研究も順調だった。 しかし、イランに戻ってみると、 友人たちは皆、彼から逃げ出していくのだった。 一般人だけではない。 国を出てヨーロッパで活躍しているような知識人でさえ、 彼がイスラエルにいた、と言うとショックを隠さず、 離れていった。いつ国の気まぐれで投獄されて、 一生そのままになる、 などと言うことがありえなくもない、 危険人物になっていたのだ。 勿論、イスラエルにとっても、 彼はあくまで危険な余所者である。 英国で教育を受けた彼にとっては、 祖国は幼い頃の懐しい思い出を除けば、 ほとんどの家族がそこに住んでいると言うことも除けば、 ただ狂気に満ちた危険で奇妙な国である。 だから、もう一生そこに帰ることはないだろう、 自分にはそれが一番幸せだ、と言う。 彼は微笑みながらも、祖国とは故郷とは一体何か、 と私に問う。 私は自分のアイデンティティについて ある考えを持っているが、 彼の思考と経験の強度に耐えうる答は、 私にはない。

しかし、日本も単純に平和な国ではない。 外国に移住して激しい弾圧と差別を受けた人々もいたし、 「北」に移住した人もいる。 逆に日本への移住者もいれば、 帰還者も沢山いる。 隣人に世界で最も危険と言われる国を持ち、 その国と境界で接している国には、 最も危険な国と名指しされ、 さらにその向こうのアジア一の経済大国との仲も、 特に最近、急速に悪化しているようだ。 今世紀、民衆の情緒に訴える操作的な言説と、 テロの二つが、おそらく支配的な政治手法になるだろう。 今や平和は貴重な資源である。



2005/04/19 (火)


2005/04/20 (水)



この日記は、GNSを使用して作成されています。