「Keisuke Hara - [Diary]」
2005/05版 その1


2005/05/01 (日)


2005/05/02 (月)


2005/05/03 (火)

歴史の歴史 (books)

"History: A Very Short Introduction" (John H. Arnold, Very Short Introductions, Oxford Univ. Press). 読了。
静かに感動した。 本当に素晴しい入門書は世界を救う。

いくつかの小さな具体例を挙げながら、 歴史の歴史を辿りつつ、歴史とは何であって、 何のためにあり、何が問題なのか、を易しく解説している。 確か、このシリーズは日本語でも翻訳されていたと思うので、 この本は既に邦訳があるかも知れない。 ただ、歴史の問題の中心には、それがどう語られているか、 と言う言語の問題があるので、 そこが翻訳でうまくうつせているかどうか分からない。



2005/05/04 (水)

要点は三つあります… (books)

"Barthes: A Very Short Introduction" (J. Culler, Very short introdunctions, Oxford Univ. Press) も読了。 大変に明解に書かれている。 バルトを語るときは、その文章までバルト的になりがちで、 それなら最初から「バルトによるバルト」を読み返せば良かった、 と言うことになりかねない。 この著者はそのような誘惑から逃れ、 明晰にバルトを語っている。 この短かさでここまで説明できるのだから、 VSI シリーズにふさわしい良書だと思う。 しかし、 どうもこの手の内容はあまりに明解に解説されると、 逆に疑わしく感じるものだ。 特にこの著者は「要点は三つある。まず第一に…」 と言い過ぎだと思う。

例えば質問に答えるときに、 「大事なことが三つあります」と兎に角、 まず言ってしまうというテクニックがある。 そして話しながら、その内容を後から考える。 「まず第一に」と一番当り前のことを話す。 一番当り前なので誰にでもすぐ思いつく。 しかし、 聞いている方は「大事なことは三つあります」魔術にかかっているので、 何となく感心してしまう。 次に、「しかし一方では」と切り返して、 逆の側面に触れれば、自動的に二つめになり、 そうこうしている間に、 もう一つくらい付け足すことはあるものだから、 それが三つめになる。 この技術はとても頭脳明晰そうな印象を与えられるのだが、 実際に使うのは簡単である。 ただ何度も繰り返すと、 「実は何も語っていない」という真実がバレてしまう。 もちろん、この著者については、そんなことはありませんけど。



2005/05/05 (木)

ネガティヴ・キャンペーン (日常, thoughts)

今日は選挙日。 おそらくブレアの労働党が勝つだろうと思われている。 しかし、後を追うハワードの保守党との差も数パーセントに過ぎないし、 二大政党のほとんど「なじりあい」に近いネガティヴ・キャンペーンが終盤に目立ったためか、 リベラル・デモクラットが随分と支持率を伸ばしているようだ。 今夜のニュースに注目。

ネガティヴ・キャンペーンの TV CM を見ていると、 やはり、「ライアー(嘘つき)」、 「レイシスト(人種差別主義者)」、 「イーヴル(邪悪な)」 が感情に訴える三大悪口として通用しているようだ。 と言っても、「ライアー・ブレア」は政権維持しそうだし、 日本ではこの三つを兼ね備えても都知事くらいにはなれそうだし、 アメリカなら副大統領くらいにもなれそうだが、 こう言ったネガティヴな言葉がきちんとネガティヴに言語として機能する、 と言うことは大事だと思う。



2005/05/06 (金)

落し所 (日常)

午前中のセミナで今週も終了。 第三の定理が簡単に出来たと思われていたのだが、 シリアスなギャップが発見され、見通しは暗い。 もう最終学期なので、 共同研究にどう区切りをつけるかが、 (私としては)気になっているのだが、 相手のいることなのでどうなるのやら。

選挙はブレアの労働党の勝利。 かなり議席を減らしたものの、 労働党初の三回連続勝利を果たして、 歴史的大成功だと自画自賛している。 名前は労働党ではあるが、 この「何となく継投」と言う感じは保守化か。 ニュースなどを見ると、 今回の選挙に特に「ニュース」はない、 むしろ問題は次の選挙だろう、と言う感じが漂っているように思う。



2005/05/07 (土)

安息日の瞑想 (thoughts, films)

同じくオックスフォードに留学されていたと言う、 某大学の見知らぬ先生からメイルをいただいた。 その方によれば、 この地での日本人はまるで研究しない、 遊んでばかりいるかコピーばかりしている、 と評判が悪い、 と指導教授に諭されて随分と努力されたようだ。 おそらくはその分野と場所での局所的な現象だと思う。 まあ、アジアからの留学生は通常、とても熱心に勉強するので、 余裕のある日本人が目立つのかも知れない。 私の印象では、 むしろイギリス人こそあまり熱心に研究しないが、 最近はかなりアメリカナイズされて (少なくとも数学の分野では)、 「書かずば滅びよ」式に追い立てられているように思う。

とにかく、研究のモチべーションを高く保ち続けることは、 易しいことではない。それは確かだ。 日本でなら、普段は雑務の方が忙しいので、 むしろ逃避として研究に励むことが可能だが、 「研究だけが仕事」と言う環境では、逆に動機付けが難しい。 しかも、毎日調子良く仕事が進めばいいものの、 特に数学などは一年の内、 三百六十日以上は不調だと思って間違いない。 数学が好きで好きでたまらないし、 いくらでもアイデアが湧いてきて仕方ない、 と言うタイプならいいが(つまり天才は別として)、 そんな中でやる気を支えるには、 何か信仰に近いような信念か哲学が必要だと思う。 少なくとも、あれば助けにはなる。

私自身の信仰によれば、 無神論者なので比喩に過ぎないが、 神様は全ての人間に十分過ぎるほどのものを既にお与えになっている、 と思う。だから、 それがいかにささやかなスケールでも、 それを生かし、分かち合い、それを楽しむ、義務がある。 もし、自分が特に幸運であるとか、 才能に恵まれていると信じるのなら、 なお一層そうする義務がある。 作家のアン・ラモットは、 「何故、書くのか」と尋ねられると、 「そうしたいから」、それに「得意だから」と答えた後、 必ず、映画「炎のランナー」から引用する、 と書いていた。 スコットランドの美しい風景の中、 練習を辞めて教会に戻り中国に行くべきだ、 とシスターが主人公を責めるシーンである。 主人公はこう答える。 私は中国に行きたいし、それが神の御意思だろうとも思う。 しかし、私はまず練習に行かねばならない、 なぜならば、神は私を速く、とても速く、 お創りになったのだから、と。



2005/05/08 (日)


2005/05/09 (月)

Happy birthday Penguin (books)

ペンギン が七十周年を記念して、 ポケット・ペンギン を出版中。 本屋で見て、 あまりの格好良さに小一時間立ち読みしてしまった。



2005/05/10 (火)

五分後の未来 (science)

イージーな SF では近未来の描写として必ず、 子供たちが遺伝子実験キットで遊んだりしているものだが、 知らない間に 実現 していた。 しかも、79.95 ドル (約 8 千円)。

今日のタイトルは確か「マックス・ヘッドルーム」だけど、 「未来は既にある。ただ、まだ均等に分布していないだけだ」 と言ったのは、ギブソンだったかなあ…




この日記は、GNSを使用して作成されています。