「Keisuke Hara - [Diary]」
2005/06版 その3


2005/06/21 (火)

カウチポテト (日常)

イギリスの TV ニュースを観ているとたまに、 本気なのか冗談なのかと首をかしげたくなるときがある。 おそらく文化の違いなのだろう。 イギリス人が日本のニュース番組を観ると、 「はあ?」と思うようなことがあるのかも。

昨日観たニュース(ちなみに BBC)。 「カウチポテト」と言う言葉を辞書から削除するよう求める市民グループがデモを行ない、 Oxford English Dictionary に対する抗議活動を繰り広げている、 と言う。 メンバらしき女性がインタヴューに答えるには、 じゃが芋はビタミンなんとかやら、何とか要素やら、 健康に良い成分が沢山含まれている健康的な野菜であり、 カウチポテトなどと言うネガティブな言葉に用いられるのは、 全く理解できない、許せない、断固として削除を求めて行く、 と静かに、しかし眼鏡の奥に情熱の炎をともらせつつ語っていた。 どうも主張は、「カウチポテト」と言う言葉は、 じゃが芋にとって全く不当な差別用語であるから、 辞書から削除することが正義だ、と言うことらしい。 土曜午前の料理番組の有名なタレントも参加していて、 賛同の意見を述べていた。 じゃが芋にとって不当な差別ってなに… 一方、勿論、OED 側もインタヴューに答えていて、 主張は理解するが、 「カウチポテト」と言う言葉は広く用いられており、 冗談めいた造語であってそれほど悪い意味があるとは思えないし、 それに辞書にはきちんと正語ではないと記述してある、 などといたって真面目に反論する。

じゃが芋の権利も大事かも知れないが、それより先に、 中東やアフリカやアジアで犬死にしている人々の人権について活動してはどうか、 と思ったが、 「犬死に」と言う言葉は犬に対する不当な差別用語だ、 と愛犬協会あたりから糾弾されるかも知れない、 と思って反省した。



2005/06/22 (水)

夏至 (日常)

昨日は夏至だった。 そしてイギリスで夏至と言えば、勿論、ストーンヘンジ。 昨日に続いてイギリスの変なニュースシリーズみたいだが、 季節ものなのでしょうがない。 BBC ニュースで観るには、 好天に恵まれた中、イギリス中からそれぞれにおかしな格好をした 「スピリチュアルな人々」 がストーンヘンジにぞくぞくと集い、 輪になって奇妙な踊りをしてみたり、 謎の儀式を一人で黙々と行なってみたり、 てんでばらばらに何かと交信していた。 そして次第に集団がごちゃまぜになってきて、 それぞれ互いに異教徒であるはずの人々の間でも、 まあいいじゃないのこの際、仲良くスピリチュアル、 という感じで祝福したり祝福されたり、 わけのわからないことになっていた。

ところで今日は、Oxford の大学設立記念日だそうで、 ボドリアン図書館も一日だけお休み。 研究所はどうかなあ、と思って来てみたら、 建物は開いてはいて、事務員も来ているようだった。 ただ確かに教員はほとんどいないようだし、 いつもよりもひっそりとしている。



2005/06/23 (木)

翻訳 (math, thoughts)

知人の M さんが Mac Lane の カテゴリ論のテキストを共訳され、 そろそろ出版されるとのこと。 原書のタイトルが一風変わっているので、 邦題はどうするのかちょっと気になっていたが、 「圏論の基礎」と言う至極まっとうなタイトルにした模様。 数学の専門書の翻訳はとても大事な仕事なのに、 経済的には全く報われないのはまだ良いとして、 同業者にもけなされることはあっても、特別感心もされず、 もちろん業績にも数えられない、という悲しい宿命である。 面倒なだけで報われない仕事に取りかかったのは、 何らかの志しがあるのだ。 だから、私は全く門外漢ながら、御苦労様でした、 良い仕事をされました、とここに記しておく。

日本は翻訳天国だとか言われるが、 私は全く嘘だと思う。 一般書も文芸書も専門書もほとんど "must" と思われるような、 良書がたくさん訳されていない。 もちろん、日本語でオリジナルの本がもっと書かれるのが一番良いが、 世界には沢山素晴しい本があって、 英語にはなっていても日本語にはなっていない。 そんな本を翻訳することは本当は物凄く「効率」の良い「投資」なのだ。 専門書については、 そのような高度なテキストを読む人は英語も読めるから必要ない、 と言う主張は良く聞くが、私は何ら説得力を感じない。 定評のある入門書だってそんなに訳されているとは言えない。 大体、日本語で読める本もそんなにないのに、 日本での数学や科学の文化の衰退をただ嘆いてもしょうがない。 喩えて言えば、そもそも日本語で読めるチェスの入門書もほとんどなければ、 重要な古典群もまるで翻訳されていないのに、 どうして日本ではチェスが広がらないんだろうねえ、 と言っているようなものでナンセンスだ。 もちろん研究のような直接的貢献が最優先だとは思うが、 それだけが貴方や私が仕える道じゃない。



2005/06/24 (金)

難問の効用 (日常, math)

今日は雨。気温もぐんと下がった。 学期が終了したけど特に変わりもなく週末ゼミ。 特に進展なし。 ここ二箇月ほど考えていた手はどうも駄目らしい、 と言う結論になりつつあり、むしろ切ない。 今度は別のアイデアを試してみることになったが、 道は険しそうだ。 まあ、しかし難しい問題にチャレンジすると、 色んなことが学べること、 副産物的な結果が色々得られること(発表に値するほどの結果ではないが)、 などの美点がある。 欠点は、、、色々あるような気がする。



2005/06/25 (土)


2005/06/26 (日)

ピザとヴァイオリン (foods, music)

昨日の夕食に近所のイタリア料理屋でピザを食べた。 ふと、メニューの中に「アメリカ風」と言うものがあることに気付き、 アメリカ式のピザってどんなものだろうと思って頼んでみた。 そしてテーブルに運ばれきてみると、 思わず心の中で「そうそう、これが『ピザ』だよね!」 と叫んでしまった。 いまこの文章を読んでいる貴方がたは随分とスノッブだったり、 都会の生まれ育ちだったりするようだし、若い人ならなおさら、 私のこの気持ちが分かるかどうか… 私が子供の頃は、日本はまだまだ貧しかった (と言うより、私の家が貧しかったのだろう)。 世の中に「イタリア料理」と言うものは三種類しかなくて、 スパゲティ・ミートソースとスパゲティ・ナポリタンと、 そしてこんな「ピザ」だったのだ。 あの「ピザ」は日本式だと思っていたが、 どうもアメリカ式らしい。 そして、ひょっとしたら、と思うのだが、 「ナポリタン」なんかも実は、 アメリカ料理なんじゃないだろうか?

貧しい話の次は豊かな話を取りあわせてみる。 今日の日曜日は、 Oxford Coffee Concert シリーズを聴いてきた。 Coffee Concert は毎週日曜日の昼間に催されていて、 演奏の質も高いし、小さくて親密な感じのホールも良い。 18 世紀の中頃にオープンした、 ヨーロッパで最も古い音楽コンサート専用会場の一つだそうだ。 言わゆる「靴型」の、パイプオルガンのついた小さな室内楽用ホールで、 ピアノをおけばもうステージ半分は占めてしまう。 普通ならカルテット、ピアノが入ればトリオが限界だろう。 客席は全て素朴なベンチ型の椅子で、おそらく一杯に入ると 150 人くらい。 ちなみに Coffee と題されているのは、演奏の前か後のコーヒー無料券がついているから。 今日はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ(K305)、フランクのヴァイオリン・ソナタ(A-Mj)、 ラヴェルの "Tzigane" の三曲。 フランクがなかなか良かった。7 月に入ったら少しは気持ちに余裕が出来るので、 毎週欠かさず聴こう。 このレヴェルの演奏会を毎週企画できて、安い値段で提供できるのは (大人 1700 円くらい。学生、子供、老人は割引)、 寄付金がかなり支えているのかも知れない (チャリティ番号が書かれていた)。 お礼の意味で、帰国までにパトロンになろうと思っている。



2005/06/27 (月)

RSS (tech&hacks)

最近、blog の形のサイトをチェックすることが多いこともあり、 RSS リーダがとても便利。 私は Thunderbird 内蔵の RSS リーダ機能を使っています。 シンプルな機能しかないけど、メイルと一緒に読めるので統一感があってありがたいです。

実は、 私のこのページも当初から RSS (ただし ver.1.0) に対応していますので、 御使用の RSS リーダでも更新をチェックできるかも知れません(/diary/index.rdf)。 お気付きでしたか? まあ知っている人は知っているだろうし、 知らない人は知らないでいいような気もするし、 シンジケートやヴァージョンが錯綜しているようだしで、 今のところお洒落なリンクで明示したりはしていません。



2005/06/28 (火)

らくがき (日常, books)

久しぶりに普通の日常生活の記録。 昨夜、就眠儀式本の一冊、 "Live Bates" (P.J.Tracy) を読了。 巻末おまけのインタビューで、 この著者が母娘の親子の合作ペンネームだと知って驚く。 実は二人の合作ペンネーム、と言うのはミステリ界に良くあるが、 親子は珍しい。

今日火曜日も晴天。最高気温20度前半の爽やかな夏。 でも夜は嵐だそうだ。 数学はある反例の構成に集中しているものの、 今のところ収穫はなし。ノートに、 電話中のいたずら書きのような奇妙な絵ばかり書いている。



2005/06/29 (水)

会社 (日常, thoughts)

曇り。T シャツ一枚ではちょっと涼し過ぎるくらい。 今日は研究所の宣伝の日か何からしく、 玄関ホールにはパンフレットが積まれていて、 一般の人も出入りしている。

Wired News で見た格好良い会社、 Applied Minds Inc. (第一回の日本語記事原文記事)。 こんな会社で働いてみたいなあ、 いや、こんな会社を作りたい。 ただ、この Applied Minds 社は政府の仕事もしているようなので、 ひょっとしたら軍事にも関わってるのではないか、 とちょっと心配。ディズニーから出ているだけに。



2005/06/30 (木)

大学 (日常, thoughts)

昨日、今日とオックスフォード大学全体がオープンキャンパスの類の催しを行なっているようだ。 数学研究所も一般公開しているし、 町には各コレジのパンフレットを持ったおそらく高校生が沢山いた。

またイギリス国内の各大学の評価をした出版物も本屋に出ている。 それによれば、オックスフォード大学は総合一位。 しかし、分野別の評価で「数学」は五位にも入っていない。 研究について言えば、「純粋」「応用」「統計」(*1)の三部門全てに 5* の最高点を取っているケンブリッジを別格とすれば、 バース、インペリアルなどと並んで二分野で 5* を取っているオックスフォードは、 数学研究をリードする大学であるとは言えるだろう。 しかし、研究は大学評価のファクターの一つに過ぎないので、 教育やその他の面を総合すると最高水準とは言えなかった、 ということか。 一方では「数学」でのランクが 50 位くらいなのに、 一つの研究部門で 5* を取っている、特徴のある大学もあった。 ただ、どういう手法で評価しているのかは良く分からない。 例えば研究部門なら、論文が何本出ているとか集計するのだろうか。 イギリスの大学は悠悠としているような印象があったけど、 やっぱり昨今は世知辛いのだなあ…と思ってみたり。

もちろん学問研究の理想から言えば、 学問の上での自然な競争原理だけで十分なのだろうが、 それは経済に余裕のあるときだけに成立する理想に過ぎない。 学問の自由と言うけど、 「自由」と言うものは一度勝ち取ったらそのまま享受し続けられる既得権益ではない。 その自由に値することを、常に示し続ける義務がある。 しかし、これはモラルに過ぎないので、守られるとは限らない。 とは言え、経済に余裕があるときは、 社会がこの損失分をコストとして引き受けることが合理的だ。 しかしながら、経済に余裕がなくなってくると、 「どうして何もしていない人を高額の給料で雇っておくのですか、 研究のレヴェルとかは分かりませんけど、ずっとほとんど何もしていないことだけは確かですよね、 一方で、あんなに優秀な人々が安定したポストもなく OD や助手でしのぎつつ、わずかな時間を見つけては研究しているではないですか」 と言う正論に耐えられない。 大学は会社と違って、構成員の力を直接利益の形で計算できないので、 この正論の通し方も躱し方も誰にも良く分からない、 というところが問題の焦点かと思う。

*1: 「統計」が同じ重みで独立しているところが、イギリスらしい。伝統だろうか。 確率論はこの三つのどこに入るか、と言うと、 もちろん「統計」だろう、と思う方が多いかも知れないが、さにあらず、 実はこの三つの全てに入っているようだ。




この日記は、GNSを使用して作成されています。