「Keisuke Hara - [Diary]」
2005/07版 その1


2005/07/01 (金)

逆ユーレカ (日常, math)

昨日、ついに懸案の問題の一つが思いがけない手法で解けた、 と思ったのが、やっぱり嘘だった。 一般論からは出ない肝心の評価を、 高校生にもお馴染の余弦定理から導くと言う華麗(?)なアイデアで、 しばし我ながら自分の頭の良さに酔っていたのもつかの間、 ある非常に深い平面上の曲線の性質が先に言えていないと、 正しいながら無意味な不等式であることに気付いた。 今回もそうだったが、 私はお風呂に入っているときに間違いに気付くことが多い。 名付けて、逆ユーレカ現象。 半日間ほど、凄い結果が得られたんじゃないか、 これはキシマ先生の言うところの「人生の星」かとさえ思っただけに、 今回の落胆は大きかった。 もう少なくとも数日は数学をしたくない。

そして今日、最後のセミナかと思ってきてみたら、 L 先生は今日から二週間出張だそうでキャンセル。 ネガティヴなことしか報告することがなかったのでそれは良いのだが、 次のセミナはその後でこれこれの日程ですると言う。 つまり、、、夏休みないの?(泣)



2005/07/02 (土)

高い場所 (thoughts)

イギリスのニュースのメインは「ライブ8」とアフリカの話題。 賛否両論と言う感じもあるが、 私は概ね、これだけ沢山の人の目をアフリカに向けさせるわけだし、 実際に大金を動かすだろうから、良いことではあるだろうと思っている。 ただ、うまく言えないのだけど、何だか皮肉な印象は受ける。 食物連鎖の頂点にいるものが、 最底辺にいるものを救おうとしているような感じとでもいうか、 どう言えばいいのか分からないけど。 そしてまた、 このコンサートは十億人の規模で世界中の人々が観るそうで、 その巨大なパワーが恐しい。 おそらく人間がこれほどの力を持ったことはないんじゃないだろうか。 ローマ法王はそれくらいの影響力があることになっているが、 実際はその十分の一の人間に話しかけることもできないだろう。 そしてこれは先進国の繁栄の頂点で初めて可能になった、 と言うことも、何だか皮肉だ。

「神の鉄槌」でだったかブラウン神父が、 高い場所から下を覗くのは危険だ、身体が落ちるからではなく魂が落ちるから、 と言う。 私は貴方が誰なのか、どんな人なのか、何をした人なのかも知らないけれど、 私は貴方の魂のために祈っているよ、ボブ・ゲルドフ。



2005/07/03 (日)

Q and D (films, music)

今日の Coffee Concerts はシューベルト。 "Quartettsatz" と「死と乙女」。 「死と乙女」は名曲だとは思うのだが、あまり好きではない。 なんだか、これから不吉な洋館で陰惨な連続殺人事件の幕が上がりそうな気持ちになる。 しかし、今日はわりと有名なカルテットが演奏するせいか、 シューベルトの人気があるのか、大入り満員だった。

昨夜の TV 深夜映画。「クィック&デッド」。 どうも B 級の映画ばかり流す傾向にあるような気がするイギリスの TV。 しかし、この映画は西部劇のお約束の固まりで、 そこが面白いと言えば面白いのと、 そりゃないだろう、と言う馬鹿げた映像効果が、 まあ面白いと言えば面白い。 それに何をどう間違って、ジーン・ハックマン、シャロン・ストーン、 レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウたち、 有名スターはこの映画への出演を承諾したのだろう。 私は学部時代、勉強を全くせずに、 下らない映画ばかり観て青春を無駄に過していたので、 実はこの映画もお金を払って劇場で観た。 そして映画館で並んで開場を待っていると、 前に並んでいたカップルの男性の方が、 この映画では西部時代のクラシックな拳銃の扱い方などが厳密で、 そのこだわりが見所だと主張していた。 映画が終わったあと思ったことには、 世の中にはまるで「無駄なこだわり」と言うものがあるのだなあ、と。

そう言えば、この前、殺人事件マニアの女の子が主人公で、 殺人鬼とタンゴを踊ったりする映画は何て言うタイトルだったっけ、 と突然思って、随分長い間、悩んだあげくに思い出した。



2005/07/04 (月)

クリティカル・マス (日常, books)

三日休んでショックから立ち直ってきたので、 今日から数学に復帰することにする。

最近、購入した本などの記録。 "Critical mass (How one thing leads to another)" by Philip Ball. ミクロな個々の挙動の合計がマクロな現象をどのように起こすか、 を巡るポピュラー・サイエンス本。/ "The Athenian Murders" by Jose Carlas Somoza (translated by S. Soto). ミステリ。ギリシャの古典文献とその脚注註釈の両方で、 古代と現代の二つの事件が平行して行くという、 言わば、ナボコフの「青白い炎」の趣向をミステリで行なった作品。 ゴールドダガー賞。/ "The pleasure of finding things out (The best short works of Richard P. Feynman)" by R.P. Feynman. ファインマンのインタビュー、一般講演などの記録。

"Critical mass" と "Athenian Murders" は就眠儀式本として約 30 分ずつ。 ファインマンは家の外での空いた時間用(食事時、お茶の時間とか)。



2005/07/05 (火)

天才少女の誘惑について (books, thoughts)

ダブル・ミーニングと言うものがありますね。 つまり一つの文章や言葉に二通りの意味を含ませる技法。 例えば、典型的な例として、このページのトップに挙げてあるエピグラフがそうです。 これはドライヴ中に天才少女真賀田四季が好きな叔父様を、 (幾つもの意味で)誘惑している場面です。 「自分はここにいる」と言う「自分」は表の意味では四季から見て「叔父様」を指しているのですが、 もう一つの意味は四季自身であって、全てを捨てても私(四季)がここにいる、 と二重の意味を持たせています。

同じ文章の中にもっと本質的で複雑なダブル・ミーニングがあります。 「ほとんどすべてのもの」は叔父が三十六年間で築いた自分自身のことなのですが、 もう一つの意味では、叔父にとってほとんどすべてのものは私(四季)である、 と伴奏のように裏の拍子で言っているわけです。 つまり、「今、この車に乗っている」のは「叔父様」だけではなく四季もそうだ、 と言う事実に読者が気付き、 (1)あなた(叔父様)が築き上げた全てが、 つまりあなた自身がここにある、 (2)あなたの全てである私(四季)がここにいる、 (3)天才真賀田四季がここにいる、 の三つの意味がエコーすることを期待しているのですね。 この小説を読んだ人なら御存知のように、 そもそも、この時点での二人の会話全体が一種のダブル・ミーニングで、 これから二人に起こることを表の会話の裏で会話している、 と言う伏線なのでした。 (私はテキストを深読みし過ぎて、 実際にはそこに書かれていないことまで読んでしまう傾向にありますが、 この小説の特に後半部分がかなり緻密に書かれていることには確信があります。)

文章を書く方は、当然理解されることを期待しているのでしょうが、 その期待は、「誰かが分かってくれればいい」と言うような弱いものなのか、 「誰も分からなくてもいい」と言う突き放したものなのか、 あるいは、「もちろん誰でも気付くだろう」と思っているのか、 読む方の私はいつも気になります。 ところで、この一節をこの一年のエピグラフにしているのは、 私がこの時点の「叔父様」と同い年であることもありますが、 主にこの会話の表の意味を心に銘じておくためであって、 けして天才少女に誘惑されてみたいと思っているわけではありません。



2005/07/06 (水)

インパクト (science)

ディープ・インパクト。 やっぱりアメリカって凄い国だなあ… 科学調査のためだけに、そもそもこんなプロジェクトをしようと思うところが凄い。 予算が出るところがまた凄い。これはついでのようなものだが、成し遂げるところも凄い。 失敗していたとしても、いや、失敗していたらなおさらかも知れないが、 アメリカは偉大な国だと私は思っただろう。

一日反応が遅れたのは、JAXAの ASTRO-EII/M-V-6 の打ち上げ成功を待っていたから。 でも、大雨で延期になったみたいですね。 日本も NASA ほど潤沢な予算も人々の理解もない中、 頑張っていると思います。成功をお祈りしております。



2005/07/07 (木)

日常(夏休み、ミチャ、女性チェスプレイヤーなど) (日常, math, chess)

最高気温が 20 度程度の涼しい日が続いているものの、 週末は少しは暑くなるらしい。 オックスフォードのカレンダーでは、 今日 7 日からおよそ三ヶ月に及ぶ夏休み。 とは言え、もうしばらく前から研究所はひっそり気味。 この数日、週末にかけては組合せ論のシンポジウム中だが、 こじんまりとやっているらしく、賑やかな雰囲気ではない。 私は一つの問題にしぼって毎日、数学を考えているものの、 進展はまったくない。 ただ問題を日々、少しずつは深く理解しているので、 いつか舌が口中を知るが如く、指で掌を指すが如く問題を理解して初めて、 解決の端緒が開けるのである、などと言うことがあるかも知れない。 これは誰の言葉だっけ?ポアンカレ?岡潔先生?

亡くなったご主人の生誕百周年のシンポジウムのため、 ポーランドに行っていた家主が一箇月ぶりに帰ってきた。 私は良く知らないが、ご主人は有名人だったようだ。 文系なので専門が何かも私には判然としない。 家主と何かの拍子にラシーヌの「フェードル」について片言で話したときに聴いた昔話からすると、 舞台芸術評論などをしていたことは確かなようだ。 留守中は親戚の人がやってきて家のメンテナンスをしていたので、 私の仕事は黒猫のみーちゃん(本名ミチャ)の朝夕の食事の世話だけだったのだが、 気にかけることが一つ減ってほっとした。 でも一箇月かけて、ミチャとはかなり親しくなれた。 最近では、私の部屋の前で寝るようにまでなっていたので、 ちょっと残念なような気もする。

「戎棋夷説」で知ったのですけど、 マイナな大会かと思っていた 北ウラル・カップ が面白い。 私は何故か(きっと何かフロイト的な隠された理由があるのであろう)、 女性のチェスプレイヤーが好きなので、 つい合間にサイトをチェックしては棋譜など見てしまう。



2005/07/08 (金)

静かなロンドン (news, 日常)

昨日のロンドンでのテロ事件のあと(*1)、 夜は勿論、ニュースは特集番組一色。 8 日の朝も、早い時間からテロ関連の特別報道番組。 8 日の警察発表では 50 人以上の死者。 しかし、これからまだ増加するだろう。 負傷者は 700 名以上。 爆発のあった駅以外では地下鉄の運行も今日から始まり、 バスも正常化している。しかし、通勤の人々は少ないと言う。 警察による指示でと言うより、昨日のショックによる心理的なものだろう。

昨日、テロのあとで話をしたイギリス人は L 先生だけ。 二週間先くらいまでいないと秘書は言っていたが、 昨日の午後に突然ふらっと部屋に現れ、 目下の(数学的)問題について、 特別な場合に関数論の問題に翻訳するアイデアを熱心に話していった。 結局、議論の果てに、 専門家に聞くのが一番早い、誰それにメイルで尋ねてみる、 と言って風のように去って行った。 そして、今朝、さすがにセミナはないだろうと思って、 またテロのニュースを web で観ていたら、 またまた L 先生がオフィスに突然やってきて、 メイルでの質問の答が返ってきたとのこと。 私が考え出したのは数ヶ月前で、 この二週間くらいは集中して考えていた問題の反例が、 そこに与えられていた。 数式で書くと明解な反例だが、幾何的な意味はかなり微妙で、 問題をヴィジュアルに考えようとしていた私には見つからなかったはずだ、 と納得した。いずれは到達したかも知れないが… そしてその反例の意味について議論したあげく、 L 先生は突然、じゃまた、と言って去っていった。 そんなわけで、テロ事件については何も話していないどころか、 数学以外については何も話さなかった。

そんな日常の風景も書いてみたのは、 スケールはかなり違うけれども、 "Bobby Fischer Goes to War" の中で、 戦争で瓦礫のようになったレニングラードで子供時代のスパスキーに、 「そして、何よりも秩序の感覚を与えてくれたのがチェスだった」、 と言う一節があったのを思い出したから。

*1: BBC の爆発事件特集サイト London Explosions. /7日朝のラッシュ時、ロンドンの地下鉄、バスにて同時爆発事件。同時多発テロと思われる。最終的には死者数十名以上にのぼるか、 との観測も。地下鉄は全線に渡り完全遮断。(7日正午) /ロンドンの交通機関は完全に停止。 店舗も全て閉められている。 静まりかえった町の様子が不気味。(7 日 14 時) /Wikipedia の項目、 7_July_2005_London_bombings に、もの凄い速さで情報が反映されている。(7日 15 時) /ひょっとしたら被害は意外に小さいかも知れないと期待していたが、 予想した以上の大勢の死傷者が出ている。 警察当局の発表では、地下鉄だけで死者 33 名。 TV 局によっては、合計 40 名以上と報道している所もある。 約 300 人が病院で治療を受けていて、 その半数約 150 人が深刻な状態であるとのこと。(7日 16時)



2005/07/09 (土)

この世界に価値を加えよ (thoughts)

イギリスの、特にロンドンの人々が感じているショックは、 私が思う以上に大きいようだ。 死者は昨夜の時点で確定しているだけで 50 名弱だが、 未だ地下鉄の爆発現場には近付けていないので、 地下にはまだ多くの人々の死体が見つかるだろう。 しかし、この二日間の素早く効率的な対応は見事なものだったと思う。 救急部隊や緊急医療の人々も素晴しい仕事ぶりだったし、 ブレアの即座の原稿なしの国民に向けたスピーチも立派だった。 イギリスはテロリズムに慣れている、という悲しい事実もあるが、 我々が築いてきた価値観はこんなことでは崩れはしない、 と言う深い自信は本物だと思う。

例えば、イラク戦争の問題など、 例えばイギリスが、アメリカが、言わゆる先進諸国が、 必ずしも常に立派だとは思わないし、 多くの間違ったことや、実際、邪悪なことも含まれていると思う。 この事件自体がイスラムの過激派や中東と何か関係があるのかは不明だが、 おそらく、中東諸国の根本的に不労所得だけで成り立っている経済や、 その富の再分配の激しい歪みが、 ある種の人々の誇りを極限まで傷つけているのも事実だろうし、 それが消えない限りテロは、少なくとも、テロの可能性への恐怖は生き続けるだろう。 しかし、そのような現実があるにしても、 人間がこの世界につけ加えてきたもの、人間にはここまで素晴しいことができる、 と示してきたことの価値は揺がない。 今世紀はテロリズムの世紀になるかも知れないが、 人間はいつかテロリズムに打ち勝つだろうと私は信じている。

米国在住の作家冷泉彰彦氏が、 アメリカではこの事件は当日からもう他人事になっている、 その主な原因はテロを防ぐことへの無力感だろう、と言うような報告をしていた。 日本では、テロ事件直後でも、TV ドラマ二つがそれぞれ 20 パーセント近い視聴率を記録したそうだ。 おそらく日本ではアメリカ以上に、しかも少し異なる理由で、 もうこの事件は風化していて他人事なのだろう。 次からはいつもの呑気な日常を記録しますが、 もう一日だけこの事件について書いてみました。 この事件で亡くなった方々の冥福と、 この事件で家族や友人や大事な人を亡くされた全ての人々の心がいつか慰められることを、 お祈りします。



2005/07/10 (日)



この日記は、GNSを使用して作成されています。