「Keisuke Hara - [Diary]」
2005/08版 その1


2005/08/01 (月)

負け上手 (chess)

たまに暇つぶしにコンピュータ相手にチェスをするのですけれど、 もちろんコンピュータに本気になられると確実に負けるので、 弱く設定して対戦するのですね。 そうすると、どうもコンピュータが不自然に弱いのです。 これは気にいりません。 わざと負けてもらっているようで悔しいではないか (いや、まさにその通りなんだけど)。 もうちょっと自然に弱いプログラムが作れないのだろうか。 例えば人間なら、 レイティングが 1700 だからと言って、いくら何でも、 自分のクイーンとルークがフォーク(両取り)されることを見逃したりしない。 いや、僕は時々それくらいのポカを指すな… そう、正確に言えば、コンピュータのポカがわざとらしいのだ。 人間のポカにはいくらおかしな手でも、 「なるほどな」と思うところがある。 コンピュータのポカはただランダムにしか見えない。

私が持っているチェスソフトは "Fritz" と言う有名ソフトで、 誰にでも手に入るものの中では最強の部類だと思うのだが、 「人間に上手に負けてあげる」と言う方向の知能が低いと思う。 Fritz では強さをレイティングで設定するだけではなく、 フレンドリィモードと言う、強さを自動アジャストしてくれる機能もある。 しかしこれも、切なくなるような弱さにアジャストされ、 自分と同じくらいの強さの人間と対戦しているという気が全くしない。 もちろん、強くするのが目的なのだから、 そんな設計はしていない、と言われればそれまでだが、 日本人ではほとんど誰も勝てる人がいないくらい強くなられても、 あんまりありがたくない。 むしろ人間らしく弱いソフトの需要は高いのではないだろうか。

今、世界チャンピオンにさえ勝てるようになったチェスソフトの未来は、 あたかも人間の素人のように間違え、あたかも人間のように弱い、 ソフトの設計にあるのではないだろうか? どうですか、研究者の方々。



2005/08/02 (火)

続続編 (日常, films)

久しぶりの快晴。流石に今日は 20 度を越しそうだ。 特に変わりもなく仕事。 むしろ、八月は追い込み兼、これまでの整理もあり、 さらにいつ L 先生に襲撃されるかも分からず、 落ち着かない感じ。

三週間の週末連続して、 TV で「スクリーム」「スクリーム2」「スクリーム3」 を放映していて、つい観てしまう。 このシリーズは「13 日の金曜日」のようなスプラッタムーヴィを、 自意識過剰気味かつメタ的にパロディ化してゆく奇妙なもので、 一見には値する。私は三回くらい通して観ているような気がするけど。

例えば、主人公たちは自分たちが映画の登場人物である、 と言うことをどこかで(あるいは、はっきりと)認識していて、 「もし、これが映画だったら」と言う仮定でよく推理する。 しかも映画マニアの引用が多い上に、 スプラッタムーヴィの「法則」をしきりに説明する (「ノックスの十戒」を引用するミステリ小説みたいな感じだ)。 「スクリーム2」以降では、 登場人物たちはこれが「続編」だと言うことも認識していて、 さらに、「2」以降では映画の中に、 事件を映画化した映画が登場して重要な役割を果たす。 「3」に至っては、 主人公たちが自分たちの事件を映画化した映画の役者たちと関係し始め、 ますますメタ化が厚みを増してくる。 その意味で「3」で特に印象的なシーンは、 シリーズを通じたヒロインが、 自分の事件を映画化した映画の撮影現場で、 自分の家とその近辺の忠実なセットのスタジオに迷い込み、 今の事件の殺人鬼に襲撃されるシーンだろう。 ここで、自分は映画の登場人物であるかのような奇妙な錯覚にヒロインは陥るのだが、 この映画自体を観ている我々は、 彼女が映画の登場人物であることをもちろん、 よく知っているのだ。



2005/08/03 (水)

大義 (日常, thoughts)

昨日は数学に若干の進展があったので、 夕方、パブでギネスなど飲んでいると、 確実に見覚えのあるインド人風の小柄な中年男性がいる。 きちんとしたスーツに蝶ネクタイなど粋にしめて、 折目正しい感じの英語を話している。 どうしても知っているとしか思えないのに、誰だか分からない。 しばらく悩んだあげく、ようやく思い出した。 オックスフォードの某研究所の医学研究者で、 動物愛護団体の過激派のニュースで良くインタビューされて、 動物実験は医学研究に必要だ、と答えている人だ。

オックスフォードには医学系の大きな研究所があるので、 動物愛護団体の活動も盛んである。 ほとんどは善良な人たちで、意味のない活動でもないとは思うのだが、 中には「過激派」と呼ばれる恐しい人々もいる。 例えば、モルモット (実験動物の比喩ではなくて、本当に天竺ネズミのモルモット)の生活環境の改善を訴えて、 関係者を暴力攻撃する。 または、ハツカネズミを研究所に運ぶトラックの運転手の自宅にまで押しかけ、 車や家を破壊していくのである。 実験用や、あるいは、食用の動物の生活環境も良い方がいいには違いないが… 特にこの過激派の恐しい所は、 人間を襲っているとき、充実感に溢れてとても生き生きしているところだ。 こういうことを書くとエリート主義者かと誤解されかねないが、 私はほとんどの人々には「大義」はとても危険なものだと、 時に思う。



2005/08/04 (木)

ファインマン (science, books)

アメリカと言うのは凄い国だな、 と思うのは学校で進化論が教えられない州があったり、 かなりの所で(キリスト教)原理主義者のパワーが支配的なところだ。 そして、最新のニュースではブッシュ大統領が、 「インテリジェント・デザイン『理論』(*1)」について意見を聞かれて、 公立学校で進化論以外の考えも示すべきだと発言し、 話題沸騰とのこと。 そういえば、レーガン夫妻も星占い好きで有名だったなあ…

丁度、スペースシャトルが宇宙にいる今なので思い出したのですけれど、 アメリカのこういう「科学」教育について、 ファインマンがどう言うか聞いてみたい。 もちろん、私は死者と交信できないので、 代案として、ファインマンのガリレオ記念講演の記録 "What is and What should be the role of scientific culture in modern society" ("The Pleasure of Finding Things Out" (Penguin) に収録) を大統領に読ませて意見を聞いてみたい。

ファインマンの講演の中でも優れたものの一つだと思うので、 もし御存知なければ皆さんもどうぞ。 日本語訳は、 「ファインマンさんベストエッセイ」(ファインマン著/大貫昌子・江沢洋訳/岩波書店/ ISBN: 4000059475)に所収。 同じくこれに含まれている「科学と宗教」も必読。

*1: 色々なレヴェルがあるが概ね、 進化には高度な「知性」が介入している、と主張する進化「理論」。 例えば、神様とか、宇宙人とか。 通称、ID。



2005/08/05 (金)

ハイネケンとトマトジュース (foods, 回想)

日本ではそろそろお盆で、 皆さんすっかり夏休みなのでしょうか。 最近、某原稿の校正などしていて昔を思い出すことなど多いのですけれど、 例えば、大学に入ったころなどは二十年近くも前なわけで、 何だか不思議な気持ちがします。 気がつけば人生も半ば、見渡せば暗き森深く、道らしき道の一つもなく…、 と言ったこの頃ではありますが、思えば昔からそうなのでありました。

大学に入ったころ、 私は概ね、日々の講義はさぼり大学にはたまに掲示板を見に行く程度で、 やたらに優雅な生活を送っておりました。 時間は空気や水のように、 私の前にいくらでもあるかのように思われたものでした。 日本は超好景気の頂点の後の時期でしたが、 それでも東京の街にはどこか浮かれたような雰囲気が続き、 明るいところは眩しいように明るく、 暗いところは闇にように黒々としていたように思います。 私は大体、正午近くに起き、 下宿を出るとキャンパスとは逆向きの電車にのり、 吉祥寺で降りて丸井側に出て、 井の頭公園へ下って行く小道にあった「七つ森」と言う店で、 毎日のように昼食を取っていました。 いつもランチメニューの他にハイネケンとトマトジュースを注文し、 それぞれ半分ほど飲むと後はビールをトマトジュースで割って飲んだものです。 その後、井の頭公園をぶらぶらして、 パルコの地下のビブロで本を買って、小さな映画館で映画を観て、 下宿に戻りますと、まかないの夕食を食べて、 深夜まで本を読むか、 時には宿の他の面々が大学から帰ってきてから麻雀をしておりました。 私がそんな生活から社会復帰するのは三年生の終わり頃からで、 まだ先のことであります。 その雌伏の二年間余に私と言うものが培われたのであった…、 などと言いたいところですが、 正直に言うと、本当に無駄に過してしまっただけだと思います。

そんな生活をしながらも、私は将来、科学者か小説家になるだろうな、 とぼんやり思っていたものです。 今、そんな昔のことをやや恥ずかしい気持ちもしつつ考えますと、 その頃のトマトジュースとビールの味をいつも一緒に思い出すのであります。



2005/08/06 (土)

指導の善悪 (日常, math)

私が来月に帰国するからと言って、 昨日の夜は、院生の香港人 P 君にインド料理をおごってもらう (確か、昨年末にもパブでおごってもらったなあ…)。 彼は今月の下旬から里帰りして夏休みを過すらしい。 もうアクセプトされているので書いても構わないだろう、 彼はエキゾチックな境界についてのグリーンの定理で一仕事し、 意気軒昂なところである。 私は自分と同世代かそれより若い同業者には機会があれば、 「確率論はこれから何をすべきか」とよく尋ねるのだが、 今回は初めて向こうから先に同じ質問を聞かれた。 私の答は内緒。

どんな風に確率論に入門して勉強したか、 と言う話もお約束の話題である。 日本とイギリスでそれぞれ標準コースにも若干違いがあって、 それもまた興味深い。 ちなみに私は、Korner のフーリエ解析をやって、 Dym-McKean のフーリエ解析をやった後、 確率論に入って、 伊藤先生の古い講義録を途中まで読んだところで大学院に進学し、 Ikeda-Watanabe の第一章だけをセミナで読み、 その後は、論文を読んで問題を見つけなさい、だった(当時 M1)。 今、思えば、全然確率論の勉強をしていないではないか。 良く考えると、何と「伊藤の公式」すらやってない。 いやはや、ひどい指導もあったものだね、と言うと、 P 君はいやそれはなかなか鋭い方針かも知れない、 と言って今の標準コース的な勉強の仕方を批判していたが、 単に当時、指導教官本人が読み返したかっただけなんじゃないかな…



2005/08/07 (日)

不確実性 (science, thoughts, books)

追加: 日本のニュースサイトを見ていると、 この週末イギリスで新聞、TV ともに大々的に「ヒロシマ」 を特集していることが報道されていた。 と言うことは、それは世界的には特別なことなのだろうか。 勿論、アメリカでは、 逆の意味で大々的に報道しているかも知れないが…
/そしてファインマンの訳文をちょっと推敲。

昨日は原爆忌。イギリスでも特集番組があったり、 ニュースでも取り上げられていた。 そして 7 日はロンドン爆破事件から一箇月。

土曜休日の暇つぶしとしてファインマンの講演を翻訳してみたり。 既に日本語訳が出版されているので、 私の試訳の一部だけをここに紹介。 この翻訳が正しいかどうか、訳書を御購入していただいて、 訳文を比べてみるのも一興かと思います (実は、そんなことを言って、この本を一人でも多くの人に読んでもらいたいのです)。

「では、この世界の意味とは何でしょう? 存在の意味を私たちは知りません。 私たちに言えるのは、 これまでに持ってきた様々な世界の見方の全てに鑑みて、 私たちは存在の意味を知らないということを発見した、 ということです。 しかし、私たちは存在の意味を知らない、 と言うことで、おそらく私たちは開いた回路を見つけるのです。 もし、進歩の過程で、変化の可能性を開いたままにできさえすれば、 事実や、知識や、絶対的な真理に熱狂することなく、常に不確実性を残し、 むしろそれを「危険にさらす」ことができさえすれば。 英語では、この方向に政府の舵取りをすることを、 "muddleing through" (なんとかやりとげる)と言うのですが、 このむしろ馬鹿げた、愚かしく聞こえるこの方法こそが、 進歩の科学的方法なのです。 答を決めつけてしまうことは科学ではありません。 進歩するためには、未知に向けて、 ドアを少しだけ開いたままにしておかねばなりません。 私たちはまだ人類の発展の、人間の精神と知的な生き方の歴史の、 ほんの入口に立ったばかりです。 私たちにはずっと未来があるのです。 全てがどうなっているのか、今日答えないことは私たちの責任なのです。 全ての人間をただ一つの方向に向けないこと、 「これが全ての答だ」と言わないことが。 なぜならば、そう答えてしまうことで、 私たちは現在の想像力の限界に縛りつけられてしまうからです。 私たちは、物事はこうなっているのだと今日言えることしか、 出来なくなってしまうからです。 しかしそうではなくて、 もし私たちが常に、疑いの余地をいくらか残し続ければ、 議論の余地を残し続ければ、科学と同じ方法で進めば、 この困難は起きないでありましょう。 私はこう信じます。 現在のところそうなってはいませんが、 いつかこんな日がやってくるでしょう。 私はそう期待しています、 政府の力を制限すべきだと、正しく認識される日がやってくると。 つまり、政治に科学理論の妥当性を決定する力を与えるべきではない、 そうしようとすることさえおかしなことであり、 歴史や、経済理論や、哲学の多様な表現を政府が決定すべきでない、 ということがはっきり認識される日が。 そして、この道によってのみ、未来の人類の真実の可能性が、 究極的に、発展させられるのであります」 (以上、原文(*1)の原による試訳)

*1: "The Role of Scientific Culture in Modern Society" (by R.P. Feynman, in "The Pleasure of Finding Things Out" (Penguin), 邦訳「ファインマンさんベストエッセイ」(大貫昌子・江沢洋訳/岩波書店))



2005/08/08 (月)

天才の予言 (science, thoughts, books)

私は原子爆弾とスペースシャトルと言えば、 自動的にファインマンとくるものと思っていたが、 ひょっとして今この文章を読んでいる人の大半は、 「チャレンジャー号事件」も「Oリング」も知らないのかもしれない。 確かに二十年も前のことなんだものなあ。 チャレンジャー号事件が二十年前か…愕然としますね。

それはともかく、やはり "The Pleasure of Finding Things Out" (「ファインマンさんベストエッセイ」) に収録されている講演に、 未来の「極小」技術について語ったものがある。 講演が 1960 年以前のものとは信じられないくらいで、 その後の今までおよそ半世紀の間のナノテクノロジの発展が、 ほとんど「予言」されているのだ。 むしろ、科学者たちがファインマンのこの挑戦に答えた、 と考えるべきなのかも知れない。

しかし私が一番感動したのは、予言が当たったことではない。 むしろその内容であって、そこにファインマンの真の思考力が現れていると思う。 普通の人は予言と言うと、 今存在しない、または現在の科学に照らしてありえない、仮定で考える。 しかし、それはただの白昼夢であって、 そもそも「考える」と言う言葉にも値しない。 ファインマンがここで語っている予言は、 全て当時の技術ですら原理的に可能なことで、 しかも、もし実現したら途方もない進歩をもたらすものだ。 ファインマン自身がこう言っている。 「私は反重力を発明しようとか言っているのではないのですね、 もしこの自然界の法則が我々が思っているものと違ったなら、 いつかそれも可能になるかも知れませんけど。 そうではなくて私がお話ししているのは、 もし世界が我々の思っている通りだったら、 我々に可能だろうことなのです。 つまり、我々が今それをやっていないのは、 単にまだやってみていないからです」(この文章の訳は原による)。 私たちは、未来のことを「考える」とき、 あやふやな、はっきりしない、「可能性」を仮定として夢見る。 しかし、ファインマンの未来はとてつもなくクリアで、 一点の曇りもない。 ファインマンは天才だったろうか? 私はそうは思わない。 しかし、その思考は誰よりもクリアだ。



2005/08/09 (火)

クイズ番組のチェスプレイヤー (chess, 日常)

BBC2 の番組に "University Challenge" と言う、 大学対抗のクイズ番組がある。 こういうと日本の高校対抗ウルトラクイズを思い浮かべるかも知れないが、 そんな豪華で凝ったものではなく、極めてシンプルな番組である。 四人チームが各大学から出場し、 毎週二チームが対決して、次々に勝ち抜いていき、 シーズンの最後に至って優勝校が決まる (この前のシーズンはオックスフォードのどこかのコレジだったような)。 このクイズが酷く知識偏重で、 答が「コルモゴロフの三級数定理」だったときなどはさすがに驚いた。 日本でなら、 答えられる人の半分以上は私の顔見知りだと思う。 そもそも答えられる人がいるのかと思うような問題も多く、 例えば、一度、映像問題で出たことのある、 「この墓は誰の墓でしょう」シリーズは面白いことは面白いものの、 やはり誰も答えられず、出題としては失敗だったようだ。

さて、それはともかく、今は夏休み中なので、 大学対抗ではなく特別編として職業別の対決をやっている。 昨日放送していたのは、「チェスプレイヤー」対「V&A(Victoria and Albert Museum)職員」。 チェスプレイヤー側の出場者は、 キャプテンが Hartston, 残りのメンバが Jacobs, Cox, Pein という人だった。 チェスファンの興味を引くかも知れないと思い、 ここに書き留めておく。 今回で面白かった問題は、 ロシア人作家の名前と作品のタイトルがロシア語で示され、 「これは誰の何と言う作品でしょう」と言う連続問題。 出題されたのはV&Aの方で、 「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキ)以外は全滅したものの、 もしチェスプレイヤー側なら結構答えられたかも知れない。 ちなみに、勝負はチェスプレイヤー側が勝った。



2005/08/10 (水)

宴の後 (日常)

次の新学期から一年滞在する新しいヴィジタが登場。 今度はアメリカから。ハーバード出身のエルゴード理論の人。 夏休みなのに勤勉で、朝から夕方までヴィジタ部屋で仕事をしているので、 事実上一人で部屋を独占できる状態は終わって残念。

そんなに政治に興味のない方ではあるものの、 帰国するころには既に総選挙も終わっている、 というのが何だか、がっかり… それから、お願いだからこんなことに、 ガリレオの名前を出すのはやめて欲しい、 とは思います。




この日記は、GNSを使用して作成されています。