午前は査読の仕事をして、 午後は京大の関西確率論セミナに向かう。 生協食堂で自動販売機のインスタントコーヒーを飲みながら、 しばらく査読を続けたのち、 事務に立ち寄って、 この前セミナ発表をしたときに部屋に置き忘れ、 預かってもらっていた懐中時計を回収。 15時半からセミナ。今日は珍しく化学の人がスピーカだった。 散逸揺動系の量子力学から来る確率過程の話だったが、 何だかさっぱり分からなかった。
もう師走かあ。 師走と言えば世間では忘年会シーズン。 では、そんな夜遊び月間に役立ちそうな数学。 リトルの法則: 「システムの中にあるものの数は、 そのシステムに入っていく時間あたりの数と、 システム内に滞在する平均時間の積に等しい」。 例えば、50 席あるラーメン屋で、 一人30分、つまり二分の一時間ずつ滞在すると仮定すると、 ラーメン屋に入っていく(=出ていく)人数は一時間で100人くらいだろう。 (50 = 100 x 1/2)。 店の前に25人待っているとすると、15分ほど待てば店に入れる。
証明するほどのことでもないが、
例えば次のように考えれば明らか。
このラーメン屋に一日に入った客数は、
入口に注目すれば一時間あたりの客数かける営業時間に等しい。
一方で店内の滞在に注目すれば、
これは営業時間割る客一人の滞在時間かける座席数にも等しい。
すなわち、両辺を営業時間で割れば、上の関係が得られる。
午前と午後少し、年末確率論シンポジウムの講演の予稿を書く。
メイルで提出。
午後はもうちょっとお仕事。
夕食はまた鍋。白菜があまりに安くて美味しいので。
夜は、来週の講義の予習。
京都はかなり寒くなってきた。
来週あたりは最低気温が氷点下ということもあるだろう。
しかし、未だに暖房のスイッチを入れていない。
私は南国生まれなのに寒さに強い方で、
しかもイギリスでさらに鍛えられたせいか、
まだ全然、暖房が必要と言う気がしない。
今年は暖冬らしいし、一度も必要ないかも。
でも、猫が可哀そうなので、
専用ホットカーペットに古着のスウェーターを追加してあげた。
雨。昨日、執事を見かけたら、 マスターアップまでの後三週間は、 毎日三時間以下睡眠の日々が続く見込みとのことだった。 勿論、土曜も日曜もない。 このように勤勉な人々に世界は支えられているのである。 DVD で「アベンジャーズ」を観ながら、マリナーラソースを作り、 昼食はアラビアータスパゲティ。 食後に珈琲。 店の女の子がフレンチローストを勧めるのに従って買ってみたが、 やっぱり、スマトラの方が好みだなあ。次から元に戻そう。 雨で外にも出られないので、午後は数学など。 夕食はまた鍋(白菜が食べ切れないので)。
ゲームの企画として、「ゲームつくろう!」(愛称「ゲーつく」)、
というのはどうだろう。
現場の一員となってゲームを開発するロールプレイングゲーム。
しかも作るゲームは「ゲームつくろう!」で、
ゲームの中での開発がプレイしているゲーム自身に反映されていくという、
自己参照型自虐的ゲーム。
さらに、ゲームが終了すると、
ゲーム内で開発されたゲームが実際に作品として市場に出るという、
開発者いらず。
今朝はぐっと冷え込んで、一段冬が深くなった感じ。 衣笠出講日。北の方はさらに寒い。 昼食は生協食堂で済ませ、 午後から「数理の世界」、続けて「情報の数理」。 「数理」は、非ユークリッド幾何発見の歴史をもう少し。 来週からは半球面モデルを構成する予定。 「情報」はエントロピーの性質。 今日はかなり数学的な証明をしたので、 学生さんにはちょっと辛かったかかも。
帰宅して、近所のワイン屋で、
鍋にあいそうな白ワインを見繕ってもらう。
「鍋には泡もあいますよ」と言うことだったが、
そこは普通の白ワインにしておいた。
鍋にシャンパンか、、、いい趣味であることは確かだ。
流石に普段には贅沢なので、シャンパンを飲む機会があれば、
それに鍋を合わせる方向でいこう。
昨夜はずっと雨が続き、今朝にもまだ残っている。 外に出ると、雪を屋根に載せた車も見かけた。 生協サンドウィッチの昼食をとりつつ、卒研ゼミ。 今日から Durrett の本。 既に知っているところは飛ばして、 マルコフ過程論から。 優秀な学生だが、マルコフ過程は苦手なようだ。 マルコフ性は確率過程論の基本だから、 大学院に進学する前にしっかり押さえておく方が良かろう。 いい学生を指導しても、国立の大学院にとられていくのだが、 それが私大の役割かも知れぬなあ。 ゼミの後、あれこれ書類作成をして帰宅。 知らない間に、 来年度から私学教員も雇用保険に入ることになったようだ。 これで、経営者も安心してクビを切れると言うものだね。 夜は、作りおきのトマトソースで簡単スパゲティを作って夕食にし、 食後は講義の予習。
生協に注文していた新訳「ロリータ」(ナボコフ著/若島正訳/新潮社)がようやく届く。
私はこれまで「ロリータ」は比較的ナボコフらしくない作品だとさえ思っていたのだが、
それは新潮文庫版の(改訂後の)旧訳があまりに日本語としてこなれていて、
スキャンダラスなストーリィだけがすらすらと入ってきたからかも知れない。
しかし、今回の若島訳ではナボコフらしい引っかかり、
例えば、奇妙な比喩、言語遊戯を詰め込んだ、
ある意味では悪文である原文の佇まいや、パズルのような作品全体の重層的な謎が、
できるだけそのままに残されているようだ。
ナボコフ自身が想定していた五十年後の読者である我々が、
稀代のナボコフ読みを訳者に持ち得た幸運を逃がしてはいけない。
ちなみに、訳者自身のサイトで
「『ロリータ』別館」
のタイトルで、
この翻訳の細部のからくりのあれこれの解説も始まった模様。
読み巧者を自認する方は、新訳「ロリータ」読後にこちらを見てみると、
ああ、やはりそうだったか、と納得したり、
なんとそんな読み方があったか、と驚いたりできるでしょう。
また、ナボコフや「ロリータ」をよく知らない方も、
本当の「ロリータ」の思いがけない姿を垣間見ることができるかも。
十時から某委員会の会議。 30 分だけで失礼して、続いて「プログラミング演習」。 今日は昼食を作ってくる時間もなく、 サンドウィッチにも嫌気がさしてきたので、 人にぶつからないで歩けないほどの大混雑の生協食堂へ。 R 大学は奇妙奇天烈な時間割構成をしていて、 年間スケジュールもそうだが一日のスケジュールも、 そもそも入り切らないものを無理に詰め込んでいる。 そのために極めて短かい食事時間には、 この界隈に二つしかない食堂に学生が押し寄せる。 トレイを持って席が空くのを待って数分うろうろしたあとで、 この混雑時に呑気にテーブルを占有して大貧民を楽しんでいる学生たちの隣で昼食。 渋谷のネットワーク技術者 N 氏なら、 「香港なら死んでるぞ」(*1)、と捨て台詞の一つも吐くところだが、 長いものにも短いものにも巻かれる主義なので、 隅っこの席で五分で食事を済ませる。 ブロイラー鶏になった気がした。 大量生産的産業と教育について考察しつつ、 研究室で少し事務をやっつけて、次は「情報理論」。 今日は確率的にノイズの入る通信経路の設定。 経路行列の和やクロネッカー積、経路関係式、ベイズ公式など。 教室会議は休みらしい。少しトリヴィアルな仕事をしてキャンパスを後にする。
夕食は白菜の中華風塩鍋、ピェンロー。 教えていただいてから、作ったのは三回目だが、 ようやくこの料理をつかんだ気がする。 これまでの二度は、本当にこの料理は美味しいんだろうか、 とさえ疑っていたが、やはり良く出来た料理だ。 最大のポイントは、白菜が本当に美味しくなる季節まで待つことか。 骨つきの鶏肉を使ったので、残った骨でスープストックを作りおきし、 豚肉もバラ肉で買ったので余った分を 「檀流クッキング」で学んだ台湾風おでんに二時間ほど煮込んだ。 寒い日に煮込み料理は暖房がわりになっていい。
*1:
この台詞が出てくる映画の名前は?
午前中はバックアップ作業とあれこれ。 午後は、委員会の仕事で一つ外国にメイルを書き、 その後は「プログラミング演習」で参考に見せるためのサンプルをプログラミング。 さらに、来週の講義の予習。 夜は、料理の仕込みをしながら読書。 予想外に早く読み終えてしまったので、 少しチェロを弾く。バッハの無伴奏チェロ組曲一番のプレリュードの練習。
一部で話題の「チェスの花火」(J. ピノー著)。
確かに、チェス以外のところは何を言っているのか分からないが、
危険と言うほどのことではないかな、と。
正確に言うと、主張が不明なので危険ですらない。
きっと本人はヨーロッパ的知性のあり様を伝えたいと思っているようなのだが、
実際に書いてしまったことは、「知の欺瞞」が標本に採りそうなほど、
似非人文系学者が科学用語や概念をナンセンスに濫用した現代思想的擬似科学的文章で、
著者も名前を挙げている「チェスの本」(F.ル=リヨネ)との圧倒的な差が、
悲しいまでに目立つ。
私はル=リヨネの「チェスの本」こそ、
最先端の科学用語も思想用語も出てこないが、
本当の意味でヨーロッパ的知性を伝えていると思う。
まあ、それはともかくとして、チェスについて書いているところは面白いですし、
これくらい盤面図を沢山入れてくれると、私でも駒を並べずに読めるので有難いです。
「思想」面については飛ばして読むことをお勧めします。
随分と冷え込んできた。 今年は暖房不要かも、などと言っていたものの、 やはり朝夜の冷たさに負けてヒーターのスウィッチ、オン。 午前中はメイルを書いたり事務をして、 午後はお仕事。 ずっと同じ姿勢で一つのことを考えているのに疲れてきたので、 場所を変えて、ホットチョコレートを片手に読書しながら数学。 読書の途中で、項を並べ変えてこう和を取り直せば内積の形になるからシュワルツを使って…、 と簡単な証明のアイデアを思いついたが、 小説をもう一章読む進む間に、 内積になっていないことに気付いて、結局、何も得られなかった。 ながら仕事というものは、やはりそんなものか。 夕食は、この前作った台湾風おでんの残りを使って、 豚バラ丼。
人間の知性は概ね、並行処理に向いているし、
実際ほとんど常に膨大な数のスレッドを並行処理しているようなものだと思うのだが、
つまるところ、
それを意志の力で一定時間、
とても少ない数にまで制限できる人が天才ってことかなあ…
つまり、才能とは何かがつけ加わっているのではなくて、
何かが引き去られた姿なのではないかな、と。
午後は京大文学部へ。 ナボコフ協会の秋の研究会に参加のため。 一般人の参加もオーケーとのことだったので、 後ろの方でこっそり聞かせていただく。 目当ては一つめの講演、新訳「ロリータ」を巡って、 訳者のトークと研究発表の間くらい(?)の発表。 「ロリータ」の中に登場するアメリカのポップス音楽と映画が、 小説内の時間と現実の時間の間に微妙なずれを起こしている、 ということが主なテーマで、なかなか面白かった。 特に、「七年目の浮気」(ビリー・ワイルダー監督)との関係の指摘は意外だった。 勿論、本当にナボコフがこの映画を観てゲラに手を入れたかどうかは、 証明もできなければ、する必要もないだろうが、 こういうことを想像すること自体が面白い。 (可能性は五分五分くらいかなあ…。) また、今回訳してみて、 通常は面白くないとされることが多い第二部がむしろ凄い、 と思い直した、という感想を漏らされていて、 私としてはそこが一番興味深かった。
バスで大宮まで戻って、
近所のワイン屋で白ワインを買う。
夜は早速そのワインをお伴に、大根と豚肉のべっこう煮。
この日記は、GNSを使用して作成されています。