15.04.13
*これはISO14001:2015のDISを基に2015/4/12に書いたものである。
今後、改定や正式版が出れば見直ししたいと思うが、しないかもしれない。そこのところはご了解してお読みいただきたい。
「作成及び更新」といってもそれだけでは何が何だかわからない。これは「文書化した情報」という項番の中の一節のタイトルである。つまり文書化した情報を作成するときや更新するときの必要事項ということである。
ではどんなことが書いてあるかというと
文書化した情報を作成及び更新する際、組織は、次の事項を確実にしなければならない。
- 適切な識別及び記述(例えば、タイトル、日付、作成者、参照番号)
- 適切な形式(例えば、言語、ソフトウェアの版、図表)及び媒体(例えば、紙、電子媒体)
- 適切性及び妥当性に関する、適切なレビュー及び承認
(ISO14001:2015DISより)
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話しはちょっと飛ぶ、
紙もなく文字もない時代に、なにごとか出来事とか思いついたことを他人に伝えようとすると、口で話して伝えるしかなかったと思う。それは聞いた瞬間に消えてしまい、内容が正しく伝わったのか伝わらなかったのか定かではない。そんな伝達を5回も繰り返したら、もう聞き漏らし、勘違い、記憶違い、自分の思い(思い込み)が加わる一方で、元のお話とはかけ離れていくだろう。
昔、小学校などで伝言ゲームという遊びをした。各グループ10人くらいに分かれて、最初の人に同じ話をして次々に話を伝えて最後の人が報告に来ると、最初は「4月13日に東京へ行く」というのが「6月2日に札幌に着いた」くらい変化しているのは普通だった。
ともかくお話、それを情報と呼んでも良いが、それを正しく伝えるには文書化が必要である。文書化とは紙に書くことだけでなく、電子データにしても、絵画でも、モニターに映し出されたものでも良い。昔アメリカインディアンは草の結び方で連絡したとか、ポリネシアの人たちは綱に結び目を作って海図にしたとか聞いたことがある。そういうのも文書化の一例であろう。
おっと文書にすれば良いというわけではなく、紙に書くにしても誤解ないように伝えるために具備すべき条件があるはずだ。
もっとも文書化しないときでも同じなんだけどね。
ではこの項番で定めている文書化するとき具備すべき要件はまっとうなのだろうか?
- 適切な識別及び記述
昔々のお話を子供に話して聞かせるとき、物語がひとつのときは「お話をきかせてよ」「よし、お話をしてあげるからおネンネするのよ」でもよいが、物語がいくつもあればどの物語であるかを指し示す必要が生まれる。そのとき誰でも思いつくのは内容で示すことだろう。例えば「クマと相撲をしたお話」とか、「鬼退治の物語」とか表現するのは素直なことだろう。あるいはその物語の語りが定型化していればその最初の行というかフレーズをいうこともある。「まさかりかついだお話」でも、「おばあさんが川に洗濯に行った物語」でもよい。実際に聖書とか古事記などは、そのように各章の題名が付けられているという。(出典はアイザック・アジモフなどによる)
そういうことは口伝えの時代から文字の時代になっても同じようでした。
いや、物語がいくつもあってもタイトルを付けないこともある。昔々というほどではないが、明治初期の日本の法律にはタイトルがないもの珍しくない。明治政府は決闘を禁止する法律を作ったが、それには題名がない。とはいえそのときだって法律はひとつではなく、題名がないと呼ぶのに困る。だから普通は「決闘罪ニ関スル件」と呼ばれたそうです。そう呼ばれたにしろそれは仮の名であり、法律の題名ではありません。しかしながらやはり名無しでは困ります。
いや名前があってもそういう方法、つまり内容とか冒頭のフレーズで文書を呼ぶことで問題ないのでしょうか?
まあ、類似の文書がない時代はそれでも間に合っていたのでしょう。でも法律がたくさんできたり、たくさんのお話が語られたり、本が多くなると、類似の名前、いや同名の書物や物語があふれるようになります。
ところで書物に同じタイトルを使うことに法規制はないようです。「戦争論」なんてのはクラウゼビッツ、小室直樹、小林よりのり、池上彰などたくさんあります。ただ先行する有名な本と同じタイトルを使うと名前負けになるからか、使う人はあまりいないようです。
ISO関係でも同名の本は多々あります。例えば「ISO14000入門」なんて本は複数あり、「くたばれISO」なんて本は正続があり、ISO9001という規格は、1987年版、2004年版、2000年版、2008年版、2015年版があり(2015年時点)まあ情報化社会というのは実は過剰情報社会であるようです。
ということで文書なり物語を区別する必要ができてきます。それで書籍などなら「誰々の○○」と呼ぶようになります。同じ人が書いた続きものなら、正続とか第何巻というふうになりました。歌だって同じです、山口百恵の「プレイバックpart1」とか「プレイバックpart2」とか。
現在では本であれば識別記号であるISBN番号がありますから、間違いは少なくなります。しかしISBNは使い回ししているようで完全ではない。
論文などで他の論文や書籍を引用するときは、タイトル、著者、発行年、出版社、ページなどを記して特定しています。これも完全に対象を特定できるのかはいささか疑問です。
ISO規格なら改定時期で何年版と呼ぶことになります。まあ特定の時点においても有効なのはひとつしかないですけど、
いずれにしてもその文書なり小説を特定する方法がなければ困りますね。
まあ、それが適切な識別というのでしょう。
えっ、「識別」の次の「記述」ってなんですって?
「記述」の原語はdescriptionですよね、descriptionて日本語の「記述」するって意味なんでしょうか?
英和辞典を引くと「記述」とか「描写」てなってますが、英英辞典でみると
a piece of writing or speech that gives details about what someone or something is like
つまり「人や物の輪郭(プロフィル)あるいは概要を短く書いたり述べたりしたもの」です。
ですからこの項の記述は「適切な識別及び記述」ではなく「適切な識別そのための記述」ではないのだろうかという気がします。少なくても日本語の「記述」の意味、つまり「一般的な文章にして書きしるすこと。また、書きしるしたもの」ではないようです。
そんなことないなんて言わないでください。だって「適切な識別及び記述」の要件として「タイトル、日付、作成者、参照番号」であると言っているのですから、日本語の「記述」では意味が通じませんよね?
これについて英語に詳しい方教えてください。
そのうちYosh師匠が書き込んでくれるでしょう。
しかし、これは今後の審査で地雷になりそうです。審査では次のようなやりとりが行われることでしょう。
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「規格では『適切な識別と記述』を要求していますが、御社の手順書は識別されているのはわかりましたが、記述が適切じゃありません。記述がいけませんねえ〜、これは不適合でしょ」
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「規格にあるタイトル、日付、作成者、文書番号は記載されていると思いますが・・・」
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「しかし手順の記載内容があいまいで・・・適切な記述には程遠いようですが」
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「問題なく仕事ができます。それに仮にあなたのご意見に妥協したとしても、つまり適切な記述でないとしたときは7.5.2の不適合ではなく、7.5.1の「組織が決定した情報」を根拠にしなくちゃ審査が不適合じゃないかなあ〜、かといって7.5.3のlegibilityを持ち出すと恥をかきますし・・・」
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「なんだとう!」・・以下乱闘が始まる
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- 適切な形式
「形式」という言葉で違和感があったのですが、原語である「format」には私が日常使っているパソコン関係のフォーマットという意味よりも広くて、大きさ、形態、配列、脚色・編曲などの意味があるらしい。ということで様々な様式から適切なものとすべしと解せよう。
ところで「適切」であるが、原語は「appropriate」であるから正しくは「適切」というよりも、もっと目的実現に焦点を合わせた「正しい方法」あるいは「最善な方法」だろう。
「これでも役目は果たします」ってな軽いニュアンスではなく、考えて考えて考えて・・これが最善の方法だというものに思える。
とはいえ、文書化する人あるいは組織が取りえる手段でなければ意味がないから、ない袖は振れず、できないことはできない。「電子化すべきですよ」とか「関連する情報にリンクできるようにしたほうがいいですね」なんて寝言は無視してよろしい。
と言いますのは、そんなことを規格改定説明会で語ったISOTC委員がいましたんで。
「当社ではこれしか方法がありません、理想と現実は違います」というのは十分な理由だし、その結果選択した方法は「適切」であることは間違いない。審査員がいちゃもんをつける前にそう言っておく。審査員の力量が十分でないのも、理想と現実の違いでしょうがないのだ。
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「御社の文書体系を電子化して関連する情報にリンクできるようにしたほうがよろしいですよ」
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「当社のリソースではこれしか出来ません、理想と現実は違います。この方法が当社にとって適切な形式なのです」
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- 適切性及び妥当性に関する、適切なレビュー及び承認
「適切性」とあるから前項の「適切」と同じかと言えば、前項の「適切」は「appropriate」であるが、この項の「適切性」は「suitability」である。いずれにしてもスーツ(揃い)だから目的にあわなくてはならない。
ともかく文書化するにしろ文書化しないにしろルールなり手順は、その目的に対して適切で妥当な手段・方法であるかを真剣に吟味・評価して、よかれと判断したもののみが使われなければならないのは言うまでもない。
ISO審査の前夜に多数の文書をドサッと提出して、とにかくメクラ判を押してくださいなんて伺い出るようなことがあってはならない。
ところで何を持って適切であると判断するのか? 判断の基準は?
それは簡単である。
結果としてのパフォーマンス、例えば作業におけるミス発生率とか、教育期間の長短などで測られるだろう。現実に結果がわかるものにおいて論理的に適切であると説明しても意味がない。結果によって立証することが必要十分であろう。
間違っても審査員が理解できるとかわかりやすいことではない。
すると、文書の必要性、あるいは文書の精粗というのは、仕事の内容、従事者の素質や力量の従属変数となるわけだ。おっとそんなことは当たり前で、この項番の前の7.5.1にちゃんと書いてある。
注記 環境マネジメントシステムのための文書化した情報の程度は、次のような理由によって、それぞれの組織で異なる場合がある。
- 組織の規模、並びに活動、プロセス、製品及びサービスの種類
- プロセス及びその相互作用の複雑さ
- 人々の力量
(ISO14001:2015DISより)
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では審査での応答を予想してみよう。
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「適切性及び妥当性に関して、どのようにレビューしていますか?」
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「手順書のドラフトを作ったら、それで実際に仕事をしてみます。定常時の業務に問題がなく、異常があればそれが検出できて対応できる人へ連絡が行くようになっていれば合格と判断しています」
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「レビューされてなくかつ承認されない文書を実際に運用してみるということですか?
それはまずいんじゃないの?」
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「そんなこともないでしょう。今回の審査でおひとりは審査員になるための経験を積むために参加していましたね。まあ、あれと同じですよ、アハハハハ」
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上記この項番で定めている項目が進むにつれて、私の記述がだんだんと(ドンドンと)短くなるのは、玄関で家内が買い物に出かけるよ〜と呼んでいるせいである。

本日のうんちく
文書に関する要求は1987年から変わっていません。まあ文書の要件というのは過去数千年にわたる試行錯誤によって決まった形があるので、もうISO規格がわざわざ言うことはないのかもしれません。

本日の予言
1996年版や2004年版では「文書が読みやすく」を基に「読みにくいので不適合です」という指摘が多数ありました。ウソだと思うならどの認証機関でも過去の審査報告書をめくってください。いくつも見つかるでしょう。それと同じく、2015年版において「適切な記述」を基に「この文章は適切な記述ではありません」と語る審査員が多数出ることを予想する。

ということでこの「適切な記述」は2015年規格改定の地雷となるでしょう。まあ、この程度では重大な被害は出ないでしょうけど、とばっちりをくらうと面倒です。とすると「適切な記述」は地雷とは言っても、対戦車地雷ではなく対人地雷ですね。でも
対人地雷は国際法で禁止されたはずだが・・・
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