高橋昭八郎個展「反記述による詩」は 2004年8月12日に終了いたしました。 

高橋昭八郎年譜 金澤一志編(最終改訂2004.3.3)

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個人歴 関連歴
1933
岩手県北上市に生まれる。
1955
新国誠一が詩篇「[19]空間断面」を発表、日本語によるはじめてのコンクリート・ポエトリーとされる。
1956
VOUクラブが詩的空間の展開をめざして展覧会「VOU形象展」を開始する。以後1976年までにのべ31回を開催する。
1957
北園克衛主宰のVOUクラブに参加。機関誌「VOU」への参加は第55号から。
1958
北園克衛がコンクリート・ポエトリーの手法を採り入れた詩篇「単調な空間」を発表。
1960
12月東京・新宿風月堂で開かれた第15回VOU形象展に参加出品。以後一度も欠かすことなく最後の第31回(1976年)まで出品を続ける。
1961

高橋昭八郎
第一回個展カタログ
第一回個展を岩手県北上市の喫茶店「山小屋」で開く。作品は1960年から61年に制作された写真ベースの25点。カタログのテキストは北園克衛が書いた。
《高橋昭八郎の造型写真はシスキンドやハースとは全くちがつたものであるとはいえ、彼はつねに「物それ自体」の存在に新しいドラマを発見する。しかもそのドラマはわれわれの類型化された意識の層を貫いて、われわれの生命の断面を見事に造型する》(北園克衛 高橋昭八郎の写真作品について)
1963
新国誠一詩集『0音』(ぜろおん)が出版される。
1964
新国誠一と藤富保男がASA(芸術研究協会)を創設。
1965
9月「ASA」1号が発行される。「ASA」は全7号、最終号は1974年12月発行。高橋昭八郎は新国に誘われながらもVOUクラブ員を通した。
1966
北園克衛がプラスティック・ポエムのマニフェスト「造型詩についてのノート」を発表、またプラスティック・ポエムの作品集『Moonlight night in a bag』を刊行。
1967
村上昭夫の生前唯一の詩集『動物哀歌』が大坪孝二、高橋昭八郎らによって「La」の会から出版される。『動物哀歌』はこの初版以後四たび版を替えて出版され現在は現代詩文庫「村上昭夫詩集」(思潮社)に収録されている。
1968
2月アントナン・アルトー・クラブのための前衛詩展に北園克衛とともに出品。
『ポエムアニメーション1 鳥、2 風、3 影』を出版。限定120部。「鳥」と「風」はモデナ(イタリア)で開かれた第2回アヴァンギャルド「壁にかかれた文字」展に出品された。
《活字となった言葉自体のもつ造形のおもしろさと、意味のリズムに、動画の手法を取り入れたもの。折りたたまれた帯状の詩集は、平面上に、ある密度をもって言葉の配置がされていて、見る者がそれを自由に繰りひろげるスペースと形の立体性を楽しむことができる》(まちにひろう「美術手帖」1968年9月号)
「影」がフェララ(イタリア)で開かれた「KM149000000」展に招待出品。同時招待は北園克衛、清水俊彦。
村上昭夫死去。享年41。『動物哀歌』は前年の土井晩翠賞に続き第18回H氏賞を受賞。
「VOU」114号がコンクリート・ポエトリーの特集を組む。
1969
1月ミュンスター(ドイツ)の国立美術館で開かれた「第一回ドイツ・ヴィジュアル・ポエジィ展」に招待出品。同時招待は北園克衛、新国誠一、上村弘雄、伊藤元之。
5月 パリでおこなわれた「言語の自由」展に出品したカラースライド作品がパリ警察に没収される。
『ポエムアニメーション4 水の国、火の国』出版。
《これまでの「鳥」「風」「影」が、折りたためば十センチ四方ぐらいになってしまう変形の立体化作品だったのに対し、今度は十センチの幅で四メートルに近い長さの巻き紙の体裁をとっている。動きと立体化による詩の効果を意図しているというが、和紙による半透明な感じ、裏と表の映りあう効果も計算に入れ、写真や極度に省略されたことばで語りかけてくる》(学芸余聞「岩手日報」1969年11月21日)
12月ミラノで開かれた国際視覚詩展に「水の国、火の国」を出品。
1970

「水の国」 高橋昭八郎


「ASA」4号
「ASA」4号にゲスト参加、「水の国」を掲載。
「今日のコンクリート・ポエトリィ展」に出品。ディレクションは新国誠一。
11月 アムステルダム市立美術館で開催された「サウンド・ポエトリィ/?コンクリート・ポエトリィ/ヴィジュアル・ポエトリィ」展に出品。コンクリティズムの大総括展ともいえる歴史的展覧会。新国誠一が顧問のひとりとして選ばれていたために日本からも多数が参加した。VOUからは北園、清水俊彦、高橋昭八郎の三名。
「芸術生活」248号がコンクリート・ポエトリー特集を組む。
1971
視覚言語の実験場としてウーゴ・カレガが開設したチェントロ・ツール画廊(ミラノ)で個展開催。
高橋昭八郎が組織者となって第29回VOU形象展をチェントロ・ツールで開催、「声のメビウス」三点を出品。VOUから13作家が参加。
ストゥットガルト(ドイツ)のセナトーレ画廊で個展開催。
1972

『あ・いの国』 高橋昭八郎


「VOU」133号
1月岩手日報に写真入りの紹介記事。
《今後は録音テープの作品や雑誌も出したいし、めくら暦のように郷土の伝統的なものもさらに掘り下げたいと思っています。また、曼陀羅のような密教の世界にも興味を持っています。ヌラヌラしたものを自分なりに透明化して表現すること…》(きのうきょう「岩手日報」1972年1月20日)
7月『ポエムアニメーション5 あ・いの国』出版。
「VOU」133号に『あ・いの国』の外郭をなぞる論文「変化・建築・出現としての《本》-詩集あ・いの国へのeyEs」を掲載する。この号には『あ・いの国』をモティーフとした写真作品「domain de 」、また辻節子による『あ・いの国』書評も掲載されている。
《「あ」と「い」の間、「あい」との三角点に横たわる意味と無意味――視覚的・音声的要素をもふくむ――の透明な回路をショートし、不意に遮断し、言語と日常の文法を脱臼させるとき、イマジネーションの星座が意識下の文法となって突然にきらめく…》(高橋昭八郎 変化・建築・出現としての《本》、「VOU」133号、1972年)
10月 ASA主催の「1972コンクリート詩学会議」(東京・目黒区の洗足区民センター)に招待され、新国誠一司会によるシンポジウム「コンクリート・ポエトリィの課題と行方」に参加。
1974

「ASA」7号
「ASA」7号で終刊。
1975

「317」創刊号
11月清水俊彦、伊藤元之とともに視覚詩誌「317」を創刊、国際視覚詩展(岩手県盛岡市のMORIOKA第一画廊)を主催。 「みづゑ」843号がヴィジュアル・ポエトリー特集を組む。
1976
東京・千代田区のイタリア文化会館で開かれた「日・伊の作家による《新しい詩の試み》――ことば・イメージ・オブジェ――」と題する展覧会に出品、同時に「317」第2号を特別号として発行する。イタリアから未来派の証人ブルーノ・ムナリを筆頭に多くの作家が参加、日本からは「VOU」「ASA」に縁が深い詩人に加えて小杉武久、塩見允枝子が参加した。
ニューヨークの「ニュー・ディレクション(New Directions)」誌34号が「VOU」グループを特集、「Block poem for endless A」(1973)が掲載される。
12月ジュリアン・ブレーヌが来日、VOUクラブ員らと会う。高橋昭八郎も上京する。この邂逅がもとになって翌1977年6月「DOC(K)S」7/8号が日本特集を組む。
「北流」14号が視覚詩特集を組む。
塩見允枝子が私家版の作品集「Spatial Poem」を刊行。
1977
「わが五十音図」を制作。 新国誠一死去、ASAは解散。
1978

「VOU」160号
北園克衛死去、VOUクラブ解散。
1979
4月「gui」創刊とともに同人となる。 4月「gui」創刊、同人となる。企画者は藤富保男、奥成達、山口謙二郎。当初は「is」の名称が準備されていたが先行誌(ポーラ文化研究所)があるために変更した。
1983
藤富保男詩集『文字文字する詩』刊行。前年刊行の藤富保男詩集『笑門』とともに発行および装幀は高橋昭八郎。
1984
ザールブリュッケン(ドイツ)でヴィジュアル・ポエトリィの討論会に参加。
北上市の文学館運営審議会委員となり、「日本詩歌文学館」設立に助力する。現在は同館企画委員会委員長。
1985
「タイポグラフィックス・ティー」6月号が特集「Konkrete Poesie -コトバの死、言葉の再生」を組む。
1988
田名部信が詩誌「δ」を創刊。
「武蔵野美術」72号が視覚詩特集を組む。
1990
9月ロサンゼルスのオーティス美術大学付属のベン・モルツ画廊で開かれた「ヴィジュアル・ポエトリィ」展に出品。イアン・ハミルトン・フィンレイ、サレンコ、トム・フィリップスなど11作家。
1995
イエール大学でヴィジュアル・ポエトリィの討論会に参加。またスポレートで開かれたヴィジュアル・ポエトリィのシンポジウムに伊藤元之とともに参加。
ハーヴァード大学のイェンチン(燕京)図書館付属ギャラリーで個展開催。
1997
ドイツで「日本ヴィジュアル・ポエジー」展開催、1999年までドイツ語圏を巡回。
パリのギャルリ・サテリットで「詩人の眼―日本ヴィジュアル・ポエジィ」展開催、以後1999年をのぞき年次展となる。
1998
佐賀県唐津市に転居。
藤富保男、上村弘雄、ヤリタミサコらとCD「Poesie concrete japonaise」(La revue Son@rt)をパリで制作発売。
1999
9月北上市の日本現代詩歌文学館で「詩を視る―日独ヴィジュアル・ポエトリィ展」開催。 「骰子」27号に具体詩・音響詩・視覚詩の特集ページ。
2000
実行委員会のキャップとなって「VISUAL POETRY 2000 in札幌」(道立文学館)開催。
4月 「現代詩手帖」4月号(特集:ヴィジュアル・ポエトリー――詩を視る)巻頭で藤富保男、向井周太郎と対談。
《私は、かつて人類が既にリアルなものとして捉えていた意識・感覚などの世界が、逆にその受容能力が退化し、捉えきれなくなってきて、それをこういうこともあったのかと再認識しているような感じです》
「現代詩手帖」4月号がヴィジュアル・ポエトリー特集を組む。
2002
クラウス・ペーター・デンカーが中心となって詩集「連詩2000-2002」(ハイブリッド・パブリッシングハウス、ベルリン)が出版される。限定55部。参加者は高橋昭八郎、藤富保男、伊藤元之、上村弘雄、向井周太郎。
9月国際詩学センター(マルセイユ)で開かれた「日本のアヴァンギャルド詩」展に出品。
9月ボルザーノ(イタリア)のムザイオンでウーゴ・カレガ、ディック・ヒギンズ、サレンコとの4人展「Artword」開催。
12月「Japanese Visual Poetry and an exercise in contamination」展(東京・港区、オーストリア大使館文化フォーラム)に出品。
「詩学」7月号がヴィジュアル・ポエトリー特集を組む。
2003
1月リンドナー画廊(オーストリア)で開かれた「日本のヴィジュアル・ポエジィ」展に出品。
11月 CS放送スカイパーフェクTV「Edge〜未来を、さがす。<ことばを越え、境界を超える詩>」に出演。制作=テレコムスタッフ、演出:細田英之。

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