| 仙台、青森、そして再び仙台へ (生まれてから、小学校・中学校時代) |
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青森の家の近くには廃屋があった。 三年生の頃だったろうか、少年院帰りという噂の奴が近くに引っ越してきて 子分のような関係になってしまったことがある。これは両親にも言わなかった。 そいつと一緒にその廃屋に石を投げてガラスを割った記憶がある。嫌な思い出だ。 彼は、しばらくしてまた転校していった。 11月初旬になると初雪が降るほど、青森は寒い街だった。 小学校の校庭には雪がたっぷり積もった。 その雪を長靴で踏み固めて渦巻き型の道を作り、渦巻きの中心から走るチームと外側から走るチームに分かれ、走ってぶつかるところでじゃんけんをし、勝った方はそのまま進み、負けた方は次の順番の子が走りだすという遊びを良くしていた。 家が文房具屋さんで、近くに住んでいるU君が一番の親友だった。 彼とは高校のときに仙台で再会した。 後に芝浦工大に進んだという年賀状をもらった。 勉強はまあできた方だった。 しかし、私はいつも1番にはならない人間だった。クラスで常に2、3番。 U君とは勉強上ではライバルでもあった。 得意科目は国語と算数。本が好きだったので、漢字などはよくできた。 漢字の書き取り試験が毎週あり、いつも彼と競い合っていた。 しかし、父が再び仙台に戻ることになり、3年足らずで青森の地に別れを告げることになる。 青森を去る直前、アパートの外壁にある鉄梯子を登り、屋上に上った。 当時の住宅地には高い建物など殆どなかったため、そこからはかなり遠くまで見渡せ、青空と街の風景が見事に融和した光景に感動したことを覚えている。 当時から高いところに登り景色を見るのが好きだった。 今思えば、私の生涯の書でもある吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」で、主人公のコペル君が叔父さんと一緒にデパートの屋上から下を歩いている人間を見て、いろいろなことを諭す場面があるのだが、そのシーンが潜在意識として残っていると考えるのは穿ちすぎだろうか? |
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