第二章  
中学卒業、高校受験に失敗。榴ケ岡へ
(中学校・高校1年時代)

あれはいつの年だったろうか。
中学時代にかなりの実績を挙げたリトルリーグの選手たちが入部し、彼らの活躍で強豪校をいくつか破り、県大会の準決勝まで勝ちあがったことがある。

その頃のスポーツ紙には、全国の県大会の成績がすべて掲載されていた。
東京にいながら毎日宮城県の結果を見ていた私は、
「おお、榴ケ岡1回戦突破だ」
「おっ、また勝った」
「えっ、また勝った」
「ええっ? また勝った。ほんとかよ?」と、私の時代にはまるで考えられない結果に驚きを隠せず、仙台の実家に思わず電話を掛けた。

電話に出た母親に「今年の榴ケ岡、どうしたの? 準決勝まで来たじゃない」と尋ねると「そうだよ。明日勝ったら決勝でたぶん育英が相手だよ」とうれしそうな声が返ってきた。
私だけではなく、母も自分の息子の母校ということもあり、応援していたようだ。
後で訊いたら、姉もけっこう応援してくれていたらしい。

そして、なんと準決勝も勝って、甲子園の常連、仙台育英高校と決勝戦で戦うことになる。
ここまで来ると、仕事を休んで仙台に帰り応援しようかという気にまでなった。
なんといっても母校だ。
それも、口はばったいが、私の青春の思い出がたくさん詰まった野球部だ。
自分の高校時代の出来事が昨日のことのように蘇ってきた。

帰ろうか、どうしようか。でも育英だもんな、さすがに勝てないよなあ。
だけど、もし勝って甲子園出場なんてことになったら泣いちゃうな……。
そんなことまで考えていた。
このとき、七十七銀行に就職していた同期のUから連絡が来た。
「○○○○、応援に来いよ。A先輩もS先輩も、SHもSAもTもWも、みんな来るぞ。それに先生たちも」
彼の言葉にますます心は揺さぶられたものの、結局仕事の都合もあって帰れず、仙台から遥か離れた東京の地で勝利を祈ることになった。
もし勝って甲子園に出ることになれば、そのときこそ、生まれて初めての甲子園に応援に行こうと決めていた。

決勝戦は地元のテレビ局で放映されるので、母親に再び電話を掛け、録画してくれるように頼んだ。
結果は……。
さすがに昔の太田投手と同じように、孤軍奮闘の一人の投手だけでは連戦の疲れが出たのか8対0の大敗で、準優勝に終わった。

母から送られてきたビデオを見た。
時折、榴ケ岡の応援席にカメラが向けられると、A先輩、S先輩、同期の仲間たち、さらに先生たちの懐かしい顔が、今でも思い出す懐かしい顔がそこに映し出されていた。
甘酸っぱい青春の1ページが優しく切り取られ、ほんの一瞬だけ、手元に戻ってきたように思えた。

第二章 完

第三章「淡く切ない、小さな恋の物語」(高校1年生時代~)へ
 
すぐに続く(笑)

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