07年09月の日記です。
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09/29 9.5% 49.5kg
あー今月も終わりか。
今月のnikki、容量100kbは越したっぽいけど、まだまだ分量が足りぬ。
09/28 ?.?% ??.?kg
せっかくの週末なのに天気悪いのか。涼しいのはいいけど
ちょwちょっとwwww
たま写真集が出る(出てる)って。集英社から。
あの、貴志駅駅長の「たま」の写真集。これは買う!
09/27 8.1% 48.5kg
本来であれば、天橋立を小一時間かけて渡りたい。しかし、今日はちょっと時間的にシビアである。
こちらから天橋立に向かう途中、橋を渡る。廻旋橋というその橋は、大きな船が通る際には旋回して、通れるようになる。今では早朝くらいにしか動かないらしいけれど。
別に橋の専門家でもないので橋自体には興味がないのだが、この橋、島田掃除(←なぜか変換できない)島田荘司著の、よし来たけし(←なぜか変換できない) 吉敷竹史シリーズで、重要な意味を持つ橋である。
とりあえず撮影。気が済むまで撮影。
急いで駅まで戻る。
次に乗る列車まで、あと2分くらい。ぎりぎり間に合った。
12:27に「はしだて3号」で着いて、観光してぎりぎり13:22発のタンゴエクスプローラ1号に間に合ったこととなる。
ところが、ホームに降りても列車がなかなか来ない。
お盆(今日は2007/08/12 日曜)ということもあり、途中駅混雑で単線区間もあるため遅延がふくらんでいるのだろう。
10分ほど待って、やっと来た。
3両編成のハイデッカータイプのディーゼルカーを2つ繋いだ6両編成である。この駅までは混雑していただろうけれど、かなり空いた状態となる。
09/26 8.0% 48.6kg
(宮福線から宮津線に入ったところから)
ともあれ、座席に座って一息つく。進行方向が変わる。
歓声が上がり、見ると反対側の車窓に海が見え隠れしている。
天気もよく、海の色が鮮やか。すぐにこの電車の終点、天橋立駅に着いた。
おそらく、この駅で降りず先へ向かう人は僅かだろう。おいらも、わざわざここで途中下車して天橋立を見ることにしている。
比較的時間がタイトなので、とっとと改札を抜ける。
駅前には県道が走っており、みやげ物店が並んでいる。右に歩いて踏切をわたり、駅の裏手に出る。
天橋立ビューランドの入り口がある。リフトもしくはモノレールで山上まで上がり、眺望を楽しむことができる。Web上で表示される割引券を印刷するだけで入場料が割り引かれる。
モノレールかリフトかを選択することができるのだが、「のりつぶし」派としては両方乗りたい。幸い次のに乗れるというのでモノレール。ただし、要覧には載っていない。また、非冷房である(扇風機がついているが温度が40℃とか)。
しばらく待つとモノレールが来た。2両連結である。趣味的にもそそらない車両である。窓があいていたので、涼しかったが。
数分で山上に着いた。 ここから「またのぞき」をする。 なるほどとてもとても美しい眺めである。 デジカメでこの「またのぞき」を撮影しようと試したのだが、よく考えるとふつうに撮影して上下を反転すればいいだけであった。
山上には遊園地もあるが、さすがに1人で乗るものでもないし。
10分ほどいてから、リフトで下る。
09/25 7.9% 48.8kg
中央線に乗って名古屋まで向かうことにする。
次の列車は、銭とられるライナー。普通乗車券のほかに乗車整理券が必要である。
310円だったかな、いわゆる「ホームライナー」に似た感じで、昼間に1時間間隔で走っている。
313系8500番台、というややグレードの高い車両。
座席は車端部で、ボックス席であった。窓際なのはいいけど、隣も前も人がいてリュックを背負ったままなので全く身動きが取れない…
しかし、途中駅に止まらないというのは楽である。
今まで中央線に何度か乗っているが、いずれも混んでいた記憶がある。昔は103系電車も入っていたが(見たことはある)、乗ったのはいずれも211系だったかなぁ。
今は313系?
神領。右に車庫があり、381系「しなの」が停まっている。 あれ、まだ残っていたんだっけ?
王子製紙の工場を見て、勝川駅。
向こうに名古屋ドームが見えて大曽根(ozone)。
左手に名大病院が見える。
この病院は、森博嗣の小説に出てきたような記憶がある。西のその燃え(←なぜか変換できない)西之園萌絵が何かから逃げたような…
金山。昨日は名鉄で通過した。を過ぎて、終点の名古屋に着いた。
台風の影響で中央線の特急「しなの」が今まで運休していたようで、ホームには待つ列が長かった。
とりあえず改札を出て、新幹線の切符を購入する。
なんかぜんぜん空きがなくって、2時間ほどあとの「のぞみ」となった。下手したら「こだま」に乗ったほうが早いのではないか、と思えるくらい。ともあれ、名古屋で2時間をつぶすことにする。
駅前に「ミッドランドスクエア」という高層ビルが今年完成した。べつにビル自体には興味がないのだが、このビルの中に「富澤商店」があるという。
あの、町田に本店がある食材の店である。
せいぜい神奈川県(町田も含まれる)近辺の店舗かと思いきや、ちょっと離れた名古屋の駅前にも支店を出しているのには驚かされる。
また、数週間前の殊能タンの日記に 名古屋土産で富沢で豆を買ったとの記述がある。
福井に住んでる人が名古屋の土産として神奈川県町田市に本店がある富澤で豆を買う。
なんとも妙な光景である。
その富澤商店を見て、「あーこれが殊能タンが買った豆かー」と思ったりした。
ミッドランドスクエア、上層のほうが展望できるらしい。とりあえずエレベータで上がってみた。
ドアが閉まらず「上の箱で乗り降り」とのアナウンスが聞こえる。このエレベータ、かごが2階建てになってるのか。
上層階に着いたけど、展望料金が高そうなのでやめてそのまま帰ってきた。
松坂屋で昼食をとったり、東急ハンズを見たり、土産を買ったりで2時間が過ぎて、やっと来た のぞみ に乗る。
のぞみ306号、700系のB15編成。
11号車車端部のA席、すなわち目の前が壁。
コンセントがあるけど、PCのコンセントを取り出す気力もなく。ただひたすら寝入った。
気がつくと、右側に富士山が見えたり。遅延するかな、と思ったけど、列車は定刻でした。
新横浜で乗り換えた 横浜線 が台風の影響で 快速がウヤってたくらい。
金曜の夜行で出発して金曜の夕方に帰宅。
EPGが1週間分しかないため、これ以上は出かけられないのよね〜
(完)
09/24 7.9% 49.9kg
なんだかダラダラとした連休だった。
09/23 9.0% 50.0kg
どうもエネルギー不足らしかった。
スーパーで食料を買ってきたら復活した。
ひさびさの予定がない連休だからのんびりしてますが。
更新忘れ。
週日忙しいから土曜は死んでた
昨晩パソコンの電源を切った直後に、今日の nikki を準備していないことに気づいた罠
09/21 7.2% 48.5kg
愛知環状鉄道。
路盤は複線分あるのだが、ところどころ単線が残る。あるいは万博輸送のために複線化されたのでしたっけ?
前に乗った数年前、愛知急迫(←なぜか変換できない)の前だったんだけど、そのときもこの新車 2000系であった。
電車の中で「もりひろし(←なぜか変換できない)」の本を読んでたので、愛知環状鉄道というと もりひろし(←なぜか変換できない)を思い浮かべる。
瀬戸市駅。そういや瀬戸市なのか。沿線では大きめな駅っぽいが。そして終点の高蔵寺に着いた。
すう粉末(←なぜか変換できない)と、中央本線下りの名古屋行きの快速が来る。しかしすぐに名古屋に出るのもつまらない。
ここ高蔵寺の駅前から、ゆとりーとラインというものが走っている。
駅前にはそのバスが停まっているが、本数が極端に少なく、かなりの時間を待つことになる。また、いちど乗っていることもあり、食指が動かなかった。
駅に戻る。 ここ高蔵寺の駅には、かつて私の知人である「むふふ星人」氏の親戚が、駅構内で薬局を開いていたらしい。 ところがマツモトキヨシになってるし…
09/20 7.7% 49.0kg
半年ほど先の、来年3月のダイヤ改正で「なは」「あかつき」が廃止になるという。乗客も少なく短編成でよく今まで残っていた、という感じですね。
あとは、2往復走っている「北斗星」「日本海」がそれぞれ1往復が廃止になるって。
今回の旅行も早いもので、7日目となる。
今日(09/07)は金曜日、旅に出たのが前の金曜の夜行だから、まるまる1週間ということになる。
さすがにこれほどの長い旅行というのは、かなり久しぶりである。
しかも、福岡県から福井県、そして愛知県と、今回の旅行で訪れた範囲が広すぎて、まとまりの無いような感じさえ受ける。
あとは概ね地方ごとに未乗線区がまとまって残っており、こういった旅をするのも今回が最後だろう。
あと2年、長くても3年(ぶんの休暇が)あれば日本国内の鉄道(ケーブルカー等はのぞく)を完乗することが出来る。
はやいうちに乗り終えてしまい、次の旅のスタイルに移行したい。
さて、今日は時間に余裕があるため、だらだらとする。投与コインなので簡単な朝食がつく。せっかくなのでしっかりと摂る。
台風は過ぎ去り、外は晴れ上がっている。 ただし、新幹線は今朝一部区間で止まっていた影響で、団子運転になってるという。
チェックアウトし、中部国際空港(セントレア)のアクセスプラザからバス乗り場に行き、藤が丘までのバスに乗る。9:00発。
1,400円で所要72分とのこと。3〜4割くらいの乗車率だった。
橋を渡って空港島から出る。
この地方の高速道路には詳しくないのだが、近年開通した区間が多いことが伺えた。
いっしゅん一般道区間を走ったりもしたが、東名に入り、特に渋滞することもなく名古屋インターから一般道に下りる。
細かい道を走り、気がつくと藤が丘の駅前だった。
予定より早く着いた。62分ほど。
藤が丘駅。
名古屋市営地下鉄東山線の終端駅であるとともに、リニモ(愛知高速鉄道東部丘陵線)の始発駅である。
東山線に乗ったのは 1994 年のこと。当時は黄色い電車もまだ残っていたような記憶がある。しかし、この駅のことはあまり思い出せない。
リニモの駅がどこにあるのかと思って駅周辺を探したが、どうやら地下にあるとのこと、下に下りる。
改札をトランパスで入り、その前に記念にトランパスを1枚買っておく。ホームには車両が止まっており、ガラガラだったので先頭部分でかぶりつく。
運転士もおらず、無人運転されている。
このリニモは、万博輸送のために作られた新交通…じゃなかったリニアモーターカーである。期間中は大変混雑したらしいが、今となっては兵どもが夢の跡である。
客が乗っていないかと思ったけど、沿線に大学でもあるみたいで、一桁ではなかった。
地下を少し走った後、陽光あふれる地上に出て高架に上がった。
道路の上空につくられてはいるが、右を向いても左を向いても向こうには豊かな自然が広がる。
少なかった乗客も次々と降りていき、どんどん空いていった。
右側に万博跡地の公園が見えたり。
終点のやくさ駅(←なぜか変換できない)に10:27に到着した。乗車時間は17分、物足りなく感じるほどであった。
今回の旅行での新規乗車区間はこれが最後となる。あとは帰るだけ。
そう遠くない「明智鉄道(明知?)」に乗ろうかとも思ったけど、この路線では1つ降りたい駅があるため、じっくり時間をかけたい。
また、愛知県内の鉄道は、あと「飯田線」を残すのみとなった。
乗り場から降り場へと転線するリニモを撮ってから改札を出る。
隣にある愛知環状鉄道の駅に行ってみると、すぐ高蔵寺方面行きの電車が来る。1時間に2本しか走っていないのだが、ずいぶんと引きがよい。
せっかくなので切符を買って愛知環状鉄道に乗ることにする。名古屋までの連絡切符を売っていたけれど、直通列車ではないため、高蔵寺までの切符を買う。
来た車両は2000系電車。これも愛知急迫(←なぜか変換できない)に備えてゾウビ(←なぜか変換できない)した、いわば新車である。
2両編成なんだけど、意外と空いていた。
09/19 7.8% 49.2kg
さて、今の時刻は夕方5時過ぎ、今日は木曜日である。
金・土・日とあと3日間休みはある。今から新幹線で帰ることもできるが、名古屋近郊にいくつか未乗路線がある。そろそろ日が沈むため、今日はそのうち1つに乗り、名古屋近郊に泊まることになっている。
名鉄に乗り換える。
乗り換え改札口に ICカードリーダがなかったので、係員に聞くと どうもこの改札は名鉄の管理下にあるようで、ここでは使えないとのこと。いったん改札を出ることになる。
そういえば、ここ近鉄名古屋とJR名古屋の乗り換えとなる改札口は、日本でもここだけの、ICカードを2枚重ねて使用できるという自動改札である。
近鉄が Pitapa or ICOCA、JRが TOICA であり、両者に 互換性がない ために、2枚を認識する必要があるということらしい。
さて、名鉄の切符を買う。
どうも トランパス(中京地区版パスネット) は自動改札に2枚投入できないらしく、残額僅少なカードを持っていたので別のカードとあわせて券売機で切符を購入する。
また、
比較的長めの距離を乗ることになるため、特急券(座席指定券 μチケット)も購入する。ただしちょうどタイミングが悪かったのか、ここ名古屋で30分近くの待ち時間が生じた。
駅前を少し歩いてナナちゃん人形を見にいったり。
改札を入り、名鉄名古屋駅の真ん中のホームに降りる。
この駅、無数の路線が集中している形であるが、線路は2線しかない。
左右のホームには列車を待つ人が列を成している。ここからは見えないのだが、上部に行灯式の案内票があって、方面別に並ぶ場所が異なる。また、よく見ると停車位置も前後で使い分けていた。
飽きるほど待つと、乗る列車が来た。
17:32発 快速特急である。
名鉄2000系電車。現在では最新鋭の特急電車(なのかな)。
6割くらいの乗車率であった。意外と乗っている。
前の座席の後ろに「チケットフォルダ」というものを見つける。ここにμチケットをさしておけば、検札のときに懐から出す必要が無くて便利らしい。周りの人は誰も使ってなかったけど。
地上に出て、金山。
豊橋方面へ行く特急電車が隣のホームに停まっている。さきほど名古屋駅で15分くらいいたけれど、この列車は見ていない。立ち客もいるくらい混んでいて、金山始発ということもないだろうから、どこかから沸いて出たのだろうけど?
と少し考えたが、空港方面からの折り返しだということに気づく。
複々線区間を走り、次の神宮前から常滑線に入る。
名鉄常滑線、この路線が名鉄の未乗線区として最後まで残った。
途中駅から分岐するこうわ線(←なぜか変換できない)、知多新線、そして朝夕しか走っていない築港線を1996年の夏に乗ったのだが、常滑線の太田川から先、常滑までの区間に乗る時間がなかった。
その後、2000年になり中部国際空港が着工され、2005年に名鉄空港線が常滑から中部国際空港までの区間、開業した。
1996年の夏にもし常滑線に乗車していたとしても、新たに開業した空港線にはいずれ乗る必要がある。そう考えると、偶然にも二度手間にならなかったことになる。すばらしい
名鉄の特急電車は外観からは鈍重そうなイメージだが、なかなか速度を出す。妻面にある液晶には、先頭部分からの かぶりつき動画 が表示されていたりする。ちょっと怖い。
微妙に車体が傾斜する。「車体傾斜装置」というものがあるらしい。
この列車は「快速特急」であるため、駅はどんどん通過する。大江駅では築港線が分岐するが、気づくのが遅くよく判らなかった。
駅名票をみる余裕もなく、また初めて乗る線区なので右も左もわからない。 気づくと常滑を通過しており、空港線に入っていた。
右に競艇場を見て りんくう常滑 駅を通過し、空港島への橋を渡る。 天候がやや怪しく、風が強いのだが、この快速特急は強気に100km/h以上の速度で渡る。
やがて終点の中部国際空港駅に着いた。この時点で名鉄完乗となる。 関西の大手も乗り終え、あとの大手私鉄未乗区間は東武と西武に残るのみ。いずれも乗車意欲が沸きません…
さて、今時刻は午後6時。
とりあえずセントレアの空港施設を見る。
左が国際線、右が国内線だったかな、なかなか機能的な設計である。
展望台に出てみる。台風が来ているようで、下手したら飛ばされそうなくらい強い風が吹いている。
今回、空港に来ることは予定していなかったため、望遠レンズは持ってこなかった。そのため標準の 55mm(x1.5=82.5mm相当)で撮影。飛行機が小さすぎる…
ひと回りしてから、晩御飯とした。 さんざん悩んで、結局「カレーうどん」の店できしめんを食べたのかな。
さて、ここ中部国際空港から、最近できた路線である リニモ の始発駅、藤が丘(さいきん藤ヶ丘から改称された)へのバスも出ている。
ちょうど未乗路線どうしをショートカットするすばらしい路線設定である。
ところで今の時刻は夜7時。このバスに乗って藤が丘に着いても、明らかに闇つぶしである。そのため、今日はここ中部国際空港の近くに泊まることにしている。
#名古屋市内に宿がありすぎて探すのが面倒だったこともある。
ホテルはスグのところに見える「投与コイン」。
しかし台風の影響がすさまじく、たった地上を100m歩くだけで体力を消費する。傘がおしゃかになりかける。
ホテルに入ってしまえばあとは快適。コンビニで名古屋っぽいものを買ったり。
部屋でくつろいでいると、今日は台風の影響で新幹線が止まっているらしい。当初は今日帰る予定だったのだけれど、予定を変えておいて正解でした。名古屋近辺ではホテルが大繁盛とか。
09/18 6.8% 48.5kg
とちゅう、伊勢治田までは先ほど乗った区間である。
車両も西武だからよろしくなく、だらだらと走る。
次の丹生川の駅到着間際に、何両か貨車が保存されていた。
貨物鉄道博物館というものがあった。趣味的に見ても、ぱっと見ただけで貴重な車両ということが判るのだが、開館日が限られているようで。
途中駅から徐々に乗客は増えていく。
また、貨物列車があるので交換駅の有効長が長い。確か中部国際空港を建設する際に必要となる土砂の輸送のため、他社から電気機関車を借り入れていたような話も聞く。
ナントカ学園という駅があり、平日なので帰宅の高校生が乗ってくるかな、と身構えていたけれど、特にそんなこともなく、列車はすいたままであった。
築堤を上がり、関西本線の上を越える。確かこの関西本線の踏切が旧東海道で、踏み切り直上に高架、という珍しい光景だったことを思い出す。旧東海道を歩いたのは、もう10年も前のことである。
そして築堤の上にポイントがあり、ここが三岐朝明信号場。
もともとは、JR(国鉄)の富田駅へと乗り入れていたのだが、ほとんどの乗客が少しはなれた近鉄富田駅まで徒歩で移動し、近鉄に乗り換えていた。
そのため、近鉄富田から三岐朝明までの線路を敷設した。ここはその分岐点となる。貨物は国鉄(〜JR)富田駅へ直通するが、旅客列車はすべて近鉄富田駅へ向かう。
再度高架で関西本線を越えて、近鉄名古屋線に沿うように走り、終点の近鉄富田駅へと到着した。
この時点で、三重県の鉄道を完乗となった。
今回の旅行の主目的である「山口県」、そして副目的が「三重県」。いずれも問題なく乗り終えることができた。
これから名古屋へ向かう。
JRの「伊勢奥津→亀山→名古屋→横浜市内」という切符を持っており、さきほど桑名で途中下車した。富田よりは名古屋方にあるため、「富田→桑名」のJR乗車券を購入すれば、この乗車券で名古屋に行くことができる。
しかし、関西本線の本数が少ないうえに速度が遅く、また近鉄富田からJR富田まで歩くのが面倒。
どう考えても近鉄富田からそのまま近鉄で名古屋まで行ったほうが早いし、楽である。
硬券を改札に渡して外に出てから、イコカで改札を入り、近鉄に乗る。
硬券とICカード、乗車券としては両極端だなぁ。
近鉄は名古屋行きの急行。
後ろ側の基本編成に載ったら、2621F(いちばんさいしょの L/C カー)であった。この編成が出た当初、近鉄名古屋線に朝夕乗車していた。毎朝のように運用チェックをしていて、最後の日になんとか この編成を見ることができた。
その、思い出の編成。一番後ろの車両に乗ったらガラガラだった。
海側に座って外の風景を見る。
そういえば、急行に乗って蟹江を通るのははじめてであった。長い間準急までしか停まらず、若干の不便を覚えていたのだけれど急行が停まるなんて…
近鉄のこの区間は、ここ数年の間「特急」でしか通っていなかったような気がする。 蟹江駅前に「マクドナルド」ができていたんだけど、それもなくなってレンタカー屋となっていたり。
次の停車駅は名古屋であるが、高架に上がる際に山側に移る。車窓から、私が生まれた病院が望める。確か青い看板だったと記憶していたが、色が落ちていたのか茶色系の看板が見えた。
海側に戻る。八田駅。
知らない間にJR・近鉄ともに高架となっている。
昔、地下鉄から JR に乗り換えようとして、時間が短い上に JR は本数が少なく、かなり疾走した記憶がある。そのとき、確か近鉄の駅はすぐ近くにあった。
高架となったのだが、JR・近鉄の駅は まだ 距離が離れていた。
右に「あおなみ線」の駅が見えて、そして手前にはJRの車庫を見る。
ユーロライナー色の機関車が停まっていた。ユーロライナー自体はもう廃車となったはずだが、機関車だけ残しておくのもアレだなぁ。
左に特急車両を見て、地下トンネルに入る。
このトンネル、入ると必ず(前の車両が出てこないため)減速をする。もう何十年も。
ダイヤ上の制約にでもなってるのでしょうか?
名古屋(近鉄名古屋)に到着した。
09/17 6.1% 48.2kg (昨日も書いた)
旧塗装の相撲鉄道のBトイレん、けっこうな種類持ってるけど、1両も組み立ててないな
月刊化された「旅と鉄道」が出てるとのことで、本屋に行って立ち読み。ねらいは種村(笑)の外周。
すごいねこの連載、明らかにこの雑誌の品位を下げてるね。こんな駄文、載せない方が部数も伸びるだろうに…
09/17 6.1% 48.2kg
日月とお出かけしてました。
高速経由で意外と早く帰ってこれました。
09/15 8.7% 50.0kg
路線の末端部分なので車内はがらがらであった。2両編成で乗客は5人もいなかったかな。
セメント工場があり、工場内に側線が伸びていて、ホキが並んでいる。貨物輸送が盛んなことが伺えた。
セメント工場、ということは山も近いわけで。数駅で終点、西藤原に到着した。ここで降りたのは私1人だけであった。
改札も、降客を予定していなかったようで、のんびりとした雰囲気である。
隣のホームに、蒸気機関車など古い車両が3両展示されている。外から撮影を行う。
駅自体も、機関車をイメージしたようなデザインでこぎれいである。
また、ウィステリア鉄道、という遊戯鉄道があった。
平日なので営業していなかったが。
きっぷも手売りで、近鉄富田までのきっぷは硬券だった。
折り返しの車両に乗る。
09/14 7.3% 49.3kg
桑名の駅前は意外とごちゃごちゃしていた。10年以上ぶりに訪れるので、こんな駅だったという記憶がない。
東口からバスターミナルのほうに歩き、西桑名の駅から北勢線に乗り換える。少し前までは近鉄北勢線であったのだが、数年前に存廃問題が起こり、その結果として三岐鉄道に譲渡された。
この鉄道には、近鉄時代に1駅だけ乗ったことがある。
東海道を歩いて桑名駅前のホテルに宿泊していた際、近くにあるβ氏(仮名)の家に遊びに行き、その帰りに「馬道」駅からここ「西桑名」まで乗った。
切符を購入し、自動改札に入れる。前回は列車別改札をしていた記憶がある。
この北勢線も、先ほど述べたとおり ナローゲージ である。すう粉末と、折り返しの列車が到着した。マッチ箱のような小さな車両が何両か連なっている。近鉄時代は近鉄の塗装であったが、三岐鉄道の塗装となっている。
西桑名を発車すると東に少しカーブする。
踏切があるのだが、この踏切がとても珍しい。この北勢線(軌間762mm)、JR関西本線(軌間1,067mm)、そして近鉄名古屋線(軌間1,435mm)と、一つの踏切で3種類の軌間を越えている。日本ではここだけであろう。
古めのコセンキョウで、関西本線・名古屋線を越える。このコセンキョウが老朽化しており、架け替えるのが困難で近鉄は廃止したかったとか、あるいは架け替えるのが困難でJR関西本線が複線化できないとか。
かなりゆっくりと、高い位置にある古いコセンキョウを走る。ちと怖い。住宅街の中をぬけて、次の停車駅、馬道に着いた。
前に乗った際は右側通行をしていて驚いたが、左側を走る。
ここから先が新規乗車区間となる。ところどころ軌道がきれいになっており、また、新し目の駅も多かった。
非冷房車で窓が開いているため放送がよく聞こえなかった(というか、全く聞こえなかった)のだが、東員(というん)という駅で車両交換があるらしく、乗客が全員降りたのでおいらも降りる。
向こうの折り返し線に列車が1本停まっており、乗っていた車両が引き上げてしばらく待つと、その車両が来た。
乗っていたのは4両編成の非冷房車なのだが、こんどの車両は3両編成の冷房車となる。冷房装置は床置きタイプで、ずいぶんと場所をとっている。
この駅で乗務員交代があり、車庫でもあるのかな、と思ったけれど、ずいぶんと走ってからの車庫だった。あとから判ったのだが、車庫のすぐ側に駅があったのだが(北大社駅)、事業合理化に伴い信号場に格下げされたらしい。
「星川」という駅を過ぎる。神奈川県に同じ名前の駅があるが、こんなところにあるとは思いもしなかった。この駅は最近開業したとのこと。
途中の駅から乗ってきた下校の高校生は最後まで乗っており、ガラガラになることはないまま終点の阿下喜に到着した。
1面2線のこぎれいな駅で、駅舎はまだまだ新しかった。
なお、計画を立てているときに時刻表(私鉄時刻表)を見ていて気づいたのだが、
今年の 8/04〜8/26 の間、麻生田〜阿下喜間で橋梁を架け替えるために、その区間(ラスト1駅間)が全列車運休していた。この時期に来てよかった… 終点まで1駅乗り残す、ということになったらひどすぎる。
阿下喜は終点の駅であるが、ここから西(南)の方を走る三岐鉄道(三岐線)が比較的近くを走っている。「伊勢治田」という駅まで徒歩で20分くらいだという。
ところで、いなべ市のコミュニティバス「アイバス」がある。一日数往復であるが、ちょうどいい便があり、数分待つと伊勢治田を経由するバスが来た。100円。
駅の向かいにバスターミナルがあり、しばらく待つとバスが来た。バスは治田までの最短ルートを行くのかと思いきや、急に右に折れて坂を上る。田の中の集落、といった感じの場所を通過する(乗降客はなかった)。
阿下喜から乗って10分もかからず、治田駅前に到着した。ここで降りる。
三岐鉄道三岐線。この路線が三重県で最後に残ることとなった。
まずは終点の、西藤原へと向かう。この駅は有人駅で、切符は硬券であった。
伊勢治田の駅構内は広く、貨車が大量に停まっていた。
ホームに上がってしばらく待つと、下りの西藤原行きの電車が来た。昔の西武の車両である。妻面の窓に配管が見えて、著しく眺めがよくない。さすが西武クオリティ。
09/13 7.9% 49.2kg
このホテルは朝食がついている。7時から朝食なのだが、時間がギリギリである。7:20にホテルを出ればギリギリ間に合うが、乗り遅れると次の列車は2時間後となる。そのため、日程に余裕を持たせるために朝食は取らないことにして7時過ぎに発つ。 「なし」のプランがあればよかったのに。
松阪駅には3分で着いた。オレンジカードできっぷを購入する。
ホームには列車が既に入線していた。キハ11 の2両編成、JR名松線伊勢奥津行きである。
発車してすぐは紀勢本線を上る。単線区間であり、分岐点がなかなか現れない。と突然左に分岐した。紀勢本線としばらく併走して、いつしか分かれていく。駅に停まるごとに高校生がどんどん乗ってきて、車内は激しく混雑する。窓の外の風景を見るのもやっかいなほどなので、諦めて福知山で買った「週刊アスキー」を読みふける。
沿線ではいちばん大きな胃液駅、ここで車内はガラガラとなった。まるで回送列車になったかのよう。ここまでは田畑の中を走っていたが、ここから山に分け入った感じとなる。窓には雨の水滴がかかり、デジカメで撮影してもあまりよく写ってなかったりする。
やがて終点の伊勢奥津の駅に着いた。きっぷを運転士に渡して降りる。他に2人の降客があり、どうやら残った乗客3人とも同業者であったらしい。
ここ伊勢奥津から、近鉄の名張駅までのバスが出ている。昔は本数があったのだが、今や一日2往復となっている。朝の便は7時台に出て、次は17時頃だったかな。しょうがないので、折り返す。
当初の予定では、近鉄名張まで出てから、バスで伊勢奥津に出る予定だった。しかし名張13時発というのが使いにくく、結局その予定は見送っている。
駅周辺を散策する。なかなか古い街並みである。雨が強いのですぐに戻ってきたが。駅舎の中にはノートがあったり。
45分くらい過ごしたあと、折り返しとなる参宮線直通の鳥羽行きに乗る。一昨日買った「伊勢奥津発横浜市内行き」の切符を使い始める。
先ほど見れなかった車窓の風景を楽しんだり。ただ、そろそろ食傷気味である。
紀勢本線との分岐点もばっちり確認できて松阪まで戻ってくる。10分くらい待ち時間がある。朝食をとっていなくて空腹なので、駅弁を購入する。「元祖」弁当、1260円。数年前に「でぶや」で、1食1万円の駅弁を買っていたけど、さすがに要予約だから無理でしょ。
ちなみに、数年前に「松阪牛」の定義が変わり(厳しく)なったので、この弁当に入っている牛肉は松阪牛ではない(が、まいう〜 であることにかわりはない
)。
次に乗るのは、紀勢本線の亀山行き。17年半前には「特急南紀」で名古屋から紀伊勝浦まで往復したため、伊勢鉄道を経由しており、河原田〜亀山〜津 のJRの区間が未乗で残っている。河原田〜亀山の関西本線の区間は、そののちに乗る機会があったが、紀勢本線のこの 亀山〜津 の区間には乗る機会がなかった。
紀勢本線も非電化区間であり、キハ40の単行が来た。それでも充分なほどの乗車率であり、近鉄に大きく水を開けられている感がある。それでも乗客があるのが不思議だった。よほどJRの駅近くに用があるくらいしか考えられない。
津という駅を通過する。そういえば、この駅一度降りてみたかったけれどその機会もないまま三重県を乗り終えようとしている。
駅名標に「つ」と1文字の平仮名が載っている、ぱっと見てもそれが「つ」という文字だとは気づかず、見慣れない記号のように見えた。
そして亀山に着いた。ここで関西本線名古屋方面行きに乗り換える。てっきり213系電車かと思ったが、意外にも新しい313系電車だった。加茂(JR難波)方面はJR西日本のディーゼルカーとなるが、名古屋方面のJR東海は電化されている。
接続時間が短く、亀山で途中下車することができなかった。
東海道を歩いた際、井田川でその日歩き終え、宿が伊賀上野乗り換えた近鉄伊賀線の茅町にあったため、宿との往復で2回この駅で乗り換えた。そのときも接続時間が短かった。今回もここ亀山で降りることができない。
近年では「液晶」で有名になった場所である。
電車はすいていて快適だった。天気がよくなかったけれど。
ボックスに途中の駅から乗ってきた人がいて、鞄から「乗務時刻表」が出ていた。
どうやらJR貨物の運転士。貨物列車の本数が少ないから、旅客列車に便乗するのね。
四日市の駅を過ぎる。近鉄の駅とは違い、とてもとても小さい。ただのローカルな駅、といった印象。
ローカル列車の本数が少ないということもあるのか、2両編成の電車は そこそこ 乗っていた。
桑名に到着。ここで降りる。
伊勢奥津発亀山経由、横浜市内行きの乗車券で途中下車することになるのだが、自動改札はそれを認識できた。
09/12 7.4% 48.8kg
西日野での折り返し時間は短く、6分くらいかな、すぐに折り返す。あまりにも短い路線なので、特に感想もないまま近鉄四日市まで戻ってきた。
高架の駅に上がり、名古屋線の下り急行を待つ。少し待ち時間があり、先に到着した待避する各駅停車の車内で待ったりする。
来た急行は、基本編成が5209系のトップナンバーである。しかし、近鉄(近畿日本鉄道)は形式が細分化されすぎているという感じを受ける。下一桁が「9」の形式ってどーよ?
で空いていた付属編成のほうに乗る。比較的マッタリとしていた。
海側から狭軌の線路が近づいてきて、塩浜駅。また、比較的大きな近鉄の検車区があった。
次の停車駅、伊勢若松で降りて鈴鹿線に乗り換える。階段を渡って反対側のホームに移動となる。
数分待つと折り返しとなる列車が来て、さらに少し待つと発車した。
本線から山側に分岐し、田畑の中を行く。市街地に入り、頭上を高架の伊勢鉄道が横切る。路盤は複線ぶんあるのかな、立派な線路である。また、駅が見える。鈴鹿駅である。
こちらの鈴鹿線には近くに駅がないのか。
だらだらと数駅走り、終点の平田町の駅に着いた。この時点で、近鉄(近畿日本鉄道)を完乗となった。やたら長かった。関西の大手私鉄は、ようやく完乗となった。
今日の予定はここまでである。あとは、明日朝のために本日の宿まで移動を行う。
ここからの区間は、Pitapa が使える。互換である Icoca も使えるため、数日前に広島県の三原駅で買った記念 Icoca をタッチ… する前に Pasmo をタッチしてみたらエラーとなり、駅員が飛んできた…
折り返し、伊勢若松まで戻ってきた。さらに名古屋線の下り急行に乗り換える。時間は夕刻であるからか、先ほどまで乗車していたくだり急行より、明らかに混んでいる。基本編成(520x系)最後尾、運転台部分の通路に入る。そろそろ夕刻であり、外の風景も見えなくなってきた。
車掌側で、台の上にPCを置いて日記を記す。空き時間があったらどんどん記していかないと、その日のことを忘れそう。
津で少し乗客が入れ替わった。
また、ここは放送がよく入らないみたいで今どの駅に停まっているのか判りづらかった。
ホームの多い駅で特急の待避となる。
線路の両側にホームがあり、珍しい駅だな、と思ったけれど、後から思い直すとい背中側駅だった。
い背中側駅
伊勢中川駅
MS-IMEバカすぎ…
伊勢中川からは山田線に入る。次の停車駅、松阪で降りる。今日はここ松阪に泊まる。
改札を出て数分歩くと、今日泊まるホテルがあった。
その前に、晩御飯をどこかで仕入れるかどこかで食べたいのだが、コンビニが1軒あっただけ。まだ19時だというのに、シャッターを閉めている店が多かった。結局あきらめ、ホテルに投宿する。
客室においてあった情報によると、駅の反対側にスーパーがあるとのこと。散歩がてら、行ってみる。
途中に松阪牛の店もあったけれど、さすがに 5,000 円とか一人で食べてもねぇ…
10分ほど歩いて、maxバリュ があった。
店内を見てみる。
「松阪牛」コーナーがあったけど、あまり種類は多くなかった。また日清どん兵衛は「W」じゃなくて、ここ三重県も「E」だった。
09/11 7.8% 48.6kg
八王子線に乗り換える。
高架の名古屋線・養老線とは離れた、西側の地上部分から内部・八王子線が出ている。
内部線は東海道を歩いたとき、だから10年以上前に乗っているが、そのとき時間にあまり余裕がなく、八王子線に乗らないでいた。八王子線は、内部線の日永からたった一駅、西日野までの路線であり、四日市から日永までは内部線を行く。
いったん改札を出て、内部・八王子線のホームにたどり着いた。10年以上前に来ているはずだが、ほとんど記憶がない。内部線・八王子線それぞれ30分に1本であるが、接続もよく、数分待つだけで列車が来た。
日本では珍しい、ナローゲージの路線である。軌間が 762mm ととても狭い。
この内部・八王子線のほか、三岐鉄道北勢線(旧近鉄北勢線)と、黒部峡谷鉄道のみに残っている。
マッチ箱のような、という形容詞がぴったりするような、とても小さな車両。
車両も幅が狭く、ロングシートに向かい合わせに座るとヒザとヒザとをつき合わせるような感じになる。
3両編成なのだが、両端の車両はクロスシート(ただし、それぞれ前方を向いた1人がけのシートが左右に並んでいる)、真ん中の車両がロングシートである。
車体はカラフル(パステル調)に塗装されているが、どう見ても、真ん中のロングシートの車両だけ、古い。
サ120という形式で、来歴を調べると、1949年3月に製造された車両である。こんなに古い車両には乗ったことがない。と書こうとしたら、鹿島鉄道のキハ600を思い出した。あれは1936,1937年製だ…
車体長さは先頭車が15メートル、中間車が11メートル。もうありえないような短さである。もちろん3両とも非冷房であり、うだるような暑さの中、苦労しながら耐える。
2駅で分岐駅である、日永に着いた。ここから北側に八王子線は分岐する。そしてすぐ、終点の西日野に到着した。
かつては、このさき八王寺(伊勢八王寺)まで伸びていたが、1974年の水害の影響で区間廃止となり、八王子線は日永と西日野の間、1.3kmだけの盲腸線となっている。
しっかし、休み時間に書いてるんだけど、なかなか進まないなぁ…
09/10 7.3% 48.8kg
揖斐駅には券売機があり、1,280円の切符を買って改札を入る。と改札氏に「どこまで行く」のか聞かれる。高額の切符を買うことが珍しいのだろうか、あるいは大垣でJRに乗り換えるのと間違われたのか。3両編成の大垣行きがすぐに来た。
サイクルトレインというヘッドマークが付いており、自転車を持ち込むことが出来るらしい。3両なのでガラガラで、大垣まで快適な時間を過ごす。真ん中の号車に持ち込んでいる人が痛みたいだけど。
頭上を東海道本線の線路が直角に横切る。ちょうど313系電車が通る。方向感覚がサッパリわからなくなる。さらに1駅あり、13:07に大垣に着いた。
目の前には、昨日泊まったホテルが見える。泊まった部屋はどこだろう。
ここ大垣の駅は、養老線は中間駅であるが、スイッチバックのかたちとなっている。また、揖斐方面・桑名方面は系統が分断されている。ちょうど東武柏のような感じである。桑名方面に向かうため、ここで乗り換えとなる。
ホテルの部屋から昨日見た限りでは、車両は2両固定か3両固定編成。また塗装は新塗装と旧塗装、ばらつきがあった。13:11発の桑名行きに乗り換える。2両編成であり、さっきより混んでいるが、1両でも充分ではないあと思われるような混雑度ではある。ここから先も単線であり、ダラダラと列車は走る。
川(東)側の風景が良さうなので、そっちが見える西側のロングシートに座る。
後ろは山、前には平地(濃尾平野)、そのはるか向こうに川(木曽長良揖斐)というロケーション。
風景は概して単調で、すぐに飽きてきた。ありきたりの風景だと、もはやモチベーションを保てなくなってきたみたい。西側に座っているため、窓からの西日が暖かく、眠くなってきた。ときおり意識がなくなるようなこともあったり。
いつしか、岐阜県から三重県に入っていた。
単線だから遅延するかな、と思ったけれども定刻を保っていたみたい。終点の桑名には、予定していた時刻に到着した。
到着前に何度かアナウンスがあったが、この桑名駅の構内を工事中であった。分離工事、とのアナウンスだったので、おそらくJRと近鉄の改札を分離することになるのだろう。近鉄のホームに到着する。なお、名古屋線は標準軌、乗ってきた養老線は狭軌であり、どこかに両者を変換するソレがあるのだろう。
ここで3分接続で近鉄名古屋線の下り急行に乗る。遅延するかなぁと思い、遅めの予定を立てていたけれど楽々間に合う。ホームの向かいだった。
乗客の数よりは多めの車両をつないでおり、何かなぁと思ったら一番後ろの車両で新聞輸送をしていた。名古屋駅に専用の載せる設備があり、すごい勢いで新聞が滑り台を下りてくるのを子供の頃に見たことがある。
一部の座席の上と、そして床面に新聞が載せられていた。降ろす駅を書いた紙が添付されている。
四日市に着いた。高架3面6線。
ここから、近鉄湯の山線に乗り換える。湯の山温泉という一大観光地のための路線で、そう遠くない昔には特急が走っていた。
ホームの真ん中あたりから湯の山線は北側に分岐しており、本線とは若干前後の位置がずれている。
この車両、外側がコンサルタント?の会社の全面広告であった。しかし一般の乗客に対して、コンサルタントが広告を打ったところで…
発車直前に、反対のホームに当駅止まりの列車が入ってきた。それを見ての発車となる。常時ホームに1本の列車を待たせるようなダイヤなのね。すなわち単線なのだが、高架を降りて1つめの駅では堂々と右側通行をした。
菰野のかなり手前に、西の方角へと延びる線路が見えた。すぐに行き止まりになっていたが、専用線でもあったのだろうか。
また、この菰野駅2面3線なのだが、3線も使っているのだろうか。
次の中菰野。ここも右側通行。
途中駅でずいぶんと乗客は減り、気がつくとこのいちばん後ろの車両に乗客は私1人となった。隣の車両を見てみると、この車両も無人。先頭車両(3両編成)まで行ってみると、運転士しかいなかった。すなわち、客は私1人だけの状態で、終点の湯の山温泉駅に着いた。
かつては特急が走っていた区間なのに、平日の午後でこれほどまでの乗車率とは…
すぐの列車で帰るのもアレなんで、1本落とすことにした。ただ駅周辺はあまり見るものもなかったなぁ。
到着した列車からは 20 人くらい降りてきた。なんでこんなに差がついたんだろう。
乗り込んで、今来た経路を近鉄四日市まで戻る。
09/09 10.5% 50.6kg
今日は朝が遅い。
9時過ぎの列車である。そのため、朝から風呂に入ったり、ゆっくり朝食をとったりする。
PC で asahi.com の記事(was http://www.asahi.com/komimi/TKY200709040136.html)をみると、今日の 9:25 に鉄ヲタアイドルこと木村裕子氏が、美濃赤坂の駅で「東海道本線完降」をするという。中間に1駅荒尾駅があるので、その駅でも降りるとすると、8時台の列車でここ大垣を発ったはずである。
大垣から美濃赤坂までの支線のホームは、ちょうど今泊まっている部屋から見える。
時刻を調べてこなかったけれど、8:27 発で出発してしまったようである。今の時刻は8:35であり、非常に惜しい。あと10分前に知ったら、「生ゆゆ」が見れたのに。
チェックアウトして大垣駅へ。今日はこれから「樽見鉄道」に乗る。旧国鉄樽見線を転換した第3セクターの鉄道。自動券売機で切符を買って改札を入る。東海道本線で名古屋方面へ行く人を横目に樽見鉄道のホームに行くと、1両の列車が停まっていた。自ら「レールバス」と名乗っている。乗客は8人くらいかな。極めつけに空いていた。
大垣市街を抜けて川を渡り、田畑が広がる中を行く。のんびりとした感じで。
1年ほど前かな、できた商業施設の脇に出来た「モレラ岐阜」駅。乗っていた若い女性計3人が降りて、乗客は高齢者ばかりとなった。
乗客は増えないまま、ダラダラとレールバスが走る。本巣の駅で車両交換のため、乗り換えとなった。さきほどの車両より、やや古めの車両。ただしモケットを利用者が?張り替えたことがニュースになったらしく、その新聞記事が貼ってあった。
またこの駅には車庫があり、昔使われていた客車が朽ちていた。かつては14系客車という、特急用の客車を機関車にひかせていたことがあった。
谷汲口の駅で、京都から華厳寺に行くという女性の方が1人降りて 乗客はオイラをあわせて4人となる。
次の神海から先は比較的最近開業した区間らしく、線形がよい。トンネル・鉄橋も比較的新しそうに見える。ただ人里からはなられており、駅から乗る人も希となった。
終点の樽見駅に着いた。オイラ以外の乗客は、すべて「うすずみ温泉」に行くようで、来たバスに乗っていった。この駅には駅舎があったそうなのだが、今年の4月28日に不審火により焼失したという。
待合室代わりにベンチと、風雨をしのげるようにテントが張ってあった。
折り返しの大垣に乗る。数人の乗客があった。
谷汲口の駅で降りる。
さすがに上り列車からこの駅で降りる人はオイラ以外には皆無だった。ここからバスに乗るのだが、30分くらい待ち合わせの時間がある。しかし、そもそもバスの本数がとても少ないため、たったこれだけの待ち時間で済むとは、引きがよい部類に入る。
駅近くに旧型客車オハフ33が保存されているのでそれを見に行ったり。
暑いけど待合室で待っていたりする。何もしないのに汗が垂れてくる。
やがてエンジンがかかったのでバスに乗り込む。冷房車なので気持ちがいい。到着した下り列車から乗り換える人が8人くらいいたかなぁ。
西に向かって道路を走っているのだが、右側に築堤のようなものが見える。と突然、名鉄の古い車両が2両保存されていた。バスはすぐに終点の谷汲山に着いた。
ここで40分くらい時間があるため、谷汲山華厳寺に参拝しようかと思っていたのだが、先ほどの車両が気になる。
行ってみると、昔の名鉄谷汲駅の跡地であった。車両は自由に見学できるようなので、見てみる。755と514。514は車内にも入れた。
廃止されたのが2001年9月末日と、まだ日も浅い。現役時代に来られなかったことが悔やまれる。とりあえず、心ゆくまで撮影しまくる。
バス停に戻る。次に乗るバスまで、あと20分くらい。谷汲山華厳寺まで徒歩で10分かかるという。見るヒマがないじゃん。諦めてバスを待つ。
来たバスに乗り込む。近鉄揖斐駅行き。しばらくは山と田んぼの中を行く。そしていつしか街を走る。
半ば意識をなくなりつつ、というか今どっちの方角を向いて走っているのか、サッパリ判らない。
市役所?の駐車場でターンしたり、病院?の前を通ったりと、こまめに乗客を拾っている。また運賃が低廉であるからか、比較的近距離を利用する客も多かった。
そして 12:36 に近鉄揖斐駅に着いた。この駅は近鉄養老線の終点の駅である。
樽見→(樽見鉄道)→大垣→(近鉄養老線)→近鉄揖斐
と乗るのと、今回乗った
樽見→(樽見鉄道)→谷汲口→(バス)→谷汲山→(バス)→近鉄揖斐
とを比べると、結局乗る列車は変わらない。
しかし、バスが低廉であるため、後者の方が安くなった。
09/08 10.3% 50.4kg
この小浜線では左側に座っており、向こうに若狭湾が見え隠れする。手前には田んぼが広がっている。なかなか見応えのある風景であった。
比較的単調であるからか、眠くなってきた。補助席をたたんで、立って外の風景を見る。しかしそれでも眠く、立ったまま気を失いかけていたり。
やがて街が左手に見えて、終点の敦賀に着いた。20分程度の待ち合わせ時間がある。いったん外に出てみる。
福井県の駅で降りたため、経県値が 1ポイントアップした。
(旧→新)
北陸本線には今まで縁がなく、行き交う列車全てが珍しい。寝台特急電車を改造した通勤電車や、新型の521系電車などなど。
次に乗る列車は、湖西線経由新快速姫路行き。223系電車。
ホームで駅弁「角鹿弁当」を買ってから乗り場に行く。しばし待つと折り返しの列車が来た。一番前の車両に乗る。湖西線なので、東側(湖が見える)に座る。
敦賀を出ると、北陸本線を行く。
右側に車庫があり、EF81トワイライト色などの車両が停まっている。
下り線と線路が分かれる。
この区間でループ線がある。上り勾配を緩和するためのもので、敦賀と次の新疋田との標高差を考えると、今乗っている上り線が上り勾配にあたり、すなわちループ線を通るということになる。
南側を向いて走っていたのが、右(西)にカーブしてトンネルに入る。トンネルから出たと思ったら、比較的高い場所を走っており左下の線路が見える。これはさっきまで乗っていた小浜線である。今、北(敦賀方面)を向いて走っていることになる。
そしてまたトンネルに入る。抜けると南側を向いていた。
上り線と合流して新疋田。意外と小規模な駅であった。
線路が分岐する。北陸本線と湖西線が分岐したのだろう。そのまま次の近江塩津に着いた。ここから湖西線に入る。
高速対応の路線であり、ここから飛ばすことになる。また、左向こうに琵琶湖が見える。なかなか景色はよかった。
近江今津の駅で前に4両連結して、8両編成になる。より空いた車両に移動する。
117系の普通電車を追い抜かしたりする。時間があったら乗りたいところです。
東海道本線と合流し、京都の1つ手前の山科駅で降りる。ここから東海道本線の上り列車に乗り換える。京都まで行くと2分の乗り換え時間となってしまう。一つ手前のここで乗り換えることにより、+10分くらいの余裕が生じる。
京阪大津線、京都市営地下鉄に乗りに来た際に降りた駅であり、わざわざ改札の外まで出る必要を感じない。イコカにチャージしてみたりする。
ホームに出てしばし待つと、新快速長浜行きが来た。12両編成で、一番先頭に立って外の風景を見ることとする。比較的空いていた。
今回、滋賀県は全くスルーするだけである。新快速だけあって、快適に列車は走る。
米原に着いた。ここからJR東海の東海道本線に乗り換えとなる。青春18きっぷのシーズンであるから、乗り換える人が多かった。
次の列車は、米原発大垣行き普通列車。313系の4両編成だった。この区間も一番先頭に立って外の風景を見ることとする。荷物の多い人で比較的混んでおり、ほぼ満席だった。
大垣〜垂井〜関ヶ原間で、旧新垂井駅を通る下り線の別線があり、そこがどうなっているのか見極めたかった。北側に離れたところを走っており、分岐・合流地点しか判らなかった。また、合流地点ではちょうど美濃赤坂までの支線が分岐していた。大垣で降りる。
ここから、美濃赤坂までの支線に乗り換える。ただし40分ほど時間がある。
明後日必要となる乗車券をみどりの窓口で購入とする。まだ時間があるので、駅ビルを見たりする。
改札を入り、美濃赤坂行きに乗る。はずれにあるホームから出ており、ほとんどが折り返し運用。313系電車であった。
本線をしばらく走り、先ほどの分岐点から北側に出て、すぐに荒尾駅があった。そして貨物駅の脇にある、終点美濃赤坂駅に到着した。
この時点で、東海道本線をやっと完乗となった。
時間があるので駅周辺を散策する。
遠くの方からゴトゴトと音がして、やがて踏切がなって貨物列車が通過した。ホキ(石灰石)輸送列車。
次の列車で大垣まで戻ってくる。時刻は18時、今日はここ大垣泊となる。ホテルは駅前のアパ。高かったけれど翌日の朝食もつけた。
今日の晩ご飯をとりに出かける。面倒なので、近くにあったスーパーで揃える。
旅先でスーパー、コンビニに行くとき、楽しみなことがある。
「日清どん兵衛」「緑のたぬき」のカップ麺なのだが、西日本と東日本で出汁(だし)が異なる。東日本は「E」、西日本は「W」の印が付いており、ふだん東日本エリアに住んでいると「E」しか見れない。
そのため、西日本エリアに行ったときはこれらの商品の「W」印を見て、ぁぁ西日本に来たなぁ、という思いを新たにする。
ここ大垣は「E」でした。
かつて、雑誌の企画か何かで 駅そばの出汁(だし)が西日本流か東日本流か、という調査を行ったことがあり、その分かれ目が関ヶ原であった。
ここ大垣は関ヶ原よりは微妙に東に位置しており、なるほど「E」というのはうなずける。
中京地域っぽいもの無いかなぁと思ったけど、あんまし無かった。
ホテルの部屋からは、さきほどの美濃赤坂線のホームがよく見えた。また手前には近鉄養老線のホームも。
今回、着替えは最低限しか持ってこなかったため、この大垣のホテルで洗濯をすることとなった。洗濯はさっくり出来たが、なかなか乾燥できず1時間かけてもダメ、翌朝 +15分かけてやっと乾いた。
今日は朝が早い。
6:41 発の列車に乗る予定だが、1本前(6:22発)に乗れそうなので早く出ることにした。ただし、途中の駅から先に行く列車は同じとなる。
姫路駅の改札を入る。
右に姫新線の 0,1 番線、左に播但線の 31〜33番線 が地上にある。いちばん最初に姫路駅に来た際、だから 1994/03/15 の夕刻に JR 神戸線(山陽本線)から山陽本線への乗り換えのときなんだけど、そのときにこの31〜33番線のホームを見て、ディーゼルカーが停まっていたのかな、その鮮やかなオレンジの色が印象的でした。それから13年半が立って、やっと播但線に乗りに来ることが出来ました。時日の経つのは早いものです。
JR神戸線・山陽本線のホームは高架化されており、この播但線、そして姫新線が高架に上がるのもそう遠くないでしょう。
朝が早いため、播但線の列車は極めつきに空いていた。103系3500番台の2両編成。
構内を出ると、向こうに高架橋を造っているのが見える。単線分なので、あれが将来播但線になるのだろう。
地上の構内を出ると、列車は高架に上がる。今作っている高架と、この高架とをどこかで繋げることになるのだろう。
姫路の市街地なので、しばらくは高架を行く。向こうに白鷺城が見える。今回で姫路に来たのは3回目である。今回も白鷺城、姫路城を見る時間がなかった。
途中の駅で交換する対向の列車は、まだ時間が早いものの比較的混雑していた。
103系の2両編成が主であったが、新野(にいの)という駅で変わった色の電車が来たなぁと思ったら、何のことはない 221 系電車だった。
そして寺前に着いた。電化区間はここまでで、ここから先は非電化区間のためディーゼルカーに乗り換えとなる。また本数がかなり減る。
姫路を1本次の 6:41 発の電車に乗ると、乗り換え時間が3分。約20分前の列車に乗ったので、+20分の時間がある。
寺前駅の外に出てみたりしたけど、あまり見るところもなかったなあ。「全線電化を!」という看板が見られた。
やがてディーゼルカーが入線してきた。電車はワインレッド色、それに接続するディーゼルカーはいったいどんな色かなぁと思ったけど、こちらも同じワインレッド色だった。
キハ40 2008の単行。ボックスを楽々取れたが、7:25 に 6:41発の列車が到着し、乗り換え客で満席となった。7:28に和田山行きのディーゼルカーは発車した。
電化区間に比べると、山に分け入ったような感じでした。田んぼも稲刈りには少し早いみたい。生野(いくの)という駅で通学の高校生がおり、車内の平均年齢が上がる。
風景は比較的単調で、またディーゼルカーの音も心地よく、気がつくと意識が無くなりかけていたり。あぶないあぶない。
どこかの駅に着いたと同時に、全ての乗客がごそごそとしている。どうやら終点の和田山に着いたようだ。播但線を完乗。ほとんど寝つぶしてしもうた…
改札を出て駅前に行ってみるが、意外と小規模な街であった。駅前に、機関車をもした遊具があり、また線路も敷かれている。もしかしたら、ここに蒸気機関車でも保存されていたのだろうか。
山陰本線に乗り換えとなる。上りの京都方面の列車を待つ。ホームに降りると、駅裏に煉瓦造りの古い建物が見える。明治期のものだろうか。
来た山陰線の電車は4両編成。時刻は朝の8時半で、通学ラッシュは終わっているが、ここまでの区間が混雑したのだろう。
113系の4両編成だが、2両編成の車両を2組連結した作りとなっている。
3800番台で、片方の先頭車は中間車から(とても安い改造費で)改造された車両。前面に黄色い補強板を付けており、この「やっつけ感」がマニアココロを。
京都府に入り、高架に上がって右から回送線と合流、左の北近畿タンゴ鉄道の合流がよく判らなかった。
福知山に着いた。8/12に来たばかりの駅である。今日は30分くらい時間があり、コンビニで軽食と週刊アスキーとを仕入れる。
次の列車は、舞鶴線東舞鶴行き。ふつうの113系(湘南色+ワンマンの白帯)の2両編成であった。ボックスを取れたが、発車間際に乗ってくる人が多かった。
綾部までは山陰本線を行き、そこから舞鶴線に入る。西舞鶴までの区間は 8/12 に乗っているが、マイナス10分接続の直後で慌ただしかったこともあり、殆ど覚えていないなぁ。
西舞鶴から東舞鶴までが初乗車、舞鶴線を完乗。
東舞鶴で乗り換えとなる。同じホーム(同じ線路)の前方に停まっている、125系電車2両編成に乗り換え。車体真ん中の、ドアのようでドアじゃないところの補助席に座る。 時間があるのでいったん改札を出てみた。舞鶴はいちどゆっくり見てみたい都市ではある。
東舞鶴を出て一つめの駅を過ぎ、11:10 にトンネルに入る。おそらくこのトンネルが府県境であろう。この時点で京都府の鉄道を完乗となった。抜けて向こうを走る道路に「ようこそ福井県」とあった。
私の経県地(これが最新かな)をご覧頂けると判るが、福井県は「通過のみ」である。
その「通過」も、高速バスで高速道路を通過しただけであり、きわめて縁が薄い県であった。これだけ全国の鉄道を乗り回っているが、福井県の鉄道に乗るのは実に今日が初めてとなる。
「通過」したのは1988年8月であり、19年も前。
09/07 7.7% 50.1kg
帰宅しました。ほぼまる1週間、とても長かった…
朝6時に目が覚める。今日(今週)の「トロと旅する」は下関。昨晩通過した土地である。
九州にもう用はないため、すぐに本州に戻る。せっかく来たから見ておきたい場所もいくつかあるけれど、今回はちょっと先を急ぐ。
渡辺通駅そばのホテルから、博多駅に向かいたい。駅まで数分歩き、地下鉄で天神南に行って天神まで徒歩連絡するとすると、その連絡だけで10分は歩くことになる。
そもそもこのホテルから博多駅までは徒歩で15分くらいとのことで、そちらの方が早い。そのため直接歩くことにした。
目の前の通りをまっすぐ歩く。15分ほどで駅近くの交差点に出た、向こうにヨドバシカメラが見える。今回寄る時間がないのが残念である。さらに数分で駅に着いた。
九州新幹線が全通したときのために、駅ビルの改装工事に入っているらしい。
今の時刻は 7:25。
すぐ本州に戻る。次に乗る(本州内)ローカル線の接続時刻を考慮すると、新幹線でワープをした方がかなり効率的である。そのため、新幹線の切符を買う。乗るのは「こだま号」であり、大して混雑するとも思えなかったため自由席にした。
せっかく博多に来たので、最後に在来線の駅に入って列車を見ておきたい。青春18きっぷに4日目を入れ、在来線のホームに出る。ただ、ほんとうに時間が無く、見れた特急は「あそ」のみ。
新幹線のホームを増やすらしく、昔あった篠栗線専用ホームは閉鎖されていた。
連絡改札を抜けて新幹線の構内に入る。ちょっと悩んだけれど、朝食として駅弁を購入する。750円。乗る「こだま」は既に入線していた。100系の4両編成で自由席は3両。窓際があいていたのは喫煙席のみだったので、そこに座る。
7:51発こだま638号、SMBC(三井住友銀行)カラーの100系。
そういえば100系・こだま号に乗るのは久しぶりのような気がする。それぞれ10年くらい乗っていない気がする。
右側に座っていたので、遠くに山などが見えた。また、筑豊本線の上を横切ったのだけれど、今は電化されているんですね。
右に城が見えたが、すぐに商業施設の陰になって見えなくなた。また、モノレールが走っていくのが見えて小倉に到着。ここで車内はどっと空き、そしてガラガラになった。隣の禁煙車両にうつる。海側(本州内に於ける)に座る。
そういえば、すっかり気づかなかったのだけれど、この100系の車両、2&2シートになっている。新幹線の普通車は2&3だったということを思い出した。さっき買った駅弁をゆっくりと食べはじめる。
この区間は「のぞみ」で通過したことはあるけど、各駅に停まる列車(こだま)は初めて。
新下関。8分後に出たひかり「レイルスター」の通過待ちのため3分停車。
厚狭。比較的最近出来た駅で、ホームは小規模最低限の作りであった。
新山口。ここで5分停車するが、通過待ちかと思いきや、予定臨用の空待避だった。
徳山に着く。ここで降りる。
ホームから見えるところに、近鉄特急の広告看板をつけたビルがある。確か歴史的にも意味がある、という話をどこかで聞いたことがある。
また、さいきん合併で指名が変わったのか、徳山市が周南市という名前に変わったらしく、「周南市」と書かれた名刺を差し出す広告が貼られていた。
# ATOK だと「徳山市《合併→「周南市」》」と警告が出ます。すばらしい
新幹線の改札を抜けて在来線の構内に入る。ここからは「青春18きっぷ」で在来線に乗ることとなるが、「博多→徳山」の乗車券ではなく、一つ先の「博多→櫛ヶ浜」までの切符を買っており、ここでは途中下車ということになる。
改札を出て徳山の駅前に出る。流行に乗り遅れたのか、やや古めの建物が多い。駅前をちょっと見たけれど、飽きてすぐに駅へ戻る。ところが改札前にはなぜかベンチもない。そのため、次の列車にはちょっと早いが改札の中に入る。
徳山から乗るのは、岩徳線(がんとくせん)。岩国と徳山とを結ぶローカル線であるが、昔はこちらのルートが山陽本線であった。現在でも山陽本線よりも距離が短いため、運賃計算の際はこの岩徳線経由で計算される特例がある。
岩徳線の列車の本数が微妙に少なく、乗ろうとしている 9:47 の前が 7:53 。新幹線を使っても博多からそれに乗るのは厳しく、この 9:47 の列車となった。
ベンチに座って待っていると、列車が入線してきた。キハ40の単行である。平日であるため空いており、海側(海は見えませんが)のボックスに座る。一駅間山陽本線の線路を走り、分かれてすぐに櫛ヶ浜駅。ここから岩徳線の区間に入る。
もとは交換可能な駅だったのが、片方の設備を廃止し棒線にしたようなのだけれど、雑草が伸びすぎてそれがサッパリ判別できないような。
ガラガラで快適快適、と思ったら途中の駅で20人くらいの乗客があった。そして次の駅でさらに30人くらい、単行ではきついくらいの乗車率となった。
川西駅で降りる。ここから錦川鉄道が分岐している。路線図を見ると山側に分岐している路線なので、到着前にどこからか近づいてくるのかと思ってみたけれど、築堤の類はなく、家々が並んでいる。 放送を聞き間違えたかな、と半分くらい思ったけれど、どうやら川西っぽかったので降りた。
1面1線の駅。てっきり2面2線くらいの規模があるのかと思っていた。降りたのは3人。分岐駅ではあるが、両ローカル線間の旅客流動がほとんど無いためか、乗り換える客はオイラだけであった。
築堤の上のホームから下に降りてみるが、特に駅周辺で見るようなところもないため、そのまま駅に戻る。
ここで錦川鉄道を待つ。20分くらいかな、岩徳線・錦川鉄道ともに数時間に1本のローカル線であることを鑑みると、この20分という時間はなかなか接続がよい部類に入る。実は岩国まで行く時間もあったが、折り返しが2分と短いため慌ただしいかと。
しばらく待つと、1両編成のディーゼルカーが来た。いったいどんな色の車両かと思ったら、緑色だった。いわゆるレールバスである。前面に「おかげさまで20周年」とのヘッドマークを付けていることから、この車両も20(ないし21)年経ったのだろう。
車内はセミクロスシートであるが、クロスの割合が大きい。また、平日午前中の下り列車であるからか、車内は極めつきに空いていた。
駅を出て、先ほどまで来た経路を少し戻るような感じになる。今まで乗ってきた岩徳線とどこか(信号所)で分岐するはずなのだが、それに気づかぬまま、「新幹線お乗り換えの御庄駅」とのアナウンスが入った。結局判らなかった。
巨大な新幹線の新岩国駅から少し離れて、小さい御庄駅がある。ちょうど新花巻駅みたいな感じであろう。
第3セクターの駅と、新幹線の駅が乗り換えられるのは比較的珍しい。そもそも国鉄時代(岩日線)にも乗り換えることは可能であったが、駅名が違うことから、積極的に接続していたのではないように思える。
乗り換え通路を目で追うと、暗い地下通路があり、そこを抜けると業務用の通路にしか見えないような通路が新幹線の駅まで続いていた。
列車はいくつかの小さい駅に停まるごとに、少なくなった乗客はどんどん減っていく。車内放送は自動で入っているが、経年変化によるためか音がくぐもっており、とてもとても眠気を誘う。
右側に座っており、錦川の清流が車窓からよく見える。確かに「清流線」と名付けるのも首肯できるような風景であった。ときおり広がる平地には、青々とした稲穂が収穫を待っていた。
気がつくと、乗客は3人になっていた。運転士と知り合いらしい客と、前の方で話し声が聞こえる。
エアコンの音と、あとは例の車内放送。車窓から見える渓谷は目を見張るけれど、それでも単調で飽きてきた感じがする。気がつくと意識が…
錦町の駅に12:10に着いた。930円を払って降りる。ここに車庫があり、車両が数両停まっていた。次の列車までの時間、外に出てみる。
「とことこトレイン」との表記があり、いったいい何なのかと思い行ってみた。岩日線の未成線区間を、トロッコを模した乗り物で乗れるらしい。さすがに平日なので今日は運転していなかった。
930円の切符を買って列車に戻る。根本的に旅客流動が少ない地方らしく、平日の昼過ぎということもあるが、車両はガラガラでった。
先ほどと同じく、川側の席に座って錦川の風景を楽しむ。途中の駅で列車と行き違いをした。先ほど乗っていた下り列車でもどこかで交換していたはずだが、全く気がつかなかった。
乗客は少しずつ増えたが、まだまだがらがら。先ほど、岩徳線との分岐箇所が判らなかったので、いったん山よりの座席へと移動する。ただY字形に分岐するだけの信号所があった。
そして川西に戻ってきた。ここでいくらかの乗車がある。ここから先はJR岩徳線で、新規乗車区間となる。
岩国の市街に入り川を渡るが、左手向こうの山の上に、城がみえる。錦帯橋もあのあたりにあるのであろう。時間があるならば是非とも行きたかったが、今回は予定を詰め込みすぎてあまりにも時間がないため、スルーするのが残念ではある。
13:28に岩国に到着した。岩徳線を完乗、またこの時点で山口県の鉄道を完乗となった。
今回の旅行の主目的が、「山口県を攻める」であった。今まで 山陽新幹線と山陽本線(在来線)でしか乗ったことがなかったため、ほとんど乗っていないに等しかった。それを3日間で達成することができた。
1週間の休暇を取り、土日をあわせると9連休。今日はまだ3日目。「青春18きっぷ」はまだ4日目であり、あと1日ぶん残りがある。そのため、山口からは少し離れているが、未乗路線に乗りに行く。
岩国で駅の外に出てみた。駅弁でも買おうかと思ったけれど、売って無いようなので諦めることとする。
次の列車は、山陽本線上り岡山行き。新山口(小郡)始発なので、かなりの長距離運用である。115系4両編成であり、比較的混んではいたが、海側の4人ボックスに相席で座る。
快速だけあって、駅を快調に飛ばす。また長距離列車であるためだからか、荷物を持った旅行者が多い。8割以上がそれっっぽい。 次の停車駅は宮島口。ここで乗客が入れ替わった。相席の人も去り、海側窓際に移動して海を眺める形となる。が3人乗ってきて満席となった。。
五日市からは各駅に停まり、広島近郊のローカル列車の間を呈してきた。車内はさらに混んで来た。
カメラを鞄にしまったまま網棚に上げてしまい、車窓の風景を収めることが出来なかった。混雑のため取るのもマンドイ。
家々が増えてきて、縮景園が見えて広島。ここで多少の入れ替わりがあったが、乗り通しの旅行者も多く座席が埋まる。オイラのボックスには3人の女子中学生が来て、大変かしましく… 面白くなる。
少々停車するので車窓を見ていると、向こうのホームには 103 系電車。そして可部線直通の 105 系電車。さすが 國鐵廣嶋死者 である。
103 系、さすがに長距離を行く列車には(トイレがないために)入っていないようだが、本線筋に堂々とこのような車両を入れるのはちょっと理解しがたい。
車番が判らないため、来歴の詳細は判らないが、かつて山手線や京浜東北線を走っていた車両。どう考えてもこのような区間にはふさわしくないだろう。
貨物駅を過ぎる。「みよし」で使われていた58系ディーゼルカーがなぜかコンテナの真ん中にいた。よく見かける直流機関車にに加えて、紅葉色の機関車も停まっている。
書いた位置(変換できません:海田市)を過ぎ、右に呉線が分岐する。前方にスカイレールが見え、カーブして瀬野の駅に着いた。
ここから先は山越えの区間になる。瀬野・八本松間の「セノハチ」である。現在でも、上り方向の貨物列車は後ろに補機(先ほどの紅葉色の機関車)をつけて峠を登っている。
この区間は昼間に乗っているはずだが、車窓の風景に記憶がない(広島から瀬野まではスカイレールを乗りに来た)。
記憶を辿ると、下関を夕刻に出る快速に乗り、岩国で続行の普通電車に乗って三原まで乗っている。すなわち、セノハチを通過したときはもうすっかり夜だった。
そのとき、確か西条の駅で1本列車を送らせて EF67 を間近で見た。日本酒の街である。賀茂鶴かな?有名なのは。
また、今や日本のどこに行ってもみかける「ダイソー」もこここが起源である。沿線では比較的大きな街らしく、ここでいくらかの降客があった。
三原に15:30に到着。ここで降りる。というのも、今乗っている列車は岡山行きであるが、その先に行く次の列車がここ三原始発なのである。すなわち、ここで1本落として乗り換えれば、確実に座れる。
同じことを考えている人もいたけれど、多くの人は乗りっぱなし。列車はまだ入線していなく、並ぶ必要もないくらいなので一息つくべく、改札の外に出てみる。
すると、机を出して「記念イコカ」を売っていた。9/1(?) から広島・岡山地区でも使えるようになったらしく、その記念イコカ。
β氏(仮名)がα氏(仮名)に購入依頼したという、記念イコカ。苦をせず買えてしまうのだから、買うことにした。2,000円。
PASMO を買ったため Suica を払い戻した。そのため、(関西に来たときに)少々不便に思うことが何点か。イコカがあれば、首都圏の Suica のエリアも乗れるし、ピタパのエリアも乗れる。仙台・新潟、そして広島・岡山地区も乗れる。
首都圏の Suica エリアはパスモでいいとして、他のエリアは パスモでは乗れない。イコカならではである。それだけ便利なカード、せっかく記念柄が手にはいるのであれば。
柄は、カモノハシのイコちゃんが桃とシャモジを持っている図でした。ついでに食料を少し仕入れる。そういえば今日は昼食を食べていない。
改札を入ると、列車が入線していた。三原始発の姫路行き、かなりの長距離列車である。残念ながら、車両はぼろく、ふつーの113系電車(115系だったかな)。湘南色。
とはいえ(発車時点では)車両はガラガラで、海側のボックスを取れた。荷物を網棚に載せてゆっくりする。
大きな工場を見て糸崎。この駅には車庫があり、車両が停まっていた。そして尾道。右側に向島が見える風光明媚な中を行く。撮影しまくり。
そして松永を通過。αさんのお宅は肉眼で確認できなかった。
高架に上がり城を見つつ福山、右側を併走する道路に「岡山県」との標識があった。
倉敷を出る、「左の方から頭上を超えていく線路がある。少し考えたけれど、これって伯備線下り線なのね。すなわち、山陽本線と伯備線は支障がないようになってるのね。その高架(効果)のほどはどうなんだろう。建設費を充分ペイできるメリットがあったのだろうか。
左に昔の「ゆめじ」などをみて、岡山に着いた。1本前の山陽本線の列車がここ止まりであることもあって、待っている列が長く、ここからかなり混雑する。
さきほどの列車の中で、同じボックスにいた人達も乗ってきた。そもそも、時刻表をちゃんと見たら始発の三原から乗るだろうけれど、適当なのかなぁ。
後ろの方に立っている、宮島口から乗っていた4人組がアレげだなぁ。「待ち時間が最短になるように計画を立てた」とか聞こえてきたが。
席が埋まったまま姫路に着いた。近くのボックスにいた方々(通路向かいのボックスに三原から乗ってたおねーさんが気になった)ともこれでお別れとなる。
今日はここ姫路に泊まる。山陽姫路の駅に行ってみる。人気のない山陽電車Bトレインを売っていたりする。買おうか悩んでみたりした。こないだ、甲子園に行くときに乗った「直通特急」はこの駅が終点。
山陽百貨店の上の方の店で晩ご飯とした。なかなか「できる」店で、気持ちのよい晩ご飯でした。店名は「めん坊」。
ホテルは歩いて3分くらい。意外と古いホテルでした。しめったままの洗濯物を乾燥機に入れたんだけど、全然乾かなかった。
大浴場があり、ライトアップされた姫路城を見ながら入浴となった。
あー新幹線停まってますね。当初は今日帰る予定だったんだけど、予定かえてよかった。
明日帰ります。新幹線で。
今日は朝がちょっと遅く、若干の余裕がある。そのためホテルで朝食をとった。
仮面ライダー電王を前半だけ見たところ(8:15)で出発。3分で駅に着いた。乗る列車はここ宇部新川始発、 8:41発の「快速のぞみリレー」小郡行き。
少し前に駅に着いて、入線を待つこととなる。仮面ライダーをさいごまで見ても間に合ったけど、早め早めの行動を心がけたい。
改札を入ると、反対方向下関行きの直通列車が入線してきた。
これは 105系2連+クモハ123 という3両編成。珍ドコといった感さえ受ける。105系は新製車両(千代田線直通の103系からの改造車両ではない)ので、2両とも正調の3扉車だから、まだよいけれど。
千代田線からの改造車は4扉なので、下手したら3両編成で2・3・4扉の車両が混在する、ということにもなりかねない。
駅構内に停まっている車両を撮影していると、乗る列車「快速のぞみリレー」が入線してきた。この宇部線の、いわば看板列車だからどんな編成が来るのかと思ったけれど、意外にも、クモハ123形の単行であった。
クモハ123-3 なので、昨日宇部新川から雀田まで乗った車両である。
乗り込んで発車を待っていると、宇部からこの駅止まりの列車が到着した。105系2連。その客を含めて座席の 1/3 くらいの着席率。「のぞみリレー」は休日のみこの駅始発で、平日・土曜は宇部方面からの直通となる。2両(以上)なのだろう。
-3はオールロング(2扉でその間が全部ロング)、車端部に居るスペースはないので、おとなしくロング席に座ることとなる。
宇部新川から数駅は、まだ宇部市の中心街なのだろうけれど、快速列車なので容赦なく通過する。とはいえ、踏切の鳴動に問題があるからか、かつての横浜線のように、通過駅でも減速する。
市街地で家々が立ち並んでいる中、向こうに「山口宇部空港」と書かれているのが見える。住宅地のそばにあるのが、とても意外に思えた。
家々は途切れて、海寄りを行く。瀬戸内海の向こうには小島(そんなの関係ねぇ!)も見える。曇っているが、晴れていたらもっときれいなのだろう。
一つめの停車駅で数人乗って 1/2 くらいの着席率になり、二つめでさらに増えた。
海からは離れ、いつしか後ろから山陽本線と寄り添って、終点の新山口の駅に着いた。この駅、長い間「小郡」と呼ばれており、そちらの方になじみのある方も多いだろう。
はずれのホームに到着となった。
乗り換えまでちょっと時間があるので、改札から出てみた。「のぞみ」が停車することが信じられないような規模の地方駅という感じがした。
駅前のバスターミナルにあったバス路線図には、未だに「小郡駅」との表記が残っていた。
駅に戻り改札を入ると、山陽本線上り当駅止まり→下り始発下関行きの117系電車が停まっていた。かつては京阪神で新快速として活躍した車両であるが、当時の塗装のまま、國鐵廣島支社で活躍している。
私が次に乗るのは、山口線。列車はまだ入線していなく、待つ人でホームは混みあっていた。数分待つと列車が来た。キハ47の2両編成。座るのは早々に諦め、最後部で立つことにする。
駅を出てすぐ、隣のホームで撮影している人がいて、一体何かと思ったら蒸気機関車 C57 1 が入線していた。
今乗っている山口線の1本次の列車が、 SL山口号(やまぐち号?平仮名表記?)である。SLは終点の津和野からの接続がよくないので、残念ながら、今回乗車することは出来ない。
車窓右側に車庫があり、ふつうのディーゼルカー、ふつうでないディーゼルカーが停まっていた。また、ターンテーブル(転車台)もあった。
左側には、SL山口号用の客車が出番を待っていた。これはもともと12系客車なんだけど、これをレトロ調に塗色・内装を変更しているものらしい。
山口線は山口行き。新幹線の駅と県庁所在地とを結ぶ区間なので、やはり旅客流動は多いのだろう。意外とすぐに、25分ほどかな。終点の山口に着いた。
ここから乗り換えとなる。時間が5分しかないため、改札を出る余裕はない。県庁所在地の駅ではあるが。
階段を渡って、ホームを移動する。乗るホームに2両ディーゼルカーが停まっていたけど、1両は切り離されており、単行となる。キハ40。
これもまた、日曜であるからか津和野へ向かう観光客等が多くて混んでいて、座るのを諦めて(ry
左と右の車窓の風景を楽しむ。途中で何人か、カメラを構えている人を見つけた。また、この列車からカメラを持った人が 名もないような小駅で降りていく。SL列車を撮影するのであろう。「月館の殺人」というコミックに出てきた、いわゆる「置き三脚」も車窓から確認できた。
今まで列車の中から、頭を垂らしている稲穂を見てきたのだけれど、ちょうど稲刈りをしているところが今日は見えた。もうそのシーズンなのか。
りんご狩りがこのあたりの名産のようで、何軒か園を見つける。りんごのシーズンはちょっと早いかな。
船平山。山口県最後の駅である。ここを過ぎて長いトンネルがあったので、おそらくここが県境なのだろう。島根県に入り、津和野の駅で車内は空き、ひと心地着く。ボックスの席に移動した。
青原で単行のディーゼルカーと交換。東青原でふと車窓の左を見ると、山羊が歩いていたり。
ダラダラと列車は走り、11:58に益田に着いた。この時点で島根県の鉄道を完乗となった。
ここで小一時間の時間が生じる。当然のことながら、昼ご飯とする。今朝朝食をしっかりと摂ったため、空いていないような気がしたから軽いものですませたかった。
しかし、少し駅周辺を歩いたらすいてきた(ような気がした)。ちょっと悩んだけれど、昨日見送った日本料理で定食とする。
食事を済ませて駅まで戻り、さらに少し待って構内に入る。
昨日と同じ列車が入線してきた。昨日と違い、今日はその9割近くの乗客が同業者である。ただ、昨日よりは空いていたなぁ。発車まではロングシート部分に座っていたものの、やはり車窓の風景が気になって、一番後ろに立って逆かぶりつきをすることとする、
ちょうど24時間前に同じ車窓を見たばかりだけれど、それでも海・山・小さな街・そして稲刈りが迫った田んぼを見るのは面白い。
東萩の駅では昨日ほど混むことはなく、全員着席くらいの乗車率であった。
終点の長門市の駅に着いた。
接続の山陰本線下り、昨日はキハ40系の2両編成だった気がしたんだけど、今日は単行だった。また昨日乗った美祢線の列車を見送る。
ここでちょっと時間があるため、駅の外に出てみる。
次に乗る列車は、山陰本線仙崎支線である。この長門市の駅から、一駅海側にある仙崎とを結んでいる。
しばらく待つと、仙崎行きの列車が入線してきた。美祢線の厚狭始発の仙崎行き。昨日美祢線に乗ったとき、数駅目で行き違いした車両である。
キハ120の単行なんだけど、車両の外側がぬれている。途中で雨に降られたのかな。幸い私自身は今までのところ、雨に降られてはいないが、雨脚が近づいているのであろう。
車内は7人くらいかな、おそらくそのほとんどが乗り潰し目的の同業者。 この仙崎支線も本数が少なく、昼間は3時間も時間があくことがある。 もっともバスが頻発しているため、仙崎(青海島)は陸の孤島というわけではない。
2kmを3分で仙崎の駅に着いた。ここで降りる。 折り返し、ここから乗ってくる人が多かった。青海島を観光した人が鉄道で帰るのであろう。とすると、美祢線と直通しているというのにも合理性がある。長門市から新幹線の駅に出る場合、美祢線が一番早い。
ところで仙崎の駅で、駅舎から出ようとしたら雨が降ってきた。多少の雨なら傘を差さない主義だが、これは出さないとまずいレベルである。自分の体が多少濡れたところであまり問題はないが、カメラが塗れるのは避けたい。
400mのところに金子みすず記念館があるとのことだが、行っている時間がない。駅周辺を見ているが、傘を差すのが面倒なので、とっとと折り返しの列車に乗ることにして日記を記す。
16:01に発車し、16:04に長門市駅に戻ってきた。次に乗る列車は、16:13発の山陰本線下り小串行き。まだ入線していないとのことで、ホームでしばし待つ。さっき側線に停まっていた車両が入れ替えて入線してきた。キハ40の2両編成である。
海側のボックスに乗ろうと思ったのだが、意外なことに3ボックス(海山あわせて6ボックス)しかない。
しょうがないので、後ろ側になる車両のロングシート部分で海側に座ることとした。山陰本線下り列車からの接続がないため、車内は比較的空いていた。
山陰本線の車窓からまだまだ見所は多く、砂浜・島・岩肌・そして田んぼなどを見る。
意外と早く小串の駅に着いた。
この駅止まりで、ここから始発列車に乗り換えとなる。ただ2面3線のホームに、他に列車はいない。1番線に来る、とのことで跨線橋を民族大移動となる。
時刻表をみても、この時間この駅止まりとなる下り列車はない。改札を出て駅周辺を散策してると、滝部行きの上り列車が来た。
先頭に2両「みすず」、後ろに一般車両を2両つないでいる。案の定、ここで切り離し作業が始まった。
「みすず」は看板列車ではあるものの、夕刻ということもあり車内は空いていた。昼間の「みすず」で仙崎支線に乗ろうという予定を立てたものの、その後の接続がよくなく、諦めている。
切り離された2両は、キハ40+47の下関行き。後ろの車両である47の方はボックスが2つ(海山あわせて4区画)しかないため、またロング部分に座ることとなる。
そろそろ車窓に闇が迫ってきており、シャッターを切っても風景が流れるというレベルになってきた。
いつしか線路は海と離れ、まわりに家々が増えてくる。海側にサティが見えた。
山陽本線上りの線路の下をくぐり、幡生(はたぶ)に着いた。この時点で山陰本線を完乗となった。実に長い路線でした。
この列車はそのまま次の下関まで行く。その途中、上り下り線の間に線路があり、JR貨物の機関車が停まっていた。撮影したいところであるが、この暗さだと確実にぶれる。EF65 500、EF66、EF66-200、EF200、EH500などがいた。
そして終点の下関に着いた。
今回の旅行の主目的は、山口県内の鉄道である。ところで九州島内に、未乗区間が残っている。数年前に開業した福岡市の地下鉄である。
鉄道全線完乗を目指しているからには、いつか乗りに来ないと行けないのだけれど、この先確実に九州に来る機会は、おそらく九州新幹線博多〜新八代間が開業したときだろう。わざわざ東京から九州へ来る手間を考えると、下関・博多間の距離はとてもとても短い。そのため、この機会に乗ってしまうことにした。
すぐの列車で九州に渡っても、その先接続がよくなく、門司の駅で20分くらいの待ち時間が生じる。1本次の列車で渡っても、結局到着するのは同じ列車となる。
そのため、比較的時間があるここ下関で降りることにする。
5年くらい前にα氏とここに来たことがある。しかし、あのときの駅舎は、放火により消失されてもうない。
駅の外まで出る時間の余裕はないため、駅周辺で食料を仕入れようかな、と思った。今日は夜ホテルに着くまでの時間が長いため、少し多めの晩飯としたい。そのため、まず立ち食いそば屋でそばを食べる。そして駅弁(ふぐ弁当)を購入して電車に乗ることにした。
改札を戻り、ホームに上がると九州に直通する電車は既に入線しており、ボックスに1人くらいの乗車率となっていた。
415系の4両編成かな。常磐線から一足先に姿を消した、国鉄時代の電車である。車内は古いままで、九州が関門間の電車(関門間のみ、交直流車両で必要がある)の更新に乗り気ではないのかな、といった印象を受ける。
関門間(かんもんかん)を電車で抜けるのは初めてとなる。今まで、12系夜行「ふるさとライナー九州」で2回、寝台特急「あかつき」で2回、「はやぶさ」で1回、あとは新幹線で新関門トンネルである。
先頭車両のトイレ脇にボックスを見つけ、そこに座る。しばらく下関の市街地を走ったあと、汽笛一声トンネルに入る。何の感慨もなかった。
ケータイ電話を見てみると、入った当初は0本であったものの、最深部に達したのか「圏外」となった。とはいえそれも1分もすると0本となる。短いトンネルである。
門司到着直前に車内灯が消える。そうか、交流と直流のセクションか。今まで客車列車でしか関門トンネルを抜けたことがないため、車内灯が消えることにまで思い至らなかった。思いもがけず感動する。
門司で降りる。下関から8分で九州。
次に乗るのは、門司港始発の快速荒尾行き。9両編成だという。転換クロスシートの、813系。車内はガラガラであった。海側(玄界灘側)の席に座る。
案の定、次の小倉で混雑し、ほぼ座席が埋まった。
先ほど下関で買った駅弁をここから食べ始める。残念ながら、ちょっと酸っぱくてあまり口に合わなかった。
夜間だから外の風景もよく判らないが、すれ違う車両のデザイン(ミトーカクオリティ)を見ると、九州に来た、との意を新たにする。
そういえば千秋ちゃん(男性)がこの辺に住んでるのね、ということを思い出す。3月末までは今の私の部屋から見えるところに住んでましたが。
香椎を出ると、千早という駅に着く。
こんな駅が出来たことは知らなかった。しかも快速が停車して緩急接続している。向こうには西鉄の駅も並んでいる。なんかカルチャーショックである。
博多に着いた。ここで降りる。
先を急ぐため、ホームで車両はあまり撮影できなかった。階段を降りると 鹿児島(新幹線)の広告が 小西真奈美。思わず撮影。
改札を出て、地下に降りて地下鉄に乗る。
1996年に買った「えふかーど」というプリペイドカードがあって、全然使ってなかったんだけどこれがやっと使える。
改札機にえふかーどを投入。
来た電車(2000形電車)で天神まで。ここから、2005年に出来た七隈線に乗車するため、天神南駅まで歩く。途中の商店街で買い物をして欲しいため、改札外での乗り換え時間が2時間という。それくらい商店街が長い。正直、二度と乗り換えしたくないですね。
20:43に天神に着いて、天神南20:51発の電車にぎりぎり間に合った。
終点の橋本まで乗車。地下鉄は夜に乗っても昼に乗っても一緒なので、夜に乗りつぶせるからいいですね。
橋本から折り返し、渡辺通。近くのホテルに投宿。22時チェックインなのでキツキツでした。
東海道線の列車は終電まぎわ、金曜の夜だけれども酔客はあまりホームに見られなかった。いつしか24時をまわり、9/1 になっていた。
車内放送も終わり、音もなく駅に停まる。富士・静岡の駅では意識があった。
ホームに珍しく人がいるな、と思ったら浜松。
ちょうど数分あとに東京行きの夜行快速「ムーンライトながら」が来るようで、夜中の1時過ぎだというのに多くの人が列車の到着を待っていた。物珍しげにこちらの車両を見ていた。
発車してすぐに、その「ながら」とすれ違う。ほぼ満席で車内は減光もされておらず、よくあのような車内で寝ることが出来るものである。寝台車でも寝られないというのに。
もう寝れないんだよ by大泉洋
意識がなかなかなくならない。翌日の日中に眠くなっては困るので、何度も乗っているこの区間で是非とも寝ておきたいのだが。
バベルの塔を見逃して、名古屋に着いた。ここで運転停車する。煌々と電灯が灯ったホームには人がひとりもいない。
いつの間にか山越えの区間を走っている。ということは岐阜も過ぎ、また大垣も過ぎているだろう。大垣から関ヶ原までの区間、下り優等列車は垂井駅を通過しない別線を経由する。おそらくその区間だろう。
ところで、先ほど書いたとおり、東京発の下り寝台特急に乗るのは今回が始めてである。この別線を通るのは優等列車のみ。寝台特急の他に名古屋から北陸方面へ行く昼行の特急もこの経路を通るが、それらにも乗ったことがない。
ということは、この別線区間に乗車するのは、今が始めてということになる。
すっかり乗ったつもりでいたが、今まで(乗っていないことに)全く気づかなかった。下手すると乗り忘れになるところであった。あぶないあぶない。
深夜であるが、山越えの風景を楽しむ。関ヶ原駅を通過し、また意識がなくなる。
鉄橋を渡っている音に気づき、窓の外に目をやると新大阪・大阪間だった。
朝の車内放送に目が覚める。そろそろ岡山とのこと。外を見ると、平地を走っている。熊山の駅を通過した。いつの間にか岡山県に入っていた。
右手(右側の車窓しか見えないのだが)にディーゼルカーが見えて、やがて岡山に到着した。
ここで瀬戸とやくもが分割するため少し停車した。
次の停車駅は倉敷。チボリが右側(右側の車窓しか見えないのだが)に見える。こないだ岡山に来た際、倉敷の市内は観光したが、チボリは観ていない。ただ、ただの欧米系の遊園地っぽいなぁ。
伯備線に入る。381系の特急「やくも」が振り子制御を効かせて快走する区間である。 このサンライズは285系電車。同じく電車であるが、車体断面が車両限界ぎりぎりであるため、どう考えても振り子制御ではない。
夏の間に育った木々が茂り、建築限界どころか車両限界まで犯しているらしく、上階にあたるこの個室の窓に木々があたって、ときおり音を立てる。
伯備線の倉敷から総社までは、何度か乗った区間である。清音で右側(右側の車窓しか見えないのだが)に井原鉄道のホームが見える。ホームに人がいたので、見ると115系の上り列車とすれ違った。
新見の駅で停車。
次の布原の駅は、油断していて確認できなかった。さらに次の「備中神代」という駅名が示す意味をすっかり忘れて、ただの中間駅かと思った。左側の車窓は見えないため、分岐する芸備線には全く気づかなかった。
ときおり複線区間があるようで、そこですれ違ったりもする。また、先を急がない寝台特急よりも、「やくも号」の方が優先されるらしく、途中駅で行き違いのための停車をしたりする。貨物列車とも一度交換した。
車窓右奥(右側の車窓しか見えないのだが)に、大山(だいせん)が見えてくる。そして米子と境港の観光案内の放送が入った。
平地に入ってきて、右から(右側の車窓しか見えないのだが)山陰本線が近づく。向こうは非電化区間だが、電化の終端が見える。そして、伯耆大山を通過し、山陰本線に入る。あとは惰性のような感じで、米子に到着。
ここでいくらかの降客があった。また、向こうのホームで列車を待つ人が、珍しげにこっちを見ている。
右側(右側の車窓しか見えないのだが)に湖が見えてくる。
直江の駅を通過。
出雲の観光案内の放送が入る。ところで(ところが)、「出雲」が「いつも」と聞こえてしまい、最初何の放送なんか判らなかった。
そして定刻に終点の出雲市に着いた。
向かいのホームにとまっている、快速アクアライナー益田行きに乗り換える。2両編成のキハ125系。
混雑しているかなぁと思ったけれど、9月に入ったからか、若干の余裕が見られた。ただしボックスに相席となる。
太田市の駅でどっと空き、ボックスに空きが出来たので眺めのよい海側の席に移る。快速であるため、あまりにも小さな駅には停まらない。
今まで乗った区間で最西端だった、波子駅をすぎて、いよいよここから先が新規乗車区間となる。
中国山地を行く路線に比べると、線路まわりの状況はよい(路盤・雑草など)。特急も走っている区間であるからか。
ときおり右側の車窓から海が見え隠れする。北側なので、カーテンを閉める必要がないため景色はよく見えていた。たださすがに9月になり、夏も終わったということで砂浜に活気は見られなかった。
とはいえ、味気ない車窓よりはときおり海も見えた方が 興味が尽きない。
火力発電所の新線区間を過ぎて、やがて益田に着いた。
時刻表索引地図では大きく見えるが、そんなに大きな駅ではない。2面3線の駅に過ぎない。ここで40分ほど時間があるため、昼食をとろうかと。
駅前に比較的新しそうな、半官半民っぽい商業ビルがあった。和食の高そうな店があったけど、時間が足らなくなるかもしれ。あとは王将が1件あったな。それくらいか。
街をぶらぶらと歩いていると、益田市役所を発見した。昭和40年代の建築物であろう、かなり年期ものであった。また規模が意外と小さく感じた。
市役所のまわりは古い店舗などが多く、また「おばあちゃんの匂い」がそこかしこからしてきたのが謎である。
コンビニ ポプラ で昼食を仕入れて駅に戻る。
駅の売店で「妖怪汁」という缶飲料を売っていた。他にも何種類かあったけど、とりあえずこれを購入。120円。ただのジュースだけどね。
ちょうど折り返しとなる列車が入線してきた。
降りてきた客は、実に6人かな。山陰本線を西の方から来た列車で、ここから東に行く列車に乗り継ぐ人が大半であった。
で、乗り込む。キハ120 17という車両。の単行。0番台なので、オールロングシートであった。ロングシートに座って食事をするのもアレげなので、最後部に仁王立ちして、、外を眺めたり。
数駅目で山口県に入った。風景はかわりなく、小さな街と砂浜と、そしてトンネルと。
この列車でいちばん空いていたところで14人くらいだったかな。
東萩駅、ここでどっと乗客が増える。萩市の中心街は萩ではなく、ここ東萩らしい。 ほぼ満席となった。
「萩ロイヤルホテル」という大規模なホテルが車窓から見える。ガイドブックにも載っている、市内で一番大きなホテルなのだろうけれど、「萩」の部分が剥がれ落ちて見えなくなっており、「ロイ」の文字色が薄くなっている。いわば「看板」ともいえるホテル名が剥離状態であるのを放置してあるのをみると、どうも斜陽っぽく感じた。
萩の駅は何でもない小さな駅。
そのまま乗客は減らずに、終点の長門市駅に着いた。
海側から線路が合流し、何かなと思ったら仙崎支線であった。
ここからわずかな乗り換え時間で、山陰本線小串行きと美祢線厚狭行きに接続する。時刻表をみて日程を考慮した結果、今日は厚狭行きに乗る。
車両は同じくキハ120の単行であり、ここまでとの違いは車号が変わったのと、多少乗客が変わったくらい。
厚狭行きは向かいのホーム、小串行きは階段を使って向こうのホームであり、もすかしたら厚狭行きに乗り換える人の方が多いのだろうか。
かつて、石灰石を運ぶ貨物列車がよく走っていた美祢線。なので有効長が長い。
線路の頭上を越える、何かを輸送する設備(の廃墟)。思わず「萌えー」と発生するのを理性で押さえる。
美祢の駅。
かつて広かった構内。
頭上を通る設備から、列車に直接何か(石灰石かな)を積み込む設備が2つある。もちろん今となっては使われていなく、これにも萌えた。
右から廃線跡が合流し、南大嶺。大嶺〜南大嶺の支線が廃止になったのは、そう昔ではなかったと記憶している。
厚狭に着いた。美祢線をあっさりと完乗する。陰陽連絡線の中ではおそらくいちばん短いのでは。
ここから、宇部線に乗る。宇部線は厚狭の2つ隣の宇部駅から出ている。さらに+10分待つと、宇部線直通列車が来て宇部での乗り換えの必要がないけれど、その10分が待てず、すぐに山陽本線上りに乗ってまずは宇部を目指す。
この区間、確か山陽本線の複線の他に貨物線があったのかな?と思って車窓を見ていたけど、どうも違ったみたい。小野田を経て、宇部に着いた。
ここで3分の連絡で、宇部線に乗り換える。直通列車よりも1本早い列車になる。105系の2両編成の新山口行き。非常に空いていた。
小野田線の分岐駅、居能をいったん過ぎて宇部新川で降りる。ここから、この駅始発の小野田線小野田行きに乗り換える。
一つ手前の、居能駅でも乗り換えられるのだけれど、せっかくなので始発である宇部新川駅まで乗り、1駅間が復乗となる。+10分あとの列車では、宇部新川での折り返し時間が2分となって慌ただしい。もっとも、居能でも乗り換えられるけど。
宇部新川始発の小野田線小野田行きは、クモハ123の単行であった。クモハ123-3という車両。単行でまかなえるとは、それほど乗客が少ないのだろう。
しかし、クモハ123(123系電車)に乗るのはずいぶん久しぶりである。1995年に長野県の中央本線(辰野経由)で乗った時以来のような気がする。
2/3くらい席が埋まった状態で宇部新川を発車。次の居能で数人乗客があった。小野田線に入ると、駅に停まるごとに、少しずつ乗客は減っていく。
数駅目の雀田の駅で降りる。ここから、長門本山まで小野田線の支線が出ている。この支線がなかなか乗りにくい路線で、列車が朝夕にしか運転されていない。そのため、朝か夕方にここに来る必要があった。乗るのは夕方の2往復目ということになる。
長門本山行きは、同じくクモハ123の単行。-4 という番号であり、すなわち 1234 という番号が順に並ぶ、珍しい車両である。
乗客は、オイラを含めて6人。ただし一つめの、唯一の中間駅で3人がおり、あとは3人となる。いずれも同業者であった。
17:20に終点の長門本山の駅に着いた。非常に小規模な終着駅である。汲み取り式の便所と、小さな待合室があるだけ。向こうの方でこの列車を待っていた同業者が1名いた。
折り返しまで25分ほどある。あまりにも何もない駅なので、時間をもてあまし気味ではある。駅と、停まっているクモハ123とを撮影する。
かつては、ここは旧型国電(クモハ52だっけ)が走っていた。それが新性能電車であるクモハ123に置き換えられたのは、そんなに昔の話ではない。
その車両(クモハ123)は、おそらく阪和線羽衣支線に103系(3連)を投入し、玉突きで捻出したのかな。宇野線の宇野支線もクモハ123の単行だったと思うけど、これは今でもクモハ123だったかな。
この駅からは海が近いらしい。駅に降りたときに潮の匂いがした。観光案内図によると近くにビーチがあるらしい。
駅前から、少し向こうに海が見える。西へ少し歩くと海が近づき、やがて公園のようなものがあった。入ってみると、ここが先ほどの地図に載っていたビーチであった。
朝夕に数往復しか運転されていない電車でビーチに行く人はいないだろう。とりあえず、写真を撮って雰囲気を楽しむ。さすがに夕方で、泳いでいる人はいなかった。
列車の本数は先述の通り非常に少ないが、小野田行きのバスが道路を通過していった。こちらはある程度本数はあるらしい。
長門本山の駅に戻る。同業者が5人(オイラをあわせて)に増えている。先ほど乗ってきた3人と、あとは到着時に向こうにいた1人、そして(おそらく)小野田発のバスで来た1人かな。
ただ乗っていた3人のうち、1人はバスで小野田に向かうようで、向こうのバス停にいた。しかし、先ほど通過したばかりであるため、そんなにすぐには来ないだろう。
また、もう1人乗っていた同業者。機動力に欠けるスーツケースを使用していたのは如何かと思うが。駅周辺で写真を撮りまくっていたが、発車時刻が近づいても乗る気配はなく、どうやら列車には乗らないようである。
とうわけでオイラ以外は異なる同業者、計3人で復路の雀田行きは17:45に発車した。
…と思ったら必死の形相でスーツケースの同業者が駆け込んできた。しかし、運転士はそれに気づかないのか、何事もなかったかのように列車は発車した。
失礼ながら、あまりにも必死な形相に大笑いさせていただきました。あと1往復あるからいいものの、これが最終電車だったらどうするつもりなのだろう。殊に閑散線区に於いては、時刻の確認は必須である。
しかし「スーツケースで乗り鉄」なんて聞いたこと無いぞ
雀田まで戻ってきた。10分ほどあるので、駅周辺を散策。本山支線は扇形に分岐するが、その真ん中に駅舎がある。また、山口東京理科大学の看板がある。この駅が最寄りらしい。山口なのか東京なのか、判りにくくて仕方がない。
宇部新川行きを見送る。この列車から降りて、本山支線(最終列車)に乗り換える同業者が多かった。先ほどどこかの区間(美祢線?)で見かけた同業者の姿も。
そして10分ほど待つと、小野田行きが来た。単行だけれど、比較的空いていた。クモハ123-5 という車両で、-3, -4 とは若干違って車端部に席があった。すなわちドアが真ん中に寄っているのだろう。
18:05発。まだ外の風景は見える、闇潰しにはならなかった。いくつかの駅に停まり、終点の小野田に到着する。この時点で小野田線を完乗となった。ただし日は沈みかけており、これ以上線区を稼ぐのは無理である。
明日は、途中まで乗っている宇部線を新山口方向に乗ることにしている。当初、山陽本線の宇部・小野田・厚狭駅近辺でホテルを探していたのだが、あまりいい宿がない。厚狭駅前に1軒あったくらい。
検索をすると、どうも宇部新川近辺が市街地らしく、何軒か安宿がヒットする。山陽本線より支線の宇部線の方が栄えているのは意外である。
どこもあまり変わらないようなホテル(値段が安く、価格相応)だったんだけど、1軒 泊まった人の感想が、ほとんどよかった という宿があった。そのためそこを予約した。
そのため小野田から宇部新川に向かう。宇部線は時間がよくなく、乗っていた小野田線でそのまま折り返すことになる。
先ほども乗った区間であり、また闇が迫っているので車窓の風景を見る必要はない。そのため、車端部の席に座る。この席、ワンマン運賃収受機のそばなんだけど、窓がつぶされているのね。旅程を日記としてPCに記す。
宇部新川まで戻ってきた。外はすっかり夜となる。
ホテルは徒歩3分とのこと。駅前にあった案内図に従って行くと、すぐに見つかった。昭和50年代の雰囲気がする。数年前、高知県の中村で泊まったホテルと似たような感じ。
チェックインする前に、晩ご飯を仕入れに行く。踏切を渡ったところにスーパーがあるそうで、行ってみたらあった。投げ売り状態になっていた食料を購入する。
このスーパー、もともと魚屋が大きくなったのか、魚介類が安かった。都会で買えば 1,000円くらいしそうな、珍しい切り身などが 380円。近くに漁港でもあるのかな。
ホテルは「ビジネスホテル新川」。
内装も50年代っぽい作りで、まぁ一晩寝るだけだからいいか、と覚悟を決める。
1泊朝食付きの 5,250 円を払って部屋に入ると、内装は平成一桁台の普通のホテルであった。部屋の中では、建物が昭和50年代に立てられた、ということを意識するようなことはなかった。これでこの値段なら値打ちものであろう。
また、アダルトビデオチャネルが見放題という。視聴料収受システムを導入する体力がないのか、かといってアダルトビデオがないホテルは客が寄りつかないのか。
朝まで大音声でアダルトビデオを楽しむ。
思いもがけず、ネットに繋がった。
ただいま予定どおり、順調です。帰りは7日になるかなぁ。6日のホテルをまだ検討中。
旅立ちは金曜の夜となる。
定時ダッシュで帰宅。簡単に晩飯をとったあと、荷物をまとめてから出かける。
先も述べたとおり、今日は夜行列車(寝台特急)で旅立ちとなる。この寝台特急は横浜に停まるが、運賃・特急料金(・寝台料金)とも始発の東京から乗っても同額である。そのため東京から買っている。途中駅である横浜で深夜に列車を待つよりは、ゆっくり待てる東京から乗りたい。
そのため、まずは東京駅へと向かうことになる。東京駅まで1時間弱かかるけど、念のため余裕を持って2時間ほど前に出る。
最寄り駅から上りの電車に乗りこむ。
ここで交通情報を見ると、上野駅で小火(ボヤ)騒ぎがあり、京浜・山手線が抑止されているとのこと。東京駅までは京浜線で向かう予定だったので、不通が長引くようだと、たどり着けないおそれがある。
そのため、代替経路である三田線で大手町まで向かおうかと思い、小杉で向かいに停まっていた「三田線直通急行西高島平行き」に乗り換える。
ところが、さらに交通情報を見ると、京浜山手線は復旧したとのこと。
当初の予定どおりに向かうことにし、次の多摩川で降りて地下の多摩川線のホームへと向かう。
停まっていた蒲田行きは、「池上線80周年」の装飾をした 1012x3 の編成。昔は日比谷線直通に使われていた車両である。
平日の下り(20:26多摩川発)だというのに、空席もあるような混雑度であった。東急の他の路線に比べると、どうも東急多摩川線は空いている印象が強い。本数が過剰とまで思えるくらい。
蒲田まで11分くらいで到着となる。今日の17時?で終わった、仮面ライダー電王スタンプラリーの案内がまだのこっている。
駅下にある東急ストアで食料を仕入れる。今や夜行列車は乗車する前に食料を準備する時代である。この時間に東京駅で駅弁の類が残っているか、と考えると危ういところであり、今のうちに準備しておく。
京浜線の改札を「都区内発」のきっぷで入り、停まっていた京浜線に乗り込む。荷物が重いためふつうの通勤電車は乗りにくく、6扉車両の車端部に荷物を置く。サハ208-8だったかな。
品川で東海道線に乗り換える。時間に余裕もあるし、また京浜線と違い、東京駅までで混雑するようなこともない。
東京駅に着いたのは、21:15。食料を売っている店を見る。辛うじて残っているというレベルであり、これは買っておいてよかったですな。
入線までまだ時間があるため、銀の鈴でしばし座って待つ。
ホームに上がると、やがて列車が入線してきた。寝台特急「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」号。7両+7両で14両編成。
決められた個室に入る。2階建て車両の上階であり、いわば上段。景色を見下ろすこととなる。
まだまだ新しいイメージがある。ただ内装に経年劣化は見られる。開発にあたりミサワホームと共同で設計を行ったような話を聞いたことがあるが、これはひどい。三沢がけちったのだろう。
寝台特急、それも個室に乗るのは高知に行った帰りに岡山から(やはりこのサンライズ)乗ったとき以来のような気がする。
客車列車のような衝撃もなく、ゆっくりと発車する。
併走する京浜線の車内を見つつ、いつもの東海道線をいつもでない車両で下っていく。
夕方あれほど眠かったのに、興奮してしまったのか、寝れない。
ちょうど22時にホテルに着きました。さすがに余裕がないですね。
今日は4つの線区を完乗しました。
とりあえず、今回の旅行記を書いておきます
(序)
夏休みをいつとるか、いろいろ考えていたのだけれど、9月の第1週がよいのでは、と思い至った。
ただし、青春18きっぷの有効日は 9/10 までであり、また発売は 8/31 までであるため、日数の調整に融通がきかない。
前回、和歌山で購入した5日分のきっぷは1日だけ使用しており、4日分が残っている。そのためJRに乗るのは4日間となる。今回は、その4日間+αで乗り残した線区を乗ってしまいたい。
落ち穂拾い的な感じではなく、ある程度まとまった地域、あるいは一筆書きのようなかたちで乗り残している区間が多い。何回かまとまった休暇が取れれば日本の鉄道を完乗できるだろう。そのために、確実にその地域の鉄道を乗り終えておく。
春に3週連続で東北に行っており、北の方角はあと北海道の一部路線くらい。今回の目的地は西の方となる。
未乗区間を効率よく回るルート選定を、時刻表を見たり見なかったりしながら調べる。初日(1日目:9/1)に始発の新幹線で距離を稼ぎ、降り立った地点から 青春18きっぷを使用しはじめるプランを立てた。
このプランだと、4日分の日数には若干足りないため、3日目に特急+新幹線を使用する必要がある。それでも3日目の宿に着くのが22時頃となる。
そこで、新幹線ではなく前日(8/31)発の夜行列車で向かう案を思いついた。予定を立て直す。3日目にやはり一部区間で新幹線を使用する必要はあるものの、3日目の宿に着くのは19時頃。
新幹線のキップなら確実にとれるけれど、夜行列車(寝台特急)だとどうかなぁと。サイバーステーションでも寝台特急には対応しておらず、また駅の MV機 でも見れなかった。
そのため仕事帰りにみどりの窓口に寄ってみる。
B1ソロは満席だったものの、B1シングルが残り22席くらい残っていた。1,000円くらい高くなったけれど、シングルをとった。
これが出発2日前の水曜。
とりあえず数日分の予定を立てて、その予定にそったホテルの予約をする。
昔は 6,000 円くらいだと安いホテルだったのだけれど、最近は 5,000 円クラスでも、特に遜色がないホテルが多い。
ホテルを決めるにあたって重要な項目を優先度順に記す。
特に重要視するのが、実際にそのホテルに泊まった人の感想だったりする。
今日は2つの線区を完乗しました。
夜行で明けて午後7時までなので、ずいぶんと乗っていた気がします。
明日はホテルに着くのが22時になる予定なので、厳しそうですゎ。
宮福線を乗り終え、これから宮津線に入ろうというところですが、またまた旅立ちとなりました。
そのためこの旅行記もいったん中断となります。沖縄も止まったままだし、全然進まないなぁ。
ただいま寝台特急に乗っております。
来週まるまる夏休みということで、未乗線区をつぶしておこうかと。
「青春18きっぷ」の残りが4日分であるため、9/1〜9/4でJRの線区に乗り、あとはどうしようか思案中。
現在のところ、9/3までのホテルは予約したので、その予定は決定。
帰りは9/7(金)を予定しているんだけど、詳細な予定が立たない。
立てるヒマがなかった。