2001年4月6日(金)

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ワラス滞在。
「チャビンへの長い道。」

にしても、チャビンは遠かったですね。4000m超の峠を越えていくわけですが、この位置にある遺跡がペルーの北部海岸地域まで影響を与えていたということはすごいことですね。距離だけでなく、山を越えないとたどり着けないわけですから…。

で、チャビン・デ・ワンタル自体も3,400mと高地にあるのですが、途中で立ち寄ったケロコチャ湖の標高は3,850mとこれまた富士山の頂上よりも高いところですね。湖の周りには5,000mを越える山が囲んでいるので、これほど高地にいるという感覚はあんまりないですよね。で、風がちょっと強かったりするのですが、気持ちいいところでした。

さて、8時出発所要10時間というツアーのはずなのですが、全員を集客終わったのが9時前。で、山道をだらだら登ったため、昼食場所に着いたのは14時(^^;;本命の遺跡を見る前ですからねぇ。帰りがそぉーとー遅くなるのはその時点で覚悟しました。

15時ごろから遺跡を見初めたのですが、早足で見ることも無く、じっくりとガイドして周ったので2時間以上かかりました。ガイドの話では最初の石版?以外は全て本物らしいです。で、3000年前という古い遺跡なのですが、一番の見所は地下室になると思います。いくつかある地下室のうちの一つに主神体のランソンと呼ばれる石塔があります。ここだけ、柵で囲まれて近づけないのですけど…。そうそう、スペイン語で説明された中で一つだけ印象的に残っているのは、ココの遺跡が7という数字にこだわっている(というか、7という数を神聖化してた?)ことですね。石の窪みも7つだし、模様の絵も7つずつだったり、他にもいくつかあるようなので、ココに来たら少し意識してみて欲しいものです。他にも下まで続いていない階段があったりしますけどね。

で、そんなこんなでチャビンを後にしたのは17時を過ぎていました。当然途中で暗くなるのですが、普通車同士でも離合できないほどの細い道なわけで、少し広いところで待ったり待ってもらったりしながら、進みました。夜の方が交通量が多いのではと思わせるくらいたくさんの車とすれ違い、また抜かれました。参加者24人ということで、29人乗れるマイクロバスだったのですが、上り坂を登る能力的にはしんどいようでしたね。ホテルに戻ってきたのは21時30分(^^;;18時過ぎに帰ってくればネットをしたり食事をしたりするつもりだったのに、とてもそういう気力は無くて、部屋にあったカップラーメンを食べただけで床につくことに。