2001年4月21日(土)

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プーノ滞在。
「一日でプーノを見るということは…。」

ようやくやってきたティティカカ湖なのですが、観光としては今日の午前中だけになってしまいました。つまり、ティティカカ湖の観光は午前中に行ったウロス島で終わりということです。

ウロス島とは、ティティカカ湖に生えてるトトラという葦を使って作られている島々のことです。日程が迫ってきていて、とても島巡りに二日も三日も使えないという現実もあって、半日で済ませられるウロス島に行くことにしました。送迎バスで港まで連れて行ってもらうのですが、船に乗ったとたんいきなりフォルクローレを演奏する若者たちが乗ってきて演奏します。1・2曲弾いただけで降りていくのですが、もちろんチップ目的なのは間違いないですね。全然払わない人もいるので、払いたくなければそれでいいのでは。自分以外が払ってるのに払わないというのは、辛いかもしれませんが。

で、ウロス島と呼ばれる島々はたくさんあるのですが、通常半日ツアーの場合三つの島をまわります。あの、歩くだけですこし沈むような感覚は微妙なので、ぜひ行って歩いて欲しいものです。行ってみて何があるかというと、特に何もないといえばそうなのですが、お土産が販売されているのと、ティティカカ湖の生物の剥製などが置いてある博物館みたいなものがあることくらいですかね。それぞれの島には人が住んでいるので、(豚だけが乗せられている超小さな島もありましたが(笑))学校や教会がある島もあるようですね。学校がある島は見に行きました。で、ウロス島内の移動は、現地で通常使われているトトラ船に乗って移動します。別料金でS./3.00とられちゃいましたが。ちなみに、帰りもホテルまで送ってもらえるのですが、メルカドをのぞいてみたかったので、歩いて帰りました。別に何も買ってないけどさ。

で、午後はシユスタニ遺跡に行きました。午前中があまりに暑かったので薄着で行ったのは失敗でしたね。ま、午後の方が風が強くなるというのと、遅くなって暗くなってしまうのと両方で…。本当に寒かったですね。さて、遺跡はプレインカからインカにかけてずっと墓地として使われているところです。全体からすると圧倒的にプレインカの墓地の方が数が多いのですが、どうしてもインカの墓地の方が大きいし石組みもきれいで目を惹きました。大したことではないですが、途中の路上にLAN PERUという航空会社の看板があったのですが、Aが付け加えられてALAN PERUとなってました。ALAN PERUというのは、FUJIMORI氏以前の大統領で今回決選投票に残ったアラン・ガルシアのキャッチフレーズなのですね。

これで、ペルー観光はおしまいですね。残り3週間で3ヶ国ってのは、しんどいですねぇ。どこまでまわれることやら。