Keisuke Hara - [Diary]
2003/06版 その2

[前日へ続く]

2003/06/11 (Wed.) 数学に必要なもの。鉛筆と紙、コンピュータ1台…そして、屑かご

12時30分から「積分論 I」。 Jordan 分解、絶対連続、特異など。 Radon-Nikodym の定理と Lebesgue 分解の主張だけを説明して、 証明はこれから後二回くらいかけて行う予定。 続いて M1 ゼミ。完全守秘性など。 今日の「Y 田通信」は昨日の J.P.セールの記事の Y 田先生による日本語訳。 帰りのバスで楽しく読みました。

夜はチェロを弾いた後、少し勉強。 つひに「確率解析」(重川一郎)を読了。 ノートを取りながら全部をフォローした(ノートは5冊)。 ちなみに感想は、関西弁で言ふと 「どないせえっちゅうねん」と言ふ感じ。 この気持ちを簡潔に伝える言葉は標準語には存在しない。 目標は楠岡-Strook の論文(Part 2)の解説で、 本当に山のように精密な評価を積み上げて、 ある一つの数学的対象が非退化であることを示すのだが、 まあ何と言ひますか…どないせえっちゅうねん。 私にはこんな数学は絶対真似できないし、 この本の前書きにあるやうにこれを「解析学の醍醐味」 と感じる所にまでさへ、私は至つてゐない。道は遠い。

明日の夜は私用にて神戸で会食のため、次回更新は明後日。


2003/06/12 (Thurs.)


2003/06/13 (Fri.) 死者と生者と

昨日、雨の神戸の某ホテルにて、 ロビーのチェステーブルの前で、 甲殻類のプレートは何かな…とか考へてゐたら、 携帯電話に父から連絡。 きたな、と思つたら、やはり、 私の祖母が一時間ほど前に死んだとのこと。

概して、死者は迷惑なものだ。 葬儀は迷惑のかけ納めのやうだが、 普通は本人が望むものではない。 生者の死者への恐れがほどほどに迷惑をかけられたい、 そしてそれで済ませてしまひたい、と願ふのだ。 私が死んだら、紙屑と一緒に翌朝、街角に捨てて欲しいと思ふが、 それこそ、生者達への傲慢であり迷惑と言ふものだらう。

結局、週末をかけて実家方面で通夜やら葬式やらになりますので、 次回の更新は不明。


2003/06/14 (Sat.)


2003/06/15 (Sun.) 恐るべき娘達は何人?

週末を通夜とか葬儀で費す。 葬儀の感想は現代のエンバーミング技術は凄い、 と言ふことと、 老人のものとは言へ人間の骨つて燃すと脆いんだな…くらいか。 あとはかなり久しぶりに親戚たちに会つたことくらいが事件。

亡くなつたのは母方の祖母ではあるが、私達と同居してゐたので父が喪主で、 父方の親戚などもたくさん来てゐた。とは言へ、 葬式では男は立つてゐるだけなので、女が目立つ。 父は四人兄弟(全員男)で、その奥さん、 つまり私の伯母や叔母(*1)たちは、 それぞれにタイプは違ふが皆なかなか綺麗である。 特に一番上の伯母は美人で、 私が物心ついた頃から、つまり二十数年以上、 外見がほとんど変わらないのだが、一体幾つなんだらうか… いくらなんでも六十以下ではないはずなのだが。 その伯母が「寿司屋と言へば、 京都のホリディ・インの一階にある回転寿司屋が安くて 美味しいから一度行け」と教へてくれた。 私は京都に住んでゐてもほとんど出歩かないので、 他の地域に住んでゐる人から京都情報を教はることが多い。

妹には数ヶ月ぶりくらいに会つた。 随分と痩せて顔も小さくなり植物的な雰囲気になつてゐた。 私の顔は母似、妹は父似と長い間言はれてゐたのだが、 最近は二人とも母に似てゐると言はれる。 私も妹も二人とも独身なので、どの親戚にも早く結婚しろとか、 式は京都がいい(?)、とかうるさく言はれて、 話を切り上げるのに大変であつた。特に母が昔、 洋服を納めてゐたブティックの経営者のおばさんが昔から五月蝿い。 自分は独身の癖に他人の縁談が趣味なのである。 隙あらばポケットからトランプ型の携帯見合ひ写真集でも取り出しさうだ。 私がまだ学生の頃にさへ、 私には14歳だか15歳だか年下が相性が良い、 丁度良いお嬢さんがゐるとか熱心に薦めてゐた。 六歳で良いお嬢さんも何もないだらうにと思つた記憶がある。

*1: 常識クイズ:伯母と叔母の違ひは何でせう?


2003/06/16 (Mon.) 答:7 人

昨日のタイトルクイズは「7人」。理由はパット・マガー。 日本初訳では「恐るべき娘達」と言ふタイトルだつた。 今は「7人のおば」と改題されてゐる。 常識クイズの答はもちろん、「両親の姉が伯母で、妹が叔母」。 どちらが年上なのか忘れがち。 某 A 社の S さんは「伯夷叔斉(ハクイシュクセイ)」(*1)と覚へてゐるさうである。 でも「シュクイハクサイ」だつたかなあ、などと思はないのだらうか。

京都も滋賀も雨。先週末からの疲れが取れず、 ふらふらしながら雨の中を出勤。 京都駅で買つたパンを食べながら正午から院生の自主ゼミ。 伊藤積分の拡張など。 続いて卒研 A チーム。多次元の確率分布など。 続いて卒研 B チーム。両端を条件づけられた線分上の熱方程式など。

夕食は自宅。 作つておいたトマトソースとアンチョビで茄子を炒めてパスタ。 食後は Williams の提出原稿作り。 今日で演習問題のところも終了し、本文の提出原稿は完成。 あとは我々訳者が追加する予定の付録の章が残つてゐる。

*1: 伯夷と叔斉は周の武帝に仕へた兄弟。 武帝が殷を倒さうと出陣したとき、 二人して武帝に立ちふさがつて不義を訴へ諌めた。 殷が滅ぼされ周の天下となつてからも、 周に仕へることを潔しとせず山に入つて餓死。


2003/06/17 (Tues.) ABRACADABRA

曇。湯の中にゐるやうな蒸し暑さ。 生協で昼食をとり、正午から「確率過程論」。 D 微分 と Skorohod 積分の局所性、 Ornstein-Uhlenbeck 半群の導入。 続いて「計算機数学」。暗号系の定義。 シャノンの完全守秘性。続いて、某委員会の会議。 通常なら M2 ゼミのあるところだが、 会議のため明後日の個研での打ち合はせに振替へ。

Y 田先生から Williams の付録につける予定の ABRACADABRA 問題(*1)の説明の原稿を受け取る。 もう一つ Williams の中で扱われてゐる「羊の問題」 の詳細も付録にする予定。 これは A 堀先生が作成したものらしいが、 現在私がチェック中である。 (ちよつと嘘。本当はこれからチェックする予定。)

帰宅はかなり遅くなつたが、 最近御飯を食べてゐなかつたので、 無理に米を炊いて、麻婆豆腐を作つて食す。 夜は Malliavin ノートの作成。 先週末から慌しくて時間が作れなかつた。 ようやく先週の講義でやつたところまで作成。

*1: 猿がでたらめにタイプライタを叩いて、 ABRACADABRA とタイプするまでの時間の期待値を求めよ、 と言ふ問題。Williams の演習問題より。


2003/06/18 (Wed.) 大進歩

昼は「積分論 I」。一回の講義時間全部をかけて Radon-Nikodym の定理を証明する。 講義をしてゐるとそれを聴講してゐる方の雰囲気も伝はつて来るものだが、 この講義は未だかつてないほど熱心に聞いているやうで、正直驚いてゐる。 講義の前後の学生たちの会話を聴くに(私はとても耳が良い)、 あまり分かつてゐないやうではあるのだが、 分かろうとする熱意が、部屋の前半分くらいには感じられる。 実際、雑談の内容を(地獄耳で)聴くには、 分からない部分が相当に高度化してゐる模様だ。 また、最近学生から非常に良い質問を受けた。 その学生は以前、確率論の講義で、 膝が抜けるやうなわけのわからない質問をしてゐたのだが、 驚くやうな大進歩である。 某元ヴァイオリニストの数学者のやうな激しい成長は例外中の例外としても、 やはり二十歳前後の年頃は、 数週間くらいで別人のやうに大成長してゐる可能性がゼロではない。 一方、私くらいの年になると、突然、カツネント大悟シテ、 急に偉くなるなどと言ふことはない。 もうそんな速度でインプットできないのである。

講義の後は M1 のセミナー。続いて教室会議。 懸案のカリキュラム改訂についての議論が長びいて帰宅は遅くなつたが、 冷や御飯があつたのでキムチと炒めて炒飯にする。

上の元ヴァイオリニストの数学者の逸話。
ある大学でヴァイオリンを学んでゐた W 君は、 成績優秀のご褒美として一年間、 他大学で専門以外の勉強をし見聞を広めることが許された。 W 君が選んだ大学はたまたま当時、 量子力学の大革命の嵐が吹き荒れる研究センターでもあつた。 W 君がそこの学生に「今何が流行つてるの?」と聞いたところ、 誰もが「量子力学さ」と答へるので、 W 君も量子力学の講義を受けることにした。 W 君は講義の後、教授に質問した。
「私は○○大学では最優秀だつたのですが、 先生の講義が一言も分かりません。どうしてですか?」
「まあ、これは今、最先端の研究内容だからね」
「いえ、さうではなくて、記号の一つも何も理解できないんです」
教授はやれやれ、と思ひながら答へた。
「ああ、そりゃ講義を理解するには、少なくとも、 微分積分や代数は、言葉として必要だよ」
W 君曰く、
「その微分とか積分とか言ふのは、 先生の講義のやうに最先端の内容なのでせうか。 既に教科書などもあるのでせうか?
ここに至つて教授は愕然とした。 この学生は微分や積分の存在すら知らなかつたのである (音楽専攻だからあたり前だが)。 教授は微分積分などの初歩の教科書の名前をいくつか教へた。

そして、後に数学者となつた W 氏、つまりホイットニーの回想によれば、 「その三週間後、講義の内容が徐々に分かるやうになり、 セメスタの終わりには完全に理解してゐた」 のである。


2003/06/19 (Thurs.) 黒白のパリティ

昼からファイナンスシンポジウム開催準備のミーティング。 海外からの招待講演者の選定など。 午後は事務用や、M2 の院生の進展具合を聞いたり。 途中、少し時間が空いたので、 GNU Chess の 5 分指し切りモードでコンピュータとチェスをする。 逆色ビショップ(*1)のエンディングになり、 時間切れではあつたが事実上ドロー。 疲労困憊で絶不調かと思つてゐたら絶好調だ。 私は calculation (読み)が遅いので、 未だ 5 分モードで GNU Chess に勝つたことはない。 事務用を終へて、図書館で少し調べものをして論文集を一冊借り、 今日は早めに帰宅。夜は茄子のパスタ。 先週末からばたばたとしてゐて、やうやくほつと一息。 その間チェロも弾いてゐなかつたので、 肩ならしと指ならしにスケールなど基本練習。

*1: 逆色ビショップ:異なる色のマスにいるビショップ。 エンドゲームで互いに一つずつ残つたビショップが逆色の場合、 ポーンの数や配置に少々差があつてもドローになり易い。 パリティが異なるため、 ビショップたちが全く相互作用しないからである。


2003/06/20 (Fri.) 実数は数へられない

葱と豆腐と卵の味噌汁とキムチの昼食を取つたあと、 倒れて午後一杯、睡眠。 しかしそれで特に何事もなく夕方、目覚めた。 睡眠不足だらうか?先週末から疲れてゐるのに、 昨夜、気になることがあつて、 つい夜更かしをして計算してしまつたのが良くなかつたらしい。 しかも結果は無駄な計算だつた。 とりあへず特に用事もない日で良かつた。 夕食はオムライス。オムレツはたまに作らないと腕が鈍るので。 オムレツは全工程が1分くらい、 手早さだけが要点の料理なので、 しばらく作つてゐないと手際が悪くなつて下手になる。

最近、「実数」についての話を良く聞く。 この前の教室会議のカリキュラム改訂の議論では、 「実数をどこでいかにしてどこまで教へるか」と言ふ話が出てゐたし、 ある非専門家の方から、実数が非可算無限個あること、つまり、 無限個は無限個でも番号をふれないほど沢山あること、 を背理法を使はずにどう証明するかについて悩んだ、 と言ふ昔話を聞いたりと、奇妙にこの一週間で実数の話を何度も聞いた。 で、その実数だが、非常に難しい概念なので、 やはり学生にはなかなか分からないだらうな、と思ふ。 また、これはキリのない話でもあり、 どこまで分からせれば良いのか、と言ふ問題もある。 私にはとても判断のつかない難問ではあるが、 一つには専門家が持つてゐる「実数と言ふのはこんなもの」 と言ふ「直観」をどこまで伝へられるかがポイントなのではないか、 と思つてゐる。

例へば、実数が非可算無限個あること。これは普通、対角線論法で証明する。 つまり、「もし実数が可算個しかないとすれば、 それを番号づけて、上から順番に書き出して表にできるが、 1番とは1桁目が違ひ、2番とは2桁目が違ひ、…、 と n 番とは n 桁目 が違ふ実数を考へると、 これはこの表には載ってゐないことになるから矛盾」とやる。 この証明は鮮かだが、こんな素晴しい証明を思ひつかなくても、 (専門家なら)いつでも、泥臭く示せる。例へば、 「実数が加算個しかないとし、それぞれに少しの幅を持たせて開区間にすると、 それらの(加算)和集合で実数全体を自明に被へる。 実数全体の部分集合として長さ 1 の閉区間を勝手に取つてくると、 この区間は先程の和集合で被はれてゐるのだから、 明らかに(*1)、開区間の幅の合計は 1 以上である。 しかし、各開区間の幅はいくらでも良かつたのだから、 十分小さくとれば合計の長さもいくらでも小さくできて、矛盾。」

後者の「証明」は、実数に関連する概念たちの内どれをより基本的にするか、 によつては証明になつてゐないかも知れないが、 私自身が、実数が非可算個あることについて、 「だつて、それは明らかでせう」 と言ふときの根拠のイメージの内の一つではある。 つまり、有理数など可算個のものは少し膨らませたところで、 無視できる程ささやかなもので、実数はもつと大きい。 私だつて実数とは本当のところ何かと言ふのを、 今そらで説明しろと言はれても多分、完璧には出来ない。 しかし、私は実数の様々な横顔を知つてゐるのであつて、 それで十分なのではないかと思ふ (数学者としてはちよつとマズイかも知れないが…)。 微分積分や位相の基本教育についても、 その程度のことを理解させることを目指すのが、 まあ現実的なのではないかと愚考する。

高木貞治のあるエッセイによれば、あるドイツの数学者が、 ドイツでは学生全員が微分積分の教育を受けることについて嘆くには、 「クラスの半分は教室を間違へたと思つてさしつかへない。 5パーセントは自分で分かる学生で助ける必要がない。 問題は残りの45パーセントをどう教へるかだ」と言つたさうである。 しかし、私の聞く話では現在の R 大学での現状は、 ほぼ全員、教室を間違へたと思つてさしつかへない、 のであり、5 パーセントの例外的学生は常に存在するが、 「問題の45パーセント」は激減してゐる。そこが問題である。

*1: 実際は「明らか」でない。正確に言へば、 Haine-Borel の被覆定理より特にその中の有限個で被へて、 その有限個の区間の長さの和が 1 より大きいので、 主張が従ふ。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
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