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とぜんそう98年5月分

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98/05/02

『モーニング新マグナム増刊』に「ネオ・デビルマン」が2本掲載されていた。いろいろな漫画家にそれぞれの世界観で新しい「デビルマン」を描かせるという企画で、これまでに岩明均、石川賢、江川達也らの作品が登場している。今回、一人は私の知る限り初の女性で夢野一子、もう一人は永井豪本人。しゃれにならないような気が……。

永井版のほうは、「デビルマン」本編の発端と結末を補足したもの。予定では本編はもう少し長くなるはずだったそうで、今後も機会があれば描きたいとのこと。私としては、部分的にまあごにょごにょではあるものの、今の形で十分物語として完結してると思うので、余分な書き足しはしないほうがいいような気がしないでもないわけではないと思わなくもないこともないかもしれない(どっちだ)。

夢野版……うーん、いきなり新井素子の『ひとめあなたに』に出てきた「チャイニーズスープ」の主人公の女性を思い出したりして。こういう作品はやはり女性でないと無理なのか。

98/05/05

懸案だったIE4の不具合対策のためのWindows95の再インストールをようやく敢行した。

まずはHDDのデータ類をMOにコピー。これに時間がかかると踏んでいたのでここまで放置しておいたのだが、予想通り半日以上かかってしまった。

続いて、インストールフロッピーとバックアップCD-ROMを使ってWindows95の再インストール。これは特に問題もなくとんとんと進む。で、この後がもうひとつの山、ソフトの再インストール。バックアップしたデータや設定をHDDに書き戻してからインストールしないと、初期設定をもう一度やらなくてはならない。おまけにインストール用のディスクを探したりしないといけないし。あーめんどくさい。

何とか夜中になってインターネット関係のツールとIE4.01だけインストール。インターネット接続の設定を終わっていざ接続。結果、これまでアクセスできなかったページも無事見ることができるようになった。

途中、ISDN用のターミナルアダプタのマニュアル掲載の設定が以前の設定と違っていたのでとりあえずマニュアルどおりにしてアクセス成功。さてはこの設定が原因かとも思ったが、その設定を元通りにしてもちゃんとアクセスできる。

結局原因は不明。何だったんだろう?

98/05/06

IE4のアクセスの不具合続報。その後HDDを圧縮ドライブにしたり、いくつかのアプリケーションをインストールしたりしてみたが、現象は再現せず。

{まだインストールしていない|もうインストールするつもりのない}ソフトやドライバとの食い合わせが原因かもしれないが、圧縮ドライブの再圧縮中に電源が切れたり(おーい)、何度も何度も何度もマウスカーソルさえ動かない状態になったりしたときに、何らかのファイルが破壊され、それがたまたまIE4.01の経絡秘孔を突いてしまった可能性も否定できない。

まあ、HDDの掃除もできたことだしこれでまだしばらくは使えるなっと。


「人まね」という言葉がある。

恐らく人に尋ねたらたいていは「人の真似をすること」だと答えるだろう。だが、果たしてそれは正しいのだろうか。

「猿まね」という言葉がある。

「人まね」が「人の真似をすること」なら、「猿まね」は「猿の真似をすること」でなければおかしい。いーえ、反論は許しません(嘘)。時に人の真似ばかりすることをからかって言うこともあるがそれは譬喩で、本来は猿が人の真似をすること。となると、さっきの「人まね」は「人真似をすること」だということになる。しかし、その解釈はそのまま敷衍できるのだろうか。

「物まね」という言葉がある。

「猿まね」が「猿が真似をすること」、「人まね」が「人が真似をすること」なら、「物まね」は「物が真似をすること」に違いない。実に論理的である。けれど、残念ながら江戸屋猫八の真似をする鶯なんてものにはついぞお目にかかったことがない。

うーむ、奥は深いし道は遠いぞ(笑)っておこう、念の為。

98/05/11

先日、中部地方にあるカレーハウスチェーン店・CoCo壱番屋に行った。量も辛さもお好み次第ということで、量は250グラムから、辛さは甘口・普通・1辛・2辛などが選べる。

注文を終えてテーブルを見渡すと、調味料などが並んでいた。塩、ウスターソース、福神漬け、飛び辛カレースパイス、醤油……。そう、全国的にはどうか知らないが、愛知県ではカレー専門店にも醤油を置いている。むろん、カレーライスにかけるため。

名古屋あたりではカレーライスにはウスターソースではなくて醤油をかける習慣があるそうな。まあカレーうどんではカレーに出汁を混ぜるわけだから、そう突飛なことでもないのかもしれないが、しかしカレーライスに醤油って、ううむ。

会社の同僚の話では、ソースをかけるより味がまろやかになるそうだけど、せっかく塩を使わずに辛さを出している料理にわざわざ塩味をつけることもないような。たんに私が醤油苦手なだけか?

だいたい、名古屋にあるオリエンタルカレーという会社では、ソース付きカレー「ソースね」とかいうのを売り出している割に、そのCMでは「カレーにソースだ、男の子」「やめれ!」なのだ。三重県在住の某PUGさんの話では、ウスターソースは甘いから、辛くするには醤油だそうだが(それって、同僚の唱えるまろやか説と対極みたいな)。

あと、本で読んだ話では、カレーの調味料には漢方薬が多いので、味が物足りないと感じたときは粉末の漢方薬を振り掛ける人もいるとか。

皆さんの地方ではいかがでしょうか?それとも、いっそくりりんさんに調査を頼んだほうがいいのかも(笑)。

98/05/16

インド発祥の食文化たるカレーに異文化のウスターソースや醤油をぶち込む話に腹を立ててか、インドが地下核実験を実施。

フランスのときに倣って、抗議のためにカレーと仏教とレインボーマンの輸入を制限しましょう……しまった、どれもこれも他の国でアレンジしたものばかりじゃないか。

98/05/19

カレーにかけるものの話ですが、現在までのところこんな具合。

●原則として何もかけないが、味が足りないと感じたときは醤油(三重県出身)
●塩&胡椒がいいなぁ(千葉県在住)
●ガラムマサラとか、シナモンとかココナッツミルク、あとチャツネ^^;(石川県在住)
●この年になったらタバスコかなあ、というのはおいといてソースです(福岡県出身)
●わたしゃかけないんですけど周囲はソースだ(福岡県出身)
●醤油は隠し味と理解してましたが、食卓ではソースしか掛けませんね(住所不明)
●隠し味の醤油は別として、かけるのはソース(岐阜県在住)
●よっぽどまずいカレーならソース(名古屋市出身)

ちなみにウスターソース自体が、醤油を見た外国人が本国に帰って開発したものだとの説もあるそうで。初期のものには醤油も入っていたとか。

まあ、日本のカレーの基本たるカレー粉自体イギリス人の発明だし、インドには「カレー」という言葉そのものがなかったともいわれているんだから、おいしく食べることができれば何でもいいということでしょうね。

ところで、もし天つゆが手元にない場合、てんぷらにはいったい以下略。

98/05/21

東大寺千手堂の火災報道で、NHKが昨夜は「あいぞめみょうおう」と「愛のコリーダ」が懐かしい呼び方をしてたものの、今朝のニュースでは「あいぜんみょうおう」にしていた。

ややこしいと思ったのが愛染明王坐像とともに名前のあがった鑑真像。朝日新聞と中日新聞によると、東大寺千手堂にあるのは「鑑真和尚坐像」で、マイクロソフト・エンカルタ97で調べたところ、唐招提寺にあるのが「鑑真和上座像」。唐招提寺のものしか知らなかったので、新聞を読んだときには混乱してしまいましたとさ。


なるほど、「食べるか食べられるかの死闘」とか「主役を食べる演技」ではぞっとしませんね>今週の「お言葉ですが…」


細田さんのページで紹介されていた言語学のお散歩を最近ぼちぼち読んでいる。とてもとても面白い。で、中にこんなことも書いてあったりして。

 インド人が日本のカレーライスを食べて、おいしいですね、これは何ていう料理ですかと聞いたという。本物とは似て非なるものなのである。

98/05/24

さて、てんぷらの話。

あれを書いた直後に兄からメールがあった。なんと、三つの地方の情報を含んでいるではないか、ありがたや。それを含めて今のところこんな具合。

▲学食で天ぷらにソースをかけたら(三重県出身)
▲「この子、天ぷらにソースをかけてるよ」とおばさんに言われた(神奈川県在住)
▲下宿に帰り、友達に話すと「ソースかけるよ、なんでおかしいの」(山口県出身)

このあたり、岡山県の「ソースカツ丼」(汁と卵のカツ丼ではなく、カツレツとキャベツにドミグラスソースをかけた丼料理)と何か関連があるのかも。長野県あたりでもカツ丼といえばソースカツ丼だそうで(いわゆるカツ丼は「卵カツ丼」とか呼ばれてるらしい)、それぞれの地域で天つゆ以外に何をかけるのか興味深いところ。

▲天麩羅にこそ醤油でしょう(笑)(「カレーライスには醤油」派の三重県出身)
▲醤油と大根おろし。なければソースでもかまわない(愛知県出身)
▲塩。関西風のうどんつゆにつけて食べるのも好きだ(千葉県在住)
▲醤油だなー。カレー粉もいいです(石川県在住)
▲醤油です(東北地方在住)

てなところで、東のほうでは醤油主流らしい(こんなサンプルで結論を出すなって)。ついでに尋ねた目玉焼きでもソース・醤油・塩胡椒など意見が分かれている。


またしてもマクラも振らずに「お言葉ですが…」関連の話をしてしまったが、今週号の『週刊文春』掲載分では、ある女性からの手紙に「食べず嫌い」とあったことから、最近は「食う」はよくない言葉で「食べる」が正しい表現と思われているらしい、そのうち「食う」が駆逐されてすべて「食べる」になってしまうのではないか、という話題が展開されていたというわけ。

で、「主役を食べる」話とくれば手塚治虫の『ジャングル大帝』だけど(強引な転換)、テレビの「ジャングル大帝」は国産初の連続アニメ番組でもある(さらに強引)。

当時はまだカラーテレビはあまり普及していなかった。カラー番組も少なく、たまにカラーだと画面のすみにこれ見よがしに「カラー」と表示された。今の「音声多重」とか「ステレオ放送」「ハイビジョン」「クリアビジョン」の表示のようなものだけど、当時は「色付きテレビ=金持ち」という認識があり、白黒画面に「カラー」と表示されるたびに「やーい、貧乏人」といわれているような気がしたものだ。

で、そのしばらく前には音付き番組に「トーキー」、画面付き番組には「絵付き」という表示が画面の端っこに(嘘)。


言語学のお散歩、相変わらず楽しく読んでいるが、これが少し気になった。

 直木賞の直木三十五という作家を知っている人は少ない(僕も作品を読んだことがない)かもしれないが、彼は毎年名前を直木三十、三十一、三十二…と変えていたが、そのうち、面倒になって三十五で止めてしまった。

私も直木三十五の作品は読んだことないけど、角川文庫から出ていた『日本史こぼれ話』に直木三十五のペンネームに関することが書いてあった。それによれば、毎年ひとつずつ数字を増やしていったところ、「三十六」になったときに編集者が書き間違いだと思って「三十五」に戻してしまい、爾来「三十五」で固定されたそうな。

さて、どっちが真相なのでしょうね。

98/05/26

SFの小道具のひとつに「スローガラス」というものがある。入ってきた光を一定時間おいてから反対側に通す性質を持ち、製造工程で通過時間を自由に調整できるという御都合…、もとい、面白いガラスである。

12時間もののスローガラスを窓にはめ込んでおけば、昼には夜の、夜には昼の風景が見える。たとえば窓の片側をこのガラス、もう片側を普通のガラスにしておけば、一日のほとんどの時間片側の窓から昼の光が入るので照明代の節約になる(せこい)。ただし、夜に両方の窓から陽光を入れようと両方をスローガラスにして窓を閉じておくと、昼間は夜の闇しか映らないので照明が必要になってしまう。

あるいは、たとえば10年後に光を通すガラスをリゾート地などに置いておき、10年後に高層ビルの最上階の窓に移せば、10年間高層ビルの最上階から窓の外にリゾート地を見ながら暮らせる。しかし、はめ込むときに表と裏を間違えると大変である。

パロディとしては、吾妻ひでおの「女性の部屋の浴室に使っていた曇りスローガラス」が秀逸。

ところで、今朝のNHK総合テレビ朝のニュースによると、ガラス業界ととある大学が協力して「光るガラス」を開発したという。

これまでは光を当てるのをやめたあとに光るものといえば、蛍光塗料など不透明なものしかなかった。ところがこのガラスは透明なガラス自体が光るようになっている。光のエネルギーをガラスの内部に蓄えておき、しばらくしてからエネルギーを放出するようにしてあるそうな。

色別・時間別に光が蓄えられるようにできるなら、スローガラスまであと一歩だ。

98/05/28

若乃花は不知火型の土俵入りだそうである。

あくまで風聞に過ぎないけど、実は雲竜型より難しいから敬遠する横綱が多いのだとか。確かにせりあがりのときに両腕を広げるより片腕を違う形にしていたほうが収まりがいいというか、見ていて安心感がある。

でも、三人とも雲竜型になってしまうし、という若乃花のあのキャラクターなら問題もなかろう。がんばって、お兄ちゃん。


『週刊少年サンデー』の「ファンシー雑技団」(黒葉潤一)で「サウンドトラック」の略称が「サントラ」であることに疑義を呈していた。「サトラ」ではないのか、と。

同じ伝で行くと「パーソナルコンピュータ」の略称も「パソコン」でなくて「パコン」になる。事実、パソコンの通称が「マイクロコンピュータ(マイコン)」から「パーソナルコンピュータ」に移っていったころ、「パーコン」こそが正しい略称だと主張していた人たちもいた。

しかしそうなると、朝日新聞連載の小説「平成三十年」(堺屋太一)に登場して一部で作者の思惑を離れたところで受けを取っている「パソエン(パソコン・エンタテイメント)」は「パーエン」にしなくてはならない。身も蓋もないというか、はまり過ぎというか……。

98/05/31

さらに「パーコン」の話。

このごろ若い人の中には「パソコン」をさらに縮めて愛称っぽく「パソ」と呼び習わす向きもあるが、もし「パーコン」のほうが普及していたとしたら、愛称は「パー」ということになる。

「うちのパー、最近調子悪くってさー」
「まったく○○○のパーはどうしようもねーな」
(○○○には任意のパソコンメーカー名が入ります)

案外、パソコンメーカーが必死で「パソコン」という呼称を定着させたのかもしれない。


世界禁煙デーだそうである。

私自身は10年以上前に煙草をやめてしまっている。直接の契機は風邪で喉をいためて1週間煙草を吸えなかったことで、3日煙草を吸わないとニコチンが体から抜けてしまうため、あとは吸う習慣をなくして(煙草を持ち歩くのをやめた)それでおしまい。あっけないぐらい簡単に吸わなくなった

間接的には、身近に煙草に意地汚い(ように見える)人がいたことがあるかもしれない。私は酒の席以外では、舌がおかしくなるからできるだけ食事前の喫煙は控えていたし、先に食い終わっても他の人が箸を置くまでは火をつけないようにしていたが(くどいようだが酒の席は別。楽しむための場で禁欲は罪だ)、その人は他の人の料理が出てきても自分の分が来るまでは吸い続けたし、自分が箸を置くと隣の人がまだ食っていても煙草を取り出した。風邪をひいても、内臓が飛び出すのではないかと思うような咳をしながら煙を吸い、さらに激しく咳き込む。そんなありさまを見ているうちに、煙草を吸うことがひどくみっともないことのように思えてきたのかもしれない。

禁煙を考えている人は、周囲のヘビースモーカーを観察するのも手であろう。もしくは「世界でもっとも獰猛な動物」の看板よろしく、煙草を吸うときは鏡を見ながらとか。


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