とぜんそう98年11月分

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98/11/01

今日の讀賣新聞朝刊で、私大経済学部の学生に小中高の学校教育で習う算数・数学の問題を解かせたところ以下のような正答率になったと報道されていた(下の画像が問題の一部分、表は記事を元に作った正答率)。

経済学部学生に出題した問題の一部

偏差値上位の私立大偏差値中位の私立大偏差値上位の
国立大
入試で数学を
入試で数学を
選択せず
選択した
選択せず
選択した
問1(小学校)
一桁の加減乗除
86%
96%以上
82%
82%程度?
92-96%?
問2(中学二年)
連立一次方程式
77%
96%以上
56%
94%
92-96%?
問3(中学三年)
二次方程式
28%
96%以上
13%
77%
92-96%?

記事は、数学が必要とされる経済学部などには入試科目に数学を課すか高校での履修を条件にするよう求める大学審議会(文部大臣の諮問機関)の答申をこの調査結果が裏付けているとし、さらに初歩的知識の繰り返し学習の必要を説いている。

ちなみに、試しに自分でやってみたところ、問3だけはブランクが祟って半分間違いで(平方根の符号を勘違い、と書けばわかる人にはわかるでしょう)、あとは解けた(正解はこちら)。学校を出てから十数年間数学に縁のない生活をしていた人間に解けるというのに、現役学生が一桁の加減乗除すらできないというのはちょっと深刻かも。

初歩的知識といえば、今日の朝日新聞に16歳の女子高校生の投書が掲載されていた。この人、ある漫画のせりふに感銘を受け、「日本語というのはすごいと思う」、「(こんなすごい)日本語は誰が作ったんだろう」、「私は日本語の持つ響きが好きだ」、「それは日本人しかもてない喜びなのだろうか」、「日本人の誇り、そんな言葉の響きもうれしいものの一つだ」、と、日本語を褒めちぎり、そのすばらしさを謳いあげている。

自分自身の高校時代に照らしてみると、なんと感性豊かなんだろうと思わずにいられない。そのころの私と来たひにゃ「丸い卵も切り様で四角、ものも言い様で角が立つ」とか「後悔を先に立たせてあとから見れば、杖をついたり転んだり」なんて表現を見つけては、言葉っておもしろいな、と楽しんでいたのである(失笑)。

しかし、この人が感銘を受けたという「日本語」が問題。以下、投稿の冒頭部分。

 この前読んだある漫画に、「げるとむは、“しんにょう”と“てへん”が違うだけだ」とあった。
 それを読んで私は、妙に納得してしまったのだが、こういうことがあるたびに、日本語というものはすごいと思う。
 一体、日本語誰が作ったのだろう。全くすごいと思う。(略)

 「げる」と「む」は紙一重なのだと。逃げるならば挑もうと。
そういった日本語で、勇気づけられることがしばしばある。(略)


この人、高校に入るまでに(一部の例外を除いて)漢字を作ったのは中国人だと教わったことがなかったのだろうか。感受性がすばらしいだけに、こういった基礎知識の不足がまことにもって残念至極。

ちょっと前に『ほめそやしたりクサしたり』(高島俊男、大和書房)という本を紹介したが、この中に著者のところへ「傘という字の語源について書いてもらいたい」「『傘』と『笠』とは字もちがい、モノもちがうのに、どうしてどちらも『かさ』なのか、そのあたりのことも」書いてほしいという依頼が来た話が紹介されている。

「『傘』は支那語をあらわす支那文字であって音はサン、日本語の『かさ』とは本来なんの関係もない。あとで日本人が勝手にカサと読むことにしただけです」などと説明しているうちに相手が「よく考えてあらためてお願いします」ということになって、結局それっきりだったらしい。これも漢字と日本語を混同している話。しかもりっぱな社会人。

先の投書への皮肉というわけでもないだろうけど、同じ朝日新聞の日曜版「いわせてもらお」(最近愛読しているのである)にこんな投稿があった。

言葉の種類
英語教師の夫の車に、小学一年の息子と乗った。カーナビのアナウンスが英語に切り替えてあり、それを聞いた英語嫌いの息子はパニックに陥り、「ひらがなで言って!」


せっかく、今時珍しい(?)日本語好きの女子高校生なのに、肝心の基礎を押さえていないばかりに小学一年生と同列の笑い話に堕してしまうなんてのは、惜しいなんてものじゃないよね。いったい日本の教育はどうなってるんだか。あるいは、投稿欄の担当者ももう少し配慮してほしい(まさか、その人も知らないとか?)。

そうそう、最初の讀賣新聞の記事に「『解の公式』を覚えていないと解けない中学三年生向けの二次方程式」と書いてあったけど、実際には覚えていると解くのに手間がかからない程度のもの。私自身、連日数学の授業を受けていた高校生の頃には、定期考査で虚数解の公式を失念してしまったために試験時間中に公式を導き出して解くというとてつもなく無駄な努力をしたこともあるし(大失笑)、今回の問3にしても、符号を勘違いしたとはいえ正解のところに書いてある解の公式は使わずに答えに行き着いている(x^2+2ax+a^2=(x+a)^2 を知ってれば、割と簡単)。

これは、記事を書いた人の数学基礎知識の不足?

98/11/06

P2プラモのパッケージ本田技研の開発した人型二足歩行ロボットP2のプラスチックモデルを購入。二足歩行機械は卒研での最終テーマだっただけに(まだまだほんの入り口だったけど)、P2の歩く姿を見たときの衝撃は大きかった。まさか二本足で階段を下りるとはなー。

P2の足跡それが模型化されたということで、さっそく手に入れてみた。まだ組立には入っていないが、接着剤もいらず、カラーパーツだけでかなり実機に近いものになるという。興味のあるかたにとっては、添付の資料写真集だけでも買う価値はあるだろう。尚、資料写真集の裏表紙にはお約束の足跡が描かれている。至れり尽くせりである。

で、後輩に「久しぶりでプラモデルを買ったぞ」というと、「リアル・ロボットですか?車系ですか?」。答えに窮した。「実在のロボット」という意味ではまさしくリアル・ロボットなのだが、そう答えるときっと誤解するからだ。

やむなく「ジャンル分けすれば車系に入る、あまりリアルじゃないリアル・ロボット」と教えた。後輩の頭の上にでかいが浮かんでいるのが見えた。


中米を襲ったハリケーンのニュースで、テレビニュースのアナウンサーが「ホンジュラス政府などでは、状況が把握されるにつれ、被害がさらに大きくなるものと見ています」と話していた。「調査が進むにつれて被害が拡大する見込みです」に比べればまだましな表現だが、じゃあ状況を把握せずにほっておけば被害は小さくてすむのか、という根本的疑問は残ったままである。


「目途」を「もくと」と読むなよー>NHKのアナウンサー

98/11/08

正座して一席うかがうP2一通りホンダのロボットP2の模型を組んでみた。面倒なので継ぎ目を埋めたり塗装したりはなし。フレキシブルコンジット(屈曲配管。ほら、エイリアンの躰にくっついていた管とか(日本製)、モビルスーツ・ザクの足についてたやつ)に見立てたスプリングを切る工具がないので、そこもまだ。

必殺かかと落としを繰り出すP2片腕で肩3・肘2・手首2の7自由度、片足で腰3・膝1・足首2の6自由度、全身で26の自由度を持っている。他に、ものをつかむために指の開閉もできる。当然、模型はプラキャップを使ってポーズをつけるだけだが、写真集と見比べてみた限りでは形状はかなり実機に忠実みたいである。膝とすねには地面につけたときのためにパッドもついているところを見ると、実機も左上の画像のように正座できるのかもしれない。足が痺れる心配がないあたり、人間より出来がいいかも。

Y字バランスに挑むP2ただ腰の部分が、足の前後、左右方向の開閉、付け根から真下の方向を軸とした回転、の三つしか自由度を持たないため、右上の画像のようにかかと落としはできるが、腰のひねりを使う回し蹴りは不可能と思われる(ローキックは可)。

また、某誌でできると紹介されていたY字バランスも、ごらんのように模型では可能だが実機だと足の付け根の部分が干渉してしまって無理みたいである。

ところで、単純に考えて実機は26個のサーボモータを持っていることになる。調整用のボスがつくというあたりから、たぶん押し当て原点復帰方式の絶対値方式。となると、背中にしょっているのはバッテリばかりではなくてサーボアンプ26台、まさかメインコンピュータで全部制御はしないだろうから(反応速度の問題もあるし)それぞれのコントローラ……うーん、モータ容量は小さいんだろうけど、よく収まったなあ。

98/11/12

路上観察シリーズ(いつの間にシリーズ?)。

出張の途中、名阪国道のおそらく道路状況などの表示をする電光掲示板にオジギビトのアニメーションを発見。ほぼ躰を起こした状態、やや上体を下げた状態、さらに上体を下げた状態の3パターンが連続的に表示されていた。

「オジギビト」というのは『愛のさかあがり』(とり・みき、角川書店)の「街角のオジギビト」と銘打ったシリーズに登場した言葉で、工事現場などに立っている「ご迷惑をおかけします」などと書かれた看板に添えられた、主にお辞儀する姿の絵のこと。どれも同じように見えるが、よくよく見ると「直立不動型」「見得切り型」「ベンケイ型」「モタレ型」などに大別できるものの、各タイプでも微妙に違っているかと思えば異なるタイプ間で共通する特徴が見られるなど、かなりバリエーションがある。

私が以前近所で見かけたものでは、お辞儀をしている作業者の代わりに馬にまたがった騎馬武者が描いてあって、さすが桶狭間古戦場の近くであるなあ、と感心したものだ。

今回見つけたオジギビト・アニメは、直立不動型でヘルメット着用、正面からのお辞儀姿、さらに、アニメーションの特色を生かして、一番上体が上がった絵では目が開き、お辞儀すると目を伏せるというものだった。

うーん、ハイテクやなあ(失笑)と思っていると、工事渋滞に辟易しているご様子の同乗者曰く「頭の下げ方が足りん」。


ちょっと前に『蚤のサーカス』(藤田雅矢、新潮社)を読了。

大阪万博が冷害による不景気で延期になったという設定からすると1970年頃を時代背景に設定した空想冒険小説。最初は牧歌的に始まり、二人の少年が町にやってきた蚤のサーカスを観覧するあたりから、あなたの目はあなたの躰を離れてこの不思議な時間の中に入っていくのです。

ひさびさに小説を読んだような気がする。年代的に少しおかしいのではないかと思う部分もあったが(当時の新幹線の営業運転速度は時速250キロじゃなかったような、など)、けっこうおもしろく読めた。

特に、主人公の少年たちの昆虫趣味が昔の自分に重なって、何とも懐かしい。小学校時代、近くに塾も何もなかったから、学校が終われば毎日野を山を海辺をかけずり回り、田圃や畑を手伝いに出かければ、休憩時間には草っ原や小川、溜池に住む生き物を飽きもせずにのぞき込んでいたものだった。

後半、話は一気にミステリアスになり、最後の方は昔読んだ江戸川乱歩ばりの妖しく摩訶不思議な世界が展開していく(ただし耽美趣味とエロスは出てこない)。このあたりは一気読み。

惜しむらくは挿し絵が趣味に合わなかったこと。物語のイメージぶちこわしだった(個人的趣味の問題なので、私だけかも知れないが)。

98/11/13

昨日の分、「オジギビト」についての説明を中心に加筆・修正

それにしても、『愛のさかあがり』が「天の巻」「地の巻」と出たとき、次はてっきり「人の巻」だろうと思っているところへ「無用の巻」。思わず天地がひっくり返りましたよ、頭の中で。

確か現在ちくま文庫に入っているはずなので、興味のある方はご一読を。

98/11/15

17日の夜から18日の明け方にかけて獅子座流星群が見られるそうである。

流れ星が消えるまでに3回願い事を唱えると願いが叶うということから、早口言葉の練習をしようという人までいるらしい。

本番では、舌をかんだり、早口言葉をそのまま唱えたりしないよう注意しましょう。「赤巻紙青巻紙黄巻紙」や「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」が実現してもどうにもなりません。


今朝の讀賣新聞の投書欄に61歳の男性からの投書が掲載されていた。仕事を辞めたら読みたいだけ本を読み、好きな山に登り、ゴルフも楽しもうと考えていて、定年退職後にほぼその通りの生活を一年続けてみたが、「逆に一抹のむなしさを覚えることもあり、戸惑うようになっ」たそうだ。そしてこう続けている。

 これは一体何だろう。自分はやはりじっとしていられないたちなのか。楽あれば苦ありと言うが、幸い体は健康なので何か人に役立つ仕事を見つけ、もう一度社会復帰しようかどうか迷っている。


いわゆる働き過ぎ世代の方だと思うけど、遊んでいるよりは社会に貢献したいという考えは尊い。また、そのことで精神の安定が得られるならご本人のためでもある。

で、気になるのは「楽あれば苦あり」。確かにそういう言い回しはある。「世の中楽なこともあれば苦しいこともある」とか「楽なことをしていると後で苦しい思いをする」といった意味。けど、この文脈でいけば「楽をしたあとは苦しい思いをしよう」あるいは「楽をしているのは却って苦しい」ぐらいにしか読めない。

投書した人の勘違いか編集者の要約の間違いなのか、あるいは私が知らないだけでそういう意味もあるのか、いったいどういう狙いで入れてあるのだろう。ちょっと心に引っかかった表現。

98/11/17

勢いで「広辞苑第五版CD-ROM版」を購入。

EPWING規格ということなので、DDWin32 Ver1.56で読んでみようとしたがなぜか見出し検索ができない。バージョンが古いせいかと思ってDDWin Ver2.08(Windows95/NT)を起動してみたものの、今度は「索引が存在しない」。ぬう、広辞苑第五版が「(EPWING規約第5版準拠)」なのに対してDDWinが「EPWING規約Ver.1」対応なのが敗因なのだろうか。

やむなく付属の辞書検索ソフト「ことといLight」をインストールしようと、取扱説明書に従ってインストールディスクをセットした。説明通りなら、自動的にセットアッププログラムが起動するはずである。が、CD-ROMを認識した以外はいつまでたっても 何も起こらない。いきなりトラブルである。

仕方がないので、CD-ROMの中の適当なディレクトリにあったsetup.exeを、たぶんこれだろうとろくに確かめもせずに起動してみた。いくつかの入力項目に答えていると(なぜか「会社名」に空白文字でも何でもいいから入れないと先に進めなかった)、ようやく取説に載っている画面が登場。

さて、次はどうやるのかなと先を読むと、「ただし,多連装CD-ROMドライブでは,セットアッププログラムが自動的に起動しない場合があります.このような場合は,『マイコンピュータ』でインストールディスクをセットしたドライブのアイコンをマウスの右ボタンでクリックして下さい.ポップアップメニューが表示されます.その中の『自動再生』を選択すると,セットアッププログラムが動きます.」

多連装というわけじゃないけど、そんな解決方法があるなら先に書いておかんかい、と思いつつも試してみるが、メニューの中に「自動再生」が見あたらない。やはりこれは多連装ドライブのみのコマンドなのだろうか。

さて、何はともあれ「ことといLight」を起動。俗物たる自分としては、まずは鳴り物やら色物に走る。「メニュー検索」から「音声」を選択して「交響曲」の中から適当な作曲家をクリック。おお、奏でる奏でる。交響曲演奏のボタンを押すとちゃんとパソコンのスピーカーから音がでてくる。

が、いくつかの楽曲を再生しているうちに、ボタンを押しても音が出たり出なかったりするようになった。一度音が出たものはいいのだが、出ないものは何度クリックしても出ない。そのうち、未再生のボタンのどれを押しても音が出なくなってしまった。パソコンを再起動しても現象は変わらない。さっき再生できなかったものが再生できたり、再生できたものが再生できなかったりするだけだ。ソフトのせいなのか、私のパソコンの環境のせいなのかは不明。

鳴り物の次は色物、ということで、動画を試してみた。mpeg-1ならソフト再生できるはずだと思ってやってみたら、動画の最初の部分が出たところで止まってしまい、しばらくたつと再生画面が緑色になってそのまま「応答なし」。

こちらの方は、「ことといLight」の[オプション]−[環境設定]で「動画再生にActiveMovieを使う」にチェックを入れることで解決。ついでに、「標準文字組みを縦組みとする」もチェック。こうしておくと検索結果本文が縦書き表示され、書籍版の雰囲気が味わえる。半角文字は字が横向きになってしまうけど、心なしか横書きよりも読みやすい気もする。

続いて、色物のうち「色見本」。約240種類の色が収録されているということで、色の名前を眺めるのも楽しい。

色見本・肌色中に、先頃某筆記用具メーカが表記をやめた「肌色」が入っていた。私みたいに鈍感な人間は幼稚園児の頃から単なる記号的呼び方だと思っていたのだが、この色を「肌色」と呼ぶと肌がこの色でない人への差別になるという人が多いのだそうだ。気詰まりな世の中になったもんである。

念のために書いておくと、「肌色」を収録しているからといって広辞苑が差別的というわけではなく、JISで「肌色」という呼び名が決まっているのだそうだ。某筆記用具メーカでは今後この色をペールオレンジだとか呼ぶそうだが、そうなるとなぜクレヨンなどにその色が入っているか、どんなところに使うのか、理解に苦しむ子供が増えそう。

色見本・肉色ところで、少し前から『週刊宝石』に 菜摘ひかるさんのエッセーが連載されている。その名も「恋は肉色」。さて、その肉色とはどんな色かというと、こんな色。

なんだか肌色に似てるなあ、と思ったあなた、なかなかお目が高い。画像の色の名前の下に何かアルファベットや数字が書いてあるのが見えると思うけど、これはマンセル記号というもので、うちの会社あたりだと塗装色の調合などのときに利用する。

マンセル‐ひょうしょくけい【―表色系】‥ヘウ‥
アメリカの画家マンセル(A. H. Munsell1858〜1918)が考案した色の表示体系。色素を色の3属性、すなわち色相・明度・彩度に従ってそれぞれ3次元座標軸内の1点に対応するように配列する。
(広辞苑第五版CD-ROM版より)


色見本・オレンジと橙早い話、この記号が同じなら色も同じということで、ごらんの通り「肌色」と「肉色」は全く同じもの(ただし、同じマンセル記号でも「オレンジ」と「橙」では若干色合いが違っている。理由は不明)。つまり、菜摘さんの連載は色だけで見ると「恋は肌色」といっても問題ないことになる。まったく、語感というのがいかに大事かよくわかりますね。

いっそのこと、某筆記用具メーカは「肌色」を「肉色」にすればよかったのに。人間なんて一皮むけば以下略。

98/11/18

夜中を回ってから街灯の少なそうなところを探して数分間獅子座流星群を眺めてみたが、確認できた流星は2個だけだった。寒いからというので車の外に出なかったのも敗因かも知れない。おまけに眺め始めてじきに東の空に雲が広がってしまい、早早に引き上げる羽目に。

それにしても、もうオリオンが見える季節なんだなあ。


諸般の事情で(単なる本末転倒。事情を知っている人は現在ただ一人)『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小林よしのり、幻冬舎。以下「ゴー宣戦争論」)を読んだ。

ごくおおざっぱにいうと、現代日本人の公共心のなさや親兄弟を含む自分以外の人間とのつながりの弱さ、倫理観の欠如、さらには第二次世界大戦に関わるあらゆることを否定する風潮に対して、自身の体験や大戦当時の手記・手紙・文書などの資料を基に大戦を肯定、戦後アメリカが持ち込んで普及させた個人主義を否定し、国家という「公」を「個」よりも優先すべしと説く本。

一通り目を通してみての感想は、漫画としてはよくできているしとてもおもしろいけど、ドキュメントとしてはどうなんでしょか、といったところか。

確かに、あの戦争の原因をそれまでの風潮に求め、それを否定することで過去への反省や再発防止とする考え方が、国への忠誠心と同時に、生まれ育った国や地域への愛着や他者への敬意と感謝、親兄弟や親族への愛情までひっくるめて切り捨てさせてしまい、それが結局現在の殺伐とした世の中を作り出す一因になったと私自身は理解している(他にもいろいろあるだろうけど)。もしかすると、基本的にこの本からあまり遠くないところに私はいるのかも知れない。

しかし、現在の日本が間違っているのは戦後の日本が間違ってたからだというのは頷けるとしても、だから戦前の日本をすべて否定した行為もまた間違いで戦前はすべて正しかったというのはちょっと違うのではなかろうか。読んでいて、現在の否定とあの戦争の肯定を結びつける必然があまり感じられなかった。

ところで、この作品ではおおむね排斥したい意見の人を醜く、賛同する意見の人の顔は凛々しく描いている。漫画としてはごくふつうに使われ、かつ大いに効果を期待できるテクニックだが、文章だとかなり露骨にやらないと同じ効果を得ることはできない。このへんは「絵」の強みだ。そういう意味では漫画というメディアをうまく使っている作品ともいえる。

しかしこれ、実は作中で暴いていた残虐写真のトリックと似たようなテクニックでもある。「ニセ写真などの洗脳情報を的確に見抜きツッコミを入れるんだ!」と作者(に擬した登場人物)は言うが、「ニセ写真」を「絵の与えるイメージ」に置き換えればこの作品にも当てはまりそうだという「ツッコミ」も可能かも知れない。


『劇画バカ一代梶原一騎読本〜13回忌メモリアル〜』(日刊スポーツ出版社)を買う。影丸穣也、藤原敏男、真樹日佐夫、高森篤子らのインタビューや名言集、劇画原作者募集記事、『週刊ゴング』に掲載された「一騎回想録」などが収録されている。

まだ一部しか読んでいないが、「あしたのジョー」には雑誌掲載されたラストの続きがあった話などがあり、興味深い。物語としてはそっちの結末の方が落ち着くのだが、漫画としてはちばてつやのあのラストの方がいいだろうと私も思う。ここでも漫画と小説の表現手法の違いが。


Yomiuri-OnLine(http://www.yomiuri.co.jp/index-j.htm)の「社会」欄にこんなのが。

◆野球クラブで「現代の名工」

 野球グラブ製造 ****さん 65歳(大阪市都島区)


タイトル一覧で見て、クラブ活動で名工ってのも変だと思ったら、うーん。

98/11/21

「結界」が一定範囲の中に他者を寄せ付けない防御用の道具という意味で使われてるのを初めて見たのは、白戸三平か横山光輝の忍者漫画だったと記憶している。「蚊幕」とかいう毒を塗った小さな釣り針みたいなのをたくさん吊るした糸を、防御範囲の周りに張り巡らしておく方法。

その次に本来の意味と違う使われ方を見たのはやはり忍者漫画で、手下を自分の回りに配置しておいて、敵が近づこうとするのを排除するのを「結界」と呼んでいたような。

その後、かなり時間が開いてからなんだか霊的儀式を執り行ってる回りにいくつかの霊具を立てておいて、その範囲に儀式と関係ない人間が入ろうとすると弾かれる話を読んだと思う。確か漫画だったと思うけど、タイトルなどを忘却。1980年代だったか。

って、どこの話題への反応なんだか。


お笑いパソコン日誌によると、シャープがWindows95/98用のワープロ「パワー書院」体験版をIME付きで配っているという。早速拾ってきて、例の変換を実験。今回は項目を追加しているので、その辺りも味わってくださいませ。

で、今日のこの文章はその書院IMEを使って書いているのだが、「ん」のローマ字入力が「nn」ではなくて「n」であるため、例えば「範囲」を変換するために「hanni」とやると「はんに」になり「hani」だと「はに」になってしまったりで、非常に使いにくい。また、ローマ字入力からアルファベットに変換するためのキーがヘルプを見ても分からなくて、いちいちIMEをオフにしている。

さらに対応する括弧の入れ子どころかにすら変換しないし、[/]キーや記号入力で「?」を入力できない(現時点では入力方法がまったく分からない。今回は他のIMEで入力)などの不都合もあるため、このバージョンを使うのはこれが最後になると思う。

ただ、変換精度はそこそこよさそうだし、一度変換した文節を頭の記号とかかなで補完変換もしてくれるので(例えば一度「かける」で「欠ける」を変換すると、「か」一文字の変換候補に「欠ける」が入る)便利な人には便利かもしれない。

ところで、書院IMEでじゃまくさかった「ん」のローマ字入力であるが(設定で変更できるのかも知れないが、それなら最初からそうしておくべし)、ATOK12だと逆にせっかく入れた「ん」が誤入力と判断されて削除されたり、入れたつもりのない「ん」が押し込まれたりする現象がでている。

某所で報告されていた「ごてんい(御典医)」が「御殿に」に変換される例を見てちょっと調べてみたところ、「骨盤位」という医学用語を使うために「こつばんい」と入力すると「骨盤に」に変換される。また、「〜したひにゃ」と変換するつもりで「ひにゃ」と入力して変換キーを押すと「品や」になってしまう。

この現象の鬱陶しいところは、変換結果を見てあわてて変換を解除すると、ご丁寧にも変換前のひらがなまでおかしな変換結果の読みに直してくれてあること。まさしく小さな親切大きなお世話。そんなことやってるなら「しゅみれーしょん」という入力を「シミュレーション」と変換するぐらいの芸を見せて欲しいものである。

98/11/25

先日、中日新聞の漢字を紹介するコーナーで「角」という字が取り上げられていた。

道などが曲がっている部分を表す「かど」。曲がり角や大相撲の「角番」などがこれ。それから動物の「つの」。そして線と線とが交わる「かく」。

しかし、せっかく話が大相撲までいっておきながら、相撲のもう一つの漢字表現「角力」には触れずじまい。もともとは「てへん」に「角」だったみたいだが、江戸時代には「角力」になっていたようで、岩波文庫の『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)では「角力」に「すまひ」とルビが振ってあった(現代風の漢字に改めてあったのかもしれない)。この「角力」を知っていれば、相撲の世界を「角界」と呼ぶ理由なんかが理解できる。

現代風の音訓から外れた読み方の字はどんどん廃れていくんだろうなあ。もっとも、「相撲」も現代風の音訓から外れてるけど、まあ「角力」ほどではないか。


小学館のサイトでドラマウスというドラえもん型のパソコン用マウスのプレゼントをやっていた。

鼠と合体させるとは、鼠を怖がるドラえもんに対して何ともむごい仕打ちであることよ。


日本語IME松茸 Ver.4.1がシェアウェアとして公開されていたので例によって以下略。サイズが約4.5メガバイトということでテレホーダイ時間帯に落とそうかと思ったが、試しに夜8時ごろやってみたら転送レート毎秒約7キロで、十数分でダウンロード完了。シャープの「パワー書院」体験版の14メガはテレホーダイ時間帯だったけど、たしか1時間以上かかっている。さすがvector

で、当然今は松他毛Ver.4.1、時ゃなくて松茸Ver4.1でこれを書いているわけだけど、←ご覧のとおり自分の名前を間違えたり(まあ後ろにアルファベットが続いたせいで、単独だと間違えない)、変な時に「時」を出したり、ちょっと怪しい点もないではない。それに「ごてんい」も変換できないし(「典」が辞書登録されていない。でもちょっとした文字検索には[F4]の記号入力が意外と便利)、アルファベットに変換して確定してもそれは辞書登録されないみたいだし。

が、対応する括弧の入れ子もちゃんと変換するようになったし、総じて使い勝手は悪いものではなく、レジストするかどうかは90日間の試用ののちに決めたいと思う。

(この後の部分を書いている時に気付いたこと)
あ、対応する括弧を変換した後で各個の中の文節区切りを変更すると括弧が元に戻ってしまうぞ。あー、登録単語が思いの外、というより全然少ないじゃないか。


今時の若者らしくいつもてれーっとしてぐじぐじと喋る後輩が珍しくはきはきと話しているので振り返ると、携帯電話を使っていた。TPOは心得ているらしい。


とり・みきの『石神伝説』(文藝春秋、現在2巻まで)を読む。古事記や日本書紀やその他の神話伝承を元にそれを現代に蘇らせる青年とそれを阻む霊的能力を持つ自衛官の戦いが物語の中心。すでに休刊した漫画雑誌に掲載した短編をプロローグにして、その続きを描いている。

この手のものでは諸星大次郎の『妖怪ハンター』も傑作だけど、雰囲気はどっちかというと星野之宣の『ヤマタイカ』をスケールダウンした感じ。これから話が大きくなっていくのか、何にしてもこういう話は好きである。

98/11/26

お笑いパチョコン日誌に二度に渡って「理想のかな漢字変換はどれだ?」を紹介ちていただいたのに気をよくちて、ちゃらにチェック項目を追加でちゅ。10年前に話題になってたあの言葉、今のIMEは変換できるのだろうかでちゅ。

ありゃ、別に世界幼児語化計画を通ちたわけでもないのになんでこんな言葉遣いになってちまってるのだろうでちゅ。不思議でちゅねー。あー癖になりちょうでちゅ。こういうののはちりは、DOS 時代の NYA.COM でちょうか。

ちゃらに不思議なのは、私はこういうちゃべり方をちゅる子供を見た試ちがないってことでちゅ。幼児に向かってこういうちゃべり方をちゅる大人はよく見かけまちゅけど。みなちゃんはいかがでちょうか?

98/11/28

事後報告になったけど、「理想のかな漢字変換はどれだ?」の26日分の追加項目に間違いがあったため、27日正午過ぎに訂正。


くりりんさんのサイトで長らく謎のままになっているレインボーマン変身の呪文「アノクタラサンミャクサンボダイ」だが、出典は「般若心経」の一節で、般若心経自体は玄奘が天竺から持ち帰った経典のサンスクリット語を翻訳したもの。意味は『般若心経の謎を解く』(三田誠広、ネスコ)によると以下の通り。

 ここで「菩提(ボーディ)」というのは「悟りの境地」というくらいの意味だと考えて下さい。
(略)
「菩提」という言葉は、軽々しく遣うべきではないのです。そこで、とくにこの「菩提」というのはすごいものなんだ、ということを強調するために、大げさな修飾語をつけて表現することがあります。
 いわく、「アヌッタラー(無上の)・サムヤク(正しく完全な)・サンボーディー(不動の悟りの境地)」
 漢字では、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」と書きます。(略)


つまり、ヤマトタケシは悟りの境地を得てヨガの最高の境地であるレインボーマンに変身するわけである。なぜ漢字に訳したものをタケシの師匠・ダイバダッタが知っていたかは謎であるが。その前になぜインド出身なのに「レインボーマン」という英語?イギリス植民地時代が長かったから?

「愛の戦士レインボーマン」の原作者・川内康範はお寺の出身だったかで、この呪文もそのあたりの知識から来たものでしょう。ちなみに、同じく原作を手がけた「月光仮面」の由来は月光菩薩だとか。本人の言によると月光菩薩は脇仏であり、月光仮面も正義の味方ではあっても正義そのものではない、とのこと。


ことのついでに下忍さんのサイトにあったウォシュレットの位置決めの謎だけど、たまたま聴いていたラジオ番組に開発者の方が登場して、いろいろ明かして下さっていた。

それによると、開発者は全員男性で、女性はいなかったとのこと。そんな状況でどうやって調べたかは企業秘密……というわけではなくて、割り箸(といってもW.H.O.とは無関係(謎))。

まあ家族にも協力を願ったんだろうけど、それだけでは個人差もある。そこで、スナックなんかを何軒も回り、女性店員にゲームだとか占いだとか騙って、割り箸で距離を測ってもらってデータにしたんだそうである。飲み代が経費で落ちたか開発費として通ったかまでは不明だけど。

何事によらず、発明・開発に苦労は付き物なのであるなあ。

98/11/29

おっと、電脳廃人日記にもウォシュレット開発者の話が紹介してあった。確かにそっちの方法は効率よさそうだけど、目算ってのがねえ。かといって物差し当てるわけにもいかないし。まあ私の聞いたのはマスコミ用の開発秘話という可能性大ではある。

ところで、「ネタ」って「与太話」の意味ですか?

あ、そうそう、河豚の鍋で温まるのは白身の中にもごく微量のテトロドトキシンが入ってるからだとテレビでいってました> くりりんさん


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