とぜんそう1999年10月分

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99/10/07

昨日Yomiuri-Onlineで「社会」の見出し一覧を眺めていたらこんなのが。

    ……
◆JR身延線でイノシシが列車に衝突、即死
◆「イッセイ・ミヤケ」デザイナーが交代
◆「あっという間に電車は横倒しに」
    ……


おお、なんてすごい猪だ、と思って内容を読んでみると、下の方の記事はロンドン西部で五日朝発生した電車の衝突事故の報道でした。
(被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます)


こっちは同じく6日のasahi.comの記事。

■中性子線2キロ先まで――臨界事故の瞬間に観測
 茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故の瞬間の9月30日午前10時36分、現場から約2キロ離れた日本原子力研究所(原研)那珂研究所=茨城県那珂町=で、通常はほとんど検出されない中性子線を一瞬、通常の数倍の強さで観測していたことが5日、わかった。1時間当たり0.数マイクロシーベルトで、この距離では健康に心配はない。事故発生時の中性子発生量はこれまで不明だった。このデータによって、事故の規模や周囲の住民の被ばく線量の推定が可能になる。(略)


事故の恐ろしさや管理のずさんさについてはすでに各所で語られているので省きますが(そういう態度でいいのか?)、気になるのは赤字で示した部分。

おおよその数を表すときに使う「数」プラス「単位」の形の表現は前後に桁を示す数などがつくときには漢数字を使うのがふつうで、「十数メートル」「数百人」のようになります。これを「10数メートル」「数100人」と書くのはなんだかみっともないし、意地悪くみれば「10数メートル」は「10+数」メートルなのか「100+数」メートルなのかわかりにくい。音読するとそれほど違和感はないのですけど。

しかし、「0.数マイクロシーベルト」のような表記は初めて見ました。桁を間違うおそれはなさそうですが、なんかすごい。漢数字を使うという原則でいくと「十分の数マイクロシーベルト」になると思うものの(実際にこの形式は聞いた記憶がある)、これもわかりにくいといえばわかりにくいし、「数百ナノシーベルト」だと、こういう単位を一般的に使うのかどうかもわからないし、うーん。

新聞記事のほうはどういう表記になっているんだろう。
(被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます)


ROM男さんに教えていただいたぢょしアナ日記の作者の名前、どこかで聞いたことがあると思ったら名古屋の中部日本放送(CBC)に勤めたことのある人だったのね。カーラジオか何かで聞いて覚えたものと思われます。

99/10/10

講談社漫画文庫の『空手バカ一代』(梶原一騎原作)の作画は第8巻でつのだじろうから影丸譲也にバトンタッチ。

「てなもんや一本槍」のコミカライズや「ブラック団」、「忍者あわて丸」といったギャグ漫画とか「泣くな十円」のようなペーソスもののイメージしかなかったつのだじろう、それでも梶原一騎の原作はそこそこおもしろい「お話」を展開していたし、のちの心霊漫画にも通じる暗い画面や独特の表情はそれなりに作品の「味」にもなっていたのですが、いかんせん作風があまりにも漫画漫画しすぎでした。筋肉の描き方もむにゃむにゃだし。

いっぽう影丸のほうはおどろおどろしさが子供心にも恐ろしかった「八墓村」(横溝正史原作)や、最後には主人公が担任の女教師と一緒に旅立つ「悪(ワル)」(真樹日佐夫原作)あたりのイメージ。骨太で重心の低い登場人物たちの体型が醸し出す質感と相まってアクションはお手のものといった感じです。でも置八子夫人はつのだ版のほうが以下略。

実は「空手バカ一代」は連載時にはちょくちょく見てたのですが、つのだ版も影丸版も通しで読むのはこれが初めて。今後の展開が楽しみです。


7日のasahi.comより。

 「買春」は「かいしゅん」と読みます――7日の事務次官会議で、「児童買春・児童ポルノ禁止法」の施行日を決める政令が了承された際、法務次官がそう説明した。
 売春と区別し、「買う側」を問題とみる視点で、「かいしゅん」はある程度定着していたが、これで「統一認識」(厚生省児童家庭局)との見方も。広辞苑にも昨年11月から収録されている。
 7年前から「かいしゅん」と読み始めた「『ストップ子ども買春』の会」の宮本潤子共同代表は「言葉は思想をつくる」と評価。一方、会議に出席した厚生次官は「そう読むとは知らなかった」と恐縮していた。


別に厚生次官の方が知らなくても不思議とは思わないし、まして恐縮する必要なんかありゃしないのでは。もともと「買春」は「ばいしゅん」と読むもので、「かいしゅん」はただの通俗読みなんだから。逆に法律や法令で正式に通俗読みを認める方がどうかしているような。

たとえば「私立」を「わたくしりつ」、「化学」を「ばけがく」などと読むのは単に口頭だと「市立」や「科学」などの同音異義語があって紛らわしいからで、正式な名称まで「わたくしりつ」「ばけがく」と読むわけじゃない。だいたい言葉が思想を作るというなら、「ばけがく」はおばけや変装に関する学問ということでしょうか。

それに、「かいしゅん」だと、「改悛」「悔悛」ならともかく「回春」と勘違いする狒狒爺がでてこないとも限らない。買春かいしゅん=バイアグラ的効果なんて短絡されたら逆効果かも。

ところで、「私立」「市立」は「わたくしりつ」「いちりつ」と読むし「化学」は「ばけがく」と読むのに、「科学」を「しながく」とか「とががく」などと読まないのはどうしてなんでしょうか。読み方を尊重して媚態や愛嬌の学問とか刑法学になっちゃうから?


これも7日のasahi.com

放出された放射能、希ガスが主 科技庁、安全委に報告

 科学技術庁の事故調査対策本部は7日、茨城県東海村の臨界事故で、核分裂反応でできた放射性物質を複数の場所で確認したことを、同日開かれた国の原子力安全委員会に報告した。ガス状の放射性物質が主で、フィルターを通り抜けて建屋外部に放出されたのは確実とみている。ただ量は少ないので人体への影響はないとしている。


掲示板の方でも指摘がありましたが、少なくともasahi.comでは「放射能」=「放射性物質」のようです。

CD-ROM版広辞苑第五版によると

ほうしゃ‐のう【放射能】ハウ‥
(radioactivity) 放射性物質が放射線を出す現象または性質。


ということで、放射能と放射性物質は辞書的意味合いは違うと思われるものの、これも「かいしゅん」と同じく通俗的呼び方ですますということかも。見出しにするとき字数も少ないし。

まあ何にしても元凶のひとつが「ゴジラ」であることは疑いをいれないものと。


二千円札について何か書こうと思ったけど、ATOK13だと「しゅれいもん」で変換すると勝手に読みを「しゅうれいもん」に変更してしまうので断念。

99/10/12

木立のそばを通るとときおりロッテガム「eve」のかをりが漂うようになりました。秋ですねえ(って、このたとえでわかる人、いるのだろうか)。


『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)は700ページをすぎたところ。『少年H』(妹尾河童、講談社)の間違いを指摘するばかりではなく、当時の銃後生活に関するあれこれをことこまかに解説もしてくれているし、資料の読み方も教えてくれる。ついでに、こんな批判まで。

 この章もまた新聞記事のパロディーといえるだろう。例えるなら、少女たちが自費出版してコミュケット(原文ママ)で販売している漫画同人誌と同じである。つまり少女たちは、人気アニメの設定やキャラクターだけを借りて、自分好みのオリジナル・ストーリーを「創作」していくのである。それをアニメパロディー、略して「アニパロ」と称しているが、これと同じ手法で、新聞記事のパロディーを創作しているのである。


これはほんとにおもしろい本です。

ここらあたりまでの部分で当時の生活やら政府の政策やらの中から興味深かったことをいくつかひろってみると、まず戦前からあったリサイクル運動。駅弁の食べ方についてこんなことが紹介してあります。

(略)ここに掲載した駅弁の包装紙のすみには「なるべく早くお召し上がり下さい。空箱は腰掛の下へお置き下さい」と印刷してある。弁当ガラの経木は、パルプに再生するためのリサイクル資源なのである。だから、弁当の蓋についためし粒から食って、きれいにめし粒を食い終わったあとは、くずかごに捨てないで回収しやすいように座席の下へ入れろということだったのである。
(中略)
 戦中派世代は駅弁をふたの飯粒から食い始める――とばかにされるが、これは、どうやら、この辺から習慣化したものらしい。


なるほど、子供の頃、なんでおじさんたちは駅弁を食い終わると弁当殻をくずかごに捨てずに座席の下に置くんだろうと疑問に思っていたのですが、いっきに氷解しました。回収をしやすくするための行動が習慣化して残ってしまったのですね。納得納得。

次に、目から鱗の漢字制限・新字音仮名遣い・左横書き導入のいきさつ。国語を平易にすることによって国語以外のことに集中しやすくしようという意見はその前からあったようですが、なんと、戦時中に閣議決定された国語審議会総会で決定された漢字制限・新字音仮名遣い・左横書き使用はそんな理由からではありませんでした。

(略)『大東亜建設と国語の問題』(一九四二年・大久保正太郎・同盟通信社)によれば、兵器のマニュアルが難解な漢字なので、尋常小学校卒業程度の兵士が、理解し、書き得るように、国語問題の改革を陸軍省兵器局から文部省に申し入れがあり、「兵器用語の簡素化」からスタートしたという。
 そういう点から、「兵器用語の簡易化をはかれ」という声が前々から起こっていたのであるが、日中戦争によって、特に痛感され、ついに実行に移そうということになったわけである。


いやあ、こうなると国語の平易化で文化の発展を図るなんてもんじゃありません。明らかに軍事目的だったんですね。

さらには、東南アジア諸地域に侵攻した日本軍が八紘一宇を顕現するために東亜諸国に日本語を普及させる際にこの漢字制限・新字音仮名遣い・左横書きのほうが便利だったそうなので(もっとも、手っ取り早く教えるためにカタカナ中心で、漢字の方はあまり使われなかったみたいですが)、これまた侵略・統治目的でもあったわけです。

日の丸・君が代問題がかまびすしい現在、日の丸・君が代が侵略戦争のシンボルだからと反対している方々がこの事実を知ったら、はたして漢字や仮名遣い、左横書きを変更するのでしょうか。

もっとも、だからといって旧制がいいと主張していた人が平和的で穏便で賢明だったかというとそうとも限らないようで、右横書き派の岡部文部大臣は、「(文相就任以前には)右横書きを主張する根拠として左横書きは左翼に通じるという訳のわからぬ主張をしたし、文相に就任してからも『メートル法をすべて廃止して尺貫法にせよ』とわめいて陸海軍側から顰蹙を買っていたというエピソードもある」そうです。(続き

99/10/14

以前紹介した筋肉電流で動く電動義手「筋電義手」が13日から15日まで東京都江東区の東京ビッグサイトで開催されている「国際福祉機器展 H.C.R.'99」で展示されているという記事が、朝日新聞10月14日付朝刊掲載されておりました。

入場無料とのことなので、興味があり、かつ間に合う方は行ってみましょう。


10月12日の分で10月12日の分で「閣議決定された」と書いた漢字制限・新字音仮名遣い・左横書き使用ですが、「国語審議会第七回総会で、前総会で俎上に上った字音仮名遣整理案、漢字左書案を満場一致で可決、文部省への答申を経て閣議にかけ、正式決定とともに公布し各官庁、全国民学校および社会一般で使用、励行してゆくことになった」などいくつかの記述を誤読したうえ、『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)の本文のうち「結論からいえば、字音仮名遣いが発音通りに書くようになるのは敗戦後のことである」と書かれた部分2ページをめくり損なって読み飛ばしたものと判明いたしました。

また、東南アジアで進められた日本語の普及工作のために編纂された日本語教科書『ニホンゴノ ハナシカタ 教師用』が紹介してあって、

 左横書きは片仮名を横書きにする以上必要な条件で、文部省がこれを制定したのも当然であります。(略)
 ――仮名の使い方――
一、仮名はすべて五十音図における読み方通りに使います。(略)一つの字で二つの異なった発音法は避けた方が好いのです。(略)


などの記述もあり、睡魔と戦いながら読む中、誤読を深めることになってしまいました。

申し訳ありません。信じないように。誰も信じないか。国語改革が戦後なんてのは常識だもんね(だったら書く前に確認しろよ>をれ)。

再読の結果、この問題が基本的には軍隊における新兵教育上の問題から発生したことや、国語審議会の可決による新字音仮名遣い・国語左横書きが、特に期限を決めず適当に実施とはいうものの、国内よりもむしろ大東亜圏への国語の進出を便にするという点を考慮したものであるというあたりは間違ってはいないもよう。

文中、「どうやらHは、東京朝日の記事を誤読した上に、拡大解釈してエピソードを作ったとしか思えない」という指摘があるのですが、同じ轍を踏んでしまったようです。しおしお。(続き

99/10/19

>「睡眠銀行のものでございます。睡眠貯金がこれだけ貯まっておりますので、
>一月は寝なくても大丈夫ですよ」

えーと、「睡眠銀行のものでございます。ひと月分の睡眠請求がきておりますが、お客様の口座に残高がございませんので、たった今からひと月分の睡眠をとっていただきます」てなことを言われて、目覚めたら一ヶ月後なんてことになったらどないしましょ。

閑話休題。お忙しそうですが、体をこわさない程度に気張ってください。単行本が出たらまたこちらで紹介させていただきますです>夏原さん


『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)読了。堪能いたしました。

この本の『少年H』(妹尾河童、講談社)に対する結論としては、

(略)『少年H』は一貫した小説や物語ではなく、各章がそれぞれ独立した短編で、時制などは一切関係なく、前後の脈略を無視した一口話のような、ありもしないでたらめな作り話と考えて読んだ方が無難である。(略)

 それにしても『少年H』の話というのは、なぜか子どもの話は少なく、大人の話ばかりが中心になっている。それというのも、Hが『昭和二万日』と一部の新聞縮刷版だけを頼りに話を作っているからであろう。となれば、Hが当時の少国民の生活意識からかけ離れて、大人の戦後感覚で歴史事情を判断しているのも当然であろうという気がする。


あたりでしょうか。

それよりも、後半特に顕著になるのですが、『少年H』に登場する歴史事実誤認の指摘に名を借りて戦中史をいろいろ紹介しているのが興味深い。なにしろ、この本の四分の一ぐらいのところで『少年H』上巻の半分ぐらいだから一冊でちょうど『少年H』全編をカバーするのかと思っていたら、どんどんと関連資料の紹介や考察が長くなっていき、結局残り四分の三で『少年H』上巻の残り半分。つまり、845ページかけて『少年H』の半分しか扱っていない。

残り半分もぜひやっていただきたいものです。

もっとも、10月15日付の朝日新聞に妹尾河童のコメント、というか「敗北宣言」とも思えるものが紹介されていて、「この本はフィクションの形を取った本当の話である」とか「戦後に仕入れた知識はいっさい入れていない」との主張に対する反証としての意味もあっての作業だから、すでに続ける必要はないのかも。やるとすれば、『少年H』と関係なく、さらなる戦中史の発掘という形か。

で、朝日新聞に載ったコメントがこちら。どうでもいいけど5月発行の『間違いだらけの少年H』を「このほど出版した」はないのでは。

妹尾氏は「どうやってあの時代を伝えればいいのか。記憶違いや思いこみがあったとしても、時代の意味が損なわれることなく伝えられているなら、許されるのではないか」と話している。


少なくとも『間違いだらけの少年H』を読んだ限りでは許される許されない以前にとうてい「記憶違いや思いこみ」でかたづくしろものとは考えられないし、私の知る限り「時代の意味が損なわれることなく伝えられている」とも思えない。親や年寄りの話とかなり雰囲気が違うのです。

時代を伝えるなら正直にありのままを書くか、あるいはデフォルメをきかせた架空の話にした方がかえって雰囲気がでるかも。

さて、次の未読に取りかからなくっちゃ。

99/10/20

『パソコンは猿仕事』(小田嶋隆、小学館文庫)読了。

この文庫のための書き下ろしだそうで、パソコンやインターネット、携帯電話などについていろいろ語っているのですが、あいかわらずおもしろい。ちょっと前から読みかけていたのを一気に読んでしまいました。なんか今年はおもしろい本の当たり年かもしれません。いや、タイトルだけ見てなかみをよく確認せずに買うのをやめればもっと当たりの確率は上がるとは思うんですけどね。

小田嶋隆の名前を覚えたのは休刊した『Bug News』(BNN)。「私はビビビ」というマスコミ規制用語ネタのエッセイでした。『Bug News』の前身の『遊撃手』から書いていたそうですが、読んでいるかもしれないものの、名前を覚えるには至りませんでした(名前を出していたかどうかもよく知らない)。

たしか『Bug News』のRPGゲーム「ローグ」のレビューに赤いコロン()をみると食欲がわいてくるとか何とかあって、『パソコンは猿仕事』にも「ローグ」について同じような話がでてくるので、ひょっとするとあのレビューも小田嶋隆だったのかもしれません。

それにしても『Bug News』休刊は惜しかった。ああいうおもしろいパソコン雑誌はもう出てこないかもしれません。あ、いや、パソコン雑誌をめったに手に取ることもなくなった現在では、出ていたとしても気づかないのですが。

99/10/22

興津要さん死去。72歳。腎臓癌だったそうです。

高校生の頃、江戸川乱歩や星新一と並行して、講談社文庫の『古典落語』(興津要著、全6巻)も読んでおりました。

直前にたまたま角川文庫の落語の本を読みまして、そっちの方は噺家の高座をそのまま文章にしたものだったのですが、収録されている噺が少ない上に刊行ペースも遅い。で、すでに何巻も出版されていて、かつ収録作品も多い講談社文庫の方に乗り換え。

すでにほとんど内容を覚えておりませんが、それでも知っている噺がダイジェストだったり中途で切り上げたものであるのを知り、その先を読んで納得したり、知らない噺にはどんな展開になるのかと期待したり、ずいぶん楽しませてもらいました。

ちなみに『美味しんぼ』(雁屋哲原作、花咲アキラ作画、小学館)に出てきた「千早振る」は「千早は水をくぐっちまったのさ」でサゲになっているので、この『古典落語』収録の噺からみると尻切れとんぼです。

最後に読んだ興津さんの著書は2年ほど前に出た江戸小咄と食べ物をからめたもので(書名失念)、土用の丑の日に鰻を食べるようになった由来の青木数馬のエピソードを再確認できたりして、興味深い一冊でした。参考までに、この本の冒頭にあった小咄を紹介しておきます。

大店の隠居が元旦に若水を汲もうとすると若い女中がそれをとどめて、
「若水は若い者にお任しなされ」
「すると年寄りは何を汲めばいいのかな」
「冷や水をお汲みなされ」


小咄といえば、『アルキメデスは手を汚さない』で乱歩賞を取った小峰元も、どれかの小説の中で講談社文庫版『江戸小咄』(興津要著)から小咄を引用してましたっけ。

私にとって(ほんのとっかかりとはいえ)江戸文化や古典を身近に感じさせてくれた人でした。ご冥福をお祈りします。


朝日新聞10月22日付朝刊投書欄より。

 夕食のあと、片づけをしながら、さて、あしたの「まわし」をしようかなというひとときは、私が一番に好きで、心ときめく時間帯なのです。
 あしたのまわしとは朝のみそ汁に入れる野菜のあれこれを切りそろえることと煮物のまわしなのです。(略)


さて、名古屋近辺はともかく、全国的に見た場合にこの文章の正確な意味をつかめる人はどのくらいいるのでしょう(名古屋本社版なのでほかの地域の版に載らない可能性もあるのですが)。

「まわし」の説明に「まわし」を再帰的に使っているのはご愛敬として、このままだと「まわし」というのは料理の下ごしらえだと思われかねませんね。まあそういった意味も含まれるのですが。

私自身は愛知県に住み始めて十数年たってからようやくこの言葉を覚えました。知ってしまえばなるほどだし、親しみやすくていい表現なのですが、知らない人にはずいぶん奇異に聞こえるのではないでしょうか。

ちなみに愛知県外出身の知人に「まわししやあ」という名古屋弁の意味を尋ねてみたところ、「相撲を取ろう」だろう、という答えが返ってきました。

日本語ってほんとにおもしろいですね。

99/10/27

掲示板のほうで世代によって「数メートル」の認識が違うという話がでたので、ゐんばさんのところの「日本の標準」で調べていただきました。どうもありがとうございます。

結果、「数メートル」は5メートルと決定、以後はこれ以外の距離は認めないことに……じゃなくて、「数メートル」は5メートルぐらいと思っている人が投票者の中では一番多いとわかりました。ただし、3メートルぐらいと考える人も多く、首の差か鼻差で5メートルの逃げ切り、というのが実状のようです。

また、助数詞によってもイメージが変わるということで、「数メートル」だから4〜5または5〜6だけど、「数人」「数千円」だと2〜3ぐらいという人もかなりいて、「数メートルは何メートルぐらいか」という質問でなければ「3」と「5」は入れ替わっていた可能性が高そうです。

あと、英語の「a few 〜」に対応する言葉だから2〜3だという考えもいくつかありましたが、これはひょっとして明治以降の比較的新しい感覚かもしれませんね。たとえばCD-ROM版広辞苑第五版では「数(すう)」の項でこんなふうに解説しています。

(2)物が幾つあるかを表す観念。(特に「量」と対比して使うこともある)
   (ア)沢山であること。「数日すじつ・数行すこう・数珠じゆず
   (イ)2〜3あるいは5〜6の少ない数を漠然と示す語。「数日・数人」


(ア)だと「a few」というより「many」ですね。(イ)のほうは古い版でどうなっているのか気になるところです。もし数に変化があるのなら、時代によってイメージが違うということに。同じ字を書いてもこのとおりだし。

すう‐にん【数人】
 三〜四人から五〜六人ほどの人数をいう語。
す‐じん【数人】
 多数の人。衆人。謡、鉢木「諸侍、そのほか―並みゐつつ」
す‐にん【数人】
 多くの人。何人もの人。今昔物語集24「海賊来りて船の物を皆移し
 取り、―を殺して去りにけり」

すう‐じつ【数日】
 2〜3日から5〜6日ほどの日数をいう語。
す‐じつ【数日】
 多くの日数。平家物語4「―の鬱念うつねん一時に解散げさんす」


まあこの程度の傍証で結論を出すのは早計かもしれませんけど。

だからといって、「数〜」は「たくさんの〜」とか「多くの〜」を意味するかというとそうともいえず、けっきょくは書き手の意図と受取手の読み方にかかってしまうということになりますね。

具体的数量を示さず曖昧なままにしておく表現の話だけに、灰色決着。


中央の欄には両側の欄からさらにすすんだ調査結果が書いてあるのですが、現在では好ましからざる表現とされている言葉がでてきますので、気分を害したくない人は読まないでください。
ATOK12 更新/国 度/陣 蝦夷地
ATOK13 更新/国 度/陣 蝦夷地
IME95 4.0 後進国 土人 蝦夷/血
MS-IME2000 こう/深刻 度/人 蝦夷地
NECAIIME95 2.0 後進国 どじん 蝦夷地
松茸 Ver.4.1 後進国 土人 蝦夷/値
WXG4.0 後進国 土人 蝦夷地

なるほど。


XUSXUSの記事より。

「鉄腕アトム」ハリウッドで映画化
 あのアトムが帰ってくる。漫画家の故手塚治虫さんが生んだアニメヒーロー「鉄腕アトム」がハリウッドで映画化され、全世界で公開されることが26日、分かった。米メジャーのソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが製作し、21世紀が幕を開ける2001年の公開予定。(略)
 日本生まれのキャラクターがハリウッド進出したのは、同じコロンビアが製作、昨年公開された「GODZILLA」に続き2度目。(略)


あれ、「強殖装甲ガイバー」はハリウッドじゃなかったんだっけ?(記憶曖昧)

99/10/28

きのうの変換結果をちょっと編集。こっちの方が相関関係がわかりやすいですね。


Webサイト格付けセンター の評価は「格付け結果 CC ・判定 「一般的な情報サイト」級」でした>うち

●レポート
 一般向け情報サービスのサイトとしては,並みのサイトです。(略)
 いっぽう,個人ページであれば,すでにそうとう,人に愛されている有名サイトです。あるいは,よっぽど毛嫌いされているページかもしれませんが(笑)。


うーん、どっちなんだろう(どきどき)。


『岡本綺堂伝奇小説集其ノ三 怪かしの鬼談集』(原書房)読了。

『其ノ一 玉藻の前』は恋と妖怪譚のないまぜで、おどろおどろしい中にも艶っぽい雰囲気がでてくる長編、『其ノ二 異妖の怪談集』はなにげなく読み終えたあとにすっと背筋が寒くなる短編集。

で、『其ノ二』がどちらかというと幽霊話・心霊話なのに対してこの巻はおおむね妖怪や化け物中心の怪奇譚といったところでしょうか。そんなに厳密に分かれているわけでもないけど。

どの話も淡々と進められていき、やがて主人公が怪しい現象に巻き込まれて不可解な結末を迎える、というパターンなのですが、べつに謎が謎のまま終わっても中途半端な感じはなく、かえってあれこれ理屈をつけたりしないのがより怪談としての効果を上げています。

岡本綺堂といえば、高校の頃にこの『其ノ三』にもでてくる「青蛙堂せいあどう」にいろいろな人が集まって中国の「志怪の書」について語る『青蛙堂奇談』(旺文社文庫)を読んだことがあるのを思い出しました。

「馬皇精」やら「馬班」やら「攫猿」といった(いずれも文字はうろ覚え)『ミスター仙人』(夢枕獏)とか『孔雀王』(荻野真)などでみたような名前がぞろぞろ登場する本で、攫猿に孕まされた女が産んだ子供は「楊」姓を名乗る、なんてあたりを知ってると、『ミスター仙人』で「楊二」という男がでてきたり『西遊妖猿伝』(諸星大二郎)で孫悟空の母が「楊」という名前だったりするのがより楽しめます。

中で特に印象に残っているのが「呑舟の魚」。「呑舟の魚は枝流におよがず」という成句にもなっているあれですね。その名の通り、船さえひとのみにする巨大な魚で、ピノキオの鯨もはだしで逃げ出す荒唐無稽さです。鯨が靴や靴下をはいているかどうかは知りませんが。

たとえば、ある男が船を操っていると海の向こうに巨大な壁が続いているのが見える。何だろうと近寄ってみると実はその魚の背鰭だったという非常識なスケールは、まさに白髪三千丈の国の面目躍如といったところでしょうか。

この『岡本綺堂伝奇小説集』がある程度売れて、続編として『青蛙堂奇談』も出版されることを期待しています。

99/10/31

「志怪の書」の話で名前を出したとたんに諸星大二郎の「諸怪志異」の新刊・『鬼市』(双葉社)が。阿鬼の成長した姿もまたよきかな。


『日本語七変化』(加藤主税、中央公論新社)読了。

名古屋にある女子大の英文学の教授が、学生のつかう言葉を会話やアンケートから拾い出して整理する課程で発見したことを書いた新聞の連載コラムをまとめた本。どちらかというと正統的日本語ではなく、生まれては消えていく泡沫的日本語に焦点を当てています。

死語は成立過程(?)によって八のタイプがある、なんてあたりから始まる死語の話、ニックネーム・あだなに関するあれこれ、それ以外にも日本語に関するいろいろな話が展開されていて、なかなか楽しめました。

最後の方には、数によって数詞や助数詞の発音が変化する話があって、「三」にハ行の助数詞がつくと「ぼんびき、」のように濁音になったり「ぷんぱい」などと半濁音になったりする話まで登場するのですが、さすがに「三本」を「さんぽん」と半濁音で読む場合があることまでは言及されてませんでした。高島先生おそるべし。


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