とぜんそう2000年6月分

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00/06/10

asahi.comの記事より。

「ハーイ、ジャック」とあいさつ 乗っ取りと勘違いし空港厳戒


 米デトロイト郊外の空港で、乗客のひとりが飛行機に搭乗した際、顔見知りの操縦士を見つけて「ハーイ、ジャック」とあいさつしたところ、操縦室と無線交信中だった航空管制官がこれを聞いてハイジャック(乗っ取り)と勘違い、通報を受けた警官隊が機体を取り囲む騒ぎがあった。米航空当局が7日発表した。
 発端は、オークランド国際空港で5日、勤務先の会社の専用ジェット機に乗り込んだ男性が発した朝のあいさつ。たまたま管制塔と交信していた操縦士が、直後に無線のスイッチを切ったため、管制官には「ハーイジャック」の一言を最後に操縦室が何者かに乗っ取られたように聞こえた。


うーん、やはり本場(なんのだ?)ではハイジャック犯は実際に「ハーイ、ジャック」と声をかけるように読めますね。情報感謝>YOKOさん

ところで、5月29日付の朝日新聞にはこういう記述が見えます。西鉄バス乗っ取り犯人の少年について報じた記事より。

少年はこれまでの調べに対し、学校立てこもり、新幹線乗っ取り、ハイジャック、バス乗っ取りの四つについて頭に描いていたことを供述しているといい、捜査本部は、その中で実行しやすいバス乗っ取りを選んだとみている。


前の記事で「ハイジャック(乗っ取り)」と書いてるわけですから、素直に読むとこれらの候補は「学校立てこもり、新幹線乗っ取り、乗っ取り、バス乗っ取り」ということになります。

はたして朝日新聞の「ハイジャック」に対するスタンスは那辺にありや。


《蛸の赤ちゃん》
そそ、なんで素直に「雛」といわないのか、と>カルガモ>下忍さん

「鄙」といっちゃまずいけど(意味不明)。あら、ATOK13は「ひなにはまれな」を一発で変換しないのね。「にはまれな美人」ってなによ。


『ヒカルの碁(7)』(ほったゆみ原作、小畑健作画、集英社)、
SAKON左近=戦国風雲録=(6)(完)』(隆慶一郎原作、原哲夫作画、集英社)、
『カムイ伝第二部(21)』(白戸三平作、岡本鉄二作画、小学館)、
『コンデ・コマ(15)』(鍋田吉郎原作、藤原芳秀作画、小学館)など。

00/06/11

『お言葉ですが…(4)猿も休暇の巻』(高島俊男、文藝春秋)読了。

『週刊文春』の連載をまとめて「あとからひとこと」などを追加したもの。今回もおもしろい内容が盛りだくさんでした。いまもっとも読むのが楽しいシリーズのひとつ。


『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(遙洋子、筑摩書房)読了。

議論に強くなりたいと願ったタレントの遙洋子が、知人を通じて東京大学の上野千鶴子教授のゼミに参加できることになり、悪戦苦闘の日々ののちに、この3年間にここで学んだことをエッセイの形で春休み明けにレポートとして提出せよ、と教授からいわれて書いたもの。

ゴーストライターの手による箸にも棒にもかからないものが混じってることもあるので(というよりほとんどなのか?)基本的に著者がタレントのなまえになっている本は読まないのですが、なぜか手を出してしまいました。

著者が遙洋子であることと東大のゼミの経験談であること、腰巻きの

「相手にとどめを刺しちゃいけません。」教授は言った。「あなたは、とどめを刺すやり方を覚えるのではなく、相手をもてあそぶやり方を覚えて帰りなさい。そうすれば、勝負は聴衆が決めてくれます。」私は鳥肌が立った。
本物は違う!


というあたりに惹かれたのかもしれません。

なかみは、フェミニズムについての資料を使って議論を進める上野ゼミでの体験、自分のまわりのできごとをゼミで学んだことをもとにして考えたり、学問についてあれこれのべたりしています。

で、これを最後まで読めたのは、この本に書かれていたのが「学問はおもしろい」ということだったからかもしれません。著者がそう思っていたわけではなさそうですが、この本全体が私に訴えていたのはそういうことだと感じました。

そしてこの本のいう「学問」を思い切りはしょっていうと、おかしいと思ったことをなぜそう思うのか突き詰めること、そして突き詰める道具としての知識のひきだしをたくさん持つために、できるかぎり多くの論文や書物を読むこと、でしょうか。

学問や議論のなんたるか、といってしまうことはできませんが、その一端はかいま見えたような気がしました。

といってもそう堅苦しいことが書いてあるわけではなく、気楽に読める本です。


『餓狼伝(7)』(夢枕獏原作、板垣恵介作画、講談社)など。

00/06/12

『日本語の「大疑問」』(池上彰、講談社+α新書)読了。NHKの「週刊こどもニュース」でお父さん役としてこどもにもわかりやすく世の中のことを伝えている著者が、「日本語」を視聴者に伝える仕事に携わりながら言葉についてあれこれ考察したことを書いた本。

巻末の主要参考文献を眺めてみると、読んだことのある本やら背表紙を見た記憶のある本などがずらりと並んでいます。そのせいかあらずか、どこかで読んだことのあるような話が多いのですが、さすがに言葉に敏感なだけあって文章がとても読みやすいし、飽きがこないようにさまざまな話題が並んでいます。

ただ、一部に漢字と日本語と漢語を混同しているような部分があったり、以下のような間違いが出てくるのが気になります。

 万葉集に歌われた「言霊」信仰が、現代の日本で生きているのです。
 この考え方が極端に進んだのが、太平洋戦争中です。「敵性語」(敵の言葉)である英語を一切禁止したという話をご存じのことと思います。野球でストライクを「よし一本」、ボールを「一つ」と言い換えるという努力が払われ、英語を勉強するものは「非国民」扱いされました。
 日本と戦争になったとたん、日本語のできる要員を大量に養成して、日本の情報の収集に努めたアメリカとは対照的でした。  言霊信仰にとらわれたために、日本は自ら墓穴ぼけつを掘ったのです。


主要参考文献にも名を連ねている『お言葉ですが…』(高島俊男、文藝春秋)の最新刊『お言葉ですが…(4)猿も休暇の巻』にはこのように書かれているのですが。

 戦中神話、とでも呼ぶべきものがある。(略)
 その最たるものは、「英語が禁止されていた」あるいは「英語教育が禁止されていた」という話だ。こういうことを言う人たちのバカの一つおぼえが、「野球でセーフを『よし』、アウトを『だめ』と言った」の類である。そんなのはごくごく一部のことだ。軍の学校でもセーフ、アウトでやっていた。一般は言うまでもない。
(略)
 野球のことから話をひろげてその種の人たちは、日米開戦後アメリカでは日本語教育がさかんになった、日本は英語教育はもとより英語を使うことさえ禁じた、日本人は近視眼だ、狭量だ、愚かだ、と話をもっていく。
 ルース・ベネディクトが言っているように、アメリカにとって日本は、知らない相手であった。日本語のわかる者もごくすくない。ケンカ相手のことを知ろうとするのはあたりまえだ。それと、何百万の人間が英語を習い、英米の書籍の翻訳が充満し、英語を話す者読む者なんぞ掃いて捨てるほどいる日本とがいっしょになるものか。
 野球の「よし」「だめ」と、「アメリカでは日本語教育がさかんになったのに、日本人と言えば……」とをしたり顔して言い出すやつは、浅薄人間と判定して頭から信用せぬがよい。
(略)
 英語教育が禁じられていたというのももちろんウソである。
(略)
 昭和十九年四月から使われはじめた文部省の中等学校英語教科書二年用に、「ADMIRAL YAMAMOTO AND HIS HOUSE」というおもしろい文章があるので御紹介しよう。聯合艦隊司令長官山本五十六大将がソロモンで戦死したのが十八年の四月、発表が五月である。それをさっそく翌年からの教科書にとり入れたのだから、なかなかすばやい。(略)


ということなので、残念ながら『日本語の「大疑問」』は読むのにちょっと経験と技術を要する本と断じざるをえません。そのたぐいの本のさわりだけを集めたけっこうおもしろい構成ではあるのですが。

00/06/15

とはいえ、けっして『日本語の「大疑問」』(池上彰、講談社+α新書)がつまらない本というわけじゃありません。広範囲の話題をあれこれ提供してくれていて、なかんづく若者言葉と日本語の「ゆれ」にはかなりページを割いています。

また、若者言葉関連で「超かわいい」「超かっこいい」「超すごい」「超最高」などと「超」を強調表現としてしか使わない若者が大学の授業で「超自然現象」という言葉にであったとき、「とっても自然なこと」だと思った、なんておもしろいエピソードも開陳されています。。

そうかと思えば、日本語は論理的かという話の中で、井上ひさしがオーストラリア国立大学で日本語を教えていたとき、学生たちが「日本語はとても論理的である」と感想を述べたという話を引くのですが、学生たちがそう思う理由が「漢字の木に関するものはみんな木へん、魚はみんな魚へんだから」。

それは基本的に中国で作られた漢字が「論理的」なのであって、日本語とは直接関係ありません。自慢げにそれを紹介する井上ひさしも井上ひさしですが、なんの役にも立たない例をあげる著者も著者です。

「戦時中の英語禁止」といい、こんな調子ではどんなにおもしろそうな話でもほんとかうそか判断がつかず、読んでいて落ち着かなくなってしまうんですね。

で、その「戦争中の英語禁止」ですけど、いったいなぜこういうことが言われるようになったのかといえば、この本にも書いてある「『敵性語』(敵の言葉)である英語」という解釈が原因と思われます。

私自身『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)を読むまではっきりとは知らなかったのですが、「敵性語」というのは「敵の言葉」という意味ではないんだそうで。以下、『新明解国語辞典第五版』の「敵性」の(二)より。

自国民の士気に悪い影響を与え、敵に利益を与えるような性質を持っていると認められること。「――文学〔たとえば、敗戦主義の文学など〕」


つまり、厭戦気分を起こさせたり戦闘意欲を失わせたりするのが「敵となる性質を持った言葉」=「敵性語」なんですね。喜劇役者のふざけた名前とか、極端なところでは「平和」という言葉も戦争をいやがっているように感じられるということで敵性語とされたそうです。「ピンフ」と読めば勝負をかけているみたいでOKだったかもしれませんが。

また、たとえば与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」なんてのが叩かれたのもこの考えかたですし、「湖畔の宿」の歌詞が軟弱で時局にふさわしくないと販売中止にされたのだったか(詳細忘却)も似たようなこと。いづれも英語には無関係ですね。

まあ本土空襲が頻繁になってからはどうだかわかりませんけど、それでも「お言葉ですが…」(高島俊男、『週刊文春』連載)でもあげている「ガソリン一滴、血の一滴」という戦時標語を見るだけでも英語が禁じられていたかどうかわかろうというもの。(続き

ちなみに、友人のお父上たちは教官から「こら、『ストライク』なんて言っちゃいかん」と文句をつけられると、「じゃあ今のは『ボール』か」などとやりかえして、平気で「ストライク」「ボール」「アウト」「セーフ」を使っていたそうです。

実話だとしたら、英語を使うな、という人が実際にいたということとともに、それが強制力を持っていなかったということもわかるエピソードですね。


最近、通勤途中で聴くラジオ番組の中で、交通情報をヘリコプターから伝えています。

先日はヘリコプターについて紹介しようとして、「ヘリコプターでは車と違って、『フロントガラス』とは言わずに『風防』と呼びます」てなことをいっておりました。

たぶんこの人は自動車のフロントガラスも「風防」と呼ぶことを知らないんでしょうね。私は『マッハ Go Go Go』の第1話と第2話以外ではほとんど聞いたことがありませんけど。ちなみに英語ではフロントガラスは“wind shield”。「風防」はこれの訳語と思われます。


『週刊少年マガジン』連載の福本伸行の「涯」を興味深く読んでいるのですが、なんだか占有屋まで登場してきましたね。ひょっとして?


『おさなづま』(森高夕次原作、あきやまひでき作画、双葉社アクションコミックス)、
『伊賀淫花忍法帳』(石川賢、双葉社アクションコミックス)など。

00/06/19

【英語禁止の戦中神話】
ああ、二次情報だけで見てきたようなことを書くものではありませんね。掲示板(旧)のほうにROM男さんから「ガソリン一滴、血の一滴」ではなくて「石油一滴、血の一滴」ではなかったか、と疑義がでております。

ROM男さんのその後の調べで「ガソリン〜」も言われたみたいだとはわかりましたが、「石油〜」という言い方がある以上は適切な例ではありませんでした。ここに謹んで反証を「バスに乗り遅れるな」にさしかえることにいたします。ROM男さん、ありがとうございました。

で、図書館に寄る用事があったので、ついでに『昭和ニュース事典 昭和17年/昭和20年』(毎日コミュニケーションズ)というのを手短かにぱらぱらながめてみると、確かに「外国語排撃」の動きはあったようです。例の「ストライクワン」を「よし一本」も見えますね。

ただ、制度や法律として禁止なのか、国民感情あるいは大政翼賛による自粛もしくは自主規制なのかは見た範囲でははっきりしません。

しかたがないので、「敵性文字排除」(駅の案内板から英語をなくす)の記事のあった昭和17年9月以降の記事の中の外来語を拾ってみると、

昭和18年の学童疎開の記事で「スカート」「プラットホーム」、
昭和20年5月の金属供出の呼びかけで「アルミ」、
昭和18年4月の野球の記事で「リーグ戦形式」、
昭和18年12月の記事で「トップを切って」


などの記述が散見できました。また、昭和20年8月15日の記事では各紙軒並み「ラジオで玉音放送を聴く人々」になっていますが、敗戦による規制解除なのか、それ以前から「ラジオ」が使われていたのかは不明。ただ、別の言い方(「ラジオ」は「放送」に、という記事もあった)が普及していたならそっちのほうを使いそうなものですが。

さらに、昭和19年2月封切りの映画『加藤隼戦闘隊』の主題歌の歌い出しは「エンジンの音轟々と」ですし、同じく昭和19年の「ラバウル小唄」の歌詞には「ハンカチ」「デッキ」「マスト」などが見えます。

ことのついでに『お言葉ですが…(4)猿も休暇の巻』(高島俊男、文藝春秋)の記述のうち長くなるのではしょった部分。

 英語は禁じられていないし、また禁じ得るわけがない。「ガソリンの一滴は血の一滴」「パーマネントはやめましょう」などの標語があったし、「エンヂンの音轟々と」「七つボタンは桜に錨」などの歌は大いに歌われていた。われわれ子どもは冬になると拍子木をたたいて「マッチ一本火事のもと」と夜回りをしていた。
 かりに英語はまかりならぬと命じたとしても、日常だれもが口にする、
 ガラス、コップ、タオル、歯ブラシ、バケツ、メリヤス、(略)
等々々の、どれが英語やらポルトガル語やらなにやら、ふつうの日本人にわかるものか。警官だってわからない。
 なんなら昭和十九年の春に出た太宰治の『津輕』でもちょいとのぞいてみるとよい。いくらでもカタカナ語が出てくる。そのほとんどが英語である。


あらら、せっかく調べたけど『加藤隼戦闘隊』はだぶってましたね。

ということで、軍部に目をつけられていた新聞にさえ堂堂と英語が出てきていたことを考えると、英語禁止はありえなかったと思われます。


『YASHA 夜叉(1)〜(7)』(吉田秋生、小学館フラワーコミックス)など。

00/06/20

あらら、ヘボン式だったのね>YASHA

ということで、いまごろ『YASHA 夜叉』(吉田秋生、小学館フラワーコミックス)を読んでおります。

その特異な出生ゆえに母を目の前で殺され、秘密を知ったものからは化け物呼ばわりされ、さらには同じ生まれの双子の弟と血で血を争う愛憎劇を繰り広げる「天才」科学者・森末静。弟の策略で周囲に悲劇をもたらされ、夜叉への道を歩み始めた彼にはもはや安息の日が訪れることはないのか。

この4月からテレビドラマ化されていて、たまたま週末のチャットと同じ時間帯になるのでちらちらと見てたらけっこうおもしろそう。で、原作が漫画と知って探してみると『吉祥天女』やら『河よりも長くゆるやかに』やら『カリフォルニア物語』の作者だったので、即買いの即読み。ものすごくおもしろい。

テレビドラマを補完しようという思惑もあったためにドラマとかなり違う展開に最初はややとまどったものの、読み進んでしまえばこっちの方がいいですね。特に永江十市の明るいキャラクターのおかげでドラマよりも息が抜けるし救いもある。

タイトルの由来ですが、双子の兄は弟を押しのけて生まれてくるから夜叉の生まれ変わり、弟は兄に道(といってもこのばあいは産道ですが)を譲るから菩薩の生まれ変わり、といわれてるそうで、双子の兄の森末静は夜叉のほうになる、ということのようです。

しかし、地方によっては後から仕込まれた方が先に生まれるというラストイン・ファーストアウト、いわゆるスタックの考えかたで双子のばあいは先に生まれた方を弟なり妹とすることもあるので、兄が夜叉で弟が菩薩という説にはいまひとつ納得がいかなかったりして。

なにはともあれ今後の展開が楽しみです。


先日なにげなくチャンネル・サーチしていてふと目を留めた特撮ドラマがすごかった。

仕事に没頭して家庭を顧みない父親を十代半ばの娘がなじるは、罵るは、あげくに父親に平手打ち。それでも娘を叱るでもなく、娘がああいう行動に出るのも仕方ないよ、などとつぶやく父親。

一方、宇宙船の中で宇宙人の王様だか貴族だかが身分違いの男と結婚したいという娘に対してしきたりや掟を理由に反対すると、本人の自由にさせてやれ、させないとエネルギーの入った風船を破裂させるぞ、と脅す少年たち(たぶんくだんの娘の同級生)。

父親も娘も同権の平等な家庭、相手の文化も習俗も省みずに自分たちの常識を押しつける少年。自分の思い通りにならないとキれて直接行動に出る少年少女の姿が実に今日的なお話でした。

来週完結だそうですが、見る気さらになし。


ほんと、どうしちゃったんでしょうね。心配です>お笑いパソコン日誌

00/06/22

『図解雑学 フェルマーの最終定理』(富永裕久、ナツメ社)読了。

「xn+yn=zn(ただし n≧3)を満たす自然数はない」という「フェルマーの最終定理」が世に知られてから360年かかって証明されたそうで、この本では数や数学の歴史をたどるとともに、フェルマーの最終定理が属する「数論」の魅力と奥深さを紹介しています。

実際にはフェルマー自身はこの「定理」を証明していないから正確には「フェルマーの最終予想」というべきなのだそうで、「最終定理」は通称ということのようです。もっとも、フェルマーの残した予想はそのほとんどが正しく、予想がつぎつぎ証明されるに伴って「最終定理」もまず間違いないだろうと「予想」されていたらしい。

「数」と「数論」の解説はけっこうわかりやすく、途中まではかなりの部分を理解できたのですが、「群論」あたりになるともうあやふや。せっかくの「最終定理」の証明部分も、うーんそういうものかも、程度でした(とほほ)。

しかし、現代ではどの分野でもそうなんでしょうけど、やはり先人の功績が積み重なって学問が成り立っているんですねえ。奥深い「数の結びつき」にもちょっと感動。


おっと、入れ違いで夏原さんのところに消息が>お笑いパソコン日誌

思わずあんな想像やこんな妄想を働かせてしまってましたが、からだをこわさない程度に乗り切ってくださいまし。


先日ここで戦時中の英語禁止は間違いだと書いたと思ったら、ネタ元である「お言葉ですが…」(高島俊男、週刊文春連載)の今週分でも同じ話題。偶然なのか話題に苦しんでのことなのか(これこれ)、いづれにしてもうれしいフォローであります。

というのも、例の「セーフ」を「よし」、「アウト」を「だめ」の根拠は、不人気で弱い立場にあった職業野球が行った自主規制であり、大学野球や甲子園大会などではそんな言い換えはしていなかった、という情報が紹介されているんですね。道理でこのまえ駆け足でページを繰った『昭和ニュース事典 昭和17年/昭和20年』(毎日コミュニケーションズ)に「自粛」の文字が見えたはずだ。機会があればじっくり読んでみましょう。

ということで、地方の市立図書館で1時間も調べれば間違いとわかることを思いこみだけで書いている『日本語の「大疑問」』(池上彰、講談社+α新書)は、高島先生のおっしゃる「野球の『よし』『だめ』と、『アメリカでは日本語教育がさかんになったのに、日本人と言えば……』とをしたり顔して言い出すやつは、浅薄人間と判定して頭から信用せぬがよい」のそしりを免れないのかもしれません。


【豆知識:MS-Excel で立方メートルを表示する】
これも思いこみというやつで、これまでずっと MS-Excel はセル単位でしか文字修飾ができないと考えておりました。どうしても必要なときにはセルをふたつ使って文字の大きさや文字飾りを変えてみたり、数式エディタを使ったり。

ところがきのう後輩が「“m3”って入力できないんですか?」と尋ねるので、「同じセルの中で文字の大きさを変えることはできないはずだよ。ほら、“m3”と入力して、“3”だけドラッグして右クリックしても『セルの書式設定』としか出ないだろ。だからたとえこの設定でポイントを小さくして『上付文字』をチェックしても、結局セル全体の書式が変わるだけで、“3”だけ小さい文字で上になんて……なっとるやんけ

どうもセル中の文字単位の書式設定でもダイアログの名前が「セルの書式設定」になるために勘違いしていたようで、必要なら一文字単位でフォント・大きさ・文字飾り・色などを変更できるようです(MS-Excel 97 と MS-Excel 2000 で確認)。

この機能を使えば、MS-Excel で作るレポートの表現力を少しはあげることができそうです。これって常識?

00/06/25

【南の島の大王は……】
「はめはめは」かと思ったら、かめはめ波の国でしたか(意味不明)。アリゾナの上でお気に入りの軍歌をラジカセで流したりは以下略。

楽しい旅でありますように>朋輩


たしかに MS-Excel は本能とか直感で使うのが正解のソフトですよね。理屈を通そうとして窮屈な思いをしてしまっていたようです>朋輩


うーん、積んだまま行方不明の『「室内」40年』(山本夏彦、文藝春秋)が文庫になっている。この機会に買い直そうかな(馬鹿)。


出勤途中に聞いていたラジオ番組の芸能コーナーで、宇多田ヒカルの両親(といったほうが通りがいいかな)の離婚問題に関連してレポーターの女性が「藤さんとヒカルさんはホテルを定宿じょうやどにしています」

いったいどのホテルを定宿にしているんだろうと思いながら聞いていると、「宇多田さんの方も噂の女性とホテルを定宿にしてるんですね」

「ホテルを定宿」というのはどうやら「ホテル住まい」のことをいっているらしい。この推測が正しければ、この女性レポーターには「一見いちげんの定宿」もあるかもしれません。


【偽タバコ】
中に赤い結晶が入っていたり、吸った人が突然凶暴になったり……しないか。


そろそろ冷房が欲しいかな、と思ってリモコンのスイッチを入れてみたら、お約束通り電池が切れておりました。

で、新しい電池を買ってきて入れ直してから、お約束通り買い置きの電池が出てきました。

この宿痾、どうにかならないものなのでしょうか(とほほ)。

00/06/28

下忍さんのところで漫画版『ジャイアントロボ』(横山光輝)の話題がでておりますので、向こうの掲示板補完計画として、去年の8月に PC-VAN jSFDB 3-3「SFは絵だ!」に書き込んだものを一部修正して(発行日が入っていなかった、など)掲載しておきます。

すでにごぞんじのかたも多いかもしれませんが、以前ここでも話題になった『週刊少年サンデー』掲載の漫画版「ジャイアントロボ」が横山光輝作家生活45周年記念出版のアンソロジーに収録されました。

書名 :横山光輝まんが集
著者 :横山光輝
発行日:初版第1刷 1999年8月5日
発行所:株式会社ソフトガレージ
定価 :4200円
ISBN :ISBN4-921068-28-3
収録作:「ジャイアントロボ」第2部
    「魔法使いサリー」魔術師ジョーの巻
    「宇宙船レッドシャーク」疫病神ジャックの巻
    「コメットさん」
    「バビル二世 外伝」恐怖の予言の巻
    「13番惑星」
    「鉄人28号」ブラックオックス篇

以前の話では、一部に小沢さとるの代筆があるので自分が生きているうちは単行本にしたくないということでしたが、記念出版物ということでおそらくは自分がメインで描いた第2部の方を収録したものと思われます(詳細不明)。

とはいえこの第2部はジャイアントロボ(ビッグファイアの開発番号でいうとGR1)が兄弟ともいうべきGR2、GR3と対戦するという豪華カードを観戦できるわけで、一部分収録ということであっても見ごたえ十分ではなかろうかと。

以上ご報告まで。

ちなみに、冒頭でジャイアントロボに放射線を当てて内部を調べるシーンがあるのですが、頭部にはしっかりバネと歯車が。


ご希望の決戦の様子ですが、まあストーリー自体はたわいもないアクションものでして、今読むと当時の典型的少年漫画、とでもいえばそう間違ってもいないでしょう。ただ、ロボットなどのデザインやメカ描写、特にロボットたちの面構えがすごくよくて、テンポのいい展開とともにすごく好きでした。

お値段があれですけど、去年出たばかりの本ですので興味があれば探してみてはいかがでしょうか。

作者が生きているうちは出すなということなのですが、そう遠くない将来単行本が出版されることがあるとしたら、小学館の学習雑誌に掲載された分も収録希望。


今週のNHK『プロジェクトX! 挑戦者たち』は映画『黒部の太陽』が懐かしい「厳冬 黒四ダムに挑む」。

といっても映画自体は見たことがなくて、『週刊少年マガジン』だったかに連載されていた漫画版をちらちらと読んだだけなんですが。誰が描いていたかも忘れたのに、掘削機「ジャンボ」がでてくるシーンだけはやけに記憶に残ってます。

それはさておき、「厳冬 黒四ダムに挑む」だからってゲストが幻冬社社長の見城氏ってのは、『ためしてガッテン』の小野文恵アナウンサーのしゃれよりひどいような。


NHK つながりで、今週の『その時歴史は動いた』は軍部の命令で作った戦意高揚のための国策映画『桃太郎 海の神兵』という日本アニメーション映画の原点ともいうべき作品の誕生とその影響。

作者のひとりがその前に作った『くもとちゅうりっぷ』、噂は聞いていたのですが動いているところを見たのは初めて。このような作品が戦前に作られていたことにいささか感動しました。

ちなみに、昭和20年4月12日封切りの『桃太郎 海の神兵』では、鬼ヶ島の鬼(に擬した外国将校)がしっかり英語をしゃべっておりました。まあ相手に無条件降伏を迫る場面ですから英語をしゃべる人間をやりこめるという演出ではあるのでしょうが、少なくとも「一切禁じられていた」わけではなさそう。


『雲竜奔馬』4巻(みなもと太郎、潮出版社希望コミックス)、
『ARABIAN NIGHT』1、2巻(長谷川哲也、ノワール出版)、
『「室内」40年』(山本夏彦、文春文庫)など。

00/06/30

うーん、たわいもないアクションものなどといった割に、発掘したとたんに最後まで読み返してしまいました。やっぱりおもしろい>ジャイアントロボ第2部

「黒四の漫画」の件ですけど、私はとびとびにしか読んでないのですがそのシーンは覚えがあるような>下忍さん

でも、少年マガジンの軌跡にも収録されてないところをみると、それほど人気のある作品ではなかったようです。残念。

ところで、あのせりふは実は下忍さんの職場環境だったり以下略。


「20世紀デザイン切手」シリーズ第11集を入手。

郵便局の窓口で「聖徳太子の図柄の入った記念切手シートが出たと聞いたんですが」。なんともまぬけな尋ねかたではありますが、この時点では新聞記事で読んだだけのうろ覚えだったので、正式名称も知りませんで。

「ありますけど、10枚ワンセットでないと買えませんよ」
「ええっ、そうなんですか?」

記念切手はシート単位で買うものだからして、10枚セットだと10シート……無謀な売り方だなあ、でもなんか変だなあ、などと考えつつ、職員の人に教えてもらったパンフレットをながめていてようやく気付きました。

「あの、ここにある10種類の切手でワンセット、という意味ですか? つまり、シート単位でないとだめ、と」
「そうです。あ、まさか、シート10枚と思いました?」

なんでも、記念切手シートの中の一枚だけがどうしても欲しいからばら売りしてくれという非常識な客がたまにいるのだそうで、当方が聖徳太子の切手だけ欲しいと勘違いした模様。それをまたシート売りを知っていたばかりにさらなる勘違いをするやつもするやつですが。

本日の教訓:「小知は無知に劣る」


で、「20世紀デザイン切手」シリーズ第11集にはゴジラの図柄のも入っているのですが、怪獣が切手デザインになるなんてのはこれが最初で最後かも。

そういえばゴジラ映画の新作が発表されたようで。

『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』。とうとうメガヌロンまで引っ張り出しましたか。タイトルを見たときには一瞬アンギラス復活かと期待したのですが、残念。


ああ、もう今年も半分終わり。

ばかな、俺はまだなにもやっちゃいないぞ。(意味不明)


新幹線を作った 島秀雄物語』(高橋団吉、小学館)、
『[新版]社会人のための 国語百科 カラー版』(編集代表 内田保男・石塚秀雄、大修館書店)など。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp