とぜんそう1999年7月分

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99/07/03

あらら、8月末まで発売延期ですか>新刊>夏原さん

立場上、泣く子と版元にはなんとやらってやつでしょうかね。


木曜日の夕方から突如発熱、金曜日の夕方の時点で8度6分。土日は長野県にでかける予定でしたがたとい熱が下がってもあとが恐いから結局断念。皆様来年お目にかかりましょう。

ちなみに、病院で点滴と熱冷ましの処置をしてもらったおかげでおおむね平熱に戻りつつあります。近代医学恐るべし。


2日の『驚き桃の木20世紀』(表記失念)は「キックの鬼・沢村忠」。一世を風靡したキックボクシング王者の栄光への道、転落、そして現在を紹介してました。

当時の映像や写真を織り交ぜて、野口会長とのテレビ局への売り込み、人気の頂点、そして失踪、引退、それから現在の様子まで。マスコミの前に姿を見せるのは引退以来だそうです。

当時、たった一人でキックボクシングを背負っていた重圧や孤独感、しかしそれに対して愚痴や恨みごとひとついうでもない現在の心境。あるいは、そういう心境になってマスコミの前にでることができるまでに引退から現在までの時間を要したのかもしれません。

番組を見ながら頭の中に鳴り響いていたBGMは当然沢村忠みずからが歌っていた「キックの鬼」と「キックのあけぼの」。うーん、ええなあ。

99/07/05

WXG Ver.4.00、4.01をインストールしている方が対象のWXG Ver.4.02へのアップデートモジュールとWXG Ver.4 の英和・和英変換に使用される和英変換辞書を更新するWXG Ver.4 和英変換辞書アップデートモジュールが発表されてました。


日曜午後にはおおむね平熱に戻り、これ以上ごろごろしてると別の不具合がでそうなので外出、何年ぶりかで近所の古本屋へ。ここは車がとめにくいのでめったに立ち寄らないのですが、買い物のついでにちょっくらと。

見坊豪紀の『ことばの海をゆく』(朝日選書)と『辞書と日本語』(玉川選書)が並んでいたので迷わず捕獲。

ほかにも日本語や漢字に関する本がまとまってたけどまあいいか。先の2冊だっていつ読み終わることやら。


夜になって少し前に買った高島俊男先生の最新刊『寝言も本のはなし』を読んでいるとこんな話が。

 原田種成さんの『漢文のすゝめ』(新潮社)第二章「諸橋『大漢和辞典』編纂秘話」に、実は諸橋轍次先生は『大漢和辞典』を一字も書いておらず、また校正刷も見ていない、とあるのを見て、「へえー、そうだったの」としばし口あんぐりであった。
(略)
 これはわたしばかりでなく、世間一般にそういう思いこみ(引用者註:『大漢和』の諸橋先生は世間一般の「編者」と違ってご自分でおやりになったのだろうという漠然とした思いこみ)があるので、原田氏も「秘話」を書いて編纂の具体的過程を明らかにされたのだろう。事実は諸橋氏は、場所を用意したり、人を頼んだり、資金を調達したりといったプロモーターであったようだ。


なんとも意外というか、辞書編纂にはありがちな話というか、いやー、そうだったのかー。うーん。

待てよ、たしかさっき行った古本屋のあの棚に『漢文のすゝめ』もあったよなあ、と思い出して、今日になって仕事帰りに立ち寄るとそこにはまごうかたなき新潮選書『漢文のすゝめ』が。こういう偶然ってあるんですねえ。

人をして人智を超越した存在に傾かしむる瞬間とは以下略。

99/07/09

前夜、マイクロソフトのOffice2000を入れる場所を確保しようとハードディスクの整理。

まったく使わないのでAccess、Powerpoint、Outlookを削除したところ、なぜかIE5付属のOutlook Expressまで消えてしまいました。

雑誌付録のCD-ROMは会社に置いてあるため、夜中に慌ててインターネットからIE5をオンラインインストール。後輩はそんな現象は起こらなかった(Win98)というし、どうなってんざましょ。


うーん、部分的に改善されてるものの基本的にはあんまり変わってないのかな?>MS-IME2000

まあ評価は使ってみてからですが。ということで、恒例のチェック

99/07/11

いまどきの子供が「君が代」をよく知らないのは、教師が「君が代」を嫌ってちゃんと教えないのが原因かと思ってたら、とある番組の街頭インタビューではいい年したおばちゃんたちも「部分的にしか覚えていない」と答えていました。うーん。

単にそういう人を選んだだけなのかもしれないけど、たかが30文字あまりが覚えられないというのもなんだかなあ。

それに、意味がわからないというのもちょっと理解できない。そんなに難しい言葉は出てきてないと思うんだけど。それとも文語調自体がすでに現代人には理解困難になっているのでしょうか。

この前の教科書検定の新聞記事で、教科書の著者が「他の国から侵略を受けたり、支配された歴史をもつ国や地域では、それらの国の国旗・国歌に対して、素直には尊重できない感情をもつ人々もいます」という内容で検定をとおったことを明かしてましたが、これが事実なら過去の歴史やいきさつを考慮して日本が国旗や国家を変えたところで無駄ってことじゃありませんか。それが日本の国旗・国家である限り、どんな旗や歌に対しても「日の丸」「君が代」と同様の感情を抱くでしょうから。

朝日新聞の「天声人語」で紹介されていた沖縄のおばあさんの「みがよ」を「みがよ」に変えるって案はけっこういいかもしれない。


今夜の「知ってるつもり?!」は「劇画界のドン・梶原一騎」。おー、コメンテーターに初代タイガーマスク・佐山聡も出てるじゃないか。

格闘界・映画関係のほうはほとんど切り捨てて漫画原作と家族を中心に据えた構成で、さして目新しい情報もありませんでしたが、「名誉のために言っておきますけど、弟さん(真樹比佐夫)は怖い顔してますけどとってもやさしい人ですから」という佐山聡のコメントが聞けただけでも見た甲斐があったというものです。


アフターサポートについての新聞記事ですが、朝日新聞夕刊と中日スポーツではいきさつと東芝ホームページへの経緯の掲載、東芝広報室のコメントを取り上げて、インターネットによって一般ユーザの声が発信できる時代になったことへの東芝の困惑を伝えるものでした。

対して讀賣新聞夕刊では記事の見出しに「謝罪」をうたった上で記事の中で「『お客様との会話に一部不適切なやりとり』があったなどとする事実上の謝罪文を掲載した」と報じ、毎日新聞夕刊の方は見出しで「東芝、悲鳴の陳謝」として「同社ホームページで『会話に一部不適切なやりとりがあった』と事実上の謝罪見解を掲載した」としてました。

私にはどちらかというと、やりとりに一部不適切なところはあったものの基本的に誠実に応対していて当方に非はない、と開き直っているように読めるのですが、世間的には一部でも事実を認めると「謝罪」や「陳謝」になるのでしょうか。それとも東芝広報室の人の「謝るべき点は謝りたい」というコメントとこれを混同しているのでしょうか。

これを読んだ上で「事実上の謝罪文」と報じているなら、新聞を読むにはかなりの技術を要するということになりそうです。

99/07/12

いしかわじゅんさんが『創』に連載して、年内に出版したいと去年も言っていた『鉄槌』(早く出してくださいよー)によれば、いしかわさんがビッグホリデー側の謝罪を文書でなく口頭でかまわないとしたところ、相手が悔しそうに横を向いて、それで口頭による謝罪が完了したそうな。

つまり、非を認めるということは法律的・新聞記事的には事実上の謝罪になるのかもしれません。となると、「悪かったな、ふん」というのはかなり丁寧な謝罪かも。


廃刊になった『コミックBIRZ』に掲載されていた夢枕獏原作コミックのうち、『餓狼伝』(板垣恵介作画)が講談社の『ヤングマガジンアッパーズ』で7月21日発売号から再開されることが判明しました。

さらに、『陰陽師』(岡野玲子作画)も白泉社から以前とほぼ同じ装丁で3巻まで出ており、いずれ白泉社の雑誌で再会されることでしょう(もう再開してたりして)。

二つとも当代でもっとも面白い漫画だけに、まずはめでたいことです。

99/07/20

仕事の山場と夏ばてに加えて、『アストロ球団』第4巻(太田出版)、『ジャイアント台風タイフーン』第3巻(朝日ソノラマ)、『コンデ・コマ』第11巻(小学館)などなどが発売されていて、ちょっとハードな日々を送っておりました。


てなわけで、水曜日発売の雑誌が一日早く発売されるらしいこのあたりでは、今日が祝日ということで月曜日に「餓狼伝」掲載の『ヤングマガジン・アッパーズ』が出ておりました。新装版単行本は8月6日発売だそうで。


長らくちょいとした劣等感を抱いておりました。原因は『少年H』(妹尾河童)。

読んだことはないのですが、書評などによりますと主人公の少年は小学生だった第二次大戦中にすでに国際正義や戦局の劣勢を悟っていたようです。親の影響もありましょうが、戦時中に小学生だったうちの両親に比べてなんと聡明なのでしょうか。

親や知人や書物などから得た情報で垣間見た当時の雰囲気というのは、必死で戦えば米英にも勝てる、正義は我にあり、弱音を吐くものや日本のやり方を疑うものは許されない、新聞やラジオは景気のいい戦勝報告ばかり、お国のために死んでご奉公はあたりまえ、といった感じだったのです。玉音放送で終戦を知り、日本が勝ったと思った人も少なくなかったようで。

うちの父親なんかも、兵隊になってお国を守りたいと考えていた口だったそうです。母はさすがに上空を飛ぶ爆撃機におびえていたそうですが。

てなことで、田舎に比べて都市部ではずいぶん開明的な人たちが多かったんだなあ、うちは田舎だなあ、なんて考えていたんですけど、先週発売された『週刊文春』の「お言葉ですが…」(高島俊男)で紹介されていた『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)によれば、『少年H』は戦後に出版された年表を下敷きにして「戦後の戦争観」で書かれたかなりいいかげんな本のようです。

たとえば戦時中の出来事であっても戦後にはじめて明らかになったことが戦時中の話として出てきたり、明らかな事実誤認があったり、そうとう間違いが多いらしい。まあものの本によれば戦艦大和も有名になったのは戦後で、戦時中は戦艦長門が花形だったということですが、いつのまにか大和が当時の日本の希望になってたりしますし、こういったことは案外多いのかも。

てなことで、やはりうちの両親は当時としては平均的な感覚の持ち主だったのかもしれない、とひと安心。

しかし、実は高島先生はルビがあまりお好きではないようで、『少年H』の総ルビに反感を覚えていたためにいっそう辛辣になってたりして。


しまった、ご存知ないとわかってたらすぐに書いたのに>ハードディスクで使う新明解国語辞典 第五版

六日のあやめ十日の菊、ちうやつですね。

例の件はもう少しかかりそうです。

99/07/21

坂田靖子さんのサイトの7月20日付の「Spy the Desk」に、夢枕獏原作・岡野玲子作画の「陰陽師」は7月から白泉社の『メロディ』で連載開始との情報が。

ソニー・マガジンの『コミック・バーズ』とあわせて、旧『コミックBIRZ』連載はこれですべて復活かな。


『今日は何の日』によると、 7月22日は「下駄の日」だそうです。

ここの解説を見ると、

7月の七は昔男物の下駄は七寸七分、女物の下駄は七寸二分と決まっていたので7月の七は下駄の寸法から取り、また二十二日は下駄の歯形が漢数字の二とよく似ており、また、松尾芭蔗の有名な俳句『初雪や二の字二の字の下駄の後』と言う名句から二十二日をとりました。


ということですが、7月に初雪が降るわけもなし、芭蕉の句は蛇足というものでしょう。

そして、夏に「雪」は降った(意味不明)。


岡本綺堂伝奇小説集其ノ二『異妖の怪談集』読了。

派手なアクションも大げさな悲鳴も出てこず、体験した人や古い文書に書かれていた内容を聞き書き風にひたすら淡々と語っているだけなのに、読み終わった後に不協和音のようなものを感じたり、背筋を冷たいものが走ったり。

さて、次は其ノ三『怪かしの鬼談集』だ。

99/07/23

ちょっと前に『ビッグコミック・オリジナル』連載の「電脳炎」(唐沢なをき)の単行本が出ました。それも「マック版」「ウィン版」同時刊行。

とはいってもマックとWindowsに特化した内容というわけでもなくて、本編の四コマ漫画はまったく同じで、カバーと巻末記事「いまさら誰にも聞けなかったコンピュータの全て」がそれぞれマック寄り、Windows寄りというだけの、ほとんど人を馬鹿にしたような企画でした。著者のコメントは「しゃれだ、許せ」。

ただし、一応サービス企画として「マック版」「ウィン版」両方を買って添付の応募券をそろえて応募すると、抽籤で500名に電脳炎特製OA仮面携帯ストラッププレゼント。

しかし、いったいそんなもののために同じ内容とわかっている本を2冊も買う物好きがいるのでしょうか。いるとしたらいっぺん顔を見てやりたいものです

99/07/25

所用を終えて昼過ぎに名古屋駅着。新幹線ホームから改札口にかけて名古屋場所を終えて東京に帰る力士の大群、甘い鬢付け油の匂いが立ち込めておりました。

名駅地下の三省堂でこの前書いた『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)を見つけて即時購入。とはいえ845ページもある大著、終戦記念日までに読み終えることはまず不可能でしょう。


田中塁審が、先日の捕球判定を誤審と認める発言をしておりました。ビデオで見直したらダイレクトだったとのこと。

なんでも、協会には試合当日に100件ほど抗議の電話があったのだとか。もしこれが試合のスロービデオでも見てからの電話だとしたら、余計なお世話というものです。審判はその場その場での瞬間的な判断を要求されているのであり、プレイ中に「ちょっとビデオを見るから待ってね」なんてわけにはいかない。

人間だから間違いがあるのは当然で、それがまた試合の味付けにもなる。厳正なジャッジのために、補助的にビデオを導入したらどうかという意見に対して、自分たちのジャッジが気に入らないならビデオに審判させろと大リーグの審判が試合をボイコットしたとかしないとかいう話も聞きます。

「打球はセカンド後方、ライト必死に前進してダイレクトキャッチのようにも見えましたが、塁審のジャッジはフェア。これは物言いでしょう」
「審判団が出てきましたね」
「ビデオではダイレクトのようですが……、あ、協議が終わりました。観客席への説明が始まりますね」
「ただいまの協議について説明します。塁審は打球ワンバウンドと見てセーフに軍配をあげましたが、捕球と打球の着地が同時と見て、打ち直しと決定いたしました」

99/07/30

通勤路の途中に工事看板が立っており、工事期間や工事課所の案内のあとにこんな文章が書いてありました。

工事中御協力お願いたまわります


うーん、「奉る」と「たまわる」では意味が正反対のような。


とある芸能人が「『マスオさん』離婚」と報じられておりました。なんでも男優が女優の家の婿養子になっていたのだとか。

しかし、ご存知のとおりマスオさん一家(マスオ、サザエ、タラオ)は「フグ田」を名乗っており、イソノ家に婿入りしたのでないことは明らか。実は結婚後は別の場所に住んでいたものの、火事で焼け出されてイソノ家に転がり込んで現在にいたっているだけで、べつにマスオさんが養子縁組でイソノ家の一員になったわけではありません。

以前にも同様の勘違いをされていたのを目にしましたが、いつになったらこの誤解はなくなるのでしょう(もう無理か)。


朝日新聞7月29日付「天声人語」より。

 棚田。山ろくや丘陵など急な傾斜地に造られた階段状の水田。一粒でも多くのコメを、と工夫を重ねた先人の勤勉の象徴だ。(略)


以前、「お言葉ですね」で「日本の自然・棚田」を紹介したところ、「自然」にもいろいろ意味があるから辞書を引きましょうという批判メールをいただいたことがあります。

自分で数種類の辞書を調べてみてもそれらしい解説が見当たらず、どの辞書のどの項目を参照すればいいのかたずねてみたもののそれには回答してくれず、「自然」とは「人工」から見て相対的な意味合いもある、棚田はアスファルトやビルに比べて自然に近いから「自然」と呼んでさしつかえないのでは、と自説を開陳しておられました。

じゃあ「東京ディズニーランド」は住所地こそ千葉県であるものの、東京に近いし名前にも「東京」とついているのだから東京都内とみなしてさしつかえないのだろうか、などといった皮相的な突っ込みもできるのですが、それではほんとに見た目だけの話になってしまいます。

ことの本質は、田圃や畑は人間が自分たちで植物の生育を管理するために自然の一部を切り取った地形だ、ということにあります。大げさにいうなら自然への挑戦、自然との戦いです。素朴な風景だから「自然」だなどとは、先人の努力も精神もまったく理解していない都会人の思い上がり以外のなにものでもない。

まあこんな力んだ表現を使うまでもなく、山野と田畑を見比べてみれば田畑がいかに「不自然」な姿をしているかわかろうというものでしょう。

てなことをいえるのは自分が百姓のせがれだからかも。

99/07/31

『少年H』(妹尾河童)が講談社文庫に入っていたのでちょろっとたち読み。ようやく60ページぐらい読み進んだ『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)で指摘していた部分をひとつふたつのぞいてみると、この本を受けてか、あるいは同様の指摘が多かったのか、入営前に脱走した男のことで回覧版が回ってきた部分が「報せが密かに回ってきた」に、4年生と5年生の教科書が混同されていた部分が明確に「5年生の教科書」に修正されてました。

で、『間違いだらけの少年H』ですが、これが前書きからしておもしろい。著者が『少年H』を読んで感じた違和感を、同世代の人は、著者は有名な人だし出版社は一流だし高名な人が推薦文を書いているからいくらなんでもそんな歴史的な齟齬やら史実誤認はないだろうといい、戦後世代には、せっかく自分たちが感動した物語にケチをつけないでほしいといわんばかりに無視されたそうな。

それでも、複数の文学賞の審査委員会(うちひとつは『少年H』の版元が主宰)では史実誤認を指摘して賞の対象から外すきっかけを作りますが、問題箇所を指摘した資料を講談社に渡したものの、その後新しい版を購入して調べても訂正された様子はなかったそうな(今回の文庫では一部修正されてましたが)。おまけに、『少年H』が賞の対象から外された件を報じた雑誌の記者から「妹尾さんから、そんな重箱の隅をつつくような指摘など問題ではないといわれました」。

さらには、山中恒は自分が戦時中のことを書いた本が売れなかったので同じ時代を描いた『少年H』がベストセラーになったのをやっかんでケチをつけているのだ、といううわさや、山中恒がでしゃばらなければ『少年H』は賞を総なめにできたのにという怨嗟の声まで出る始末。

そこで、誤解を解くためにも、重箱の隅をつつくような些細な問題なのかどうかをはっきりさせるためにもこの『間違いだらけの少年H』を書こうということになったそうです。

ただ、これは『少年H』批判のための本ではなく、あくまで「『少年H』論に仮託して、改めて昭和史の問題点をさぐり、」「歴史資料の重要性や、歴史が生きたナマものであることを理解していただくための作業」ということです。そのわりに、ほんとに細かいことまで指摘してますが(なにしろ『少年H』上下巻をあわせたより分量が多い)。

しかし、中には年表に戦時中のこととして掲載されているものの、実は公開されたのが昭和30年という資料まで『少年H』で語られてたりして、いやはや、油断がなりません。この先を読むのがほんとに楽しみです。(続き


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