とぜんそう1999年6月分

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99/06/02

どうやらこれも修正パッチのしわざおかげのようですが、以前書いたATOK12が「いしゃをよぶ」を「医者を四部」と変換する現象がいつの間にか直っております。

で、この現象はどうもATOK12が他の品詞よりも助数詞を優先してしまう傾向を持っているためのようですね。たとえばうちの業界では加工素材を定位置に導く案内を「ガイド」と呼びまして、最初のステーションのものだと「ST1ガイド」なんですけど、ATOK12にかかると何度文節区切りを変更して確定しても「ST1がいど」が「ST1階度」になる。で、「がいど」単体だと候補は「ガイド」と「垣戸」。

つまり、「がいど」という塊よりも「がい」の直前の「1」に反応して助数詞の「階」に変換してしまうと考えられるわけです。けっこう徹底してて、「いちがい」や「いっがい」を「一階」なんて変換したりする。「一階」のばあい「がい」とは読まないと思うんですけどね。

ということで、除数数詞関係を少し追加

99/06/04

筋肉を動かすときに発生する電流で自在に指を動かせる電動義手が展示されるというので、先週の日曜日に第2回国際福祉健康産業展ウェルフェア'99が開催されている名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)に出かけてきました(詳細はこちら)。

期間中、金山総合駅から会場まで無料バスが運行されていて、たまたま私の前にバスに乗りこんだ女性は片足が不自由で二の腕で固定する杖をついていました。福祉や介護関連のイベントということででかけてきたのでしょうか。

でも、ひとわたり中を見回して「あら、席があいてない。立ったままは無理だから乗れないわ。次のにします」とバスをおりてしまいました。見たところ健康な人も少なくないのに誰一人席をゆずろうとしないなんて、いったいこの人たちはこれからどういう催しに行くのかわかっているんでしょうかね。

バスが走りだすと、途中停車もないし国道1号線を過ぎたあとは道も広くて交通量も少ないということで、すんごい神風運転(死語)。件の女性は乗らなくて正解でした。

治ったばかりの足がだるいので目的の展示を見たあと一回りしただけで早早に退散。帰りのバスから西の方を見ると、海の上に干潟が広がっていました。埋め立ててゴミ処理場を作る予定だった藤前干潟。自然保護団体などの反対で計画は取りやめになり、名古屋市はゴミの始末に頭を抱えています。

干潟では鳥が餌をついばんでいて、さっき見た筋電義手とは対極の世界。なんともいろいろな世界を垣間見た一日でした。


『笑ってナットク国語戯典』(岳真也・向井徹・深井照一、三省堂)購入。

「今の若者は、ことばは知らないけれど、感性、感覚はとてもいいものを持っているね」てなことで、いろいろなことばの意味を若者に書かせ、珍回答をまとめた本。たとえば、

青息吐息:青春のさわやかな息のこと。青春の息吹!
足固め:動けない状態をいう。電車が止まって足固めにあってまいった、などと使う。


以前若い女の子(若くない女の子って一体……)に諺の一部を見せて続きを答えさせる番組があって、珍回答を出しては笑いをとっていたものの(例:「溺れるものは」「苦しい」など)、あとで出演していた女の子が「できるだけおもしろい答えを言えと指示されていた」と内幕をばらしておりましたが、これもそのたぐいだったりして。

「送り狼=娘のだんな。」って、こいつ絶対わかって書いてるぞ(考えすぎ?)。

99/06/05

しかし『国語戯典』の件、考えてみたら会社の同僚に「五里霧中」が通じなかった経験があるだけに、あながちやらせではないのかも。となると笑ってばかりもいられませんね。

ところで、101ページ「捨て石」の挿し絵で、海に向かってバカヤローと叫びながら石を投げる青年を「グッドな肩ですね〜」と見つめる野球のユニフォーム姿の「NAGAHIMA」なる人物の背番号が「90」。うーん、さり気ないボケですね〜。

99/06/08

ほぼ1年かけてトップページのカウンタが1万から2万に。皆さん、おひまなんですねどうもありがとうございます。

別に中身が変わるわけでもありませんし、これからもぼちぼちやっていきたいと思いますのでよろしければ今後もお立ち寄りくだしゃんせ。


『笑ってナットク国語戯典』(岳真也・向井徹・深井照一、三省堂)読了。読むところが少ないと速いなあ。おもしろいってのもあるけど。

中に言葉に関するクイズがあって、これも楽しめる。ただ、「紺育」が「ニューヨーク」、「鯛」が「ふぐ」ってのはちょっと。あと、「花瑠瑠」が「ハワイ」と書いてあるけどこれは「ホノルル」のような気が。ちなみに「ハワイ」は「布哇」と書くこともあるようです。

あと、『北斗の拳』で、ケンシロウが鍛えあげた腕力にものをいわせる前にまず「お前はすでに死んでいる」と高飛車なひとことを宣告して相手を圧倒する、と書いてあるのは明らかに勘違いですね。

ともあれ、楽しみながら言葉の勉強(ただし初級)にもなる一冊です。


ようやく自由に歩けるようになったので図書館でちょっと前の新聞をチェック。5月26日付朝日新聞投書欄にこんなのが。

(略)さざれ石が巌となることを比喩として子供たちに教えようというのか。小石はつぶれることはあっても岩に成長することはありえない。こんな非科学的な矛盾だらけの歌詞をそのまま認めようというのか。(略)


礫岩という堆積岩の一種は小石が岩になったものなんですけどね。砂だって積もり積もれば砂岩になるし。さざれ石が一個だけなんてどこにも書いてないんだから別に非科学的というわけじゃない。と、これは小学校の先生に教えてもらった「石が成長する矛盾」に対する反論です。

この歌を詠んだ人は礫岩を知らなかったはずだ、というツッコミに対しては、科学的見地で歌を詠んだわけでもなかろう、と。

子供に非科学的で矛盾だらけの歌を教えちゃいけないというなら、明らかに子供向けに作られた「泳げたいやき君」や「だんご3兄弟」は科学的考察に基づいて論理的整合性を持たせた歌なのでしょうか。

多くの人に親しまれている「蛍の光」だって「いつしか年もすぎの戸を開けてぞ今朝は別れ行く」と駄洒落をかましてるんです。「君が代」の是非はともかくも、和歌や歌詞に条理を求めるなんて野暮ってもんじゃあありませんか。

てなことを書いてたら、さっき立ち読みした『諸君!』今月号の巻頭に同趣旨のことが。

99/06/09

矛盾のない論理的な歌というとすぐに思い浮かぶのが、ウルトラの母ことペギー葉山が「NHKみんなうのうた」で歌っていた「算数チャチャチャ」図を使った解説も見つけました)。

小学生のころに聞いたので理解できないのかと思ったら今歌詞を見てもなかなかに難解。3番なんてひょっとすると私にとっては解の公式より難しいかも。これは歌詞の表現が不条理なのではなくて歌詞のレベルが不条理な例ですね。これを「算数」と呼ぶあたりも不条理至極。

歌っていたペギー葉山本人も、歌詞が全く理解できないのでとにかく丸覚えした、とラジオ番組で告白しておりました。

あ、そういえばなんだかJRAが馬の年齢を数えから満にするとかいうニュースが。ということは、あと何年かして馬が数え年だったことが忘れられると「走れコウタロー」もおばかな歌の仲間にされるかもしれません。

天下のサラブレッド四歳馬 今日はダービー めでたいな


今日は同僚と、6月に生まれた馬は遅生まれということで満三歳までダービーに出さないようにしたらどうか、などという話をしてました。

99/06/13

讀賣新聞6月11日付「編集手帳」より。

◆従来、人間がロボットに求めたのは「役に立つ」ことだろう。AIBOは役に立たない。ただ「心の癒(いや)し」とはソニーの説明だ。国内限定三千台を予約した人の多くが三十代の男性だったというのも興味深い


なんだかいかにも三十代の男性の多くが「心の癒し」を求めているといわんばかりの書き方だけど、日本ではこれまでパソコンにせよ商用BBS(いわゆるパソコン通信)にせよインターネットの個人利用にせよ、草創期のコストがかかるあたりはおおむね20代後半から30代の男性が中心じゃなかったっけ。

要するに女性や40代以上の多くの男性にくらべて役に立たないものに対する出費への罪悪感が薄く、かつ、気が若いからハイテクにそそられやすく、そのうえでいくらか自由になる金を持っている、という条件にあう人が多いのがちょうどそのあたりというだけのこと。

今回はそれに加えてインターネットだけの限定販売。インターネットを使用している人間のデータを加味しないで単純に年齢と性別を見ても無意味だし、申し込みフォームに記入する名前を世帯主にする女性や学生もいるだろうし、そこいらのおもちゃ屋でもっと安く買えるようになったら状況は違ってくるでしょうよ。


ドクター・マッコイ(ディフォレスト・ケリー)死亡。79歳。

ミスター・スポック(レナード・ニモイ)との掛合い漫才は「宇宙大作戦」の日本での人気定着に大きく貢献したと信じております。ご冥福を祈ります。

99/06/14

ちょっと前の新聞チェックシリーズその2。中日新聞5月30日付投書欄より。

(略)その昔、わが日本国も、各地の戦国武将たちが“国盗り合戦”をしていた時代があったが、黒船の来航によって開国をせまられ、各地は一つにまとまった。
 今これと同じことが世界レベルで言えると思う。世紀末を迎える今、民族や人種の違いなどで争っている場合ではない。ダイオキシンなどの環境問題、コンピュータ2000年問題をはじめとする世界的諸問題という名の「黒船」に、人類が一つとなって立ち向かわねばならないのだ。そうでないと、われわれ人類は真の平和を手に入れることができない。それこそノストラダムスの予言のように、本当に絶滅してしまうだろう。


29才のアルバイトの方の投書ですが、なんというか、考えさせられますね。

世紀末を迎えるからなんてのはキリスト教徒だけの話で、例えば仏教やイスラム教などには基本的に関係ない話。戦前の日本だって元号以外に皇紀を使ってたし、実際とある生命保険会社ではコンピュータに西暦ではなくて皇紀を使っていて、とりあえず西暦2000年問題は関係ありません、というところもあります。

などなど、いろいろつっこみどころの多い文章なんですけど、それでもまあ言わんとするところはわからないでもない。ただ、論の前提となっている歴史引用にいささか誤解(もしくは誤解を招きそうなところ)があるので、まともに読む気を失ってしまうんですね。いいかげんな知識しかなさそうだから結論もいいかげんだろう、と。

投書でもこうなのだから、況や商業的出版物においてをや。


いやー、おもしろい>大嘘新聞

絶賛。まだの方はぜひ。

朝日新聞のエイプリルフール記事もこれぐらいのセンスがあれば文句もつかないだろうに。

99/06/18

ちょっと前に高島俊男先生の『三国志人物縦横談』(大修館書店)読了。正史『三国志』を中心に、ときに小説『三国志演義」とくらべつつ、主要登場人物を詳しく紹介しています。

これがまた得意の歯に衣着せぬあの語り口でめった切り、という感じの胸のすくような内容。三国志演義では主役はずの劉備なんてもうすんごい扱いで、いい面を探すほうが難しいぐらい。

正史と小説の違いを改めて教えられた次第です。


夏原武さんWXG Ver4.00 を導入されたということで、それを記念して「理想のかな漢字変換はどれだ?」にチェック項目追加。いささかおどろくべき変換結果におどろくべし。

たぶんもう直してあると思いますが、WXGシリーズのリビジョンアップはこちらで。

99/06/20

『新聞に見る日本語の大疑問』(毎日新聞校閲部編、東京書籍)読了。毎日新聞に毎週掲載されている校閲部員による随筆をまとめたもの。

表現や漢字表記はいうに及ばず、人名や地名に始まって、野菜の名前にスポーツの記録、暦年、颱風、専門用語……これらをすべて出稿前にチェックするってんだから、いやはや校閲って大変な仕事なんですね。まあ世の中に楽な仕事なんてそうありはしないけど、港がないはずの都市に船が入港したり、写真の説明文に「選手同士が握手」とあるのに肝心の写真は握手してなかったりといったことまで確認してるわけで、こりゃあ大変な知識と注意力をを要する作業です。

表外字の問題や表記のあたりでちょっと引っかかる部分もないでもなかったけど、非常におもしろく読めました。

しかし、言い換えと忌詞ってのはだれでも考えることなんですね。この本の中にもちゃんとでてきてました。

あと、颱風の番号は正式には西暦年の下二桁とその年の発生順の番号を合わせるものだそうで(これが書かれた当時の93年の颱風13号だと「台風9313号」とか)、こっちの西暦2000年問題は解決しているんでしょうか。

99/06/24

何をおどろいたって、本日書類を書いているときカタカナを思い出せなかったちうのはもう以下略。

頭に浮かんだ言葉とキーボードの対応に問題はないかわり、どんどん手書きの感覚を忘れてるんだろうなあ。


ちょっと前の地元ラジオで、アナウンサーが『日本語練習帳』(大野晋、岩波新書)を読んだ感想を述べていました。

彼曰く「言葉というものは個人で違うものではないでしょうか」。

突き詰めればそうでしょうけど、あの本で取り上げた内容について放送に携わる人がいうことでもないような。この人は何を基準に聴取者に「言葉」を伝えているのでありましょうか。


『玉藻の前』(岡本綺堂、原書房)読了。平安末期を舞台に暗躍を試みた妖狐・玉藻の前と青年の恋物語。謡曲『殺生石』などとは一部登場人物が異なってます。

古塚にひそむ妖魔に魂をのっとられた少女・みくずは時の関白藤原忠通の寵を得て玉藻の前と呼ばれるようになり、忠通・頼長兄弟の反目を足がかりに着着と宮中進出の策謀をめぐらせる。一方、藻の幼なじみ・千枝松が妖魔に魅入られて死にかけているところを助けた陰陽師・安倍泰親は、玉藻の前の正体を妖魔と見ぬいてこれを折伏しようと試みる。はたして都は妖狐の魔手にかかるのか、千枝松と藻の恋の行方は……。

てな感じの話なのですが、読もうという気になったのはおそらく『うしおととら』(藤田和日郎、小学館)や『封神演義』(藤崎竜、集英社)が一因ではありましょう。「金毛九尾の狐」という妖怪は知っていたものの、『うしおととら』を読み終わったあとで「白面金毛九尾の狐」という呼び方もあると知ってちょっと悔しかったことを思い出したりして。

で、取り掛かってみるとこれが意外にさくさく読める。新字・現代仮名遣いなのだからたぶん元の文章ではないにしろ、地の文はやや時代がかってはいるもののおおむね現代の言葉、せりふは平安時代を思わせるような口調で、あまりなじみのない言葉がかなり頻繁に現れるのにさほど苦労もせずに読み進めてしまうんですね。語り口のうまさというのか、実に魅力的な文章です。

たしか都筑道夫あたりが、「伝七捕物帳」(未読)は明治に生まれ育った岡本綺堂の目から見た江戸時代だとか書いていて、それなりの堅い、古めかしいものを覚悟していたのに、へたな現代の小説よりよっぽど読みやすいしおもしろい。解説にあるように、多くの戯曲を手がけて磨かれた文章力のおかげかもしれません。

その解説の中にこの物語を読んで『牡丹灯籠』を思い出したとか書いてあるのですが、私のほうは平井和正の『魔女の標的』、もっと正確にいうと平井和正原作で池上遼一作画の『スパイダーマン・金色の目の魔女』を思い出しました。

『玉藻の前』の中で玉藻は、関白忠通を籠絡したのをはじめ、仏法を乱すために法性寺の隆秀阿闍梨を持前の知性と美貌で虜にしてしまったり、自分を恋い慕う武人をけしかけて自分に言い寄ってくる用済みの男を殺させたあげく、その武人も死に追いやったりします。

その様子は確かに玉藻の妖力によるようでもありますが、解説でいっているように彼らが玉藻の魅力に狂って自滅したとも見えます。で、『金色の目の魔女』に出てくる「魔女」(主人公の高校に赴任してきた女教師)の周囲の人間たちも、彼女をめぐってついには殺し合いまでやりだす始末。

暴力の巣窟と化した学校についには機動隊が突入し、混乱のさなかで「魔女」は流れ弾に当たって絶命するのですが、死のまぎわに主人公にだけ打ち明けるのです。人が自分の目を見て邪悪になるとしたらそれはその人の本性が邪悪だったから……、自分は魔女になりたくてなったわけじゃない、人間の本性が恐ろしい怪物だとしても、それが自分の罪なのか、と。

まあ玉藻の前はこんなふうに思い悩んだりはしないかわりに、嫉妬深さのほうは安珍清姫の清姫もかくやとばかりのすさまじさ。いずれにしても天竺での斑足太子の寵姫・華陽夫人や震旦は殷の紂王の妃・妲己のような権力を身につける前に滅ぼされたせいかもしれませんけど、この物語での玉藻の前はなんとも蠱惑的な女性として描かれておりました。

99/06/25

で、件の『玉藻の前』(岡本綺堂、原書房)のシリーズ名なんですが、奥付は「岡本綺堂伝奇小説集其ノ一」なのに表紙とカバーと扉は「岡本綺堂伝記小説集其ノ一」になっておりました。困ったもんですね。第2巻がどうなっているか楽しみです。

おっと、帰りに書店に寄ったら第2巻がでてました。カバーは「岡本綺堂伝奇小説集其ノ二」になってます。ちなみに書名は『異妖の怪談集』。


中国の野球は日本では力のこもっていない球なんだなあ、と寝不足の頭でふと考えたりして。

99/06/28

えーと、「コメディ」と「ギャグ」が別のジャンルというのは10年ぐらい前に漫画家のとり・みきがいってたような。今の日本にギャグ漫画はほとんどない、とも。

それはさておき、ほかの情報も役に立つけど「いろいろ」が一番楽しみ、に1票>お笑いパソコン日誌


犬型ロボットのつぎは虫型ロボット、という噂を教えてもらってこちらへ行ってみました。

うーん、QuickTime画像に入ってる「足音」がなにやら無気味。

99/06/29

脱稿おめでとうございます>夏原さん

7月下旬には書店チェックを怠らないようにしなくちゃ。


ちょいと実家に戻ってたけ参り。新仏あらぼとけのでた家が親戚を集めて伊勢の朝熊あさま山頂にある金剛證寺こんごうしょうじ施餓鬼会せがきえをいとなんでもらう地元の行事に参加してまいりました。「岳参り」というぐらいだから山岳信仰と何か関係あるのかもしれませんが、不勉強にして詳細不明。

金剛證寺の「奥の院」には近郷の仏さんの卒塔婆そとうばが奉納されているのですが、先祖代代の近郷一帯ですからその数は知れず、いやはや壮観。中にはファンが奉納したという石原裕次郎や美空ひばりのものまで並んでます。

星野之宣の『ヤマタイカ』(潮出版社)に沖縄神女団の神子みわこたちと四天王が朝熊山頂で対決する場面があるのですが、その時四天王の一人が「金剛證寺の奥の院にきさまらの塔婆を立ててくれるわ」と、不謹慎というか、地元の人が思わず苦笑してしまうせりふがでてきたりします。まああそこの奥の院の卒塔婆が漫画のネタになるのはこれが空前にして絶後でありましょう。

どうも待合所に貼ってある紙を見た限りでは前後三日間に分けて地域ごとに施餓鬼会がいとなまれるようで、私が参加したのは二日目の28日。昨日までの雨も上がり、日中は陽がさすほどの上天気でした。

ところが、日曜日にはこの日に数倍する人出だったというのに土砂降りと強風、おまけに山頂までのぼってくる伊勢志摩スカイラインには濃霧がでていたそうで、さらに火曜日はまた大雨。まったく幸運でした。

施餓鬼会が終わったあと、親戚の息子さんが入院しているというので帰省ついでに母と妹と一緒にお見舞いに行ったのですが、いろいろあって急遽妹の子供二人もついてくることに。

病院の売店で母と妹が袋を買って見舞金を用意している間、妹の子供二人にお菓子を買い与えて売店の外で遊んでいると、見舞い相手の患者さんのお母さんが通りかかりました。なんでも息子さんが散歩に出ているとかで30分も捜し回っているとのこと。伊勢の日赤病院は意外と広いようです。

それじゃこっちもなかなか会えないかも、とか思っているところにいきなり息子さん登場。話をはじめたところに母と妹もやってきて、無事全員顔を合わせることができました。

偶然ついてきた子供たちがいなければむこうの親子と私たちもすれちがっていたところで、ここにもまたちょっとした幸運が。人をして人智を超越した存在に傾かしむる瞬間とはこういったものなのでしょうか(おい)。

ことほどさように神風の伊勢は不可思議が日常的に起こる土地柄なのであります。ましてや以下略。

99/06/30

うーん、漫画の話はドラマにまでは敷衍できませんか>ギャグとコメディは別物>ちきんさん

まあギャグがメインになってるドラマっていうと「それいけスマート」とか「じゃじゃ馬億万長者」、「かわいい魔女ジニー」とか火星人やしゃべる馬がでてるやつ(タイトル失念)ぐらいしか思い浮かばないしなあ。日本では特に難しいかも。しかもこれらは「コメディ」とか呼ばれてたような気がするし。

あれはどっちかちうと「シチュエーションギャグ」じゃないかと思うけど。


ところで、うちのPC9821Nr150には最初から2.0が入ってました>NECAIIME95

改良したうえでこの結果ということのようです。やはり掲示板でも話題が出ているように、単漢字変換が一種理想のかな漢字変換なのかもしれません。あと、初期のN88-BASIC(86)の漢字コード入力とか。


本日、雑誌附録の NetscapeCommunicator4.6 をインストールしたのですが、CSSはあいかわらずだめ。

しかし、ここのインストーラはなんで毎度毎度 MS-IE のメールクライアント設定を勝手に Netscape のものに変更しちゃうんだろう。よそのブラウザはほっといてほしいもんです。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp