とぜんそう1999年5月分

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99/05/02

4月30日分がちとわかりにくいみたいだったので手直ししました


『吉里吉里人』(井上ひさし、新潮文庫)読了。著者の知識量には圧倒されました。

ただ、小説の「記述者の視点の問題」というやつでこの本にもちょっとひっかかりが。あの冒頭の記述とあの「記録者」ならあそこで話を終わらせなくてもよさそうなもんだと思うのですけど。それともあの世界では類似の事件はあのあと一切起こらなかったということでしょうか。

あんなひねったことをせずに普通に終わってくれててもよかったような。


『中国の大盗賊 天下を狙った男たち』(高島俊男、講談社現代新書)読了。

漢の昔から現代中国までを盗賊の天下取りという視点から眺めた歴史物語。幅広い知識と筋の通った推測を持ち味の歯切れのいい文章でまとめてあります。おもしろい。

こういう本を高校時代にでも読んでいれば、あるいは人生が変わっていたかもしれません。いや1989年発行だからしょせん不可能なんだけど。

99/05/04

先日書いた兼六園の巨大ぜんまいですが、YOKOさんが実際に出かけてみたところ、料金窓口の人から否定的な反応とともに教えてもらった場所にはそれらしい植物は見当たらなかったそうです。(こちらの「風鈴’あらうんど」参照)

「兼六園管理事務所は、『桜の後はゼンマイ見物を』とPRしている。」という報道は一体なんだったのでしょう。

とはいえ写真までつけての記事だったし、植物の実在まで否定するのはむつかしい。そこで假説をいくつか。

(1)その後も成長を続けてすでに巨木になっていたために気づかなかった。
(2)実は地下に埋まっている部分も含めて1メートル。
(3)空中のある高さ以上は異次元に伸びていた。
(4)すでにだれかの腹の中。
(5)保護色を使っていた。
(6)目の錯覚。
(7)乱心法火遁の術。
(8)巨大隕石の衝突で絶滅した。
(9)エイプリル・フール。
(10)叙述トリック。
(11)神隠し。
(12)ユダヤ=フリーメーソンの陰謀。
(13)太陽が黄色く見えたから。
(14)夢オチ。
(15)それでも地球は回っている。
(続き)

99/05/07

NHK総合テレビの金曜時代劇「しくじり鏡三郎」を見ました。いやもうなんというか。

主演は中村雅俊。往年の青春ドラマシリーズの主役を張っていた人。で、予告編のBGMが「夢の坂道は木の葉模様の石畳……」ではじまるおなじみ(の人にはおなじみの)「おれたちの青春」(これはこの曲を主題歌にしたドラマタイトルで、曲名は違ってたっけ?)、ラストテーマは「あヽ青春」と、中村雅俊主演のドラマの主題歌オンパレード。

さらに今日の放送はサブタイトルが「青年は荒野をめざす」。クライマックスシーンではこの往年のヒット曲の伴奏をバックに歌詞を読み上げるという念の入れよう。

毎回この調子だとしたら、オールドファンは要チェックかも。


昨日ラジオを聞いていたら、先日世界タイトル戦を戦ったプロボクサー・ウルフ時光のリングネームについて評論していました。

中の一人が「僕らの世代だと『ウルフ』というと千代富士ですけどね」。

うーん、プロボクサーだし、「ウルフ」とくれば「金串」だろうと考える私のような人間は特殊なのかもしれません。


会社のCAD端末でWinNTエクスプローラを使ってネットワークドライブ上のファイルを探していたら、後輩が自分のファイルを入れるフォルダを作っているのを見つけました。で、フォルダの名前が「xxx FAIL」(「xxx」は後輩の名前)。

本人は「ファイル」のつもりなんだろうけど、文字どおりの失敗ですな。


5月5日付の朝日新聞朝刊に「半世紀前にも学校5日制」という記事。一部の地域で占領軍の勧めもあって学校5日制が実施されたそうですが、不評で結局ほとんどは2年ほどで廃止されたとか。で、記事の中にこんな部分が。

(略)学校の様子や社会の空気は今とはだいぶ違うが、タイムスリップをしてみれば、もしかして学校5日制を考えるヒントが見つかるかもしれない。


自分の生きている時代と違う雰囲気のところへ行ったときに「タイムスリップしたみたい」などということはありますが、こういう使われ方ははじめて目にしますね。意味としては「過去を検証してみる」ぐらいでしょうか。

もともとは SF 用語で、ある時代の人や物がいきなり別の時代に飛ばされる現象。「滑り」などとも訳されています。言葉自体は映画「ファイナル・カウント・ダウン」や「戦国自衛隊」などで一般化したものと記憶。

その後テーマパークなどのキャッチフレーズで「○○時代にタイムスリップ」なんてのがはやり、「タイムスリップ・コンビナート」とかいう小説が高名な文学賞をもらったりしてますね。

しかし、いずれにせよ「スリップ」というぐらいで偶発的現象なのですが、この記事だと意図的なもの。それならそれで SF だと「タイムトリップ」「タイムトラベル」てな言葉もあるのに、なぜか意味を無視して「タイムスリップ」。

確かに漢語ややまと言葉を使うよりはカタカナの方がしっくり来る場合もありましょうが、「過去を検証」ぐらい理解できないほうがおかしい。使いなれないカタカナを無理に使ってみても、かえって読者が眉をひそめるだけではありませんか。


NHK総合テレビ「食卓の王様」で鰹の茶漬け! 大好物ですじゃ。

うちの実家の方ではお茶は使わないものの、基本的な作り方は同じ。もっとも簡単に作るには、残った鰹の刺し身をひときれふたきれ茶碗の底に入れて醤油を適当に垂らし、お好みで生姜など少々。そこへ熱湯をかけ、刺し身が白っぽくなったところへ御飯を入れる。熱いのでご注意を。

味が薄いようなら醤油をたしてください。鰹ダシがきいて、えもいわれぬうまさです。


名古屋の出版社が個人情報を流出させてしまった件の Yomiuri−OnLine の記事。

(略)ミスに気づいた同社が電話やファクス、手紙で謝罪したが、「どうして個人情報が流出するの」などの苦情が相次ぎ、情報の回収を急いでいる


情報って回収できるような性質のものだったっけ?

99/05/12

6日の朝日新聞朝刊「ストレス手帳」より。

(略)マイケル・キートンが建築現場の監督を演じる『クローンズ』(九六年)は、そんな現代人の夢を描いた作品だ。
 働きに出たい奥さんの希望をかなえるため、キートンはクローンを作ってもらう。それでも家事や育児は大変だとわかって、さらに二番手のクローンを作り、自分はヨットやゴルフに出かける。ところが、クローン二人も自分たちが忙しいことに気づいて、クローンのクローンを作ってしまう。計四人の「私」が一人であることを装うのに苦労するドタバタ喜劇だった。(略)


二十数年前に読んだ星新一のショートショートにこんなのがありました。

ある男があまりに仕事が忙しいので、もうひとつからだがあれば遊びに行けるのにと思っていたところ、その願望が実体化して自分がもう一人出現。

ところがこの「自分」、遊びにいきたいという願望で現れただけあって自分のかわりに遊びにいくのが使命。やむなく男はもう一人自分が現れて自分のかわりに仕事をしてほしいと念じ、ようやく遊びに行ける身分に。

さてそうなるとおさまらないのが仕事をするために出現した「自分」。おれだって遊びにいきたいんだ、と自分のかわりに仕事をしてくれるもう一人の自分がいてほしいと念じ、さらにその自分は……。

最終的に、こんなに同じ人間ばかりいたんじゃややこしくてしかたがないというので不必要な「自分」が消されることになったのだが、だれを残すかでひと悶着、結局、最後までまじめに仕事をしていたのが残されたというオチだったと記憶してます。

この相似が偶然なのかどうかは知りませんが、洋の東西を問わず人の願望というのは似たりよったりなのでしょうかね。ああ、私ももうひとつからだが欲しい……でも生活費が大変だろうなあ。生活費をかせぐためにさらにもう一つからだが以下繰り返し。


『日本語練習帳』(大野晋、岩波新書)を買いました。まだ途中ですがなかなかおもしろい。とりわけ「は」と「が」の違いについての解説がいいですね。

ただ、「外相来日した」と「外相来日した」の件は、確かにニュアンスが違うとは思うものの、あの解説ではなんとなく納得がいきませんでした。「外相が……」というのはまあ事実をそのまま伝えたという感じですが、「外相は……」の方はなんだか来日しただけで話は終わらないような雰囲気というか何というか、うーん、うまく説明できない。

で、すでに内容を忘れてしまいましたが、高島先生が「お言葉ですが…」(週刊文春連載)で文句をつけてたのはこの部分ではなかったかと。

(「明白な」「明確な」「鮮明な」「明晰な」と並んだ単語をさして)上の段の漢語を、和語、ヤマトコトバで言い換えると何となりますか。一つの単語ですべて置き換えられます。つまり「はっきりした」一つになる。
 和語なら一つですむものを、漢語だと四つに言い分ける。それだけ漢語は一語一語の意味が細かく分かれているということです。(略)


これに対してたしか英和辞典でひとつの単語にいくつもの日本語の訳が載せてある例をひいて、ほかの言語と日本語は単語レベルで一対一で対応しているわけじゃないから漢語の方が日本語よりも一語一語意味が細かく分かれているとするのはおかしい、といった論旨を展開していたと思いました。

99/05/19

兼六園の巨大ぜんまいの件、無事解決したようです。詳細はこちらの「風鈴’あらうんど」参照。

前回の假説でいくと(1)になるのかな。


『日本語練習帳』(大野晋、岩波新書)読了。おもしろい。

「練習」とその解答・解説もさることながら、「お茶を一杯」と題した雑談がまたいろいろ示唆に富んでいたり蘊蓄を開陳したりしていて興味深い。

就中「最後のお茶を飲みながら」の中で紹介されている師・時枝誠記と交わしたやりとりとその分析が目をひきます。

「それでは先生は言葉は通じるものとお考えなのですか、通じないものとお考えなのですか」
「通じるときもある、通じないときもある」
 なるほど、言葉は甲と乙の間で物を受け渡すような、甲の渡したものがそのまま乙の手に残るといったものではない。言葉のやりとりの間には、誤解が日常的に生じている。つまり通じない。曲解ということさえある。(略)また、これは事実ではないと知りながら、あたかも真実のようにいう「嘘」もある。われわれはそういう確かさの欠如、不安の中で生きている。(略)


いやー、冷や汗が出ますね、こういうのを読むと。肝に銘じてしっかり読んだり書いたりしなきゃ。

ひとつツッコミを入れるなら、このあとに「相手がaと取れるように、aとだけしか取れないような形式を選び出して表現することを心がけなくてはならない」と書いてあるのですが、180ページにこういう部分があります。

遠いものと扱うことが尊敬することだった。


私は最初「『遠いもの』と『扱うこと』が『尊敬すること』だった」と読んでしまって、あわてて読み直しました。「遠いものとして扱うことが尊敬することだった」としたほうが混乱がなかったのでは。そんなひねくれた読み方をするやつは私ぐらい? ごもっとも。

ま、些細なことではありますが、ここまで淀みなく進んできたのにいきなり引っかかる表現が出てきたような次第で、いい本だとこんなことさえ気になってしまうちうことでひとつ。

このあと雑感が延延続くのですが冗長なので別掲。御用とお急ぎでない奇特な方だけどうぞ。


国内で2例目の脳死臓器移植からすでに一週間以上。前回の反省に立ってか今回は情報公開も慎重に。

某氏の日記などによれば予想されたとおりマスコミからは反撥があったようですが、最初のときのあの馬鹿騒ぎを思えばマスコミへの対応はこれで正解でしょう。

ということで、これもこのあとが冗長なので別室送り


先日のNHK総合テレビ「クイズ・日本人の質問」で、ゲスト解答者に黒部進・吉本多香美親子が登場。司会の古舘伊知郎が「親子二代にわたって『ウルトラマン』に出演しています」と紹介したはいいけど、そのすぐ隣にすわっていたのが榊原るみ

ウルトラマンにことよせて彼女が『帰ってきたウルトラマン』に出演したことにも触れてほしかった。


Yomiuri−OnLineによると、ブラジル政府がインターネット上の児童ポルノ・サイト取り締まりのため、コンピューターシステムに侵入して不法行為を行うハッカーに捜査官役を依頼する方針を決めたそうな。既存の検察・警察当局にそれだけの能力を持った要員がいないためだそうで、正直というか何というか。

しかし、毒をもって毒を制すというこの状況、犯罪者に犯罪者を取り締まらせる『ワイルド7』(望月三起也)みたいやな。

99/05/21

長きにわたった上半身と左足強化のための特別プログラムを終了。しかし、もとがもとだけに筋力アップになったかどうかは不明。

だからっていきなり5000円分も本を買うなよ−。


Yomiuri−OnLineの記事にはときどきURLが書いてあるものの、新聞記事をそのまま打ち込んでいるせいなのか、たいてい全角文字(例:「◆5月20日付・編集手帳(略)ホームページは、http://alpha‐plus‐music.com/」)。

頼むから半角にしてくだされ。コピー&ペーストもできゃしない。


近所の書店で『日本語練習帳』(大野晋、岩波書店)の隣に『日本語の年輪』(大野晋、新潮文庫)が並んでいたので購入。まだ途中だけどこれもおもしろそう。

99/05/24

うーむ、右足のふくらはぎだけ筋肉痛。デスクワークしかしてないのに。


大相撲夏場所の表彰式をテレビで流しながら『遠くへいきたい volume3』(とり・みき、河出書房新社)を読んでいると、いきなり「ヒョーショージョー」の声。

すわパンナム復活かと思ったら、小渕総理による内閣総理大臣杯の授与でした。最近の不景気下げ止まり感のせいか内閣支持率が50%近くにまであがっているそうで、こころなしか表彰状を読み上げる声も活き活きとしております。

さすがにこんなところで事件は起きないか、とか思っていたら、授与が終わったあと土俵から下りた小渕総理の後ろを一人の老人が追いかけていき、場内整理係にとどめられる様子が土俵全体を俯瞰したテレビ画面のすみに映っておりました。

おお、これは、というかすかな期待(おい)に反してどうやら単なる酔っぱらいらしく、足元もふらふらで腕を取られると砂かぶりにすわりこんでしまいます。当然他人の席で、場内整理が立たせようとしましたが、そのあたりで「異変」に気づいたディレクターの指示でしょうか、画面は優勝した武蔵丸のバストショットに。次に土俵全体が映ったときには老人の姿は忽然と消えておりました。

いったい何が起こったのでしょう。首相への景気対策直訴? 日米防衛協力の指針に対する意見? それとも握手でも求めにいった? あるいは自分の電話番号を教えに?

はたして真相がつまびらかになる日は来るのでしょうか。


NHK総合テレビ「ニュース11」で中国の新商売を取り上げ、そこに勤める女性・リク トラさんを紹介してました。

「トラ」さんとはまた中国人には珍しい名前だと思うけどどんな字を書くのだろうと画面を見ると、スーパーは「陸 」。

「男はつらいよ」じゃないんだから。

99/05/26

お笑いパソコン日誌で取り上げられていたのを見て、先日面倒だから飛ばしたATOKの作り方〜「入れ立てのお茶」のナゾ〜を読む。登場人物の一人・KOTAくんって、ATOKを逆に書いただけだったりして。

なるほど、いろいろ根拠を挙げて「お茶を入れる」が第一候補になっている理由が書いてあります。確かにこれを読むと「お茶」は「入れる」のがいちばん無難なのでしょうけど、そこまでいうならいっそ読み手が自由に字をあてはめることができる意味もこめて「いれる」としたほうが潔いという気も。

で、「おちゃをいれる」の変換候補で「入れる」が「淹れる」より先に来る理屈はわかりましたが、「お茶を淹れる」を容認してるのに「いれたてのおちゃ」を「入れ立て」「入れたて」「いれたて」としか変換しないのはどうしてなんでしょ(参考)。

「いれたて」は「淹れ立て」と字を当てたほうが雰囲気出てるような。ちなみにCD-ROM版広辞苑第五版の見出しは「入れ立て」のみ。

あ、ひとつ発見。ATOK12に修正パッチを当てたせいか、「入れた手のお茶」に変換できなくなってる。最初はできたのに。再インストールの時にでも確認しよう。

99/05/28

MP3 に絡んだ初の摘発を報じた朝日新聞の記事より。

 愛知県警は今後の捜査で、少年が作成したホームページにどのぐらいアクセスがあったかどうかを調べる模様だ。


以前「お言葉ですね」の方でとりあげ、高島俊男先生も文章の中で使っている例を紹介しておられたが、自分の目で見るのは初めて。うーん。

ところでこれを見かけてすぐの本日、毎日新聞校閲部・編の『新聞に見る日本語の大疑問』(東京書籍)という本を偶然に見つけました。帯に「丸谷才一氏推薦す」。

全く偶然というか、丸谷才一の名前を使って「淹れたてのお茶」問題を論じていた(笑)ページがあり、そのなかでここへのリクエストがありました。

で、またまた偶然ですが、昨日届いた『日経パソコン』に JUSTSYSTEM の新しい広告が掲載されており、それに絡めてここを更新しようとしていたのでありました。

ということなので、例によってデータを並べただけですがご笑納のほどを。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp
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