とぜんそう2001年10月分

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01/10/01

【アメリカ中枢テロ雑感・続き】
てなことを書いたら、英国のブレア首相が、ビンラディン氏があのテロを指示した確たる証拠を見た、というような発言をしたと NHK の今朝のニュースで報じておりました。

でも、いちおう疑わしきは罰せずというのが日本の刑法の精神だそうですので、それに倣って状況証拠だけでものをいうのは現段階では避けております。


【焼き肉屋受難の時代?】
サカタBOXの“Spy the Desk”9月29日分によると、週末にはいつも混み合っていた焼き肉屋の駐車場に、金曜の夜の時分どきだというのに1台しか車がとまっていなかった、という話が書いてありました。例の狂牛病騒ぎの余波みたいです。

で、こっちのほうなのですが、先週末もとある焼き肉屋の前には車がずらっととまっておりました。

事態を軽く見ているのか、自分だけは絶対大丈夫という根拠のない自信を持っているのか、はたまた河豚の肝みたいにアブないものほどおいしいという噂が流れているのか、とまれ当地ではまだしばらくは焼き肉屋さんも大丈夫なのかもしれません。

あっちのほうではどうなのでしょうか?

01/10/02

【きょうの覚悟しつつもやはり落胆】
言葉にするとほんとになりそうで黙っていたのですが(某掲示板では真っ先にこれを心配したのだが)、アメリカ中枢同時多発テロ事件で開催されるかどうか不安だったThe Japan Airshow 2001が正式に延期されたようです。

予想していたとはいえ、やはりがっかり。○ン○○○ンのばかやろー(昨日と言ってることが違うぞ。ちなみにアメリカが「証拠」を示すのはここ一両日らしい)。

まあ撮影練習の時間が増えたと解釈しておきましょう(負け惜しみ)。

01/10/04

【きょうの反省】
酔いに任せたとはいえ、じゃなくて、相手がイスラム教徒では「酒の上でのことなので」が通用しないと考え直して前回の分を修正。すんません。

ところで、「銃後の守り」というのは戦闘行為に参加せずに後方支援する自衛隊のことをさす言葉でしたっけ(違う)。

01/10/06

【きょうの天声人語】
江戸時代の盗賊・鼠小僧次郎吉が追っ手をかわして屋根から屋根へと逃げることができたのは江戸の町の夜が暗かったからではないか、ではないかてなことが書いてありました。

 「夜、部屋の真ん中で侍が手紙を読むシーンが時代劇に出てきますが、あれは無理。あんどんの近くに身を寄せて、やっと読めるくらいの明るさ」と武蔵工業大学の乾(いぬい)正雄教授は言う。

 乾教授によると、100ワットの白熱灯の照度は200ルクスほどだが、あんどんは、せいぜい10ルクス。まして戸外に一歩出ると、往来の人の顔もはっきりしない闇がひろがる。それが世界に冠たる大都市、江戸の夜の姿だった。


そんなに暗かったら次郎吉だって屋根を踏み外しそうなものですが、それはおいといて、じっさい当時の夜はほんとに暗かったらしい。

永井豪の『バイオレンスジャック』という漫画に、「(関東地獄地震で)東京がつぶれてよかったことは星がきれいに見えるってことだけさ」というせりふが出てきますが、それぐらい都会の、というか現代の照明は明るいそうで、なんでも2000メートル級の山に登っても天体観測には「光害」がつきまとうのだとか。

でも、それじゃ江戸の夜は闇ばかりだったかというとそうでもなくて、ちゃんと例外もあります。そ、月夜ですね。ものの本によれば満月は新聞が読めるぐらいの明るさということです。

「月夜の晩ばかりじゃないぞ」とか「世の中はいつも月夜と米の飯 それにつけても金のほしさよ」とか「他人恐ろし 闇夜は怖い 親と月夜はいつもよい」てな言葉は月夜が異常なまでに明るかった昔の名残なのでしょう。

ということで、鼠小僧も月の出ている夜に活動したのでは(じつは次郎吉には実在のモデルがいて、鼠小僧も「寝ず見」からきたらしい)。


テロの影響で楽しみにしていたエアショーが延期になったということは、私もりっぱな「テロの被害者」ということでしょうか。

ちなみに、エアショー延期の情報源はタレコミ電話でした(おい)。感謝。

01/10/09

【きのうの疑問】
8日付の朝日新聞一面にアメリカ軍のアフガン攻撃の大見出し。記事によると「攻撃開始は現地時間7日午後9時(日本時間8日午前1時半)」。

で、社会面を見ると、今度は「深夜の報復第一撃」の見出し。

 「報復」の第一撃は、やはり深夜の空爆だった。(略)


午後9時が「深夜」ということは、アフガニスタンの夜がそれだけ暗いということでしょうか(<まだ月夜の話を引きずっている)。ひょっとして、日本の時間と勘違いしたとか(まさかね)。朝日新聞ではどのぐらいの時間帯を「深夜」と考えているのでしょう。

また、広辞苑第五版では「空爆」および関連用語の定義はこうなっています。

くう‐ばく【空爆】
空中爆撃の略。

くうちゅう‐ばくげき【空中爆撃】
空中から航空機によって爆弾を投下すること。水平爆撃と急降下爆撃とがある。空爆。

ばく‐げき【爆撃】 航空機が爆弾・焼夷弾・ロケット弾などを投下・発射して敵の戦力や国土を破壊すること。


「爆撃」が航空機によるものであるなら、なぜわざわざ「空爆」という言葉を使うのでしょうか。もしかして「爆撃」には航空機が地上にいるときの爆弾投下も含まれるから?(危ないよ、それ)あるいは、マスコミでは海や川からの攻撃を「水爆」と呼んだりしてな。

また、今回の攻撃は航空機によるものと艦船からの巡航ミサイルによるものの混合だったとか。ことさら「空爆」だけいうのはどうして? 「水爆」もあったというと問題があるから?(しつこい)。

世の中、いろいろと謎は多いようです。

01/10/10

【今週のプロジェクト X
いつのまにやら久保純子アナが産休に入り、かわりに膳場貴子アナが司会になってますね。なんだかとまどってしまいました。以上、感想終わり(おい)。

しかし、この番組に登場する企業はいつも弱小とか赤字経営とか倒産寸前とか、社員なら窓際族だとか、ようするにぱっとしないところが大逆転ですごいプロジェクトを成功させるところに妙味があるわけですが、それなりの立場の社員が中心で、さらに倒産寸前の会社がドキュメンタリーの途中でそのまま倒産してしまったというのは初めてかも。こういう場面にお約束のヤクザの取り立ても入ったりして、かえって新鮮でした。

ところでこの番組の人気はかなりのものらしく、とうとうコミック版まで登場。

『プロジェクト X 挑戦者たち(1)日米逆転! コンビニを作った素人たち』
『プロジェクト X 挑戦者たち(2)執念が生んだ新幹線』

おおぞら出版から出ています。

第2巻の巻末写真資料には試験線で速度実験を行った運転士のことが紹介されています。

速度試験の指揮をとった大塚は、世界記録達成のその日の心境を「脱線したら命はないだろうから怒られることもない。俺がやらなければと思った」と決死の覚悟だったとのちに述懐している。


こういう心境はこの投稿の主婦には理解できないんだろうなあ。


【きのうの「情けは人のためならず」】
『月刊 Interface Nov. 2001』の「シニアエンジニアの技術草紙」にこんな部分が。

 ちなみに,「情けは人のためならず」とは,K君が言っていたような,「人に情けをかけるとその人のためにならない」という意味ではない.本当の意味は「人に情けをかけるのは他人のためではない.めぐりめぐって自分に返ってくるからじつは自分のためなのだ」ということである.


うーん、ここまで書いたのなら「だから他人には情けをかけておくものだ」ぐらいの一言も付け加えてほしかった。もともとは仏教の因果応報あたりから来た概念なんだろうし、このほうが「情けをかけるのは相手のためにならない」という解釈と対照的になるし。

01/10/11

【おっと、しまった>今週のプロジェクト X
肝心のことを書き忘れておりました。

今週のテーマはレーザーメスの開発。番組中、2台目の試作機を完成させたあとで依頼主の医師が先端部の動きや使い勝手の悪さを指摘し、開発スタッフを手術室に連れて行って実際にメスを使うときの位置や動きを見せるシーンがあります。

この手の動きを見て開発スタッフがようやく依頼主の要求を理解し、さまざまな紆余曲折を経てついにレーザーメス開発に成功するという今回の眼目ともいえるシーンなのですが(開発スタッフのひとりが「あの手の動きを見ていなかったら完成させることはできなかったでしょうね」と述懐しています)、社運を賭けたともいえる機械を仕様も決めずに作り始めるなんてすごいなあ、などと思いながら鑑賞していた私でした。

01/10/14

【あしたから新聞週間】
で、あしたは軒並み朝刊休刊日。

新聞週間に対する各社の意気込みがうかがえますね。


【エアショーソサエティからの案内】
The Japan Airshow 2001が延期されたことに伴う入場料の返金手続きなどの案内が届きました。

基本的には、先日送った入場券をすべて専用封筒で年内に送り返してもらえば振り込まれた金額分を払い戻します、という内容。

ただし、入場券をそのまま手元に保管する(払い戻し手続きを行わない)のであれば、エアショー実行委員会のサポーターと考えて、できる範囲で特別待遇する、とのこと。具体的には、

・次回(?)の入場券の一般販売を行う前に先行受付をする。そのばあい、入場料に差額が生じても手元の入場券の日数分を無償で発行する。
・スタッフ用オリジナルジャンパーを贈呈。


など。

まあ延期開催がいつになるか、そもそも再度の開催機会が訪れるのか、などの不安もあるのですが、だめなら寄付でもいいやと仲間内のチャットでも話しておりますし、「幻のチケット」というプレミア(?)もつくので、どっちみち入場券を返送するつもりはなかったんですけどね。こんなに優遇してくれるなら考えるまでもなく「手元に保管」で決まり。

エアショーの早期実現を祈っておりますのでがんばってくださいまし。


【「きょうの〜」】
ありていにいえばお笑いパソコン日誌のまねっこなんですが、これ、すごく便利。

中学生のときに読んだ森村桂のエッセイに、インタビューで「あなたにとって○○とは何ですか?」と聞くのは、相手に勝手に考えさせておいてインタビュアーが楽をするための手段で、手抜きもいいところだ、みたいなのがあったのですが、こういうふうな使い方をすれば自分が勝手に考えてくれるので自分では何も考えなくてすみます(意味不明の日本語)。

更新が滞ってるあの人やあの人やあの人も一度おためしください。


【今日のメモ 】
あしたのNHK総合テレビ「夢伝説」は、アーサー・C・クラーク。

01/10/15

梅沢由香里おそるべし 】
いやさ、おそるべきは『週刊少年ジャンプ』連載の「ヒカルの碁」(ほったゆみ原作、小畑健作画、梅沢由香里監修)なりしか。

いえね、今日の仕事はライン監視だったんですが、休憩時間になにげなく i モードの新着情報を眺めていたら【梅沢由香里の碁】というのが目に付いたので、さっそく登録してみたんですよ。

そしたら、登録をすませたというのに「ここから先は登録してからご利用ください」みたいな画面が出る。ならば、とマイメニューから入りなおしても登録画面にしか進めない。マイメニューにはすでに登録されているのにおかしいな、と苦情のメールを送って、しばらくしてから監視の合間にもう一度のぞいてみると、アクセスが集中して登録を一時中止しました、とか表示されてしまいました。どうやらサーバがダウンしたみたいです。

昼休みには復旧していてコンテンツを楽しむことができたのですが(いえ、詰め碁なんかは私レベルにはちょっと。初級で9手先までなんだもの)、あらためて梅沢プロの人気(あるいはもしかしたら「ヒカルの碁」)のすごさを思い知らされました。

もっとも、(後から知ったのですが)この日がこのコンテンツ開設日で、さらには時間的に見て開設直後だったというのも一因なのでしょう。

ちなみに、現在同コンテンツ内「はじめての囲碁」の「[30級]両アタリ」まで読み進んだところです(ぉぃ)。

01/10/17

【きょうの助言 】
まーあれですね、「息抜き」とか「気分転換」という自己欺瞞のもとに(断定)定期巡回とか2chウォッチとかするのを控えれば以下略>某受験生様

なんにしても健闘を祈る。


【きょうの投書雑感 】
毎日新聞昨日付投書欄に、新聞週間についてのテーマで定年を迎えた男性からのご意見が掲載されてました。

なんでも仕事をしてたときより丁寧に新聞を読むようになり、さらにはインターネットでほかの新聞社のサイトも見て記事の比較をされるようになったとか。で、その結果インターネットには新聞記事のようなぬくもりというか記者の情熱が感じられないと思うようになったのだそうです。インターネットはあくまで情報を拾うだけのもの、と。

だからインターネットがこのまま新聞に取って代わることはないだろう、みたいな結論でした。

つまりあれですね、同じ記事でも紙で読むと記者の情熱が伝わり、ウェブブラウザで読むとただの情報にすぎない、ということかな。どっちも似たようなものという新聞もありましたけど。

むかし、半村良の書いたある SF 小説について、話題になってない頃には「傑作」とほめていた読者が、世間で評判になったとたんにまったく同じ作品を「堕落した」とけなしたことがあったそうですが、これも世間がインターネット、インターネットと騒ぐ風潮に対して同じような感情を抱いている例なのでしょうか。


【きょうのロボット 】
omron から猫型ロボットが発表されたようです。

色は青もあるし(おっと、よく見たら「グレー」だった)首に鈴も付けてるけど、耳があるじゃないか。

01/10/19

【きょうの戦闘機模型 】
ええ、買いましたとも>週刊デル・プラドコレクション 世界の戦闘機 No.2

しかし、模型とはいえ零式艦上戦闘機が MADE IN CHINA ってのは何かが間違っているような……。

01/10/21

【きのうの天声人語 】
10月20日付朝日新聞「天声人語」より。

(略)目には見えないけれど、風の音にはっと驚く。そんなふうにやってくるはずの日本の秋だが、今年は、9月11日の事件で、季節の移りゆきを見失ってしまったような気がする。
(略)
 こんな悔しさは、日本人に独特なのだろうか。夏目漱石の英国経験の記「月はあわれ深きものと説いて驚ろかれたる折もあり」などを引きながら、柴田宵曲しょうきょくの随筆「月と人」(『団扇の画』岩波文庫)がそのへんを考えている。

 英国に限らない。フランスについてはこんな歌をあげる。〈巴里人パリびと風流みやびなきかも望月もちづきこの夜の月を顧みもせず〉(赤木格堂)。少なくともヨーロッパには、この「風流」は通用しないらしい。


たくさんの大学が試験問題に使っていますから受験生は朝日新聞を読みましょう、みたいな CM を流してるわりに、由来や出典を示さないで現代語訳だけ書いて「はず」というのはいかにも不親切という気が。

あるいは、この文章の元になった和歌を書け、という問題を作りやすくするためかも。あとのほうで柴田宵曲を引いている部分との落差がちょっと気になったり(感じやすい年頃)。

このぐらいは誰でも知ってるだろうと思って書いたとも考えられるけど、念のためにふたりばかりに尋ねてみたらふたりとも知りませんでした。

それはそれとして、こういうサイトまであるのだからインターネットって便利。


こっちは10月20日付毎日新聞「余録」より、道交法の歩行者に関する規定について。

 右側通行が本筋だが、左側通行でもいい。つまり、どっちでも構わないという不思議な規定である。昔、武士は刀を左腰に差していた。右側通行では左側から不意に攻撃されると不利になる。そこで1900年に制定された道路取締規制で、左側通行が義務づけられたという説がある。


なんだかこのまま読むと1900年代に武士がいたような錯覚を覚えるけど、どうやら武士のいた時代にこういう理由で左側通行が慣例になっていたので明治時代にそれに倣って道路取締規制ができた、ということらしい。

ちなみに私の読んだ本ではこんなふう。武士は左利きであろうとも右手で刀を扱うように訓練されるから刀は自然左腰に差す。で、右側通行だと刀の鞘が触れあう機会が多くなり「おのれ武士の魂に無礼な」てなことになるので無用な諍いをさけるために江戸時代は左側通行だった。(続き)

個人的なメモのために書いておくと、この鞘の触れあいが「鞘当て」で、歌舞伎で女を争って鞘当てしたのが「恋の鞘当て」の謂われ。


『漢字と日本人』(高島俊男、文春新書)
『マンガ 零戦の撃墜王』(坂井三郎原案、宮代忠童作画、講談社+α文庫)など。

01/10/22

【江戸の敵を長崎で 】
というわけでもなかろうけど、イチローもアメリカくんだりまで来て自分がオリックス時代に受けた「がんばろー 神戸」にかなり近い趣旨の声援を送られる相手と対戦することになろうとは。

地球ってあんがい狭いのかもしれません。

そういえば、きのうの菊花賞では「マンハッタンカフェ」を応援する人が多かったとかいう噂も。


【きょうの ZAKZAK
朝のニュースで、水野美紀のプロフィールにこんなのが。

■主な出演映画 「大失恋」「ガメラ2・ギオン襲来」「踊る大捜査線THE MOVIE」「現実の続き 夢の終り」「千里眼」


うーむ、京都でガメラに山鉾の軍団が襲いかかってくる映画なのかも。

そういえば時代祭は雨天順延だそうで。

01/10/23

【きょうの新聞投書欄 】
朝日新聞投書欄に48歳パート女性からの意見で、戦争抵抗者連盟(WRL)メンバーの講演を聴いたあとにこんな質問をしてみた、というようなのが。

(略)「米国の報復攻撃に反対することは、テロリストを喜ばせるだけだから、多少の犠牲が出てもテロに対しては強い態度を示すべきだという意見がありますが、このような考えをどう思われますか?」
 彼は答えました。報復攻撃を最も望んでいるのはオサマ・ビンラディンです。なぜなら米軍が爆撃を繰り返すごとに反米感情が生まれ、新たなテロの芽を増やすのですから、と。(略)


このあと、なるほどそうやって報復は連鎖していくわけだから自分はやはり報復攻撃には反対だとしたうえで、一刻も早く爆撃がやんでアフガンの人々に平和な生活が訪れることを願わずにいられない、と結んでいます。

20年も内戦状態が続いているところへアメリカが爆撃したためにアフガンの平和な生活が破られた、とする認識はいかがなものかという話はさておき、この WRL メンバーの話が事実だとすると、彼はビンラディンがテロの犯人だという確証をつかんでいるタリバンは、アメリカはどんどん爆撃すべし、と考えてビンラディンを匿っていることになりゃしませんか。あるいは、タリバンはそんなビンラディンの狙いも見抜けないぼんくら揃いだ、と言ってるのか。

そもそもタリバンはアメリカの「報復攻撃」をテロだといってるわけだし、テロリストとは話し合いで解決の道を探れ、となぜタリバンに勧めないのでしょう。アメリカには言うのに。タリバンに対して、報復攻撃はするな、という声も聞こえませんね。報復合戦になる、という意見はいくらでも出てくるのに。

なんか、こういう意見の人って、アメリカには話せばわかるけどタリバンには話は通じない、みたいなものが感じられるのは私の気のせいなのでしょうか。タリバンやアフガン国民はビンラディンを国連に引き渡すべし、といった話も出てこないし。

などとつまらないことを考えていたら、きょうの中日新聞の投書欄は「アフガン報復攻撃」特集。

で、これがまたアメリカの「報復攻撃」に賛成する意見をひとつも載せていない。全員が同じ方向をむいている(ように見せる)ってのは危険だ、という戦前の教訓がちーとも生かされてませんね。朝日の「天声人語」でもこういう引用をしていたのに。


『ジパング(5)』(かわぐちかいじ、講談社)
『仮面ライダー SPIRITS(2)』(石ノ森章太郎原作、村枝賢一作画、講談社)など。

01/10/24

【きょうの悪食あくじき
株式会社タカラからゴジラ、キングギドラ、ラドン、モスラなどの肉や卵が発売されたもよう

実際には「ゴジラの肉」「モスラの卵」などとなっていて、中身はニューコンビーフとウズラの玉子。

話のタネに食べてみるのもいいかもしれないけど、個人的には「アンギラス」は避けたいところ。なんか食あたりしそうで(※注 製品の品質とは無関係なごく個人的イメージです)。

01/10/25

【きょうの投書欄】
朝日新聞に、「平和的解決の具体策は何?」と題する意見が。「確かに武力では根本的な解決はできない」としたうえで、

 テロリストたちに対して武力を放棄したら、最後に待ち受けているのは滅亡ではなかろうか。今回のテロに対して平和的解決を望む声には解決方法を具体的に述べていないものがある。これは無責任な平和主義と言えないだろうか。


おとといの中日新聞投書欄「アフガン報復攻撃」特集もこれぐらいの意見は載せとかないとバランスが悪くなると思う。


【小人閑居して不善を為す】
じゃなくて、多忙を極めたあとの束の間の開放感は反動でとんでもない行動を誘発したりします。

詳しくはいずれ書くこともあろうかと。


碁娘伝ごじょうでん』(諸星大二郎、潮出版社)、
『プラネテス(2)』(幸村誠、講談社)、
『BM[ネクタール](7)』(藤澤勇希、秋田書店)、
『広辞苑の嘘』(谷沢永一・渡部昇一、光文社)など。

あ、『世界の戦闘機No.3 ロッキード F-117』も買ってしまいました。

01/10/27

【江戸時代の左側通行(続き)】
先日書いた江戸時代の左側通行の根拠ですが、チャットでいただいた情報によりますと、不意打ちの際に左では受けづらいから左側通行になった、みたいな内容の当時の文書があるのだそうです。それでなくても武士という戦闘集団が幅を利かせた時代なので、行住坐臥すべて基本は「常在戦場」であっただろう、ということでした(情報感謝)。

私の読んだ本の著者が根拠なり証拠があってあれを書いたのかどうかはわかりませんが、ひとくちに江戸時代といっても260年からあるわけで、戦国のしっぽを引きずっていた初期と「もう戦後戦国ではない」といえるような中期から後期ではかなりありようも違っていたのかもしれません。なんにしても、毎日新聞「余録」の紹介した説に裏付けがあるのは確かです。

ただ、中には観念に走りすぎてとんちんかんになったようなものもあるらしいから、調べてみるとおもしろいかも。


『愚者の賦 ―萬葉閑談―』(伊藤博、集英社)読了。

恩師・澤潟久孝おもだかひさたか氏を代表者に頂いて「萬葉学会」も主催した萬葉学者の、随筆・書評・講演・萬葉秀歌百首などをまとめた本。この方面にはまったく疎いので知りませんでしたが(どのぐらい疎いかというと、この本を読むためにわざわざ『万葉集ハンドブック』(三省堂)を一緒に買って予習したり)、けっこう有名人らしい。

やはりその道一筋に来た人の書いたものはおもしろく、時間はかなりかかったものの最後まで読み進むことができました。

いくつかあげてみると、まず最初の方の「誤読の話」という随筆。誤読といっても千年以上の歴史を持つ萬葉集研究上の誤読ですから格調高きこと「情けは人のためではない」の比じゃありません。

  東野炎立 所見而 反見為者 月渡西

という柿本人麻呂の旧訓歌は、

 東野炎立アヅマノノケブリノタテル 所見而トコロミテ 反見為者カヘリミスレバ 月渡西ツキカタブキヌ

だったそうで、これでもなかなか風格があるのですが、これを江戸時代の賀茂真淵がこんなふうに改訓しました。

 東野炎立ヒムガシノノニカギロヒノ 所見而タツミエテ 反見為者カヘリミスレバ 月渡西ツキカタブキヌ

ところが、この名訓にも疑わしいところがあるそうで、動詞「見ユ」が上に助詞「ノ」を伴う語法は萬葉集にはありえないことが明らかにされているらしい。で、
 東野炎立ヒムガシノノニハカギロヒ 所見而タツミエテ 反見為者カヘリミスレバ 月渡西ツキニシワタル

と読むのが人麻呂の意図に即していると見る説があるのだとか。これが正しいということになると賀茂真淵の訓も誤読の域に追いやられるわけですが、そうではあっても捨てがたい味がある、といった内容なのですが、マクラが「山手線にヒグレノサトという駅があるのをご存じですか」なのだからなかなか楽しませてくれます。

また、額田王に関する講演では、

あかねさす紫野むらさきの行き標野しめの行き野守のもりは見ずや君が袖振る
紫草むらさきのにほへるいもを憎くあらば人妻ひとづまゆゑにれ恋ひめやも


という歌を挙げ、この講演の少し前に「額田王」と題するテレビで大海人皇子を演じた俳優が、この「紫草の」の歌を「あれこいめやも」と読んだので、いねむりしていたのがとたんに目が覚め、「こひめやも」だろうと思いながら見ているともう一度同じように読んだので、こんなテレビは切れといったという話を紹介しています。

まあいまどきのテレビ番組は(いまどきだけでもなさそうですが)専門家が見ればこんなものかもしれません。

で、こういうものを読んでいると自然にその方面のものに目が行くもので、先日も岩波文庫の『万葉集』を見つけてぱらぱらやっていると例の「垂水の上の早蕨の」歌がありました。ところが、これが古い原稿のせいなのか「イハソソグタルミノウヘノ」なんですね。小学校か中学校の頃には「イハバシルタルミノウヘノ」だったのですが(このへんの話は『万葉集ハンドブック』に載っていたような)。

千年の歴史があってもというか千年の歴史があるからなのか、今後も研究が進むと定説と思われていた歌の訓が変わっていくのかもしれません。より正確な方向に行くのがいいのか馴れ親しんだ読み方がいいのか、凡俗には悩ましいところです

01/10/31

【きょうの投書欄】
中日新聞本日付投書欄に「感謝を込めて牛肉食べよう」という44歳主婦からのご意見が掲載されておりました。

なんでも、冷蔵庫に買い置きの牛肉があったので迷いながらも料理して食卓に並べたところ、子供たちは元気に「いっただきまーす!!」といって食べたのだそうです。

 言葉には不思議な力がある。子どもたちの元気のいい言葉やあいさつに、私自身が励まされ、「明日も、おいしい料理を作るぞ」という気持ちになるのだ。この言葉の力で毎日、食前に牛たちに感謝を込めて「いただきます」と伝えたら、狂牛病などというものは存在しないような気がする。


いや、あの、それは単に現実から目をそらして以下略。買い置きということは不完全だったとかいう噂の検査すら受けてないやつでしょうに。

母親を信頼して安心しきって牛肉を食べる子供たちが不憫なり。


【きょうのラジオ CM】
この地方だけかもしれないけど、最近「徳川家のセーフティドライブ」という交通安全啓蒙の CM が流れてます。

週替わりで、ほぼ毎回徳川家康にちなんだギャグを織り込んだものですが、今回のは家族で旅行に出かけたときでしょうか、夫婦でこんなふうなせりふ。

「今度のお料理は天麩羅みたいよ」
「天麩羅? やな予感がするなあ。鯛の天麩羅なんか出てきたらどうしよう」

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」ぐらいならともかく、鯛の天麩羅じゃわかる人間の方が少ないとぞ思ふ。


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