とぜんそう2002年11月分

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02/11/18

ちょっと話題にするのが遅れてしまいましたが、考古学者の江上波夫さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

この人の名前を知るはるか前に「騎馬民族征服王朝説」を知ったのはご多分に漏れず『火の鳥・黎明編』(手塚治虫)。ニニギノミコトが大陸からの侵略者だったという設定はなかなか刺戟的でした。

のちに、日本 SF を読み進むうちに出会った豊田有恒の小説で氏の名前を知り、『火の鳥』のあの設定はこれだったのか、と納得したものです。

その後、日猶同祖論と騎馬民族征服王朝説を組み合わせたような椿説にもお目にかかったり(聖書の失われた十支族のひとつ・ガド族が日本に来て「御ガド(=ミカド)」を名乗ったとか)、いろいろと楽しませていただきました。

朝日新聞によれば、経営の苦しい出版社のために話題になりそうな論文を公表しようとしたのがあの説を発表するきっかけになったのだとか。今後これほど雄大な眉唾話にはお目にかかれないかもしれません。こういうときには言ってもいいのかな、「夢をありがとう」と。

きのうの朝日新聞投書欄の61歳男性のご意見。

報道やニュース解説、商品名などいたるところにカタカナ語が氾濫しているのを嘆き、

わざわざカタカナ語にしなくても日本語で間に合う言葉まで言い換えているようだ。話している人はその英語のスペリングを知っているのだろうか、とも思う。


うーん、「つづり」といえばすむところをわざわざ「スペリング」(「スペル」でないところがまたニクい)にしているあたり、なかなかの諧謔精神の持ち主のようです。

で、話はこのあと、政治家やら文化人が正しい日本語を使わずに安易にカタカナ語を広めるのは日本語の乱れに通じる、みたいに進んでおりました。

なんというか、最近の「正しい日本語」「美しい日本語」ばやりの尻馬に乗ったような言説と思われますが、そろそろ反動的意見が出ているようにいったい「正しい日本語」ってのはどういう日本語なんでしょうね。

ものの本によると、ほとんどの人は十代から二十代ぐらいに身につけた言葉が「正しい」と感じるようで、つまりは個人個人で「正しい日本語」が違う、というのが実態のようです。

さて、どの時代、どの地域のを「正しい」といえばいいものやら。

02/11/20

ライターで漫画家の菜摘ひかるさんが亡くなったそうです。29歳。ご冥福をお祈りします。

私にとっては「菜摘ひかる」よりはパソコン通信・PC-VAN でのハンドルネーム「青山ともみ」のほうがなじみが深く、ずっと「ともみさん」でした。OLT で、ICQ でかわしたチャット、オフでの会話、朋輩と三人で撮ったプリクラ、直接送ってもらった処女単行本とその包みに書かれた(おそらくは)自筆の本名、そして、オフで戯れに私の膝に乗った彼女の重さと温もりなどが思い出として残りました。つきあいの狭いネットワーカーである私としては珍しくいっときとはいえ親しくしていただいていた人です。

人気が出始めてからは友人面するのも気が引けて疎遠になったことが悔やまれますし、作家としても軌道に乗り始めてこれからというときだったのに残念でなりません。

どうか安らかにお眠りください。

02/11/26

先日たまたま聴いた軍歌がメロディはわりとモダンなのに歌詞がやけに古めかしくて耳に残ったので、ぐーぐるで「我は官軍 我が敵は」で検索してみたところ「抜刀隊」という西南戦争のことを歌ったものだと判明しました。

作られたのが明治時代で作曲がお雇い外国人である由。ちょっとモダンなメロディと古めかしい歌詞もこれで納得。


今日の朝日新聞「ポリティカにっぽん」より。ちょっと重要だと思うのでニュアンスが変わらないようにいささか長い引用となることをご容赦ください。

 それにしても、「このごろのテレビ見ていられませんねえ」という声をあちこちで聞く。「北朝鮮の拉致問題」のことである。みんなが口をもごもごさせて言いづらそうにしている話をまとめれば、こういうことである。

 つらい運命をたどって帰国した5人に心を寄せ、これからの幸せを願わないものはいません。これは北朝鮮の拉致だと早くから見抜いて、家族とともにこの問題に取り組んできた人たちはえらかった。これに疑問を差し挟んできた政治家や評論家は、いまはなかなか返す言葉がないでしょう。政治家には相応の政治責任も伴うでしょう。

 だからといって、ワイドショーでそういう人たちをさげすむように、せせら笑うようにあげつらうのは、見ていて気持ち悪くなる。そんな居丈高な雰囲気の中で「相手は無法の北朝鮮だから国民一丸となって立ち向かえ」といわれるとちょっと待ってくださいと言いたくなるんですよ。

 核問題もあるし過去の植民地支配の問題もある。日朝交渉はどうなるんですか。隣近所の在日の人の困った顔を日々見ている。北朝鮮にだって泣いたり笑ったりして生きている普通の人々もいるのでしょう。テレビがあまり一色であおりたてないで下さいよ。テレビの人はこれでいいと思っているのかしら。

 以上のような話をなぜ口をもごもごさせるかといえば、そんなこと言えば自分も「非国民」のように思われやしないかと恐れるからである。私もそんな時勢にはらはらしながら、ではどうしたらいいかと考えるがなかなか妙案は浮かばない。


この新聞は、たとえば改憲やら国旗・国家やら「新しい歴史教科書」の話になるとこれらを批判することしかしないのに、いざ自分たちのこれまでの態度を批判されるとこういうことを言い出すんですね(このコラムの筆者は朝日新聞論説委員)。

朝日新聞阪神支局が襲撃された件では何度も何度もキャンペーンを張って「言論の自由への挑戦だ」とやったわりに、「(新しい歴史教科書を)つくる会」が嫌がらせを受けたときにはもう最低限事実を伝えるだけの扱い。

「言論の自由」をいうのなら、テレビでいかに拉致被害者支援・北朝鮮非難一辺倒の報道をしようと、朝日新聞だけは拉致は戦時中の日本軍の行為に対する報復なのだから理は北朝鮮にある、約束だったのだから5人をひとまず北朝鮮に戻すべし、などとあの国の肩を持てばいいのでは。誰もとめはしない。

それをせずに拉致被害者の皆さんについて比較的好意的な報道ばかりしてるのは、要するにそうしないと新聞が売れない→広告主がつかない、ということじゃないのかな。テレビだって同じことでしょ。視聴者にそっぽを向かれちゃ商売にならないから今の様相なんだと思いますが。

それに、テレビやラジオは受け手が「見たくない」「聞きたくない」と思った瞬間に別の局に切り替えられてしまうのだから、見出しを見てその記事を飛ばすことのできる新聞にくらべて圧倒的に不利なんですよ。

だいたい、一色であおりたてるといえば松本サリン事件の第一発見者を容疑者扱いしたのだってテレビも新聞も「一色」で、当時「おかしいのではないか」と報道したメディアを見た記憶がない。

また、いわゆる「盗聴法」「メディア規制法」も全面的に賛成したメディアはなく、これも「一色」だったような。

同じ穴の狢同士なにいってるのやら。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp