症例5「電車と脚」

最近の若者はスタイルがよい。日本人の代名詞、胴長短足が少なくなってきた。手脚が長くても華奢ではないか、という声もある。しかし、とっくの昔に自然と戦わなくなった人間にとって頑健な身体がどれほどの意味をもつのだろう?今や重い岩を持ち上げるのは機械だし、車があれば何キロも歩く必要もない。健康ならばそれでよいではないか。

かくいう私も、ひょろっと脚の長い子供だった。それが自慢だったが、栄枯盛衰の常で、それもそう長くは続かなかった。あれは高校二年生の時だった。驚くなかれ、一年間に身長が九センチも伸びたのだ。人間の体というのは恐ろしいものである。と、そこまではよいのだが、あとがよくない。その間に座高も七センチ伸びていたのだ。かくして、脚が長いという私の名声は数字的根拠を失い、いずこへかと消え去っていったのである。

若者よ、脚の長いのはわかった。けれど電車の中でそれを見せびらかすのはよそうじゃないか。満員電車で座れたあんたは他の乗客より幸運なのだ。それを、脚を投げ出してその不幸な乗客にさらに窮屈な思いをさせるのはよくないぞ。腰掛けたら、つま先は膝の位置より引っ込めるのが、満員電車のマナーなのだ。マナー云々はよいとしても、投げ出した足の先を誰かに踏まれたら痛いぞ、と恐れる原始的本能ぐらいはあるだろうに。私は、投げ出されている脚にはわざとつまずくことにしている。これで大抵の相手は気付くが、それどころかこちらを睨み返す不届き者もいるのである。なんて事だ。

脚を投げ出すくらいはまだかわいい。それを踏ん付けたり、蹴ったりする権利がこちらにはあるのだから。しかし、脚を組まれたひにゃ勝ち目はない。こちらは、その靴先でズボンを汚されまいと必死に足を踏ん張るしかない。朝からこれはきついぞ。なんでお前がリラックスするのを私が助けなくてはならんのだ!

目の前に腰掛けた人間が脚を組んだらどうするか、教えてしんぜよう。組まれた脚の間に脛を突っ込んでやるのだ。これで相手は脚を解くことができない。脚は次第に痺れてくるであろうし、降りる駅が来ても立つことができない。こちらのズボンも靴の甲ぐらいでは汚れやしない。素晴らしいアイデアではないか!一度試されるとよい。しかし、注意しておくが、これは満員電車の中だから許される技であって、空いた電車で、しかも女性相手にこの技をかけるのはちょいとまずい。その後の貴方の人生が大きく変わること請け合いだ。

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