症例6「スーパーとおばちゃん」

土曜と日曜は近くのスーパーマーケットに買い物に行く。独り身の悲しさで、一週間分の食料を買いだめしなければならないのだ。もっとも、結婚していてもやはりそうなるであろうことは、店内で所在なげに奥方の後を付いて回る旦那族の姿を見れば、容易に想像がつく。会社では年功序列のお陰で部下達に持ち上げられているが、ここスーパーではからきしだらしがないのである。

スーパーはおばちゃん達の無法地帯である。家においては完全な専制君主であるおばちゃんは、家を一歩出てもその姿勢を崩そうとしない。公共の場という概念すら理解していないに違いない。そんなおばちゃん達が集うスーパーは群雄割拠の様相を呈することになる。

スーパーにおけるおばちゃんの武器はショッピングカートである。これを陳列棚にぴたりと横付けにし、他の接近を阻む。こうしておいてゆっくりと品定めをする作戦だ。時には狭い通路をショッピングカートで塞ぎ、その地域一帯を自らの領土とすることなど朝飯前だ。そんなショッピングカートはわざと蹴飛ばしてやるのだが、その時のおばちゃんの眼光の鋭いこと。

その恐ろしい目付きは、品定めをする時にさらに妖しい光をたたえる。自らの手中にあるものには目もくれず、他人が手に取ったものに視線を投げ掛けながら、自分の選択が正しかったどうか悩むのである。ひと房のバナナごときにこれだけの情熱を注げるというのは、或る意味では幸せかも知れない。

この後、おばちゃんの君主としての性格がいかんなく発揮される。レジだ。後ろに何人並んでいようがお構いなしに、金額を告げられてからおもむろに財布を取り出し、悠然と小銭を勘定し始めるのだ。なぜ、店員がカウントしている間に予め小銭を出しておかないのか、不思議でならない。

まだ続く。支払いを済ましたおばちゃんは買い物を満載したかごを持つと、一番近い台に直行する。台にかごをおろすと、その脇に自らの買い物袋を置き、さらにその横のスペースを確保して袋詰めを始めるのである。かくして、台の半分はおばちゃんのものになる。こうした暴挙に対し、私はどんな態度をとるか。簡単である。空いている一番遠い台まで行って袋詰めをするのである。私は消極的平和主義者なのだ。

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