症例7「電車と異分子」

慣性の法則とは、「静止しているか、等速直線運動をしている物体は、外力が働かなければいつまでもその状態を続ける」という法則である。と、のっけから小難しい話で恐縮だが、要はエレベータが上昇あるいは下降を始めるたびに胃のあたりに妙な感覚を覚えることがおありであろう。あれは内臓に慣性の法則が働いているのである。電車も同じだ。減速すれば前方に、加速すれば後方に身体は引っ張られる。身体がそれまでの状態に執着しているのである。これは中学生の理科だ。そして、それを知らない輩が電車の車内にうようよいる。

吊り革を握っている人を始め、多くの人々は窓に向かって立つ。ひとつは、なるべく余計な空間を作らず整然と詰めようという道徳心からであり、いまひとつは駅毎に自らの身体に襲い掛かる慣性の法則に対する恐怖心からである。その道徳心も恐怖心も持ち合わせていない輩がいる。新聞や雑誌を読むために両肘を突っ張って空間を確保したり、ボケッと中吊り広告を見ている輩だ。

進行方向あるいはその逆を向いて立っている人間は、電車が減速したり加速するたびにきちんとふらつく。慣性の法則を体現してくれているのである。しかし、我々はもう中学生ではないのだから、そんな実験を見たいとは思わない。ちゃんと立っていて欲しいだけである。

窓を向いて立つ姿勢は横揺れに弱い。しかし、前後の揺れに比べればその被害は少ない。前後の揺れはひと車両分の人間が将棋倒しになる危険性をはらんでいる。大惨事を招きかねないのである。そんな常識のない異分子を私は放っておかない。電車の加速あるいは減速のタイミングを見計らってスッと身を引いて倒すことにしている。これまで最高の成果は相手に片膝をつかせたことだが、これは一度しかない。ほとんどはよろめく程度である。実に残念だ。そして、よろめいた異分子はその後も身を立て直し、再び新聞を読みふけるのだから腹立たしいことこの上ない。

そんな異分子であるが、中にはこちらをうならせる輩もいる。ある時、私の腕に背中を押し付けながら新聞を読み続ける中年のサラリーマンがいた。例によって私は倒しにかかったのだが、なかなかうまくいかない。スッと身を引いても微動だにしないのである。しばし理由がわからなかったが、ふと下を見ると、なんと、このおじさん、片方の手に持った週刊誌をバトンのように丸めて持ち、倒れそうになるとそばの人間にそれを引っ掛けるようにして身体を支えていたのである。おじさんは無神経どころかちゃんと緊張していたのである。あっぱれ、というしかないではないか。

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