症例10「電車と我れ遅れ隊」

満員電車に出没する「我れ先隊」の話は以前に書いたが、これと逆の「我れ遅れ隊」なるものも存在する。そして、この両隊、実は同一部隊なのである。

これまた以前に書いたが、私は毎朝途中の駅で電車を乗り継ぐ。これがうまくできていて、乗り換える電車は反対側のホームに入ってくる。その電車はひとつ前が始発であり、数席が空いたままのことが多いので運がよければ座れる。そして、そこまで乗ってきた電車の方はひとつ前の駅で、この駅と同じ側の扉が開く。この位置関係を覚えておいて頂きたい。

さて、電車が乗換駅のひとつ前の駅に到着した。大きな駅なので大勢の乗客が降りていく。その流れに逆らうことなく戸口付近に立った乗客もいったんは仕方なくホームに降りる。ここに「我れ遅れ隊」が登場する。降りる客の流れが途切れると、いったんホームに避難した乗客は再び電車に乗り始める。当然である。しかし、なかなか乗り込もうとしない一群がいる。先ほどの話を思いだして欲しい。次の駅には、もしかすると座れるかも知れないオイシイ電車が待っているのである。そして、それに一番乗りするにはこの駅でベストポジションを確保しなければならない。それはどこか?もちろん、戸口である。だから、この一群はわざと遅れて乗り込むのである。

「我れ遅れ隊」といっても、隊員同士が固い絆で結ばれているわけではない。互いが敵なのである。発車間際になると、牽制し合いながら、時には相手を睨みつけ、時には肩で押したりもし、隊員同士の駆け引きは続く。扉が閉まるころには、「我れ遅れ隊」の諸君は互いに一歩も譲ることなく、身体を寄せ合いながら扉にへばりつく。その姿は、さながらムード演歌のバックコーラス隊のようである。一歩下がればがらがらに空いているというのに。

そして、電車が次の乗換駅に到着すると、「我れ遅れ隊」は「我れ先隊」へと見事に変貌をとげ、ドアが開くやいなやホームの反対側に向かって猛然とダッシュする。賭けてもいいが、この連中が走るのはこの時と、昼食時に食堂に向かう時だけに違いない。仕事で走るなんてことはまずないだろう。

「運がよければ」と書いたとおり、これだけの努力をしても座れるという保証はない。事実、この「我れ遅れ隊」のうち座れるのはひとりかふたりだけである。全滅という日もある。しかも、その駅から降車駅まではせいぜいが十五分ほどなのである。それなのに、彼らはなぜ毎朝、本当に遅れてきた人が乗り込めないように戸口をふさぎ、歩いている人が思わず立ち尽くす様な勢いでホームを駆け抜けるのだろうか?訳がわからない。とはいえ、この連中が座れなかった時にみせる、照れ臭そうな顔や苦虫を噛み潰したような表情を見るのが、私の毎朝の楽しみになってはいるのだが。

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