「エスカレータとおばちゃん」


11-1十数年前、欧米では当たり前のマナーであったことが今日に至って我が日本でも常識として定着しつつある。例えば順番待ちの列。窓口がいくつかある場合、その各々の前に並ぶのでなく、来たもの順に一列に並び、空いた窓口に順に進むというスタイルである。銀行の自動貸出機が典型的な例だ。

駅のトイレで実施しているところもあるが、まだ少ない。駅のトイレを利用するのは、よほど切羽詰まった状態にある時な訳で、その状態でどこの個室の前に並ぶかなどという究極の選択を強いられることほど残酷なことはない。並んですぐに個室が空くという幸運に恵まれる人もいれば、優に三人分待っても目の前の扉が空かないという、空前の不運に遭遇する人もいる。次々に個室に消えゆく人々を横目で睨み付ける幸運に見放された人の腹の中は煮え繰り返っているのだが、同時にゴロゴロと不穏な物音をたて、出産が近いことを知らせてくる。汗、汗、汗・・・。

エスカレータも片側を空けるのが常識になっている。さしずめ高速道路の追い越し車線といったところだろうか。しかし、おばちゃん達はそんなことは知らない。

私の勤め先の近所には大きなデパートが何軒かあって、夕方ともなると両手に買い物袋をさげたおばちゃん達と駅で一緒になることがある。地下鉄なのでホームまではエスカレータを使うのだが、これが結構長い。疲れ果てた者は片側に立ち、まだいくばくか元気の残っている者にもう片方のレーンを譲るという暗黙の了解が成立しているのである。そこにおばちゃん達が登場する。

なんだ空いているじゃない、とばかりにおばちゃん達は「追い越し車線」に入ってくる。空いているのではなく、空けているのだということを知らないのだ。そして、すぐに立ち止まり、連れのおばちゃんとぺちゃくちゃしゃべり始める。自分たちの後ろに長い列ができても意に介す風もない。そんなおばちゃん達に注意するサラリーマンはひとりもいない。皆、じっと我慢している。おばちゃんは偉いのだ。

確かに、家族のために夕飯の惣菜を買い出しにはるばる遠くから来たおばちゃんを責めるのは気が引ける。しかし、エスカレータを降りてから立ち止まるのだけはやめて欲しい。後ろから来た人間が将棋倒しになりかねないからだ。といっても、きいてはもらえないのだろうが。

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