「電車と座席」

夜、くたびれはてた体を電車の座席にうずめる。自宅のある駅に着くまで、あと四十五分。その間ゆっくりと本を読むことができる。至福の時だ。

と、目の前に一人の老婦人が立った。顔をあげずとも、荷物をもつその手でわかる。始発駅からそう走っていないので、空席はないとはいえ車内はまだそう混んではいない。なのに、よりによって私の前に立つとは。向かいの座席には六人のサラリーマンがゆったりと座っていて、中のひとりなどはヘッドフォンステレオに漫画という典型的な若い勤め人スタイルで、座席に浅く腰掛け、これでどうだと言わんばかりに脚を広げ股間を突き出すようにしている。どうだといわれても返事に困るが、そんなことより脚を閉じ、もう少しどちらかに寄ったらどうだ。

仕方ない、私は次の駅で席を譲ることにした。電車が停車したとき、わたしは腰を浮かせた。そして、「どうぞ」といおうとした途端、その老婦人はこちらに背を向け電車から降りていった。中途半端な姿勢で取り残された私は、ズボンをなおす振りをして再び腰をおろしたのである。

電車の座席には一体何人座れるのだろうか?長距離電車にある対面型なら四人と決まっている。ところが横一列の座席となるとことは単純ではない。私が普段利用している電車の長い一列の座席は、一応七人がけと思われる。これも座る構成メンバーによって変わってくるわけで、例えば女性が三人入っていれば八人は優に座れる。

長い座席は一枚のシートでできているわけではなく、必ず二枚構成になっている。私はこのシートとシートの境界線に座らないことにしている。気持ち悪いからではなく、そこに座らなくてもいいような設計になっていると信じているからだ。そこに誰かが座るということは、その左右どちらかに隙間ができているに違いない。そう頑なに思い込んでいる。

先日、例によって境界線を避けて座った私の左手に初老の男性が座った。背広を着ていないところをみると、定年後の悠々自適な生活を送っているのであろう。その男生と私の体は密着していたが、不快というほどではない。私の右側には三十センチほどの空きがあり、少しずつ詰めれば小柄な人間ひとりが座れる空きは確保できそうな状態だった。
いくつか駅を過ぎたが、誰も私の右側に座ろうとしない。すると、左側で本を読んでいた男性が、「もう少し向こうに詰めなさい」といらついた声で私にいったのである。一瞬、私は自分の耳を疑った。若者に礼儀を説くべき年代の人間が、何ということを!私は動かなかった。

私は常々、老人に敬意をはらってきた。しかし、この際言いたい(その時言えなかったから)。「この、クソじじい!」

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