遠いコンサート・ホールの彼方へ
ホーム Dec.2002

2002年12月22日

ヴィーン国立歌劇場

Krenek

Jonny Spielt Auf

Dirigent:Seiji Ozawa

Inszenierung:Gunter Kramer

Buchnenbild:Andreas Reinbardt

Kostume:Falk Bauer
Choreinstudierung:Ernst Dunsbirn
Choreographie:Renato Zanella

Max:Torsten Kerl
Anita:Nancy Gustafson
Jonny:Bo Skovhus

Daniello:Peter weber
Yvonne:Ildiko Raimondi
Der Manager:Wolfgang Bankl
Der Hoteldirektor:John Dickie
Ein Bahnangestellter:Hacik Bayvertian
Polizist 1:Benedikt Kobel
Polizist 2:Marcus Pelz
Polizist 3:Peter Koves

Orchester der Wiener Staatsoper
Chore der Wiener Staatsoper
Ballet der Wiener Staatsoper
Eleven der Ballettschule der Wiener Staatsoper
Buhnenorchester der Wiener Staatsoper


まずお断りしておきたいのは、これは予断なしに観に行ったほうが断然面白いということです。勿論、よく練られて考えられた演出なので何度見ても飽きはしませんが、「最初の驚き」というものは結構大きかったです。もしこれから観に行こうかと考えられている方は、朝日新聞の批評も読まず、音楽の友も読まず、グランド・オペラやOpera紙も読まず、当然この感想文もここより先は読まないほうが良いと私は思います。なんにしてもめちゃくちゃに面白い舞台でした。歌手の出来はDeccaのCDと比較すると、あのCDも素晴らしい出来だと思っていたのですが、格段に性格付けやノリが良いのです。特に誰が良いというのではなく全員良かったのです。小澤の指揮も、もうちょっと自由に演奏させたらと思う部分もありましたけど、テンポ設定や間合いも適切で、小気味よく良かったと思いました(以下、演出中心にダラダラとした文章が続きます)。

このポスターが全てを語る!

場内に入りますとやたらめったら日本人がいまして、全体の3割を占めているかもとか思ってしまいました。私の席はパルケットlinksの3列5番目、舞台は完璧に見えますし、歌手は歌は勿論、顔の表情もばっちし見えるし、小澤も聴衆の隙間から一応見える位置でした。ふと顔を上げると、ボックス席にホーレンダー総裁と日経新聞の池田卓夫が並んで座っていました。あの場所ってオケの監視にはよさそうですが舞台は1/3はみえないでしょうし、音響的にもどうなんでしょうかねえ。なお、26日の公演も同じ席で左後ろの席にチェロ奏者のミッシャ・マイスキーが座っていました。

1部第1場
短い序奏に併せて幕が上がると、そこにはト書きにある氷河ではなく、スキー場の結構急な斜面が現れ、そのスタート地点のような天辺当りにジョニー役のスコウフスが、赤い銀ラメのスーツを着て観客に背を向けて黒塗りのメイクにいそしんでいます。一方、舞台下手サイドの斜面にはヴァイオリニストのダニエロが蝶ネクタイに燕尾服でヴァイオリンを持って座っています。また、舞台下手の斜面の下には大きな鞄とバンジョーケースと共に黒いサングラス、ハイヒールと足首にフワフワの毛の巻物、黒いストッキング、腰まで左裾が切れ上がり、背中は大きくあいた体にぴったりフィットしたセクシーなドレスを着た歌手のアニータが立っています。そして、この斜面の前に黒電話と卓上蛍光灯が乗ったピアノ(ベーゼンドルファーのグランド。キズだらけで可愛そう。払い下げがあったら欲しい)に向かって、楽譜に書き込みをしながら、蝶ネクタイに燕尾服、かなり恰幅のよい作曲家マックスが立って最初の歌を歌い始めました。マックスを除いた斜面に立つ三人には冗談ではすまないほどの雪が降っています。

それにしても、このマックス役のKerlの歌が、CDのクルーゼよりも深々とした声とじっくりと歌っていて一気にオペラに引き込み、スタート時点でけっこういい舞台になるかもと思わせてくれました。

マックスは歌いながら楽譜に色々と印をつけ、徐々にスキー場のアニータに近づいてきます。アニータも少しコケットな歩き方で歌いながらマックスに近づきますが。アニータの性格をここで聴衆に少し分からせようとしているのでしょう、仕種とや歌い方はちょっと甘えた感じです。アニータが背後からマックスを抱こうとすると(その際、オペラの役云々の歌を歌う)とマックスは戸惑った顔をして逃れます。

結局二人はそのまま「良い仲」になって、雪の上にアニータが寝ようとしますが、背中が開いているので「冷たい!」とばかりに急に立ち上がりこちらに背を向けてお尻を振って雪を落とし、この仕草に客席から笑いが出ました。さらに、鞄をベッド代わりに抱き合おうとするのですが、山の頂点のジョニーやダニエロと目が合ってしまい、事にいたらず。そこにマネージャーが出てきてアニータを連れ出そうとします。このマネージャー、舞台に出てくるたびにタバコ入れを懐から出して吸おうとしますが、必ずアニータに取り上げられて一本も吸えません。

アニータ役のグスタフソンの歌も滑り出し好調、演技もちょっと誇張した感じにしているので聴衆の笑いをとっていました。それとマネージャーもいい味出していて、歌は当然として、さらに演技こそがオペラでは絶対重要だということを改めて感じました。


第1部第3場

彼らが舞台から去るかどうかという時に、スコウフスと同じような格好、ただし黒塗りはしていない一方、黒サングラスをかけたジャズバンドの一段が登場し、陽気な音楽を奏でます。舞台一杯に赤のサテン地のカーテンが張られ、ダニエロの部屋を示すドアと50センチ立方の白色カバーで覆われた電灯が舞台上手にしつらえられます(この上にヴァイオリンが後で置かれます)。そしてスキー場の天辺には、あー彼女達か、ポスターでポーズを取ってにっこり笑っていた松竹SKDのレビューのような女性たち、白い孔雀のような羽を頭に飾り、それには膝まで届くような紫のモールがついていて、ほぼ裸に近い格好、胸は宝石のついたがレースで形ばかり覆われ、網タイツ(ほぼTバック)、おヘソは何か宝石で隠しており、それに二の腕まである赤い手袋を嵌めてズラッと並んで座っていました。いやあ、バレエ団も大変だなあ、こんな格好をしないとはいけないとは、演出家を恨んでいるんじゃないかなあ、と思いつつ他の客同様に大注目(もっとも、オペラ歌手って大変な時代にいるんだなあと「烙印を押された人々」をみて改めて思いましたけど)。そしてジョニーの明るい音楽が始まると、カーテンが開けられると枕をソリ代わりに彼女たちが歓声をあげなからどんどん滑り降りてきます、さらにその後ろには、顔も頭髪もスーツも含めて全身を赤あるいは青、あるいは白(舞台はパリです)で統一した合唱団が次々と滑り降りてきます。それを見ているうちに、何とさっきのレビューの女性たちがパルケット席の両横、中央通路に並び、そしてBOX席にもミラーボールを抱えて登場。音楽にあわせて踊り始め、オペラ・ハウス全体がホテルのホールと化したのでした。見とれてしまう客もおりましたよ。






そのうちにジョニーとイヴォンヌが登場してカーテンの向こうで腰をグラインドさせながら歌っています。カーテンの向こうに隠れてもカーテンがゆれていました。解釈は各人にお任せします。

スコウフスの歌を聴くのは2000年2月、同じくヴィーン国立歌劇場でのブリテン「ビリーバッド」4幕版以来(2004年入り後OrfeoからライヴCDが出ました)。あの時は演出家(デッカー)が無邪気さを強調し過ぎて、私にはただの白痴にしか見えないし、声は出ていないしで歌・演技ともにとても不満だったのですが、今日は声が通っていましたし、CDのヒルより若い感じが出ていました。一方のイヴォンヌ役も跳ねるような(あんまり考えて物を言っていない感じの)歌いぶりでこれも良かったです。

(ジョニーとイヴォンヌです)













そこにダニエロ登場(左写真)、ところが何とこれが「口パク」、ピットから声が聞こえる。奇妙な演出だなあ、何か意味があるのかなあとか、ダニエロの性格付けなんだろうかとか、そう言えばブーレーズがオペラを作るとしたら日本の文楽みたいなものを考えているという発言もあったけど何か関係あるのかなあ、とか思っていましたが、どうやら何らかのアクシデントであることが休憩時間になって分かりました。プログラムに一枚紙がはさんであり、
Peter Weberは舞台で演じるけどピットからGeert Smitsが歌うということまでは分かりました。ただなぜこうした変則的な方法を取ったのかという点はその時は分からず、家に戻って辞書を頼りに読んでみたところ、Weberは急性の気管支炎らしかったのですが、当初の企画どおりに上演するとのことでした。演出ではなかったのでした。実際に26日にもう一度見た時は、当日の配役表にSmitsが、「国立歌劇場初登場」のクレジットとともに出ており、実際に舞台で歌っていました。

しかし、奇妙な感じでしたね。ダニエロが動くけど音源は動かないので(2004年3月にみたENOでの「ラインの黄金」でもありました)。

さてアニータがマックスへの電報を書き、それを紙飛行機にして飛ばして、カーテンの向こう側に行こうとするとジョニーに止められます、でアニータが全然嫌そうではなくて、口では嫌々しながら顔付きや仕種は誘っているのですねえ、イヴォンヌがカーテンの上からそれをみていると、そこへダニエロが登場。1000フランをジョニーに差し出すとジョニーはそれを口にくわえてうなり声を発して舞台の脇に、そしてジャズ・バンドが再び登場して、ジョニーとイヴォンヌ&合唱が

“Leb wohl, mein Schatz”

というジョニーで最も流行ったナンバーをノリノリに踊りながら歌います。それにしてもこのセリフ翌日にも聴くとはその時は思いませんでしたけどね、もっともElsの歌は覚えられません。

二人がカーテンの向こうへ引っ込むと思うとカーテン自体が引っ込められて、月夜の砂漠(スキー場が倒されて砂漠のように見える)。そこで二人の息のあった?歌が続くうちに天井からドアがいくつも連なったホテルの壁が下り、アニータの部屋のドアの向こうに二人が消えるとジョニーがヴァイオリンを盗みます、そしてバンジョーを舞台下手の裾で誰かに渡して歌い始めると、小柄なジャズ・バンドの一員がバンジョーを爪弾きながら登場、歌い終わるとジョニーにサングラスを取られて、かわいらしい女性でしたけど、キスされて顔中真っ黒になって観客に笑われながら退場。舞台にでずっぱりのベーゼンドルファーの下にジョニーはもぐり込みガムかなんかを噛んでいました。












1幕第4場

イヴォンヌとホテルの支配人のやり取りの最中にドアが開き、髪がグシャグシャで靴を脱いだイヴォンヌが登場、さらに続いてベストも蝶ネクタイもとり同じように髪がグシャグシャのダニエロが登場して場内爆笑。ヴァイオリンが盗まれているのを発見したダニエロが警察を呼ぶと、彼らはホテルの壁を乗り越え何とその場で壁を解体し始めて場面転換を持たせていました。彼らが片付けている間に、ダニエロとイヴォンヌ、あるいはイヴォンヌとホテルの支配人のコミカルな歌が続くのですけど、これが、皆楽譜を持って歌うのです、といっても特段見ていませんし、いっせいにこれ見よがしに楽譜をめくったり、掛け合いをしている二人(例えばダニエロがイヴォンヌ)を見ながら他の歌手は私語めいたことを言っているそぶりをしたり、まるでオペラのリハーサルをしているかのような雰囲気。

そして片づけが終わると、警察官達や先ほどの合唱団、そして「レビュー」のお姉ちゃんたちまで舞台に現れて、あれはなんと言うのでしょうかねえ、縦に並んでぴったり体をつけて腰を前後に振りつつ腕は機関車のように動かす動作なんですが、それを主要登場人物たちも含めて皆がやりがら、勿論ジャズ・バンドも登場し、あの手風琴のような音をホール一杯に響き渡らせて盛り上がったところで、第1幕は終わり。いやあ、面白かった、と拍手が出たのですが、ここで終わらず、そのまま第2幕の自宅で待つマックスの場面に突入。


さあ、皆さんもご一緒に!



第2部5場

マックスは舞台に落ちていたアニータからの電報、先ほどアニータが投げた紙飛行機を拾い上げ(こんな細かい演出が随所にあります)、切々と歌いながら舞台を右へ左へとうろうろ、挙句の果てに胸を押さえて寝込んでしまい暗転。ここでようやく休憩に入りました。

休憩時間、ロダン作のマーラーの胸像のある広間でジュースを買って飲んでいると、来るわ来るわ我が同胞たちが、どこが不況だ失われた10年だという感じで。ただ、彼らはジョニーもクレーマーもスコウフスも話題にせず、もっぱら小澤が見れた、小澤の指揮が良かった(どういう点でかは不明)ということばかりしゃべっていたのでした。違う断じて違う、「ジョニー」が見れたのが素晴らしいのだ、70年近くこのオペラを再度見ることを切望した偉大なピアニストのことを知らないのか、リヒテルのことを。


さて、ここまで小澤の指揮についてあまり書いていませんが、実は良かったです。ただこんなに面白い舞台なのに、一人難しい顔して振っているのも何かかわいそうな気がしましたけど。それとジャズ・バンドだけの演奏の時も、いずれ紹介するヴォツェックのパッパーノのように舞台のオケに気楽に演奏させません、徹底的に指揮します、アニータがほぼ(ピット内の)ピアノ伴奏で歌う時も、徹底的に指揮をします、軽いノリの曲も四角四面に指揮します、でもそこはヴィーンpo.の面々、自分たちで軽くしますので、堅苦しい四角四面な音楽にはなりません。バーンスタインやラトルととっても対照的な(カラヤンの弟子の)小澤さんでした。モーツァルトのオペラもこんな感じで振っちゃうのかな?

さて、マーラーの胸像のある部屋の隣りにあるお土産屋さんで例のごとくCDを物色、もっとも他の歌劇場のような「ここだけ」というCDはなかったのですが、64年のホルライザーが指揮し、若きルチア・ポップがイヴォンヌを歌った抜粋CDが新たに売り出されていたので購入。これをホテルに帰って聞きましたけど、ジョニーがドン・ジョバンニかと思うほど重い声に加えて、ポップを初め皆がまじめに歌っていて当夜の流れるようなノリの効いた歌いっぷりとは対照的でしたし、一方ジャズ・バンドはとってもチープな響きで、ちょっと噴き出してしまいました。

さらに絨毯が壁にかかっているホールでは、クルシェネクの過去の作品の初演時のポスターや自筆譜、CDの解説書にも載っている資料などが展示してあり、それらを見ているうちに休憩時間が終了再び席に戻りました。「カール五世」がみたい。

第2部6場

いつの間にか背景に、ドアと高いところに丸い穴が開いている大きな壁ができていました。寝込んでいるマックスのところにアニータが戻ってきてイヴォンヌを紹介、そしてイヴォンヌがダニエロから賭けの方だとして渡された指輪をみて楽譜を破りながらドアから出て行くと、丸い穴にジョニー登場、そしてバンジョーケースを引き上げていきます。この時、舞台は暗く、バンジョーケースはそれと分かる形で電飾がつけられ、ジョニーのジャケットにも電飾が、これと同じ物を翌日に、それも場違いな感も含めて見せられるとは思ってもいませんでしたが、、、。

荘厳な感じの、「古いヨーロッパが新世界に引き継がれるという」歌をジョニーが実に浪々と歌っていると、ドアからイヴォンヌが雑誌TIMEを持って登場、表紙は今やヨーロッパ諸国の別の意味で懸念材料となっているジョージ・ブッシュ(子)大統領でした(演出家のハロルド・ピンターや作家のギュンター・グラス、哲学者のハーバーマスをはじめ欧州中の知識人に殆ど狂人呼ばわりされていますからねえ)。2004年時点でも事態は悪化する一方であります。

第2部7場

アニータが断片になった楽譜を拾い上げながら、ことの重大さに気付いたところで背景の壁がなくなり、そこには第1幕第1場の情景が舞台奥から投射機で、若干不鮮明に写されていました、その前、舞台中央にマックスが立っていました。そう、「ここだ」という歌い始めに合わせた回想シーンを歌に合わせてシンクロさせていました。そのマックスを覆うような大きな影、徐々に小さくなるにつれ、それがヴァイオリンを持ったジョニーだということが分かりました。何をあらわしているのでしょうかねえ、古い欧州の作曲家マックスの抱えている本当の問題は、海の向こうの新音楽やそれを受け入れている新たに登場した大衆なのかもしれないということでしょうか。一方、私はここの氷河の音楽、合唱の感じはずっと何かに似ているなあと思っていたのですが、プログラムにあったブゾーニの写真をみて、そうだ「ファウスト博士」が色々な悪魔を呼び出す際の音楽だと腑に落ちて一人納得して満足していました。

それはともかく、マックスが歌うにつれて、アニータの顔がそれまでのにこやかな顔から徐々に悲痛な顔に変わっていきました(オペラグラスなしで見れる席なのに感謝。左の写真参照)。そしてマックスの悲痛さが伝わる歌を終え、ピストルを頭に向けたとき、舞台上のアニータが第1部とは打って変わった深い声で歌い始めました(CDではスピーカーから聞こえるような効果をだしていましたが、私はクレーマー演出の方がよいと思います。時間と場所がごっちゃになっていると言われればそれまでですが、舞台をみればすんなりと流れて受容できます)。それにしても、いやあ、このオペラってCDの解説書にもありましたが、ジョニーとその音楽に焦点が当てられがちですけど、クルシェネクの意図はマックスこそ主人公だったようで、この場面はまさにクルシェネクの意図が伝わってくるような迫真の場面、聴き所でした。

部8場

しかし、歌い終わって二人が抱き合うと、背景が上がって、そこは奥まで本当に何もないスタジオというか舞台そのものが剥き出しになっていて、紺色の揃いのワンピースを着た女性や男性の合唱陣がこれまた楽譜を持って、例の軽いジョニーの音楽に乗って二人を祝福するかのように歌っていました。勿論、例のジャズ・バンドも出てきて演奏。アニータとマックスがベーゼンドルファを舞台中央の若干奥に動かすと、腰を浮かしてピアニストも弾きながら移動、マックスは再び楽譜を持ちながら何事かを確認している最中にダニエロが登場し、盗まれたヴァイオリンの音に気が付いて、ジョニー探しが始まったところで幕。しかしマックスだけ幕の前舞台上に出ていると、場面転換の追跡の音楽と共に、ジョニーが登場し、舞台からピットにおりて、そこからパルケットlinksサイドの通路(私のいる方)を伝い、さらに、パルケットの中央通路を伝って小澤の後ろにまで来て、ヴァイオリンをお客さんにあずけてカツラをとり、服をどんどん脱いでいきます(ズボンを脱ぐところだけちょっと躊躇して場内を見渡したりするという細かい芸もみせます。なお、服は小澤の横から誰かが出していました)。一方、舞台上では、マックスが楽譜をみながらあれおかしいぞと思いつつ退場、代わりにイヴォンヌまでその場で着替えをして、顔の黒塗りを落としていきます(ジョニーー=黒人が盗みをする物語という批判を薄めようとしているのかなあとも思いましたけど、演出的な他の理由があります)。

旋律が変容して最後はフォスターの「スワニー河」になる歌をほれぼれと歌って、お客さんに小声でダンケ・シェーンと述べてジョニー=スコウフスが去っていくと、今度は三人の警官がパルケット内を懐中電灯で照らしながらジョニーを追いかける歌を歌い、小澤の真後ろで切符を拾って駅に向かいます。

(政治的正しさを考慮したのかな?顔の墨を落とすスコウフス)


ここまで来ると、誰にでもマックスの作品世界と実世界とが入り乱れていて、マックスが主人公だという感が強まっていきます。

音楽は切れ目なく続き、幕が開くと先ほどの合唱団がこちら側に横を向けて並んで、「列車の旅はのろすぎる」と歌っています。舞台には具体的な駅を示す小道具はありません、ただ整列して並んでいるだけです(もっとも、ロンドンでは駅でもどこでもだれも整列せず早い者勝ち、弱肉強食の世界なので意味が通じないかも)。ジョニーは完全にスコウフスの地の肌、つまり白色になっていて、整列して並ぶ乗客にまぎれます。確かにジョニーという黒人だったならばどんなとんまな警官でもマックスと間違えようがない訳で、これがエセ黒人ジョニーだったならば駅で乗客にまぎれれば、多少分かりづらんくなるでしょうし、舞台にそのまま残らせる演出上ひつようだったのでしょう。さて、警官登場。マックスを逮捕すると彼を舞台中央に残してあったピアノの方に押しやり、他の大勢の警官とともに他人が彼に近づけないように囲みます(その周りを合唱団が囲むように立っている)。

そこへアニータ、イヴォンヌ、マネージャー、ダニエロ登場、そして、「アムステルダム行きD-zug出発まで後5分」といきなり小澤の横からメガホン持った歌手が怒鳴ります。びっくりしました。因みにD−zugというのは急行ですが、現在のDB(ドイツ鉄道)では殆どなくなりつつあります、あっ興味がない、すいません。

どうやって汽車を舞台上に出すのか?オデッサの劇場で1930年代に当作品を見たピアニストのリヒテルは、彼の幸せだった少年期の思い出、後にドイツ人の母親は国外に脱出し、父親はリヒテルをかばって偽の自供の上粛清されてしまい、その思い出と結びついていたこともありこの作品とシュレーカーの「はるかな響き」がことのほかお気に入りだったのですが、彼の日記にはプラットホームと汽車が舞台に出てくる様についての述懐が残されています。しかし、今回の舞台にはプラットホームや汽車といった具体的な小道具や舞台装置はありません。ダニエロとイヴォンヌが口論しながらマックスのいる(警官が山のようにいる)ピアノの方に向かうと、背景の映写幕に黒い点が移り、それがどんどん巨大化していくと、汽車でした。そしてそれが汽車と分からなくなるほど大きくなるのと音楽が完全にシンクロして悲鳴が上がると、舞台上のすべての人間が倒れ、マックスのみピアノに向かってうつぶせになっているのでした。

結構迫力あり

2部第10

舞台の袖から小太鼓を吊り下げた奏者がにこりともせずに現れて、小太鼓を打ち付けます。そして、この場はかなり大胆に、演出上の要請から、カットがなされていました。ジョニーとイヴォンヌの会話、あるいは警官とマックスとの会話もなく、一人むっくりと起き上がったマックスが、「何もかもお終いだ」と歌い始めます、そして、歌い終わると舞台の袖から出て行きます。カーチェイスもありません。ここも殆ど伴奏がないのですけど、小澤は一生懸命振って歌手に自由に歌わせません(もっとも、歌手は自由に、解放に向けた歌を切々と歌っていましたけど)。

部第11

駅のベルが次々となります。私はこれまでの演出からきっとオペラ・ハウス内のあちこちで鳴らすと思っていたのですが、ピット内だけでした。そして、これを合図にまず警官が起き上がり、アニータ達が立ち上がり、「来るのか来ないのか」と歌っていると、再び小澤の横から、「出発」の怒鳴り声が。続いて「アー」という嘆きから喜びの声へのアニータ、マックス、ジョニー、イヴォンヌの声の中で合唱団が立ち上がり終わると、最後の爆発するような音楽に繋がります。この爆発力はやはりナマでないと味わえません。そして、背景にはお約束のレビューのお姉ちゃんたちも競り上がってきて、客席に向かって押し寄せようとする合唱団、それを食い止める警察官たちともども場を盛り上げます。合唱団はちょっと歌詞が不鮮明でしたけどね。

続いて主要人物たちがピアノの周囲に集まって最後の合唱を歌い始めると、合唱団員がピアノを下の台ごと奥に向かってゆっくり動かして行きます。舞台は暗く、背景のみほの明るい中シルエットしか見えないのですが、ピアノの上にジョニーがすくっと立ち上がってヴァイオリンを上に掲げたシルエットが浮かび上がります。徐々に奥に向かって、新世界への出発を暗示しつつジョニーのテーマがヴァイオリン(コンサート・マスターによる)で奏でられ、最後の和音が鳴って暗転。

最終シーン


猛烈な拍手でした、小澤は色々な奏者に握手しまくって舞台に向かっていました。一番拍手が多かったのはやはり小澤ですが、マックス、アニータ、ジョニー、イヴォンヌには等しく非常に盛大な拍手とブラボーが飛んでいました。

こう文章と写真だけですとあまり面白そうに見えないかもしれませんが、これは実に実に面白い舞台でした。朗々たるアリアや感動的な歌には乏しい(あるいはない)時事オペラかもしれませんけど、クレーマーの演出と芸達者でこのオペラにふさわしい歌い方の出来る歌手、そして指揮者と楽しそうに演奏していたオケのおかげで26日のチケットも買っておいてよかったと思った舞台でした。

なお、TVカメラが入ってました。初日にも入っていたらしいので、いずれ「オザワのジョニー」ということでDVDか何かでみられるかもしれません(だからダニエロ役が口パクでも舞台に出ている必要があったのです)。しかし、野球でもサッカーでも同じでしょうけど、TVで移せる範囲には限度があります、そして微妙なポジション変更や物語は往々にしてその枠外ですでに始まっているものです。是非ともナマの舞台をみられることをお勧めします。絶対損はしません。

追記:12月26日の公演
22日の項でも若干書きましたが、ダニエロ役がヴィーン国立歌劇場初舞台のGeert Smitsが舞台上で歌いました。ただし、彼のせいではないのですが、出来の方は、22日と比較すると若干落ちました。演出的には、例えば、ラスト近くの小太鼓の出が遅すぎて拍を完全に間違えていましたし、その後のマックスの独白では、ピアノと木管がずれてしまったまま進行するなどヒヤヒヤの連続でした。それと最大の大外しは、最後の最後、「ジョニーが弾きまくる」部分でのヴァイオリンを当日のコンサート・マスター氏が、休憩時間中一生懸命練習していたにもかかわらず、極めて怪しい音程、さらにボウイングが途中で切れるは、音は掠れるはと、おいおい昨日シャンパンでも飲みすぎましたか、という演奏でした。TVが入っていなくて緊張感が足りなかったのでしょうかねえ。ただし、楽しい舞台には変わりなかったです。DVDが出たら絶対買いですよ

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