遠いコンサート・ホールの彼方へ
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2002年12月21日

フランクフルト州立歌劇場

SALVATORE SCIARRINO(1947)


MACBETH


Otto Katzameier (Macbeth)

Annette Stricker (Lady Macbeth)

Richard Zook (Banquo)

Thomas Mehnert (Duncan, Macduff)

Sonia Turchetta (Banquos Sohn)

Gabriele Hierdeis (Vokalensembel)

Stefanie Schafer (Vokalensembel)

Vanessa Barkowski (Vokalensembel)

Christoph Hierdeis (Vokalensembel)

Johannes Schendel (Vokalensembel)

Helmut Seidenbusch (Vokalensembel)

指揮:Johannes Debus

演奏:Ensemble Modern

演出・美術:Achim Freyer

衣装:Amanda Freyer

照明:Gerd Budschigk

開演   午後8時

終演   午後9時45分


オペラ・ハウスではなく同じ建物内にある演劇用のホール、日本の新国立劇場の中ホールと同じようにピット付きの方でした。

現代イタリアの作曲家シャリーノ(1947年生まれ)。作風は、よく言えば「室内楽的で繊細」(ラルース音楽辞典より要約)となりますが、私は勝手に「呟き太郎」と呼んでいて、暗く静かで呟くような切れ切れの音型が執拗に繰り返されるなあ、といつも感じています。オケ物や器楽曲を聴く限り、古典的な劇的効果や劇的構成なんぞ有り得ない作風だし、作品によっては、例えば彼のオペラ(?)「ローエングリン」なんかは、聞いていて気が滅入ってしまうもんで、1、2回聴いて売り払ってしったように、私には生理的なレベルで受け付けない部分が多い作曲家です(もっともピアノ協奏曲のように好きな作品もいくつかありますけど)。それほど好きでもない作曲家なのに、なぜ今回は聞きに言ったかというと、とりあえず現代音楽好きとしては押さえておいた方がよい作曲家ではあるのは間違いなく、日程的にフランクフルトにこの日に滞在せざるを得なかった一方で、他に見るものもなかったし、この「マクベス」はまだCDになっていないので、聴かないことには好き嫌いのレベルを含めて判断のしようがないということもありますし、何より2002年11月30日のパリ公演を当日券狙いで行ったら売り切れのため聞き損なってしまい、余計に聞きたくなったからです(一体全体、現代物のオペラ、それも4回連続公演の3公演目が売り切れるなんて考えられますか)。

 マクベスです。 バンコォーとマクベスです。

劇自体はシェークスピアの原作にほぼ忠実に展開されていて、全部で3幕、1幕が魔女との邂逅と王位簒奪、第2幕が権力維持に狂奔しつつもバンコーの幽霊に悩まされる舞踏会を中心とし、第3幕がマクベス夫人の死から最後の場面までとなっていました。

ただし、魔女は一人しか登場しませんでしたけどね。それにイタリア語はフランス語かで歌われて、字幕がドイツ語だったので、えらく場面を理解するのに苦労しました、シェークスピアなんだから英語でやってくれと思いましたよ

(でも英語ですとオペラ化不必要だと感じるかもしれません。シェークスピア俳優によるあのリズムや語感は、特段英語が得意でなくとも、聞いていて心地よいですから。実際のところ、シェークスピアをオペラ化している英語圏の作曲家というと、ブリテンとティペットの両者が「真夏の世の夢」をしているくらいですかねえ、ウォルトンは映画音楽だけですし。あっ、マイケル・ナイマンがテンペストをオペラ化していましたね<グリーナウェイの映画とは別に>、もっとも面白く無い曲でしたけど)。

登場人物は上の写真のように皆頭をツルツルにし、第2幕の舞踏会シーンで登場する客(Vocal ensemble)が黒塗りで強烈な黄色の衣装を着ている以外は、白塗りで暗い青あるいは赤の衣装でした。

さて、終演後の感想は、舞台公演でならもう数度くらい見てもいいかもしれないが、CDは買わないだろうなあ、というものでした。「ピーーピリリ」(一文字一拍、ただし最後のピリリのみは1拍)というフレーズが基本要素かと思わせるほど執拗に鳴らされ、マクベスの悩みも、マクベス夫人の猛々しさもすべて音的には均質化されてしまっていて、何と言うか古典的な意味で音楽が劇を支える、あるいは展開に協力することを端から拒否した感じでした、あらかじめ予想されてはいましたけど。ただ、意外にも第2幕の舞踏会シーンは、「呟き太郎」とは思えぬほど音楽が活気付いていて、さらに強烈なフルートによる上記の旋律と、バロック期?の舞踏音楽の断片がきらきらと絡む中、バンコーの亡霊登場時には永遠の「ドン・ジョバンニ」、その騎士長のニ短調の荘厳な和音が登場(ちょっと安易かも)。これらがめぐるましく交互に鳴り響いていて、走り回った疲れもあって半ばぼんやりとした意識を、”Sleep no more! St.Ives does murder sleep,”とばかりに目覚めさせてくれました。しかし3幕に入ると、もとのシャリーノ節に戻り、ひたすら音は沈潜して死滅していき、隠隠滅滅とマクベスの破滅と、だからといって明るくないスコットランドの未来を示してオペラは終わったのでした。ハイナー・ミュラーの「マクベス」をかなり意識したのでは?とはいえ、ヴェルディの「マクベットー」に比べれば、下記の演出の効果もあいまって、シェークスピアの原作を彷彿とさせるものでした。

演出は、シェークスピアのト書きにある程度即した格好にはしつつ、歌手を天井から横にして吊り下げて歌わせたり、奇妙にこわばった動きを取り混ぜたり、奇妙に大きな剣をふりかざしたりして、観ている人の上下左右の感覚を失わせてしまうようにしていました。さらに、美術面では、背景は横の壁をA.キーファーの描く「兵器庫」のように、遠近法で奥に消えるようにみせた暗い地に筆で描いたような白い線で宮殿を描き、加えて、舞台前面に光の加減で見えるようになっている、遠近法の錯覚を感じさせる網目が張られていたので、舞台奥に人が現れると、その網目や背景画との関係で不思議な、距離感や相対的なものの大きさを失わせる感覚を生み出していました。音楽自体が時間の感覚を失わせるようなものに加えて、演出や美術が距離感や上下の感覚を失わせどこにいるか、どこまで行けば終わるのかわからない焦燥感、とここまで自分で書いていて思ったのですけど、これってマクベスが、

Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,

Creeps in the petty pace from day to day,

To the last syllable of recorded time,

And all our yesterdays have lighted fools

The way to dusty death.

と呟いた精神状態、現実感の喪失、絶望的な日々の感覚に近いんじゃないかと思ったのでした。実は傑作?

 マクベス夫人

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