道楽者の成り行き
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6.頽廃音楽ですが、何か?


12月21日 フランクフルト

ロンドン 曇り

「旅は身軽に」をモットーに、これまでの旅は小型のキャリーバッグと手提げ鞄程度の荷物にとどめていたけれども、今回は8泊9日の長丁場の上にスーツを持っていく必要があるので、仕方なく旅行用の大型スーツ・ケースを抱えて我が家を出発。飛行機の離陸時間が午前10時なので、8時に家を出ればこれまで通り、といっても今回が「コヴェント・ガーデンの今」では初の英国外のコンサートの記述なので何がこれまで通りなのかと思われるでしょうけど、これまで通りに地下鉄ベイカールー線でパディントン駅まで行き、そこからヒースロー特急でヒースロー空港まで、上手く行けばDoor to doorで40分もかからず余裕たっぷりにたどりつけるつもりで出発。

しかし、「旅は身軽に」をいきなり実感する羽目に陥ったのでした。

ヒースロー空港にはターミナルが現在4つあり(五つ目の建設も予定されている)、英国から大陸への離発着は、特に英国航空(BA)を使う場合は、ターミナル1でして、これまではここしか使っていませんでした。しかし、今回は使い慣れたBAではなくブリティッシュ・ミッドランド航空で、さらにバウチャーには「ターミナル2」出発と書かれていまして、不慣れな道をそれなりに進んでいったみたところ、黒山の人だかりでごった返すターミナルにつきました。クリスマス・シーズンであることを失念していました。「これだとチェックインとパス・コントロールの通過にちょっと時間がかかるかもしれないから早く目指す航空会社のカウンターを見つけないと」とうろうろしても、どこにもブリティッシュ・ミッドランドのチェックイン・カウンターが見当たらない。仕方なく案内書でバウチャーを示しながらカウンターはどこかと聞くと、「ターミナル1だ」と言われ、続けて「ここはターミナル3だ」とも聞いていないのに言われたのでした。時計をみると、9時15分。これまでの大陸行きの経験からして余裕と思っていた行程のはずが、瞬く間に飛行機の登場時間に間に合うかどうかという事態に変わりつつあったのでした。

重いスーツ・ケースなんか持ってくるんじゃなかったとか、空港の道案内が悪すぎるとか、旅行会社に指示書の間違いをクレームしないととか悪態を着きつつ、小走りにターミナル1に向かうと、その途中にチェックイン・カウンター案内を発見、一応確認しようと見てみると、これが何とブリティッシュ・ミッドランド航空は通常はターミナル1だが、ドイツ行きのみターミナル2と表示されていたのでした(よって旅行会社へのクレームの悪態はなくなりました)。もう、汗だくになって、重いスーツ・ケースを引っ張りながらヒースロー空港の地下を延々と走り(例のごとく動く歩道は、「ベストをつくしたが故障した」という注意書き付きで止まっていた)、漸くターミナル2に着くと、そこには、ターミナル3同様の人だかり、それもファゾルトとファフナーの末裔かと思わんばかりのドイツ人たちが陣取っていたのでした。もっとも、彼らの使うのはルフトハンザ、私が使うのはブリティッシュ・ミッドランド、隠れ頭巾をかぶっているようなもんで関係ないもんねと思って時計をみると30分前、慌てて再度カウンターを探したのですが、「無い」。再び歩いていた空港関係者にカウンターの場所を尋ねると、ルフトハンザとブリティッシュ・ミッドランドはスター・アライアンス・グループで共同運航しているので、この巨人達の後ろに並べと言われ、「パス・コントロールまで含めて、搭乗時間に間に合うかな?」と思った時、第3ターミナルの案内所に、バウチャー類を入れたケースを置き忘れたことに気付いたのでした。人間あわてるとろくなことが無いという典型例を演じてしまったのでした。

端的に言って、「間に合わない」という絶望感に襲われましたが、私の座右の銘の一つに英国の諺にある「プディングは食べなければ分からない」というものがありまして、ともかくバウチャーを取り返しに往復で1キロ以上はあると思われるルートを走る決断をしました。ただ、どう考えても重いスーツ・ケースを引っ張って行けば絶対に登場時間に間に合わないので、盗まれたり、(麻薬密売人に)すり返られる危険を顧みず、ルフトハンザのチケット販売カウンターの職員がいる前に置いていくことにしました。

そこから走りに走りました。常日頃運動をしていないので、心臓がひっくり返り、息が出来なくなるほど走っていると、英語のアナウンスで私の名が呼び出されていて、余計に急いで第3ターミナルの案内所に着いた時には離陸時間まで25分を切ろうとしていましたが、ともかくパスポートも示して本人確認を受けて再び猛ダッシュでヒースロー空港の地下の同じ道を抱えて走りました。しかし戻ってみると、依然としてドイツ人たちの山が連なっていました。

ともかく、巨人族の末裔の列に並び、受付の順番が来るまでに(幸い盗まれていなかった)スーツ・ケースをその場で開けて記憶に残る配置図と比較して、どうやら麻薬の運び屋にされていなかいことを確認し、続いて列の前に並んでいる女性達に、飛行機の搭乗時間が迫っているので先にチェック・インをさせてもらえないかと尋ねると、何と彼女たち飛行機(ハンブルク行き)の方が私の飛行機よりも10分も早く離陸するとのこと。つまり、その時点で言えば、彼女たちは残り5分でチェックインを済ませ、パス・コントロールを抜けて、長い搭乗通路を抜けなくてはならないのでした。どうもおかしい。


カウンターを観察していると、どうも応対に追われている職員が何人もいて、その結果、山はどんどん大きくなるばかり。ついには空港職員が、私の並ぶ列一帯を立ち入り禁止にしてしまいました。結局、私がチェック・インできたのは、離陸5分前。その時言われたました、「出発はフランクフルト空港混雑により1時間遅れます」。

この国は、この類の注意書きやアナウンスを全く行わないか、「したという」事実を残す程度のサービスしか出来ない国なのです。

フランクフルト空港には当初の到着予定時間である12時半を大幅に過ぎた午後2時過ぎに到着。現地の会社の同期と午後3時に中央駅のインフォメーション前で落ち合う約束をしていたので、いつ来るか分からないSバーンではなく、タクシーでホテルに向かいました。ホテルは、重い荷物のことを考えて中央駅からそれほどは遠くない、またシャウシュピール・ハウスまで歩いていける場所のRAMADAホテルというところをネットで予約しておきました。

汗だくだったのでシャワーを浴び、結局午後3時を少し過ぎたぐらいに同期と会えたので、本当に良かった良かったとシミジミと思いました、これまで海外旅行で色々面倒で大変な目にあっているので、これくらいですんで良かったと思いました。その後、知り合いに連れられて、Sバーンに乗ってレーマー(神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた建物)へ。

レーマーの前には、ロンドンのトラファルガー広場前の樅の木(毎年ノルウェーから寄贈される。ナチス・ドイツがノルウェーを占領した時に国王の亡命を受け入れてくれた御礼だそうだ)も斯くやと思われる巨大な樅の木が立てられ、その周囲にはグリュー・ワイン(ホット・赤ワイン。人によっては砂糖も入れる)やソーセージ売り、移動式メリーゴランドやダーツ、周辺の木工遊具・細工の店が所狭しと立ち並んでいる、ようは日本の縁日と同じ活気を呈していました。同期によると、ニュルンベルクのクリスマス・マーケットの方が有名だそうで、その場所は、市の中心、アメリカ軍によって綺麗に整地された大きな広場だそうです、、、。ともかく、クリスマス・マーケットや買い物でごった返すフランクフルト中心部を歩いたり、「モーツァルト」という名前の彼がよく行く喫茶店でビールを飲みながら、とりとめの無い四方山話をし、シャウシュピール・ハウスに案内してもらったところで分かれました。因みに、彼はフランクフルトに3年近くも住んでいながら、シャウシュピール・ハウスには一回も入ったことがない、というのも彼はミュージカルのファンで、オペラを見ると眠くなるのだそうです、勿体無い。もっとも、彼に言わせると、ロンドンに居ながらミュージカルに全く興味がなくて、劇場に足を運んだことの無い私の方こそ勿体無いという話ですけどね。

シャウシュピール・ハウスに入るのは200011月のヒンデミットのオペラ「カルディヤック」を見て以来で、3度目です




 
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