道楽者の成り行き
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6.頽廃音楽ですが、何か?


12月24、25日 マインツ

12月24日

今日はフランクフルトに限らずどこのオペラ・ハウスもお休み。私も昼近くまで寝て、それから昼食を取りに少し街を歩いみると、お昼過ぎにはどこの店もたたんでしまい、天気も悪いので再びホテルに戻って寝て、夜にホテル内のガラすきのレストランで食事してまた寝るという生活。若干疲れていたのでちょうど良かったです。


12月25日

クリスマス当日、雨。博物館も美術館もすべて閉まっていて、教会のみが今日は年で最も重要な営業日ということで開いています。せっかくなので、どこかの教会にでも行ってみようかと、1848年にフランクフルト国民会議の開かれたパウルス教会に行っても面白いかなあとか考えていた時、隣町にマインツがあることを思い起こしまして、「そうだ、西洋史でしかしらないマインツ大司教とやらを見てみよう」とばかりに急遽ホテルを出発、ミサが見れればいいけどと思って中央駅に。しかし、マインツ行きの列車は30分遅れ、その上、いつの間にか待っているホームの行き先案内板が全然方向が違うことで、発着ホームの変更を知った具合で、これはミサに間に合わないかも(もっとも、何時から始まるかは知りませんでしたが)と思いつつ、10時15分にようやくフランクフルト駅をICが出てゆきました。途中オペルの巨大な向上の前を過ぎ、初めて見るライン川を渡り、ライン左岸線(右岸線もあります)に入ってすぐにマインツです。時間にして30分ほど。

マインツ 雨

マインツはマイン川とライン川が合流する地点のライン川左岸に面した街です。ここの大司教は、かつては神聖ローマ帝国皇帝を選出する権限を持っていまして、その富と権力で巨大な大聖堂を作った、ということですが、マインツの町は、そのかつての富と権力から想像すると意外に小さく、駅前のWiner Waldを通り過ぎ、10分程度も歩くとデパートやショッピング街のある市の中心部に出ます。そして、そこにはやはりドイツの町らしく、近年に建てられた思わしき(外観は伝統的な)オペラ・ハウスがあり、「ローエングリン」の上演予告が壁に張り出されていました。ここのどの程度の水準のオペラ・ハウスかは私は知りませんが、フランクフルトまで30分(片道13ユーロくらい)で、東京と比較すると横浜にオペラ・ハウスがあるいようなもんです。かつてフランクフルトに駐在したこともある上司によると、例えばダルムシュタットのオペラ・ハウスなんかは貸し切り状態のようにして見られたそうです。そのどれくらいの入りはなのか分からないオペラ・ハウスの斜め前にマインツ大聖堂がありました。

大聖堂についたのは午前11時過ぎ、ちょうどミサが始まるところで、異教徒の異邦人が中に踏み入れると、誰の作品知りませんがオルガン曲が鳴り響き、ミサ曲を皆で歌っていました。そして、はるか前方には世が世ならとんでもない富と権力を持っていたであろうマインツ大司教と思しき人がいて、曲が終わると説教していました。大聖堂だけあって天井も高く、説教が終わってアーメンという声が響き渡るのは、宗教は仰々しい仕掛けが大切なんだねえ、という感想を持たせるに十分でしたが、十分もいると飽きてしまうし、うろうろ見学もできないし(皆まじめにミサに参加しているので)、ラインの黄金を探しにライン川に向かいました。

ライン川は雨で増水の上、茶色く濁っていまして、いやあラインの3人の老婆でも出そうな感じでした(キース・ウォーナーは登場させたそうで...)。コブレンツへ向かうライン下りの発着場に行くと、そこには「ラインの黄金テラス」があり、その裏には「ラインの黄金ホール」がありまして、考えることは皆同じだと思いましたねえ、テラスが閉まっていたのは残念です、どんなネーミングのメニューが並んでいたのだろうかちょっと期待していたのですけど。ライン川とライン観光の船以外は何もなく、風雨がきつくなってきたので、来た道を辿ってフランクフルトに戻りました。



 フランクフルト州立歌劇場 シュレーカー:歌劇「宝を掘る人」
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