道楽者の成り行き
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5.放蕩者の道行


2004年3月7日 ドレスデン州立歌劇場 ストラヴィンスキー 歌劇「放蕩者の道行」

3月7日 ベルリン 小雪

ベルリンから早朝のICEでドレスデンに。ドレスデン・新市街駅に止まるかと思ったら中央駅直行で、宿泊先のホテルは新市街の日本宮殿隣なので遠ざかってしまいました。今夜の宿はホテル・ベルビュー。オフ・シーズンで安く泊まれたし、サービス満点で部屋も良かったです。

とりあえず、11時のコンサートに向けて出発。アウグスト橋の上から眺める旧市街は相変わらず美しい。ゼンパー前の教会、ゼレンカ(1679-1745)ゆかりのカソリックの教会でのミサが10時半から始まるので、ちょっとだけ異邦人も見学。シュッツゆかりの木の十字架教会までは行く時間がないのが残念。


 聖母教会を望む。


  橋からの眺め。ゼンパー・オーパーを真横から。


 教会、王宮、観光案内所(その奥はツヴィンガー宮殿)


久しぶりに自分のポートレートも撮る(非公開)。


10分ほどしてゼンパーに。コンサートの感想は、3月5日を参照。

終演後、昼食を食べに聖母教会前へ。天辺に取り付けるドームの木枠が公開されていました。ともかく昼食が先だとアヒルのモモ肉を食べ、さらに「緑の丸天井」(ザクセン王家の宝物庫)を見に行こうとアルベルチヌムに移動するも、改装中ででした。仕方ないので彫刻とか絵画だけを見て、交通博物館に移動。交通博物館はそれなりに見ものでした、とりわけ航空機の展示場が、「ここどこ、いまはいつ」という感じで、DDR時代の飛行機の開発や展示物がどっさりとあり、中には全く見たことが無い飛行機もあり、ただし正直これ飛ぶのかな?とか、デザインがダサすぎると思わせるものばかり。それに、初めての海外旅行、93年2月、モスクワから旧東ベルリンへ向かうアエロフロート航空のツポレフのエンジンは、文字通り火を噴いていた。生きた心地がしなかったことを思い出しました。他にも、昔の前輪が巨大な自転車に乗り、これは大変であった、こんなもんによく皆乗ったなあ。さらに廃棄された戦前の超高速ディーゼルカーのリストア・モデルを見て、これをメルクリンが模型化しないかなと願い、トラビーを眺め、続いてようやく再開したツヴィンガー宮殿内の陶磁器美術館に移動。11年前に来た時は、単に並べていただけだったのが、内装を一新し、テーマ別、時代別などにきちんと展示を分け、さらにディスプレイも見やすく、かつ凝ったものにしていました。やはりプレゼンテーションの技術は重要です。しかし、見ていて欲しいものだらけでした、あの茶碗、あの壷、あの皿、伊万里に景徳鎮にマイセンに、さすがに陶磁器のコレクションまで始めたらトムよりも破産が確実なので、みるだけにしています。



 聖母教会です。黒い部分が1945年2月13日から14日にかけての大空襲で残った部分です。


 天辺に取り付ける予定。木製。


 未だに大空襲当時のままの部分が


 上の拡大。



そうしている内に時間が過ぎて一度ホテルに戻り背広に着替える。前にも書いたとおり、ゼンパーは正装した人だらけなのです、実際ホテルのエレベータにはチケットを持って着飾った人達が多々いました

2004年3月7日午後7時開演 ゼンパー・オーパー、ドレスデン

ストラヴィンスキー:歌劇「放蕩者の成り行き」

指揮:Johannes Fritzsch

演出:Philipp Himmelmann

美術:Johannes Leiacker

衣装:Jorge Jara

   TruloveRolf Tomaszewski
Anne TruloveCamilla Nylund
  Tom RakewellKlaus Florian Vogt
  Nick ShadowJukka Rasilainen
Mother GooseBarbara Hoene
      BabaKathleen Kuhlmann
   SellemTom Martinsen

合唱:ザクセン州立歌劇場合唱団

演奏:ザクセン州率歌劇場管弦楽団のメンバー

このオペラ、田舎でのらくらしていたトムところに悪魔が誘惑に来て、恋人を捨ててロンドンに出て、放蕩三昧の挙句、破産して精神病院で亡くなるという、悲劇なのか喜劇なのか分からない、どこか身につまされるような、身に若干覚えがあるような話であります。全幕にエピローグつき。最後のエピローグは、モーツァルトのドン・ジョヴァンニよろしく、しかしドン・ジョヴァンニとは似ても似つかないトム・レイクウェルも登場して教訓めいた説話を歌いますけど、最後の最後の部分を聞くとストラヴィンスキーはミュージカルを見たに違いないと思いますけどね、彼の伝記には詳しくないけど。そういえば、ニック・シャドウが賭けに負けたところの音楽は、ブゾーニのオペラ「ファウスト博士」を彷彿とさせるし、他の作曲家、とりわけモーツァルトからの借用が多々ある、楽しく猥雑で活気の溢れるオペラです。なお、私は初めてみます

当日のプログラムにはストラヴィンスキーの年表がついていて、彼の事跡と並んで1915年にドビュッシが死んだとか、1906年にショスタコーヴィチが生まれたとか、1924年にフォーレ、プッチーニ、ブゾーニが無くなってノーノが生まれたとか並んでいましたが、このオペラの初演の年は、ちょうどシェーンベルクが亡くなった年、1951年なのでした。

ストラヴィンスキーが十二音技法に手を染めるのは、この辺りからですが、このオペラはまだ新古典派の時期の作品で、ヴァイオリン協奏曲やハ調のシンフォニーと同じ作風でして、そうなると演奏には、チャキチャキっとしたというかパリッとしたというか、ノリの良さと刻みの軽やかさが私としては欲しいわけで、とはいえゼンパー・オーパー、これまでの経験からするとそれはあまり望めないなあと思いつつ、実はこのオペラを生で見たことがないし、別の日のコンサートも聞きたいしで出かけてみたら、やっぱり予想通り、ちょっと歯切れは悪い感じでも、オペラ・ハウスが響くから仕方ないかな。

いつも聞いている演奏はガーディナー指揮、ロンドン交響楽団の演奏。あのオケの軽さに加えて、イアン・ボストリッジ、ブリン・ターフェルの英語の歌唱も当然達者で、話す時と同じように軽くノリよく勢いで歌ってしまうし、オッターはネイティヴではないけど早口歌いは上手だし、そのCD、DGから出ているのですけど、当日のプログラムでは「これを聞け!」という感じで宣伝されていて、いやあ凄い自信か開き直ったかと眺めて、じゃあ比較しましょうとすると、主役のトム・レイクウェル役のフォークトは、声質はボストリッジ以上に明るく輝かしく、声量もあるんでジークフリートかジークムントで聞きたいねえと思うのだけど、如何せん何を歌っているのか不明。でも、予習でみたカンブルラン指揮VPOの1996年ザルツブルク公演のDVDで見るフェンリーよりは、若い世間知らずの甘ちゃんな容姿に声も歌い方も良かったし、まあ実演じゃボストリッジだって何を歌っているか分からない部分もあるし(アデス歌劇「テンペスト」でのキャリバン役にて)、総合的には二重丸でよいでしょう。

アン役も同様に英語としては聞こえづらくて、一体この人は何をうたっているのかとおもったし、ドイツ語じゃないから最後のTの音は強調しないんだけど、と思いつつそこが音楽の面白さ、歌いまわしと声質と表情で分からせてしまう。前半のコミカルな舞台のせいもあろうけど、精神病院の場でのレイクウェルとの再開と分かれの歌と場面が泣けるとは思ってもいなかったわけで、総合的にはCDのデボラ・ヨーク並に良かった。そしてニック・シャドウ、これはCDのターフェルが上手すぎて比較するのはかわいそうだけど、ユッカ・ラシライネンは健闘していましたね。ターフェルのような余裕はないし、この人も何を歌っているのか全然分からなかったけど、声量と歌いまわしそれに力演でカバー。

というわけで、ここまではよござんしたけど、問題はババのカスリーン・クールマンでして、声が硬いし、早口歌いの場面、トムに飽きられてしまったところですが、うーむ、まず彼女の歌に併せてオケのテンポまで格段に遅くなってしまったし、あの意味をなさない内容のざれ歌はテンポアップで進む、言葉遊びの面白さに近いものがあるのですが、そこが上手く出ていませんでした。

そしてトゥルーラヴ(アンの父)、うーむ、音程が安定しないというか採り間違っていないかい?という感じで準主役ですが一人落ちていました。最後の明るい5重唱は「歌わんでくれー!アンサンブルが崩れる!!」という感じ。

さて、演出。これがシンプル。大小さまざまの電光掲示板というか色付ネオン管で作られたト書きの文字、「トゥルーラブの庭」、「秋」、「マザーグースの宿」、「トムの家」、「猿」とか「鳥」、それらが上から左右から登場してそのまま舞台にとどまる。まるでどこかの繁華街のよう。必要になると再び光が点ったり、黒子というか蛍光の黄色の作業服を着た人達が規則正しい動きでそれらを並べ変える。そもそも、幕が開くと、向うが見えるカーテンが下りていてそこに「カーテン」とかかれているくらいで、ホガースというよりはマグリット。背景は黒に無数の星が光る中、「スター・ライト・エクスプレス」ならぬ「レイクス・プログレス」の文字がほうき星のように斜めに飛び去る格好で光っていまして、これまたミュージカルという感じ。

ピットは通常の半分程度、編成が小さいこともあり、ピットをぐるりと花道が囲む格好にしてあり、また舞台からピットに降りる階段もありまして、オザワの振った松本サイトウキネンでのプーランクの歌劇「ティレジアスの乳房」やギーレンの振ったヴェルディの「マクベス」のようにそれらをフル活用。合唱団もソロもそこで歌う。そう言えば、ムスバッハ演出の予習用にみたDVDも同じでした。

演出は、こうした舞台なのでいたってシンプルだけれど、飽きさせず。とはいえ、ロンドンのマザーグースの家の猥雑さはきちんと出していまして、男が女をバックから抱えるようにしており、女は前傾しています。一目で何をしているか分かるのですが、その状態で動き回って、あの男女の交互に歌う合唱を歌わせていました。これは面白い、やはりソロだけでなく合唱団がどれほど演技達者かでオペラの面白さは全然違います。恥ずかしがっていてはいけません、劇なんですから。

最後に、指揮者。当初の予定はミカエル・ボーダー、ライマンの歌劇「城」(WERGO)などを振っていますが、東京公演も病気でキャンセルしたとの事、こちらも理由は不明ですが、やはりキャンセルされていまして別の指揮者に変わっていましたが。音響は円やかですが、曲の運びは弛緩なくぴしぴしと振っていまして、合格点です。

とても楽しいオペラの時間で、次回のゼンパーは411日に「ヴァルキューレ」で、デッカー演出ともども楽しみにしながら劇場を後にしました。


午後10時の終演後、ホテルで食べようと思ったら、ホテルのレストランは閉まっていたし、開いている軽食やルーム・サービスの内容や値段を見て唖然として、再び無人の寒いアウグスト橋渡ってヒルトン横のレストラン街へ。ライト・アップされた旧市街は美しいのですが、誰もいないので非常に不安でした。レストラン街はまだ開いていたので、何気に入った先はスペインのタパス料理の店。安上がりに色々味が楽しめ、ワインを頼んで気を大きくしてから、再びもと来た道を戻りました。



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