第2部2「べつの物語」(3)
ナボコフが『ヨーロッパ文学講議』(TBSブリタニカ)で分析しているところによると、プルーストの『失われた時を求めて』は、扱われている時代は1840年から1915年までの75年間、登場人物は200人を越す。一方、池田亀鑑『源氏物語入門』(社会思想社「現代教養文庫」)によれば、紫式部の『源氏物語』は、四代の帝の時代、80年を扱い、登場人物は500人。
長さはと言えば、ナボコフは、英訳で約150万語と紹介している。ちなみに筆者の計算によれば、筑摩書房刊のプルースト全集に収められた『失われた時を求めて』は、10巻にわたり、1巻が日本語にして約30万字以上、10巻で300万字以上となる。問題は東西の言葉の違いで、アルファベットを使う国では、1語=1wordを単位して文章の長さを計算する。すなわち、そこには、長い語もあれば、短い語もある。一方、文字数を単位とするわが国は、長らく400字詰め原稿用紙を使用して数えた習慣上、すべての文字を400字詰めに換算して、その文章の長さを計る。いま、そのように、「換算」してみれば、『失われた時を求めて』の「日本語訳」は、300万文字以上、1巻の長さは、400字詰めにして、900枚、10巻で9000枚程度となる。『源氏物語』は、「飛鳥井雅康等執筆本53冊」(その所有者の名を取り、大島本という)を底本とした「新 日本古典文学体系」(岩波書店)で5巻にわたり、1巻に約20万字、400字詰めにして500枚、5巻で2500枚となる。ただし、外国語は、日本語に翻訳した場合、倍くらい言葉の数が増える傾向にあるようだ。それを加味すると、プルースト、式部、それぞれのオリジナルの原稿の長さは、ちょうど、『源氏物語』は、『失われた時を求めて』の半分程度だろうか。
執筆に要した時間については、ナボコフは、1906年の秋パリにおいて筆を取り、初稿が完成したのは1912年としている。その後、「1922年の死に至るまで改筆と訂正を繰り返した」。つまり、初稿完成までに6年。一方、紫式部の「執筆時期」は、はっきりこの時期とわかっているわけではない。池田亀鑑によれば、結婚前の20才頃構想し、22才頃の結婚を挟み、24才頃の夫の死によって、書こうという意欲に駆られ、28才前後で宮仕えするまでの7、8年間に一応の完成を見、その後、宮仕えをしながら修正した。つまり、彼らの執筆に要した時間は、ほぼ重なっている。そして、その時期は、ちょうど、プルースト執筆時の900年前にあたる。それでは、これほどの量の作品を、6、7年で完成させるには、一日に、およそどれだけ書いたのだろうか? 式部は、2500枚÷2555日(7年として)≒1、プルーストはその倍だから、400字詰め相当の文字数を、2枚ぶん書いた。しかしこの計算はあまり意味がない。その作業が、まるで簡単に見えてしまうからだ。400字詰め原稿用紙を、一日一枚ないし二枚埋めていくという作業を、7年間、「一日も休まず」続けるということは、思ったよりはるかに大変なことだ。つまりは、相当な集中力が、長期間にわたって要求される。プルーストも式部も、7年間、その作品を書く以外のことは、ほとんど考えていなかったはずである。
プルーストは、左から右へ、フランス語の筆記体を綴っていく。式部は、上から下、また右から左へ、万葉仮名をくずした草仮名で書いていく。そのリズムは、不思議と似ていたかもしれない。
また、デジタル情報の単位に換算すれば、『失われた時を求めて』は約150万バイト≒1.5メガバイト、『源氏物語』は(日本語漢字全角は2バイトなので)約200万バイト≒2メガバイトとなり、デジタルの情報量としては、ごく大雑把にいって、ほぼ等しくなる。
わたくしの物語は、ざっとこんなものでございます___。
1「桐壺」___箱庭を思わせる国の帝の息子として生まれた光源氏にとって、自己実現とは何か? そこには「アメリカンドリーム」のようなものはない。この国のこの時代の、こういう境遇において、人はなんのために生きるのか?
2「帚木」___ひどい湿気に閉じ込められて。
3「空蝉」___悲しい女の抜け殻。
4「夕顔」___別荘にて。女は悪霊にとりつかれて死んだ。彼女の死後、女の侍女の明かすところによれば、その女は、義兄の女だったと知る。
5「若紫」___源氏はあれ以来、気分がすぐれない。人の勧めで高僧にまじないをしてもらいに山の方へいく。そこで散歩中、あこがれの継母、藤壺に似た少女を認める。その少女を引き取って育てることになる。
平安遷都から200年、律令制は崩れ始め、荘園成立、摂関政治が始まる。一握りの貴族が、広大な土地と富を独占するのに奉仕する制度。あくまで天皇制の権力は、天皇に娘を嫁がせることによって外祖父になることによって把握される。そのためには、どんな謀略をも辞さない、言わば、「仁義なき戦い」によって、藤原家は他の勢力を蹴落とした。そして、藤原同士の争いにも勝ち、道長は、摂関政治の頂点に立った。式部もまた、名門の藤原北家の末裔ではあるものの、何代か前で、栄華を誇る一族とは流れを分かち、芸術には秀でた人物は多くいるものの、下流の貴族=受領の家となっていた。
「お父さま」
「なんじゃ?」(と、ゼウスは返事をした。)
「あなたさまのことではございません。わたくしが呼びかけていますのは、父、藤原為時です」
為「なんじゃ、式部?」
式「わたくし、夢を見ました」
為「食い物にも困っておるのに、また夢の話か」
式「夢の中でわたくしは、異国の女神になっておりました」
為「それで、空でも飛んだというか?」
式「はい。思うままに空を飛んで、あらゆるものが見えました」
為「あらゆるもの」
式「はい。たとえば、わたくしの将来、それから、父上の将来、この国の将来などが」
為「将来か……。われらは、どんな時代を生きておるのだろう?」
式「古臭い時代ですわ。わたくしは異国の女神になって、千年の時を旅しました。われらは古ぼけ、正しい生没年すら、のちの世の人々には不明となります」
為「相変わらずのレキシか。レキシがわしの心を暗くする」
のちの世の「読者」は、わがテキストをよく読めず、やれ道長との合作だの、大半は父為時が書いただの、続きは娘が書いただのと言う。1000年前の女一人で、これほどの「大作」を書き通すことは無理と思ったか。しかし私は、わが物語をこのように構成している。
第1部、一人の男の誕生から栄華を極めるまでの物語。
第2部、死に彩られた物語。
第3部、未来に手渡される物語。
つまり、この時代をいかに乗りこえていくかが、この物語のテーマである。それぞれの部で、私は文体を変えることを意図した、というより、自然に変わっていった、というべきか。
式部が謀る、息苦しい時代への、反逆。この小説は、1000年の時間に耐え、男たちの「犯罪」を暴き出すだろう。われわれは、この時代の状況と言葉をエンコーディングし、式部の「真意」を読み取る。解読せよ!
東洋の紫の人も母知らずアテネのように武器かき抱く