青い花

第4部「レターズ」(1)


 紫式部(973頃〜1019以降)からアルチュール・ランボー(1854〜1891)へ

 エチオピア国ハラル アルチュール・ランボーさま

 アーさま、謹んでお便り申し上げます。上にありますように、西暦973年生まれたわたくしが、どうして、1000年近くも「年の離れた」___ええ、「のちの」ではなく、「年の離れた」と表現しますわ___わたくしは、あなたに手紙など書けるのか、あなたは、いえ、読者は不審に思うでしょうか。これは、いわゆるリアリズムの小説じゃないんでなんでもありなんですけど、しいてこじつけるなら、例の「穴」でしょうか。その「穴」は、道長邸の、女郎花の植え込みの中にありましたの。わたくしはそこで、自分の住環境とはまったく異質なものを見てしまったのです。それは、白く乾いた街、埃っぽいエチオピアの街、ハラルでした。11世紀の「箱庭の国」にいて、そんなものを見てしまうなんて、これってすごい体験ですよね? おそらくは誰にも、親友の小少将の君にも、信じてもらえないでしょう。その時、わたくしは「誰の中に入り込んで」いたとお思いになって? 目の前を白人の男が通りすぎてゆくのをじっと眺めていた物売りの女ですわ。つまりわたくしは、エチオピア人の女になっていましたの。わたくしの目の前を通り過ぎていった白人の男とは、もちろん、あなたのことですわ。正直いって、わたくし、白人を見るのは、初めてではありませんでした。こう見えても、わたくしはすでに、いろいろな体験を積んでいますの。20世紀末のニューヨークにも、ワーキング・ガールとして存在してました。あのとき見た映画で、レオナルド・ディカプリオという俳優が、ほかならぬ、あなたに扮したものがありました。だからわたくし、あなたの顔というと、自然、ディカプリオさまを思い浮かべてしまいますの。あのときの彼、とっても、あなたの雰囲気出してました。
 ……なんかすでにして、とりとめもない手紙になっています。アーさま、わたくしの国を、わたくしの国について、少しはご存知ですか? 「冒険家」で「知識人」であったあなたのこと、並のヨーロッパ人よりは、正しい知識を持っていらっしゃるのではないかと、わたくしは想像いたします。思ってもごらんになってください。わたくしは、「日記」に、同僚の姿カタチなどをいろいろ「品定め」しては、不興を慰めている女でございます。わたくしの国って、そんなことぐらいしか、楽しみがございませんの。自慢するわけではありませんが、わたくしは、のちに、「大小説家」として、日本の文学史に燦然と輝くことになる、日本一有名な女でございますが、「今の」わたくしには、どうでもいいことでございます。「今を生きる」、それができなくて、なんの人生でありましょう? わたくし、あなたがとても羨ましく思います。ないものねだりなのでしょうか? わたくしに欠けているものは、「冒険」、『トゥーム・レイダー』のララ・クロフトみたいに、世界を駆け巡る冒険がしとうございます。あなたさまは、アフリカの地において、白人未踏の地に入った経歴をお持ちだとか……。そう、アフリカ女のわたくしの前を通りすぎていったのでした。
 ところで、「手紙」というものは、どういう意味を持っているとお考えですか? あなたは、俗に、「詩作を捨て」、商人の世界へ入り込んでいったと言われています。けれど、あなたがアフリカから家族や友人に書き送った夥しい手紙こそ、あなたの作品でもあるという考えが、開かれた「テキスト」意識を持つ人々の間にありますね。そういう意味では、わたくしの「日記」も、あの「源氏物語」と等価の、いえ、それ以上の、価値を持つかもしれませんわ。
 ♪きみ〜は、ボクより年下……、どころじゃない、880才も違っちゃうと、どうしていいかわからないわ。あなたにとって、わたくしは、魔女のようなババアなのかしら? そんなふうに書くこと自体、顔が赤らみます。これって、ラブレター? 単刀直入に言います。わたくし、あなたのような男に出会いたかった。わたくしの「才能」を凌駕するのは、あなたただ一人。
 この手紙には、平安時代と、のちに言われることになる時代の様子を、もっと書くつもりでした。すなわち、わたくしの日常を。そして、エチオピア女としてのあたくしが見た、あなたの様子も。あなたは沙漠のなかの、彼方の山の向こうに消えていった___。もしも、なにか感ずるところがあったら、お返事ください。とりとめもない手紙でごめんなさい。わたくしのなかにあなたを取り込んで、ひとつに解け合いたかった。こんなふうに……。

 めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間に線となりゆく永久(とわ)の太陽

 西へ行く月のたよりに玉章(たまづさ)のje n'ai pas de chance, je n'ai pas eu de chance


  1010年1月×日 京都「一条院」にて ぱあぷる



  アルチュール・ランボーから紫式部へ

 Chere Madame,

 お手紙拝受。しかしぼくはまだ、どこにも存在しておりません。あの、輝かしい、父親譲りの、放浪という人生も、肉腫による激痛も、まだぼくのものではありません。ただ謎のように、東方の三博士が置いていった贈り物のように、次なる言葉が、まだこの世に生まれない、ぼくの頭の周りをめぐっております。すなわち、アデン、ジェッダ、スアキン、マサウアー、ホデイダ、ザンジバル。とりわけ、ザンジバル、という言葉が、一等星のように強く輝いています。
 Madame、僭越ながら、ぼくも、のちに、その原稿が、筆跡鑑定されるほどの「詩人」です。しかし、それも、ぼくの「生」にとっては、なんの意味もないことです。なぜなら、ぼくは、一度として、満足のいく生を生きることはできなかった、と未来完了で言うことができます。ぼくはこの悲惨なぼくの生と、愉悦の空間を漂う「生まれる前の状態」を比べてみます。果たして、どっちが幸福だろう? ところで、幸福って、なんですか? 失礼ながらMadame、あなたも、決して幸福とは言えない生を送られたようですね。あなたはご自分のことを、「日本一有名な女」とおっしゃっていますが、正直言って、ぼくは、日本という国が、東洋の果てにあることは知っていましたが、あなたのことは知りませんでした。ですから、あなたのお作も、なにひとつ読んではおりません。あなたに関する知識など、ひとかけらもないのです。にもかかわらず、あなたのお手紙で、あなたのことはわかったような気がしました。ぼくのようなものへ手紙を書こうというのだから、よほど孤独で、不幸に違いない。人は、幸福のことは知らなくても、不幸についてなら知っている。不幸と言うのは、つまり、人間の生のことです。
 ぼくの母は不幸だった。ぼくの父は不幸だった。ぼくの友だちは不幸だった。アフリカの男も、アフリカの女も、アフリカの王も、不幸だった。つまり、「生きた」ということです。さあ、ぼくは、これから生まれる!
 不幸なあなたのために、詩を書いてあげましょう。


 スミレ色のマダムに捧げるソネット(Sonnet pour Madame de Violet

 "穴"はいたるところに開いている
 アデン、ジェッダ、スアキン、マサウアー、ホデイダ、ザンジバル
 異星のような白い道のはしにすわって、じっとぼくを見つめていたアフリカ女よ
 きみの瞳はスミレ色だ きみはスミレを知ってるか? そしてきみは

 人生のはじめに、まず別れがあることを知っているか?
 西暦1000年の東洋の果ての国では
 「方違(かたたが)え」「蓬(よもぎ)」「露」「袖の色」がキーワードだ
 とりわけ、レディの袖の色

 涙に染まって真っ赤っか
 なんの涙? 人生の悲しみの
 お嬢さん、人生が、悲しみなんだよ

 わかったら、森のしづくで、その涙を洗い流すんだ
 "穴"はいたるところに開いている
 あなたは一滴の"オアシス"だ


 どこでもない場所にて、ランボー(Rimbaud de nulle part)






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