青い花

第4部「レターズ」(2)


 パラス・アテネから芥川龍之介(1892〜1927)へ

 冥府への招待状

 日本国東京府田端
 故(!)芥川龍之介さま
 1927年7月24日

 コングラチュレイションズ! 無事、あなたは、この世とおさらばしたようね。でも、この世とおさらばしたって、すぐ「あの世」へ行けると思ったら大間違いよ。失礼ながら、あなたが今し方したためていた遺書を拝見しちゃったわ。ぬあに? いきなり不倫の告白? やってくれるじゃないの! 機略縦横のオデュッセウスだってこうはいかないわ。いえ、彼ならそんなヘマしない。いや、実際、マズイわよ、ちょっとマズイわ。そう思わなくって? そりゃ確かに「一生に一度のわがままかもしれない」けど、その、最後っぺの「わがまま」が、どんなに人を傷つけるか、わかってないのね。第一、これ読んだ奥さんがなんて思うか……。奥さんへの遺書なんて、死後の具体的な処理を指示したものだけで、愛情のかけらなんて、全然見当たりもしない。もっとも、愛していたら、死んだりなんかしなかったわね。現にあなたも書いている。「僕は一人ならば或いは自殺しないであろう」って。つまり、家族がうっとうしかったってわけ? それだけじゃない、あらゆる人間カンケイが?いい子でありすぎた? ずっといい子を演じてきた? あたしに言わせりゃ、箱庭の悲劇ってとこかしら。
 なにもかもイヤになっちゃったのね。わかるわ。あなたはロマンチストでスタイリストでパーフェクショニストで、ナルシシストな人ですものね。でも、世界は広いわ。あなたの知らない国には、あなたよりずっと利己的で、ずっと見栄っぱりで、ずっとマッチョな男がいっぱいいて、なんの良心の呵責も感じることなく人生を謳歌している。それもあなたの時代より何千年も前によ!
 いやしくもレキシに残る「作家」なら、あなたの自殺の原因について、のちの世の人はいろいろ取り沙汰する。そして、だいたいのところ、しかつめらしく、時代とやらのせいにする。確かに、あなたの日記を読むかぎり、おもしろい時代じゃないし、状況じゃない。なんか辛気臭い。あんな状況に生きていたら、あたしだって死にたくなるかも。だけど、あたしは女神、残念ながら、死なないの。永久に。そういうのも、なんかつまんないわね。
 ま、要するにあなた、生真面目すぎたのよ。せめて、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』のトマッシュぐらいに「軽く」、生きるべきだったのよ。あ、彼も、やがては自動車事故で死んじゃうか。でも、愛する奥さんといっしょだったのだから、しあわせだし。愛する愛人も悼んでくれて、こんなしあわせなことないわ。
 ひょっとして、あなたの不幸って、誰も愛せなかったことじゃないかしら? 人は、愛がない世界では生きていくことができないのよ。
 おしゃべりがすぎました。あたしの担当は冥界じゃないけど、特別ご招待します。
アガメムノンやアキレウス、いろいろ、アチラの方面では達者な人が揃ってます。そこで修行するといいわ。女とのつきあいかた。いえ、人の愛し方。もっともアガメムノンは、密通妻の計略によって惨殺されるんだけど、しけた座敷で、薬を飲んで死ぬよりいいでしょう? ドバーッと血が飛んで……あ、失礼。
 いま、夜明けの女神が、この箱庭に国にもやってくる。あたしは手を伸ばして、あなたの、まだ温かい頬に触れる。枕もとには、わが父ゼウスに知られたら怒られそうだけど、そっと、異教徒の書を置いてあげましょう。せめて、この死の「重さ」を取り除くために。

 あなたの枕もとにて。かしこ。

 P.S. あなたが自分の死後の本はすべて「岩波書店から出してくれ」と、書き残して死んでいった今この時、フランスでは、M.プルーストが『失われた時を求めて』最終巻、「見出された時」を執筆中です。世界は、広い、でしょ?


 芥川龍之介より作者へ

 作者山下晴代殿

 日本文学史にその名を残す、すでに没している作家にとって、自分の名前が、どこの馬の骨とも知れない人物によって引きあいにだされたからといって、一々目くじら立てていては、いくら土に帰っているからといって、ゆっくり休むこともできないでせう。しかし、ぼくはあえて抗議します。といふのも、貴殿は読者としても困った人だからです。____な布張りの、岩波書店刊のぼくの全集全十二巻から、こともあらうに、四二五頁から四二八頁に収められた、遺書五通のみ読むとは何事ですか? あれは、言っておきますが、ぼくの「作品」ではありません。ぼくとしても、あれが、全集に収められるのは……いや、考えてなかったと言ったら嘘になりますが……ともかく、さういふ偏った読み方をするのはやめてください。それから、貴殿のつまらない小説(のやうなもの)に、ぼくの名前を出すのもやめていただきたい。

 冥界にて Akutagawa

 追伸 ついでといってはなんですが、上記、___の箇所に適当な言葉を入れなさい。解答しだいでは、大目に見ないこともありませんから。


 アルチュール・ランボーよりアキレウスへ

 トロイア国イリオス アキレウスさま

 御母上マダム・テティスより武具一式調達の件、しかと承りました。

 楯(青銅、黄金、錫製)
 胸当(黄金製)
 兜(黄金製)
 前立(黄金製)
 脛当(錫製)

 代金はすでにいただいております。

 ハラル、1880年×月×日。ランボー
 


 ロサンゼルス市警アロンゾ刑事より同市警マーティン・リッグス刑事へ

 「アフガンから遠く離れて」 

♪あんたの時代はよかったね〜〜。なんたって、刑事が、ぴかぴかの正義の味方でいられた。黒人刑事とコンビを組み、「黒人ラバー」と嫌みを言われながらも、それが、あんたをいっそう輝かせることにもなった。
 バレッタを持ってるってこと以外に、オレらの共通点はない。あんたは、チビ(笑)の白人だし、おいらは、まあ、上背のある黒人だ。あんたの「ファースト・ワイフ」は、なんでも、交通事故で死んだそうだし(もっとも、それも、シナリオ作家によれば、「ワケあり」の死因だったらしいが)、おいらの「正妻」は、四人のボーイズと健在だし、エルサルバドル人の愛人の方も、おいらの息子と元気に暮らしている。
 そりゃあ、おいらは、賄賂も取る、人も殺す、女もコマす。これを警察の腐敗というには、何かが変わっちまったんだ。あんただって、あのとき、少なくとも十数年前、十分にはみだし刑事だった。一度キレたら手のつけられない、「リーサル・ウェポン」と呼ばれたもんだ。おいらはあのとき、今のおれの部下のジェイクみたいに、正義感に燃えるウブな警官で、あんたの噂を聞いたときには、ずいぶんクレージーな刑事がいるもんだと思ったもんだ。だが、それも、今となっては、なんつーか、お笑いぐさだな。このオレが、あんたが、礼儀正しいヒーローに見えるほど、クレージーな刑事になるなんてな。
 いや、もともと、「コンセプト」がちがうんだ。あんたの物語とは。もうそういう物語つーの? 通用しない世の中になっちまったぜ。はっきり言って、「9月11日」以後、この国のすべてが変質した。もうあんたの「シリーズ」が復活することはない。オレはあの通り、「殉職」したが、たぶん、似たようなハナシは今後も作られるだろう。
 「趣味には体系も具体的な裏づけになるものもない。しかし、趣味の論理とでも言えるものならばある。すなわち、ある趣味の根底にあってそれを支えている終始一貫した感覚である」と、スーザン・ソンタグは、「<キャンプ>についてのノート」で書いている。つまり、この世の中、趣味がすべてってことよ。趣味の悪いやつらが、今日もネット界をうろつき、大あわてで、「アフガン問題」について調べまくっている。この国が、1980年に、ソ連の介入を受けたなんてことを忘れてなあ。問題は、<キャンプ>だよ。ふたたび、<キャンプ>だ。「ビン・ラディン氏」の資金源のひとつは、アフガンの蜂蜜業だって、「ニューヨーク・タイムズ」に書いてあったぜ。
 すでにどこかで、誰かが言ってることだろうが、「アフガンから遠く離れて」("Loin de l'Afghanistan")、オレは、オレなりに、「視線を鍛える」ことにするぜ。

 2001年10月×日

 Mr.メル・ギブソン as マーティン・リッグスへ

 デンゼル・ワシントン as アロンゾ


 作者山下晴代より「最後のスパイ」レミー・コーションへ

 「アメリカ零年」

 映画のなかで、あなたはしきりに、「西はどっちの方向ですか?」と、尋ねている。日本の歌謡曲にも、「これ、これ、石の地蔵さん〜、西へ行くのはこっちかい?」という歌があるけれど、同じ西でも、これほど、大きく隔たった西はないだろう。
 言うまでもなく、あなたの西は、冷戦時代の「西側陣営」のことだし、美空ひばりの呑気な歌の西は、単なる田舎道の西であるような気がする。
 1989年、ベルリンの壁は崩壊し、冷戦時代に「東」に潜り込み、潜伏していたあなたは、そのまま、「壁の崩壊」も知らず、そこに取り残されたのだった。
 「世間の動きを知らずに取り残される」、またして、「貧しい国」の私は、太平洋戦争が終わったのに、気づかず、グァムの山のなかで長い間、生活していた、横井庄一氏を思い出すのだったが、これとて、あなたの事実と、なんの関係もないのだった。
 実際の話、横井氏とあなたはまったく似ていない。似ているとしたら、横井氏のあとに、フィリピン山中で、やはり、「終戦」を知らずの生き延びていた、小野田寛夫氏だ。彼は、情報将校であったそうだから……。
 しかし、正直に告白すれば、私は、あなたの話を、まだ正確にはつかんでいない。「孤独の歴史」って、いったい、なんのことなのか? いや、今は、少しわかるような気がする。似てはいなくても、取り残された者の歴史は、すべて、孤独の歴史だ。
 人や建物や車や埠頭などに切り取られた、青い青い海だけが、記憶に残っている。映像の記憶。
 2001年のニューヨークでは、灰色の残骸の中、クレーン車だけが、ジュラシック・パークの恐竜のような長い首を生き物のように忙しく動かしている___。
 いま、黒い皮の鞄を受け取って、何かがすでに終わってしまったのにも気づかず、寒々とした街をいくのは、この私です。

 Which way is WEST?




前章へ

次章へ

目次へ