青い花

第7部「春の夜の夢」(2)



 天正10年、5月24日とも、27日とも、28日とも言われる日付に、明智光秀が、当代きっての連歌師、里村紹巴(さとむらじょうは)とともに、対毛利氏戦勝利を祈願して、山城国は愛宕山西之坊威徳院で巻いた連歌『愛宕百韻』は、やがて数日後に、「本能寺の変」を起こす光秀が、実は密かに、クーデターの成功への祈願したものと言われている。まるで暗号のように、あるいは呪詛の御札のように、その意志が、言葉に中に隠されているかのようである。その発句は以下のようなものである___。

 ときは今天(あま)が下しる五月哉

 今がその時だ、今こそ、土岐一族である自分が天下を治めるのだ。___これが、その発句の解釈である。なんのことはない、最初からみえみえの句である。この句を読めば、誰でもが拍子抜けして、以下の句を続けて読む気をなくしてしまう。光秀は教養人だと言われるが、ほんとうだろうか?

 連衆は、光秀、紹巴のほかに、紹巴の弟子の連歌師三名、本院の住職、もう一人の僧侶、光秀の家臣一名、そして、光秀の息子の計九人である。

 ある資料によれば、光秀の軍勢が、信長のいる、京都本能寺を襲撃した時、主に襲撃の実行に加わった下っ端の武士たちは、襲撃の対象が、信長であることを知らされていなかったという。彼らは、自分たちが、襲えと命令されている相手は、家康であると思っていた___。

 信長の家臣であった明智光秀が、なぜ主君を襲ったのか? これには、すでに明快な解答が用意されている。すなわち、室町幕府(足利義昭)VS.新興勢力織田信長の対立の構図があり、おもに、将軍との取り次ぎ役として活躍していた光秀が、これまた新興勢力、秀吉との競争において、リストラされる恐れがあり、権力を取り戻したい義昭の入れ知恵もあり、味方についてくれそうな大名たちに、それとなく協力を要請していたフシもあり、また、当時、信長政権にとっても手ごわい勢力であった、一揆の一団の力をも味方につけようと構想していたようであり、つまりは、できごころの裏切りというよりは、周到なクーデターであった。

 ここで、レキシの資料からはみ出していくのは、信長や秀吉らの「新しい政治的枠組み」のために、まるでユダヤ人のように殲滅させられる名もない百姓たちである。

 「It's NOT a civil war, it's a GENOCIDE!」

 アメリカ軍作戦本部長、サム・シェパードは、信長に向かって言った。
 自らの居城、安土城の天守閣で椅子に座り、にたりと笑って信長は、懐から葉巻の箱を出してシェパードに勧めた。
 「最高級のキューバものだでね」
 シェパードは、アロハシャツの胸ポケットから一本の葉巻を取り出して、
 「持っとります」
 信長は口を尖らせてみせ、それから葉巻を切って、南蛮渡来のライターで、はふはふさせながら葉巻に火をつけ、ふわぁーっとうまそうに吸った煙を吐き出してから言った。
 「ここは、わしの国なのに、なんで、あんたらの干渉を受けないかんのかね?」
 「われわれNATO軍は、人道的に問題のある行為を、国際的倫理から告発し、かつ、一般人民の命を守るのを任務としております」と、シェパードは強い調子で言った。
 「しかし、ここは、『北大西洋』じゃないでね。それにまだ、オタクとは、条約とか結んでおらんでね」
 うーむ……なかなか知恵のまわるやつ……と、シェパードは、苦虫を潰したような顔をして腕組みをした。条約とか、地域とか、国とか、そういうことは問題じゃない。要するに、虫けらのようにむごたらしく殺されつつある人民がいるところ、われわれは出動するのだ! アメリカ国民てのはそういうものだ。指導者が誰だって、関係ない。

 そうだ、カンケイない、とMitsuhide氏はひとりごちた。今は、「未来」のある時で、彼はまるで、ホームレスのようにくたびれた恰好をしている。「未来」って、いつの「未来」なのか、さらなる未来には見られなくなった、オープンリールのテープレコーダーのマイクを片手に語りだす。そう、あれは、1582年6月2日の未明だった……。かねてより私は、上より密命をおび、実行に移そうとしていた……。場所は……Honnohji-temple……。殺(や)ル相手は、Mr. Nobunaga……。彼は、私の直属の上司で、今にも天下を治めようとしていた……しかし、彼が天下を治めてしまえば、天皇や将軍との取り次ぎ役の私はお役御免、そうでなくても、疎まれていた。つまりは彼のやり方に、私がなじまないからだ。私は、もっと穏やかな、「小さな政府」を望んでいた……。彼のやり方は、まるで、第三帝国のヒットラーのようだ……。しかし、Mr. Nobunagaからは、「Ieyasuを殺(や)ってくれ」と指示されていた。「あいつは、いつか、おれを攻めて、天下を取る」。そして、部下たちには、ほんとうに、「これからお命ちょうだいしにまいるのは、Ieyasuさまだ」と教えていた。Mr. Nobunagaを殺ルことは、ほんの一握りの上層のものしか知らなかった。上層のものとは、すなわち、Mr. Yoshiaki (shogun)、Emperor、Honganji-temple priest and Hyakusho guerrilla leader……思えば、どれもこれも、一国のリーダーになってしかるべき地位、ステイタスを持った人々だった。かくも多き、船頭……。すべては、私の一存でやりおおせたことではなく、反Nobunagaのもとに結集した勢力によるものであった。……ああ、手紙……手紙を書かねばならない。かくも多くの手紙。昔は、E-Mailもなかったので、通信手段として、手紙を認めねばならなかった。そうだ、巻き紙に、墨。青巻き紙、赤巻き紙、黄巻き紙……はは、今のは、早口言葉だ。もちろん、われわれが用いた巻き紙は、色つきではなく、白だ。Mr. Nobunagaを討ったあとの、援軍、始末などを頼んでおく手紙、等々。……ああ、しかし、軍事機密は、すでに、敵方、ほんとうの敵方に漏れていた。ほんとうの敵方というのは、いわずと知れた、猿、Mr. Hideyoshiのことだ。日本は、その後、猿に支配される惑星となった……。情報、作戦、どれをとっても、猿の方が、数段進んでいたのだ。嗚呼。あの映画のとおりだ。……それにいちばん許せないのは、あの、Joha (Renga-poet)だ。あいつめ、何食わぬ顔をして、焼け落ちたHonnohji-templeで、今度は、「信長追善の百韻」を催した。なに、考えとるんだ、あいつは? 連歌さえできれば、誰がどうなり、どんな世の中になってもいいのか? 1582年、6月2日、Nobunagaは死んだ。そして12日後、百姓に襲撃されて、私も死んだ……ことになっている。私は密かに舟に乗って大陸に渡り、そしていまはここ、グレート・ブリテンの向こうの小さな国に来ている。ここもまったくの平和とは言い難い。しかし私のようなこんな年寄りはほっておいてくれる。幸運にもテロに合わなかったら、まあ、静かな余生と言える。記憶が薄れてしまう前に、こうやって、思い出せるものはすべて記録しておこうと思うのだ。

 ときは今ボートを漕げる五月かな   光秀

 It's May, time to row the boat  Mitsuhide

 Glittering your pretty profile    Samuel

 光あふれるきみの横顔   サミュエル





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