ISOマネジメントシステムのうそ 08.02.22

本日はまじめに書く。もちろんいつもでたらめを書いているつもりはない。ダジャレで語っても、ダジャレしか語っているつもりはないが、本日はまじめなことをまじめに語ろうと思う。というのは本日のテーマは重要だと考えているからだ。

最近、コンプライアンスとか内部統制なんて本を多く読んでいる。またISOではない内部監査とか内部統制あるいは一般的なコンプライアンスに関する講習会などにも顔を出している。
実を言って私の仕事には繁忙期と閑散期があり、ニッパチの今はヒマなのである。
そんなことに関して読み聞きして、今私の頭にぼんやりと浮かびあがりつつあるのは、ISO規格に基づくマネジメントシステムというのは虚像ではなかったのかという思いである。まだ具体的な形になっておらず、ぼんやりとしていてあるべき姿は見えてこない。
で、本日は今まで考えたことを書く。

会社は法律に基づいて設立され、ゴーイングコンサーンとして事業を行っている。そしてコンプライアンスに努め、利益を出して、社会的に貢献することを期待されている。
そしてそれを確実にするために明白あるいは暗黙にマネジメントシステムが存在しているのは当たり前だ。
そんなこと私のような無学な者が語るまでもない。経営学の初歩の初歩、いや一般社会常識である。

ではISO9001に基づく品質マネジメントシステムとかISO14001に基づく環境マネジメントシステムというのは、この会社の包括的なマネジメントシステムとどう関わっているのか? あるいは関わっていないのか? そこが問題である。
ISO規格の序文では「既存のマネジメントシステムの要素を適応させることも可能である(ISO14001:2004でもISO14001:2000でも同文)」と語っている。
私はISOのマネジメントシステム規格の値打ちを認めていることをいつも表明しているが、この序文はまったくの間違いであったのではないかと思えてきた。翻訳の誤りとも思えない。
原文は下記
It is possible for an organization to adapt its exiting management system(s) in order to establish an environmental management system.
あるべき文章は「この環境マネジメントシステムは既存のマネジメントシステムに適応させなくてはならない」ではないのか?
いやそれも間違いで「この要求事項を組織のマネジメントシステムに盛り込まなくてはならない」とすべきなのか?

もちろんISOのマネジメントシステム規格というものの生い立ちから今までの変遷を考えれば、本来はたかが品質保証の規格にすぎなかったものを、会社を良くするマネジメントシステムの規格だなんて持ち上げたのが間違いのもとではないのだろうか?
厚化粧しても美人にはなれない。遠目に美人かと思わせるのが関の山
馬子にも衣装というけれど、それで中身が変わるわけではない。まして会社のマネジメントシステムを環境とか品質とか情報管理なんて切り口で定めること自体、お門違いであったのではないかと思うのだ。

会社のマネジメントには包括的なマネジメントシステムしかないのは当然であるなら、品質保証の規格をいくら強化しようと、裏どらをつけようと、ペンキを塗っても無理なのである。もちろん環境マネジメント規格を基に会社を改善しようというのも無理だ。
あるべきアプローチは、会社の全体の仕組みをブラッシュアップしていく方向しかない。品質問題とか公害防止の測定記録改ざんというのは、本来のマネジメントシステムがちゃんとしていないからなのだ。
内部環境監査や内部品質監査が従来からの内部監査とどのような関係にあったのか? ISO審査が監査法人による外部監査とどのような関係にあったのか?
ISOの内部監査や第三者審査が、過去からの法規制に基づく検査や監査と対等であるのだろうか?
監査部の内部監査員と内部品質監査員の力量、権限、人格同等であるのだろうか?
ISO審査機関の審査員の力量、公正性、責任、客観性が監査法人のそれと同等であったのだろうか?
エンロンの事例など監査法人の一部に信頼性が欠けるところがあったにしても、世の監査法人がISO審査機関より社会的に信頼されていることは間違いない。なにしろ監査リスクを負うという最低限の縛りはあるのだし

そんなことを考えてくると、ISO9001に基づく品質マネジメントシステムとかISO14001に基づく環境マネジメントシステムというのは、蜃気楼というかうそというか、そんなものではないのか?
統合マネジメントシステムというは妄想、ISMSとかOSHMSとか、もちろんEMSもQMSもみーんな嘘なのである。
だから、そんなことを語っている人々も審査機関もみんなウソつきなのだ。

じゃあ、お前は何を言いたいのかと問われるだろう。
答えは簡単である。
会社は法規制を満たしたマネジメントシステムを構築しなければならないということだ。そのとき、環境の側面ではISO14001が参考になるだろうし、品質の側面ではISO9001が参考になるだろう。
もちろん教育訓練も文書管理もコミュニケーションも改善目標もマネジメントレビューもひとつしかあるはずがない。
ISOのための内部監査など存在するはずがなく、監査部あるいは外部に委託する内部監査しかない。
もちろん会社によっては内部監査の品質や環境に関する部分を専門部署に委任するケースもあるだろう。
環境方針も品質方針も個別にあるはずがない。みーんな会社の理念や方針として存在しているのではないか?
環境目的・目標や環境実施計画なんて存在するはずがなく、会社全体のバランススコアカードの一部にすぎない。環境側面だあ、環境目的だあ、環境目標だと大騒ぎすることもなく、あるがままの会社の仕組みを一層良くするように改善に努めるべきだったのではないか。

しかし、そうすると第三者審査機関というのはいかなる位置づけになるのだろうか?
内部品質監査、内部環境監査を監査部監査に融合させるのがあるべき姿なら、外部審査は公認会計士あるいは監査法人が行う外部監査に融合されると考えるのが妥当である。
そして監査リスクをしっかりと背負うべきなのである。
審査結果について責任を負わないというスキームなど存在できる理屈がない。

まだ考えが煮詰まっていない。みなさんのご意見をいただきあるべき姿を探し求めていきたい。




ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.02.23)
統合マネジメントシステムというは妄想、ISMSとかOSHMSとか、もちろんEMSもQMSもみーんな嘘なのである。
いわゆる「ISO統合」に取り掛かったとき、私がいちばん引っ掛かりを感じたところがこれです。「統合」というからには、今までバラだったものを纏めるということです。
経営システムは本来一つのものであるはずなのに、外圧を発端としてQMSやEMSなどのシロモノ(というか、ハコモノか)が後から作られ、例えば文書管理規定なども双方で微妙に異なるという実態がオカシイ、不合理であるということになり、それでは統合しようということになりました。
ちょっと待てよ、本来の姿に戻すだけなのにそれがなぜ「統合」なのか。
強いて言えば「総合」ではないのか。でも「総合」マネジメントシステムと呼ぶのもやはりオカシイ。だって、もともと単一のものをなぜわざわざ「総合」と呼ぶのか。単に「マネジメントシステム」、いやそんなカッコイイ言葉を使わずとも「経営システム」でよいのではないか。
かくして、私はそのネーミングから悩むことになったのです。

ISOのための内部監査など存在するはずがなく、監査部あるいは外部に委託する内部監査しかない。
その通りだと思います。
しかし、中小・零細企業や管理技術レベルの低い会社の中には、もともと正式な監査の仕組みを持たないところがあります。そうした会社にとっては、ISO内部監査をきっかけとして監査の仕組みを構築することができます。
もちろん、品質や環境だけでなく、そこでは労働安全、情報漏えい管理、そして収益・採算性など企業活動全般にかかわること全てが垣根なく取り上げられるということになります。
そこまで至らずに、ただ表面的な品質や環境の事象に限定した監査を行ってそれでオシマイとしてしまうことはもったいないですし、それに気づいてどう変えていくかが大事ですね。

環境方針も品質方針も個別にあるはずがない。みーんな会社の理念や方針として存在しているのではないか?
環境目的・目標や環境実施計画なんて存在するはずがなく、会社全体のバランススコアカードの一部にすぎない。環境側面だあ、環境目的だあ、環境目標だと大騒ぎすることもなく、あるがままの会社の仕組みを一層良くするように改善に努めるべきだったのではないか。

賛成です。僭越ながら、まったく同じ考えを持っていました。
今では、環境方針や品質方針なるものを個別に定めることをいっそ止めてしまって、経営方針一本にしてしまおうかと考えています。当然、「品質目標計画」や「環境実施計画」は、単に「事業計画」となります。
1年ほどずっと考え続けた結果、この決意がようやく固まったところです。

こうしてみると、ISOなるものは、大企業に比べて管理技術の水準が低い中小企業がそれを引き上げるためにあるスケールであるとつくづく思います。
アイソス3月号の特集記事「ISOは経営の役に立っていますか」の中に「ISOは、都合の良い部分だけを利用する」というくだりがありますが、まさにその通りだと思いました。
つまるところ、審査機関の手による外部審査とは、そのスケールに沿って不備な点や不足する点をチェックするにあたって自社だけでは気づかないところもあるやもしれず、それを審査機関という外部業者の助けを借りて行うものといえるのではないでしょうか。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
私が15年かけて悟りを開いたというのに、とっくの昔に悟っていたといわれるともう非力を嘆くほかありません。
ISO14001が「環境マネジメントシステム」と名乗ったり、ISO9001が「品質マネジメントシステム」と名乗ることをやめさせるべきかもしれませんね。
ISO14001「マネジメントシステムにおいて環境に関して盛り込むべき事項」とかISO9001「マネジメントシステムにおいて品質に関して配慮すべき事項」なんていうのが正しいあり方なのではないでしょうか?

「ISOは、都合の良い部分だけを利用する」
そういきたいのですが、そうは審査機関が卸さないのが困りますよね
審査機関て、経営の足を引っ張る機関なのでしょうか?
いっそのこと、審査をせずにコンサルに専念していただいた方が役に立つのかもしれません。その時は本当に役に立つことなら聞きますし、環境側面の特定手段についてのご講釈などはいりませんから、

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.02.23)
ところで、私のような洟垂れ小僧が悟りなどというそんなおこがましいものを有しているわけがありません。ただ、シロートの直感というか、何かオカシイんじゃないのといった閃きにすぎないことを申し上げているだけですから、あまり苛めないでください。

ISO14001が「環境マネジメントシステム」と名乗ったり、ISO9001が「品質マネジメントシステム」と名乗ることをやめさせるべきかもしれませんね。
ISO14001「マネジメントシステムにおいて環境に関して盛り込むべき事項」とかISO9001「マネジメントシステムにおいて品質に関して配慮すべき事項」なんていうのが正しいあり方なのではないでしょうか?

先日、高名な某コンサルの先生のお話を伺う機会がありました。 その際に、QMSとはそもそも何ぞやというお話があり、先生曰く、ISO 9001:2000年版をJISに邦訳するにあたり、本来は「経営マネジメントシステム(における品質的要素の要求事項)」ぐらいの意味の言葉になる予定だったそうです。ところが先に、JIS Q 14001の1996年版がEMSをもって「環境マネジメントシステム」としてしまったために、バランスをとるためにやむなく後を追う形で「品質マネジメントシステム」となってしまったらしいです。
すなわち、QMSの邦訳は「品質マネジメントシステム」などではなく、おばQ様が唱える「マネジメントシステムにおいて品質に関して配慮すべき事項」ぐらいの意味であることがこの話からも伺えます。

「ISOは、都合の良い部分だけを利用する」
そういきたいのですが、そうは審査機関が卸さないのが困りますよね
審査機関て、経営の足を引っ張る機関なのでしょうか?


そもそも購買先に対しては、「組織の要求事項に従って製品を供給する能力を判断の根拠として、供給者を評価し、選択すること」が求められています。
各々の会社の都合もあるでしょうが、審査員又は審査登録機関に自社が求める監査能力及びアウトプットを供する能力がないことが明らかであれば、規格要求事項に忠実に従って「チェンジ!」宣告をしなければなりません。ましてや経営の足を引っ張ることが確実であれば、尚更です。
そこには資本関係も利害関係も介在しえない純然たる客観的事実だけがあるわけですが、現実にはいろんなシガラミや渡世の義理もあるでしょうから、そう簡単にクビを切るわけにもいかないといったところでしょうか。

ところで、審査登録機関を購買先として評価・選定し、再評価まで行っている会社はどれぐらいあるのか、興味深いところです。評価の結果、指導の必要アリとして審査登録機関に是正処置を求めた事例をぜひ見たいものですねー。(そのうち、ウチがやりそうです)

ぶらっくたいがぁ様 重ね重ねのご指導ありがとうございます。
そうなんですか!「経営マネジメントシステム(における品質的要素の要求事項)」と名乗るならなるほどと思います。
身の程知らずがマネジメントシステムを僭称したときから歴史は狂い始めたのでしょう。
ところで私が担当しているのはEMSがメインで、残念ながらこちらには購買先の評価がないようです。4.4.6の環境側面に関わる手順を伝達し実施を要求しましょうか 




身の程を知れ 08.06.07

最近のこと、たまたま某氏からISO審査員になる気はないのか?と問われた。
いやあ、これはきつい質問ですね。
この方は私の素性を知っているから他意はないのだが、ネットだけ見ている方の中には私がISO審査員になりたいのだがなれず、その不満をここでクダ巻いていると思うかもしれません、そんな懸念をいたしました。
正直申しますが、前世紀(前世ではありませんよ)は私は審査員になりたかったと白状いたします。そりゃ見ず知らずの会社に行って、言いたい放題のことを語って、相手に大事にされて、お金をもらえるなんて、これほどいい商売はありません。
そんなわけで品質も環境も早い時期に審査員補に登録しており、番号だけは立派であります。
では今もその気があるのか? といいますと、審査員になりたいとは考えておりません。
それは第三者認証というスキームが続くとは思えないこともありますし、審査員が素敵な稼業だと思えなくなったからです。
お間違えないように、審査機関に相手にされないからではありません。ここ数年、しょっちゅうとはいいませんが、年に1度くらい当社に来ませんか?なんてオファーを受けるようになりました。つい先日は勤務時間内に勤めている会社に「おばQ様、某社からあなたの引き抜きを頼まれたんです」なんて電話が来ました。(本当です)
「冗談言うなや、おれの歳を知ってるだろう。もうすぐ還暦だぞ」とていねいにお断りしました。あのとき、賃金や処遇を聞いておけば後で話のタネになったのにと少し後悔しております。
いずれにしても私の名声が響きわたっているのでしょうか? あちこちでお会いする審査員に自己紹介すると、ギョットして身構えるように思えるのは自意識過剰でしょうか 
しかしやはり人間は己の身の程を知り、身の丈に合わせて生きていかなくてはなりません。それは個人だけでなく、国家も同じではないかと思います。
なんだ、今日は個人的な話かよ? なんてお思いの方、こらえてこらえて、これから身の程を知れということについて語りたいと思います。

だいぶ前、同志ぶらっくたいがぁ様からISO9001は「品質マネジメントシステム規格」じゃない、「経営マネジメントシステム(における品質的要素の要求事項)」ぐらいの意味だとのお話をお聞きしました。
本日は、その考えを検証したいと思います。
なんていうほどのこともないのですけどね 

システム規格って言葉ご存知ですよね? 実は私は10数年このシステム規格というものと付き合ってきたというか、飯のタネにしてきたのだが、ホント言ってそれが一体どんなものか知らないのである。
グーグルで調べると、マネジメントシステムの規格だけでなく、デジタルカメラの画像フォーマット形式、カメラの交換レンズの規格などなどが出てくる。
カメラの交換レンズのシステム規格ってのはなんかすんなり納得できる。あるいはSCSIとかTCP/IP等のプロトコルなら通信システムの規格かなあという感じがする。昔ならオーディオのRCAとかDIN規格なんてのもシステム規格と呼んでも間違いでないように思う。
というのは、電子データのフォーマットやカメラのレンズ、オーディオ機器やネットワークの接続条件などは、規格が定める仕様を満たせば互換性や一定の機能を保証する。
そんなものをシステム規格というなら、システム規格とは複数のユニットを結ぶ時の約束事という意味だろう。
アッ、システムと規格だからそのまんまか 

それに対して、マネジメントシステム規格と呼ばれるものは、一定の仕様を決めてはおらず、互換性もなく、品質も環境パフォーマンスも要求せず、保証もしていない。
標準を定めていないものがシステム規格であるはずがないと思いつつ、対訳本を手にしてギョットした。
そこにはシステム規格なんて書いてないじゃないですか!
ISO9001 Quality management systems-Requirements
ISO14001 Environment management systems-Requirements with guidance for use
日本語も「品質マネジメントシステム−要求事項」と「環境マネジメントシステム−要求事項及び利用の手引き」と書いてありました。断じて「マネジメントシステム規格」とは書いてなかったのです。
アッツ、そんなこと知らなかったのは私だけですよね

みなさんは、ISO9001は品質マネジメントシステム規格ではなく、ISO14001は環境マネジメントシステム規格でなかったと知ってましたよね?
これらはシステム規格ではなく、システムの要求事項を決めたにすぎなかったんです。

ところで要求事項ってなんでしょうか?
Requirementsって要求(複数形)ですよね。要求!これはジタバタしてもダメ、強権でもって行う、裁判所の命令を受けた強制執行なんでしょうか?
何についても懐疑的(無知ともいう)な私は英英辞典を引いてみました。ネットには無料の英英辞典がたくさんあります。 うーん、英英辞典を引いても私の知能では意味がわかりません。とはいえ、どう考えても日本語の要求という感じではありません。
日本語の要求といえば
「お前の娘を預かった、1000万用意しろ」とか「労働組合は団交で1万円の賃上げを要求した」なんて使います。
上記英英辞典の例にあるような「健康にさしさわりがある」とか「欠かせないもの」というような穏やかな感じではありません。
そんなニュアンスを生かして訳せば、「品質マネジメントシステムに欠かせない要素」とか「環境マネジメントシステムに必要な条件」というようなことでしょうか?
ぶらっくたいがぁ様のおしゃったとおりでございます。
いずれにしてもシステム規格と呼ばれているものは、マネジメントシステムそのものの規格ではなく、マネジメントシステムの要素を示していること、しかもそれは十分条件ではなく必要条件のようなのです。
そう考えると、この「欠かせない要素」あるいは「必要条件」を満たしたにしろ、そのマネジメントシステムが良くなることは保証されず、有効になるとも思えません。
といいつつページをめくるとISO14001の序文には
「他の経営上の要求事項と統合でき、組織の環境上及び経済上の目的達成を助けることができる効果的な環境マネジメントシステムの諸要素を組織に提供する意図がある」と書いてありました。
おばQ不覚です。規格の第4章は手垢にまみれていても、序文は新品同様です。序文を読みましょうと言いながら、読んでいないのがバレバレですね 
序文で「この規格は環境マネジメントシステムの規格ではない、その要素を決めたものだ」とちゃんと宣言していたのです。そして逃げもうっています。「この規格の採用そのものが差異的な環境上の成果を保証するわけではない」
ISO9001はどうでしょうか? こちらはそう正直にマネジメントシステムの要素であると語ってはいません。「この規格は品質マネジメントシステムに関する要求事項を規定している」
和訳の違いかと思いましたが、英文の表現も違いました。

いずれにしてもISO9001もISO14001もはじめからそういう性質というか位置づけだったのです。たとえば「私は軽自動車です」と言っているのに、何トンもの荷物を積もうとしたり、10人も乗ろうとして「役に立たない」なんて文句を言っていたのではないですか?
「品質を上げる力はありません」とか「環境を良くしません」と言っているのに、「品質があがらない」とか「環境事故が減らない」なんて文句を言うのは筋違い。
本来の目的以外・目標以上のことを要求して、願いがかなわなかったからって逆恨みしちゃいけません。

ISO9001とかISO14001をシステム規格と思ったこと自体がおおはずしなんです。
であればIAFが審査をしっかりしろと言ったり、経済産業省のガイドラインで遵法違反があったら認証を取り消せなんていうのは、大間違いではないかと・・

誤解のないように
私はISO規格は素晴らしいものだと信じております。ただ、その役割というか性格を誤解して、ないものねだりをするのは大人のすることではありません。




ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.06.08)
よく「規格がそれを求めている」とか「規格が要求している」という表現を耳にします。これを聞くたびに違和感を感じていました。ISO9001にしろISO14001にしろ、適合性が定量的に判定できる具体的なことを定めていないにもかかわらず、「要求している」とはいったいどういうことか。要求しているのであれば、はっきり明示しているはずではないか、と。
そんな疑問を持った頃、私も辞書を引きました。
Requirementsには「要件」という意味合いもあることが分かりました。つまり、「そうあるべし」「そうあらなければならない」という意味に捉えれば、すべてが合点がいきます。
「“高品位な経営システム(Quality management systems)”であるためには、規格にある要件を備えている必要がある」と考えればいいというわけです。
「規格が要求しているのだからそれを満たしていなければ不適合なので認証停止(剥奪)になるのだ」などと考える必要などどこにもありません。
(これは、審査制度の歪みと考えます。)
Requirementsを「要件」と理解すれば、審査は、審査員がその主観による規格解釈を元に組織のQMS/EMSの適合性を見るという常識から、組織自身の規格解釈に基づくQMS/EMSの運用の有効性を見るという考えに転換することができます。
すなわち、規格をスケールと考え、規格の意図が仕事の仕組みにうまく反映されているかどうかを審査で見てもらえばいいわけです。
極論すればISO規格が品質や環境保全を保証しているかどうかはどうでもいいわけであり、自社がその理念とモラルにおいて顧客満足と社会的責任をどう取り扱うかの問題です。「長年、ISOをやっているのに一向に不良が減らない、苦情が減らない」とか「ISOを取得しているのに不祥事を起こした」などという話もオカシイですね。規格はスケールにすぎないのですから、そのパフォーマンスはその組織の運用のマズさの問題です。
仕事の出来の悪さを道具のせいにする大工さんは、あまりいないと思います。

ぶらっくたいがぁ様 いつもご指導ありがとうございます。
ISO9001は品質マネジメントシステム規格といった瞬間にウソになったのです。
ありゃあ、品質保証の規格として熟成すべきだったのです。品質保証の規格としてよいものに育てていけば、実際に品質が良くなったのにと思います。
例えて言えば、ちょっと頭のいい子がいて、みなさんおだててスポイル(駄目に)しちゃったという感じかな〜
お前くらいの人間は世間にはゴロゴロいるんだ、もっと精進しろと厳しく暖かく育てればよかったのに


名古屋鶏様からお便りを頂きました(08.06.08)
「身の程を知れ」についての感想?
佐為様。
初めまして。私、名古屋鶏と申すケチな野郎で御座います。どの位のケチかってぇと、隣の家にカナヅチはおろか釘まで借りに行こうか、ってぇ位でのモンでして・・。
私は業務の一環としてISO14001の事務局もしておりますので、いつも楽しく拝見させて戴いております。「うそ800」のサイトは月曜の朝の大事なコーヒーのお供であります。
「身の程を知れ」を拝見して思い出したことがあります。先年、9001の担当が「それは9001の要求事項ですから」等と仕事にイチャモンをつけてくるので、「あのねぇ。14001にしても9001にしてもそうだけど、ISOってヤツは何も“要求”なんてしてないんだよ。“要求”するのは法律とか行政とか顧客とか経営者であって、ISO“だけ”が要求する仕事なんてのはホントは何も無いんだよ」と教えて差し上げた訳です。
9001の担当は“なんのこっちゃ?”みたいなツラをしてましたが、実際問題「ISOの要求事項」として意味不明の業務を押し付けてくれるコンサルや審査会社って多いですからね。それがスタンダード化してしまうわけです。ま、一種のマインドコントロールってヤツでしょうか。
それにしても対訳本には“要求”とハッキリ書かれているので、「理屈として弱いかな」と思っていたのですが「Requirementsは“要件”だ」と聞いて、正直ホッとしました。お陰で今日は良く寝れそうです。どうも有難うございました。
それでは、また。

名古屋鶏様 お便りありがとうございます。
何かおいしそうなお名前で、焼き鳥にちょうどかと・・・
私が要求事項というのに初めてであったのは品質保証でした。某社の下請けをしていて、品質保証協定書なんてのを送ってきまして、これにサインをして返せというのです。
中を読みますとたいそうなことが書いてありまして、冒頭に要求事項ってありました。
まあ、こちらは下請けの身、できそうもありませんでしたが上司にハンコを押してもらい提出いたしました。
注文主から来るから要求事項かと思っていましたが、単なる決まり文句だったようです。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(08.06.13)
佐為様。ご返事ありがとうございました。m(_ _)m
勿論、焼き鳥でもイケますが、名古屋コーチンの妙味はやはりネック(首肉)です。
これが鶏肉としては最も柔らかく、ジューシーで、甘味もあってビールのお供に・・って
スイマセン、話が逸れました。
先日、同志のISO事務局からの聞いた審査員の「実に有益なお話」です。
「えー・・有益な側面が抽出されていませんね」
「・・それって必要なんでしょうかね?」
「ISOでは”有益か有害かを問わず”としており、有益な側面も考慮することを求めています」
「はぁ・・」

哀れなことに。
これは雑談でも指導でもなく、れっきとした「不適合扱い」だそうで。
私はこれまでコンサルや審査員の方が何を以って「有益な側面の特定」を必要と主張するのか不思議でならなかったのですが、まさか環境影響の定義である”有益か有害かを問わず”を根拠にするとは・・
最早、ISO規格を知る・知らない以前に日本語の意味すら、アヤしくなってしまいます。
私的には「問わず」と聞くと、西部劇の手配書(Wanted)に出てくる「生死を問わず」が頭に浮かびますが、これに彼の審査員の論法を当てはめるならば、「この手配書には生死を問わずと書かれているので、”死体のお尋者”と”生きているお尋者”の両方を連れてくることを要求しています」という理屈になりそうです(笑)。 ホラーか禅問答か、はたまた単なる詐欺なのか・・
私はこれまで、「A・Bを問わず」とは「目的を達するのにA・Bを論じる意味は無い」という意味だと思っていましたが、「両方を論じろ」とは・・思わず唸ってしまいました。

確かに、例えば風力発電には「CO2が出ない」という”有益な側面”と「プロペラの騒音」という”有害な側面”があります。しかしながら、それらを抽出・評価するのは初期レビュー段階での話であって、規格の意図はあくまで「・・で?アンタのトコはそれをEMSで”管理”するの?しないの?ハッキリしてよ」って事ですよね。
使いもしない重箱の隅を突付いて廻るような環境側面抽出には、ムダなCO2を排出するという”有害な側面”がありますが、”有益な側面”は・・・・
すいません、思いつきませんでした。 修行して出直して参ります

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
まあ、百歩譲って、有益な環境側面があるとしましょう。
しかし、だからといって有益な環境側面を抽出することが必要か?といえば、必要でないことは明らかです。
不勉強な審査員がいるから、ISOは9000も14000もだめになってしまったのですね。
ところで、もしお困りでしたら一声かけていただければ審査機関でも認証機関でも同行しますよ。
まあ、その前にその審査員に会って2時間ばかり問い詰めましょう。


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