実を言って私の仕事には繁忙期と閑散期があり、ニッパチの今はヒマなのである。
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原文は下記 It is possible for an organization to adapt its exiting management system(s) in order to establish an environmental management system. |
厚化粧しても美人にはなれない。遠目に美人かと思わせるのが関の山 馬子にも衣装というけれど、それで中身が変わるわけではない。まして会社のマネジメントシステムを環境とか品質とか情報管理なんて切り口で定めること自体、お門違いであったのではないかと思うのだ。 |
もちろん会社によっては内部監査の品質や環境に関する部分を専門部署に委任するケースもあるだろう。
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統合マネジメントシステムというは妄想、ISMSとかOSHMSとか、もちろんEMSもQMSもみーんな嘘なのである。 いわゆる「ISO統合」に取り掛かったとき、私がいちばん引っ掛かりを感じたところがこれです。「統合」というからには、今までバラだったものを纏めるということです。 経営システムは本来一つのものであるはずなのに、外圧を発端としてQMSやEMSなどのシロモノ(というか、ハコモノか)が後から作られ、例えば文書管理規定なども双方で微妙に異なるという実態がオカシイ、不合理であるということになり、それでは統合しようということになりました。 ちょっと待てよ、本来の姿に戻すだけなのにそれがなぜ「統合」なのか。 強いて言えば「総合」ではないのか。でも「総合」マネジメントシステムと呼ぶのもやはりオカシイ。だって、もともと単一のものをなぜわざわざ「総合」と呼ぶのか。単に「マネジメントシステム」、いやそんなカッコイイ言葉を使わずとも「経営システム」でよいのではないか。 かくして、私はそのネーミングから悩むことになったのです。 ISOのための内部監査など存在するはずがなく、監査部あるいは外部に委託する内部監査しかない。 その通りだと思います。 しかし、中小・零細企業や管理技術レベルの低い会社の中には、もともと正式な監査の仕組みを持たないところがあります。そうした会社にとっては、ISO内部監査をきっかけとして監査の仕組みを構築することができます。 もちろん、品質や環境だけでなく、そこでは労働安全、情報漏えい管理、そして収益・採算性など企業活動全般にかかわること全てが垣根なく取り上げられるということになります。 そこまで至らずに、ただ表面的な品質や環境の事象に限定した監査を行ってそれでオシマイとしてしまうことはもったいないですし、それに気づいてどう変えていくかが大事ですね。 環境方針も品質方針も個別にあるはずがない。みーんな会社の理念や方針として存在しているのではないか? 環境目的・目標や環境実施計画なんて存在するはずがなく、会社全体のバランススコアカードの一部にすぎない。環境側面だあ、環境目的だあ、環境目標だと大騒ぎすることもなく、あるがままの会社の仕組みを一層良くするように改善に努めるべきだったのではないか。 賛成です。僭越ながら、まったく同じ考えを持っていました。 今では、環境方針や品質方針なるものを個別に定めることをいっそ止めてしまって、経営方針一本にしてしまおうかと考えています。当然、「品質目標計画」や「環境実施計画」は、単に「事業計画」となります。 1年ほどずっと考え続けた結果、この決意がようやく固まったところです。 こうしてみると、ISOなるものは、大企業に比べて管理技術の水準が低い中小企業がそれを引き上げるためにあるスケールであるとつくづく思います。 アイソス3月号の特集記事「ISOは経営の役に立っていますか」の中に「ISOは、都合の良い部分だけを利用する」というくだりがありますが、まさにその通りだと思いました。 つまるところ、審査機関の手による外部審査とは、そのスケールに沿って不備な点や不足する点をチェックするにあたって自社だけでは気づかないところもあるやもしれず、それを審査機関という外部業者の助けを借りて行うものといえるのではないでしょうか。 |
ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。 私が15年かけて悟りを開いたというのに、とっくの昔に悟っていたといわれるともう非力を嘆くほかありません。 ISO14001が「環境マネジメントシステム」と名乗ったり、ISO9001が「品質マネジメントシステム」と名乗ることをやめさせるべきかもしれませんね。 ISO14001「マネジメントシステムにおいて環境に関して盛り込むべき事項」とかISO9001「マネジメントシステムにおいて品質に関して配慮すべき事項」なんていうのが正しいあり方なのではないでしょうか? 「ISOは、都合の良い部分だけを利用する」 そういきたいのですが、そうは審査機関が卸さないのが困りますよね 審査機関て、経営の足を引っ張る機関なのでしょうか? いっそのこと、審査をせずにコンサルに専念していただいた方が役に立つのかもしれません。その時は本当に役に立つことなら聞きますし、環境側面の特定手段についてのご講釈などはいりませんから、 |
ところで、私のような洟垂れ小僧が悟りなどというそんなおこがましいものを有しているわけがありません。ただ、シロートの直感というか、何かオカシイんじゃないのといった閃きにすぎないことを申し上げているだけですから、あまり苛めないでください。 ISO14001が「環境マネジメントシステム」と名乗ったり、ISO9001が「品質マネジメントシステム」と名乗ることをやめさせるべきかもしれませんね。 ISO14001「マネジメントシステムにおいて環境に関して盛り込むべき事項」とかISO9001「マネジメントシステムにおいて品質に関して配慮すべき事項」なんていうのが正しいあり方なのではないでしょうか? 先日、高名な某コンサルの先生のお話を伺う機会がありました。 その際に、QMSとはそもそも何ぞやというお話があり、先生曰く、ISO 9001:2000年版をJISに邦訳するにあたり、本来は「経営マネジメントシステム(における品質的要素の要求事項)」ぐらいの意味の言葉になる予定だったそうです。ところが先に、JIS Q 14001の1996年版がEMSをもって「環境マネジメントシステム」としてしまったために、バランスをとるためにやむなく後を追う形で「品質マネジメントシステム」となってしまったらしいです。 すなわち、QMSの邦訳は「品質マネジメントシステム」などではなく、おばQ様が唱える「マネジメントシステムにおいて品質に関して配慮すべき事項」ぐらいの意味であることがこの話からも伺えます。 「ISOは、都合の良い部分だけを利用する」 そういきたいのですが、そうは審査機関が卸さないのが困りますよね 審査機関て、経営の足を引っ張る機関なのでしょうか? そもそも購買先に対しては、「組織の要求事項に従って製品を供給する能力を判断の根拠として、供給者を評価し、選択すること」が求められています。 各々の会社の都合もあるでしょうが、審査員又は審査登録機関に自社が求める監査能力及びアウトプットを供する能力がないことが明らかであれば、規格要求事項に忠実に従って「チェンジ!」宣告をしなければなりません。ましてや経営の足を引っ張ることが確実であれば、尚更です。 そこには資本関係も利害関係も介在しえない純然たる客観的事実だけがあるわけですが、現実にはいろんなシガラミや渡世の義理もあるでしょうから、そう簡単にクビを切るわけにもいかないといったところでしょうか。 ところで、審査登録機関を購買先として評価・選定し、再評価まで行っている会社はどれぐらいあるのか、興味深いところです。評価の結果、指導の必要アリとして審査登録機関に是正処置を求めた事例をぜひ見たいものですねー。(そのうち、ウチがやりそうです) |
ぶらっくたいがぁ様 重ね重ねのご指導ありがとうございます。 そうなんですか!「経営マネジメントシステム(における品質的要素の要求事項)」と名乗るならなるほどと思います。 身の程知らずがマネジメントシステムを僭称したときから歴史は狂い始めたのでしょう。 ところで私が担当しているのはEMSがメインで、残念ながらこちらには購買先の評価がないようです。4.4.6の環境側面に関わる手順を伝達し実施を要求しましょうか |
日本語の要求といえば 「お前の娘を預かった、1000万用意しろ」とか「労働組合は団交で1万円の賃上げを要求した」なんて使います。 上記英英辞典の例にあるような「健康にさしさわりがある」とか「欠かせないもの」というような穏やかな感じではありません。 |
よく「規格がそれを求めている」とか「規格が要求している」という表現を耳にします。これを聞くたびに違和感を感じていました。ISO9001にしろISO14001にしろ、適合性が定量的に判定できる具体的なことを定めていないにもかかわらず、「要求している」とはいったいどういうことか。要求しているのであれば、はっきり明示しているはずではないか、と。 そんな疑問を持った頃、私も辞書を引きました。 Requirementsには「要件」という意味合いもあることが分かりました。つまり、「そうあるべし」「そうあらなければならない」という意味に捉えれば、すべてが合点がいきます。 「“高品位な経営システム(Quality management systems)”であるためには、規格にある要件を備えている必要がある」と考えればいいというわけです。 「規格が要求しているのだからそれを満たしていなければ不適合なので認証停止(剥奪)になるのだ」などと考える必要などどこにもありません。 (これは、審査制度の歪みと考えます。) Requirementsを「要件」と理解すれば、審査は、審査員がその主観による規格解釈を元に組織のQMS/EMSの適合性を見るという常識から、組織自身の規格解釈に基づくQMS/EMSの運用の有効性を見るという考えに転換することができます。 すなわち、規格をスケールと考え、規格の意図が仕事の仕組みにうまく反映されているかどうかを審査で見てもらえばいいわけです。 極論すればISO規格が品質や環境保全を保証しているかどうかはどうでもいいわけであり、自社がその理念とモラルにおいて顧客満足と社会的責任をどう取り扱うかの問題です。「長年、ISOをやっているのに一向に不良が減らない、苦情が減らない」とか「ISOを取得しているのに不祥事を起こした」などという話もオカシイですね。規格はスケールにすぎないのですから、そのパフォーマンスはその組織の運用のマズさの問題です。 仕事の出来の悪さを道具のせいにする大工さんは、あまりいないと思います。 |
ぶらっくたいがぁ様 いつもご指導ありがとうございます。 ISO9001は品質マネジメントシステム規格といった瞬間にウソになったのです。 ありゃあ、品質保証の規格として熟成すべきだったのです。品質保証の規格としてよいものに育てていけば、実際に品質が良くなったのにと思います。 例えて言えば、ちょっと頭のいい子がいて、みなさんおだててスポイル(駄目に)しちゃったという感じかな〜 お前くらいの人間は世間にはゴロゴロいるんだ、もっと精進しろと厳しく暖かく育てればよかったのに |
「身の程を知れ」についての感想? 佐為様。 初めまして。私、名古屋鶏と申すケチな野郎で御座います。どの位のケチかってぇと、隣の家にカナヅチはおろか釘まで借りに行こうか、ってぇ位でのモンでして・・。 私は業務の一環としてISO14001の事務局もしておりますので、いつも楽しく拝見させて戴いております。「うそ800」のサイトは月曜の朝の大事なコーヒーのお供であります。 「身の程を知れ」を拝見して思い出したことがあります。先年、9001の担当が「それは9001の要求事項ですから」等と仕事にイチャモンをつけてくるので、「あのねぇ。14001にしても9001にしてもそうだけど、ISOってヤツは何も“要求”なんてしてないんだよ。“要求”するのは法律とか行政とか顧客とか経営者であって、ISO“だけ”が要求する仕事なんてのはホントは何も無いんだよ」と教えて差し上げた訳です。 9001の担当は“なんのこっちゃ?”みたいなツラをしてましたが、実際問題「ISOの要求事項」として意味不明の業務を押し付けてくれるコンサルや審査会社って多いですからね。それがスタンダード化してしまうわけです。ま、一種のマインドコントロールってヤツでしょうか。 それにしても対訳本には“要求”とハッキリ書かれているので、「理屈として弱いかな」と思っていたのですが「Requirementsは“要件”だ」と聞いて、正直ホッとしました。お陰で今日は良く寝れそうです。どうも有難うございました。 それでは、また。 |
名古屋鶏様 お便りありがとうございます。 何かおいしそうなお名前で、焼き鳥にちょうどかと・・・ 私が要求事項というのに初めてであったのは品質保証でした。某社の下請けをしていて、品質保証協定書なんてのを送ってきまして、これにサインをして返せというのです。 中を読みますとたいそうなことが書いてありまして、冒頭に要求事項ってありました。 まあ、こちらは下請けの身、できそうもありませんでしたが上司にハンコを押してもらい提出いたしました。 注文主から来るから要求事項かと思っていましたが、単なる決まり文句だったようです。 |
佐為様。ご返事ありがとうございました。m(_ _)m 勿論、焼き鳥でもイケますが、名古屋コーチンの妙味はやはりネック(首肉)です。 これが鶏肉としては最も柔らかく、ジューシーで、甘味もあってビールのお供に・・って スイマセン、話が逸れました。 先日、同志のISO事務局からの聞いた審査員の「実に有益なお話」です。 「えー・・有益な側面が抽出されていませんね」 「・・それって必要なんでしょうかね?」 「ISOでは”有益か有害かを問わず”としており、有益な側面も考慮することを求めています」 「はぁ・・」 哀れなことに。 これは雑談でも指導でもなく、れっきとした「不適合扱い」だそうで。 私はこれまでコンサルや審査員の方が何を以って「有益な側面の特定」を必要と主張するのか不思議でならなかったのですが、まさか環境影響の定義である”有益か有害かを問わず”を根拠にするとは・・ 最早、ISO規格を知る・知らない以前に日本語の意味すら、アヤしくなってしまいます。 私的には「問わず」と聞くと、西部劇の手配書(Wanted)に出てくる「生死を問わず」が頭に浮かびますが、これに彼の審査員の論法を当てはめるならば、「この手配書には生死を問わずと書かれているので、”死体のお尋者”と”生きているお尋者”の両方を連れてくることを要求しています」という理屈になりそうです(笑)。 ホラーか禅問答か、はたまた単なる詐欺なのか・・ 私はこれまで、「A・Bを問わず」とは「目的を達するのにA・Bを論じる意味は無い」という意味だと思っていましたが、「両方を論じろ」とは・・思わず唸ってしまいました。 確かに、例えば風力発電には「CO2が出ない」という”有益な側面”と「プロペラの騒音」という”有害な側面”があります。しかしながら、それらを抽出・評価するのは初期レビュー段階での話であって、規格の意図はあくまで「・・で?アンタのトコはそれをEMSで”管理”するの?しないの?ハッキリしてよ」って事ですよね。 使いもしない重箱の隅を突付いて廻るような環境側面抽出には、ムダなCO2を排出するという”有害な側面”がありますが、”有益な側面”は・・・・ すいません、思いつきませんでした。 修行して出直して参ります |
名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。 まあ、百歩譲って、有益な環境側面があるとしましょう。 しかし、だからといって有益な環境側面を抽出することが必要か?といえば、必要でないことは明らかです。 不勉強な審査員がいるから、ISOは9000も14000もだめになってしまったのですね。 ところで、もしお困りでしたら一声かけていただければ審査機関でも認証機関でも同行しますよ。 まあ、その前にその審査員に会って2時間ばかり問い詰めましょう。 |