ISOの見方、考え方 08.04.06

私はISOに関していろいろと書いているが、ISOとは一体何かを改めて考えてみたい。
もちろん現在ISOに基づくマネジメントシステムといっても多々あるが、私が知っている9001と14001に話を絞る。

日本でISOコンサル、ISO事務局、ISO審査員その他ISOに関わって飯を食っている人はたくさんいる。
ちなみに、私はボランティアコンサル・ボランティア評論家・ボランティアご意見番であるのでお足はいただいていない。
そういった人々の経歴や、ISOに関わるようになったいきさつはさまざまである。
ISO事務局でも、QMSなら品質管理、品質保証、あるいは英語が得意だったからという人もいる。EMSであれば施設管理部門、公害防止関係、ISO9001担当だったので環境ISOも担当するようになったという人、定年間近で管理職を解かれ定年までという人(これは非常に多い)、事務局として雇われたという人もいる。
審査員やコンサルの経歴を見ても、技術士、認定機関のプロパー(認定機関といってもJABだけではない)、元ISO事務局とか、元大企業の管理職などさまざまである。面白いことに、技術士といっても環境と全然関係ない部門の技術士もいるし、元大企業の管理職といっても品質や環境に関わっていた人もいるし、全然関係なかったという人もいる。
ISOについて論じるだけでは不公平だろう。
○○ステージの審査員で環境に関わっていたという人は実は少ない。管理職を勤めていたにせよ、環境に関するシステム、環境法規制を理解しているのか、私は疑問である。
おっと○○アクションだって審査員の要件の額面は厳しいが、現実にはマネジメントシステムとはかけ離れた経歴の方も多い。
だから彼らが持つコンピタンス、つまり知識、経験も多種多様である。
おっと、コンピタンスを持っていないこともある。
要するにISOに関わっているといっても品質や環境、マネジメントシステムあるいは会社の経営に詳しいということは全然ない。
では、そういった人たちは、ISOをどうとらえて、どのような対応をしているのだろうか?
審査したりコンサルをするには、規格の理解以前に、ISOに対する考え方が非常に重要だと思う。
つまり、
 ・ISO規格に書いてあることを実現しようとするのか?
 ・ISO規格の意図を実現しようとするのか?
 ・会社を良くしようとするのか?
 ・社会をよくしようとするのか?
それについて、しっかりした考えを持たなければ、いい加減な仕事しかできないのは間違いない。

もちろん、私たちはオマンマを食べていかなくてはならないので、コンサルなら不本意であっても期限までに認証することを最優先せざるをえないかもしれない。
かっての私のように、不適合を出すと月給を下げられるのでは、何が何でも不適合を出さないようにする事務局がいてもおかしくない。
審査員なら問題があっても片目をつぶり、両目をつぶっている方もいるだろう。仲間から審査で審査員から「不適合を出さないから認証を継続してほしい」といわれたという話を聞いた。認証件数ががた減りしている現在ありそうな話だ。その結果、法違反や事故を見逃しているのだろうか?
そこまでいかなくても、異議申し立てや苦情を恐れている審査員は多い。というよりすべての審査員がそうなのかもしれない。

はたして、我々はISOをどのように考えればよいのか?
悟りなどといっては笑われます。私のたどり着いた結論について語る。
私のスタンスは、ISO規格の真髄はなにか?とかISOの理想を実現しようなどというたいそれた考えではありません。そもそもISOが理想であるとも思っていません。
ISOは会社を良くする手段である。小集団活動や提案制度、あるいはTQCとまったく同レベルのものであると受け止めています。
ISOの専門家や先生方の中にはISOは小集団のような現場レベルのものではなく、マネジメントシステムの規格であると力説する人もいます。じゃあ、その価値を見せてみろというのが私の意見です。ISOを会社の仕組みに取り込んだなんて恐れ多いというか勘違いも甚だしいのではないか?
経営全体から見たら、ISO9001とかISO14001なんてほんの一部分のガイドラインに過ぎないでしょう。
会社が品質保証と環境管理で成り立っていると考えること自体、分かってないということだ。
トリプルボトムラインと言われるようになった現在、環境もやっと経営管理の一アイテムになった。損益、株価、労務管理といったことがまずあったということを忘れてはいけない。
企業犯罪にどんなものがありますか?
粉飾、汚職、セクハラ、談合、インサイーダー取引などたくさんあり、期限偽装、古紙配合率偽装、公害データ改ざんなんてのは重大ではないとは言わないが、相当順位が低いように思う。

ISOは遵法や事故防止に効果があるのか?
ヨーロッパではREMASによる調査結果でISO認証企業の事故防止や遵法への有意差があるとされています。しかしその報告の結論だけはネットにありますが、その生データは公表されておらず、有意差の検証結果も我々は見ることができない。ISO世界の人間からすれば証拠ない結論は価値がありません。
現実には日本国内の事故違反を起こした会社はすべてEMS・QMSの認証をしています。私が調べた限りでは(報道された事故違反だけでも相当数の数になる)法遵守状況に有意差はありません。事故予防にも有意差はないようです。

私だけがISOをそんなふうに見ているのではないと思います。その証拠に日本国内でISO9001の認証は減少しており、ISO14001はサインカーブの頂点にあります。これからは減るだけでしょう。
では私はISO反対かというとそうではありません。
簡単に言うとISOを会社を良くする手段と認識しているということです。
手段以上でもなく以下でもないのです。
だから役に立たない解釈、役に立たない要求は受け入れられません。
私たちが過去からしていること、あるいは会社を良くするであろうことだけを規格要求として認めます。
まったく新しい追加は、納得すればしますし、納得しなければ「しなくても良い理屈」を考えます。

審査のための書類を作ればシャンシャンと審査が進み、不適合が出ないということがいかなる意味があるのか? 考えなくてはなりません。
ISOのために余計な仕事、無駄なこと、無意味なことに費用をかけるのは会社の損出、社会的損失です。
この場合のコストとは社内だけでなく、製品サービスのライフサイクルを通じて評価しなくてはなりません。

規格要求にあるか、ないかという議論は神学論争で無意味です。私は役に立たなければ間違いであり、効果がなければ価値がないと理解しています。
そしてISOが会社に貢献しないなら、ISOを捨てるべきであると思うのです。
なにも我々はISOを敬ったり一緒に心中する義理はありません。
ISOのない時代、日本は製造業において世界に敵のない状態でした。
ISOの時代になって、日本の製造業は低迷しています。
もちろんそれとISOは無関係でしょう、しかし、ISOが日本を浮上させる力がなかったということも言えるでしょう。
常識で考えて、会社が儲かるか、社会に貢献するかという価値基準で評価すべきであろうと思います。私のISOというものの理解とはそのようなものです。

私はエキセントリックで無知蒙昧な野生児かもしれません。
しかし実を言いまして、私の考えは独自に編み出したとか、突如として頭に浮かんだわけではありません。私の10数年に及ぶ、多数の審査でのやりとり、審査機関の幹部やISOTC委員の語るのを聞いて学んだということです。直接お会いして質問したこともありますし、講演もあります。あるいは審査での経験から得たものもあります。
もちろん、そういった方々の語ることに賛同したものだけでなく、反面教師としたものも多数あります。
ある審査に陪席したとき、某審査機関のエライさんでしたが、社長の指示(方針ではない)を実行していないとして不適合を出しました。私はその方に根拠はないだろう、とり消して欲しいと言いました。すると、社長の指示を実行しないのはシステムの不適合そのものでないのかと言われて降参しました。
正論には勝てません。

本日の提言
審査員の方々、ISOで会社を良くしようなんてスタンスの審査をやめましょう。
事務局の方々、私たちが会社を良くするんだなんていきがるのやめましょう。
間違いとは言いませんが、会社って言っても損益も労使関係も顧客だけでないステークホルダーもたいさんいるのです。
コンサルの方々、安くて速い認証なんてサービス止めましょう。
ISOなんて元々が漢方薬で速効はないし、免状だけもらっても意味ありませんて




あらまき様からお便りを頂きました(08.05.19)
ISOって?
お久しぶりです。荒巻です。
ISOって何で皆さん取ってるんでしょうか。
あ、総務から説明はありましたよ。「環境に云々かんぬん」って。でもその取得のために何億使うんでしょうか。企業は人件費とコストで成り立っております。
私は病院に勤めているのですが、顕著に感じます。
数億あったら新しい検査の機械が買えます、年間10人以上の医師を配属できます。地球を守って人間が死ぬというのはたいしたジョークだと思いますが(笑)。そのリサイクルされたコピー用紙が患者を救うのであればヒポクラテスから数千年、医学の発展に身を窶した先人達も草葉の陰で泣いていることでしょう。
結局のところ新しい規格に対する無知なところにつけ込んだ「詐欺」と受けとらざるをえない気がします。
最近は「デジタル放送の関連チェックです」という詐欺が横行しているようです。部屋に入った後に「これを買わないと法律違反です」と言った瞬間に祖父から譲り受けた日本刀を抜きます。ほんとに。
部屋の中だと合法らしいですね。
今度は倉から38式歩兵銃でも出てこないかと期待しております。

追伸:芦ノ湖のツツジが最高に色付いております。「つまらない」ので奥様は決して行く必要はないと思います。苔むす岩肌からそびえ立つ杉の木や木蓮など全く見る価値のないモノだと思います。決していってはいけませんよ(笑)

あらまき様 これはご無沙汰しております。
あらまき様の疑問は私の疑問でもあります。
ISOって何で皆さん取ってるんでしょうか。
わかりませんね
ただ、詐欺と言い切れるかどうかは微妙です。といいますのは、詐欺というのは価値のないものを価値あるがごとく売りつけたりすることですが、買う人が価値があると認識しているなら詐欺ではありません。
金は価値があると言っても、金の価値ってなんでしょうか?電子回路などでは金の特性は非常に有効ですが、延板にしてタンスに入れておいても何の役にも立ちません。
まあ、なにもかも渡世の義理・・困ったものです。

日本刀ですか、残念ながら私には名刀を残してくれた祖父はいません。
今だから暴露しちゃいますが、親父が持ち帰った軍刀を竹藪で振り回したことがあります。青竹なんぞとても切れるものではありませんでした。


高橋様からお便りを頂きました(08.07.17)
「ISOの見方、考え方 08.04.06」への質問
いつも楽しく拝見するとともに、賛同する貴兄のご意見を業務に生かしたいと思っております。いつも、ごもっとも、と思う中で、「初めてある審査に陪席したとき、某審査機関のエライさんでしたが、社長の指示(方針ではない)を実行していないとして不適合を出しました。私はその方に根拠はないだろう、とり消して欲しいと言いました。すると、社長の指示を実行しないのはシステムの不適合そのものでないのかと言われて降参しました。正論には勝てません。」とあることについては、ちょっと理解できませんでした。そのときの「指示」と「不適合の根拠の番号」はどのようなものだったのでしょうか。差し支えなければ教えていただければ幸いです。また、ケース・バイ・ケースと思いますが、(ひねくれたケースで申し訳ありませんが)社長の指示が適切でないようなケースはどうなるのでしょうか。

高橋様 お便りありがとうございます。
不適合の根拠は4.2f)で不適合は「環境方針が周知されていない」というものでした。
若干補足説明しなければなりません。
この方(もちろん実在する方で有名な方です)は環境方針とは一枚の紙に書かれたものとは考えていらっしゃいませんでした。つまりトップ経営者の意思がポリシーであり、それは品質や環境や遵法など多方面についての全般的指針であって、ISO14001の方針が環境方針という紙に書かれたものだけが該当するのではないという考えです。同時に環境方針に環境法規制を守ると書いてなくても、トップの発信する声明の中に遵法が含まれているなら適正であると考えていました。
ちなみにpolicyとは数えられる名詞として複数形もありますが、集合名詞でもあるようです。そう考えるともっともだなあと私は納得しました。今でも疑問は持っていません。
次に社長の指示が適切でない場合ですが、
部下は上長の命令に従わなくてはなりません。それは組織に属する者の基本です。社長が違法を指示した場合はもちろん従う義務はなく告発することもあり得るでしょう。しかし法に反せず方針が間違っていると考えた場合、部下のとれる選択肢は、社長を説得しようとすることと、その組織から離反することだけです。
仮にあなたが社長の命令に反して行動し、その結果成功を収めたとしても命令違反でることは事実で、懲戒となってもおかしくありません。


私は青い鳥!様からお便りを頂きました(08.07.24)
コンサルタントとの違いは?
頭が混乱しています。どうか、教えてくださいませ。
先日、ISO認証登録機関のセミナーに参加しました。
席上、トップと思しき方がおっしゃいました。
ビジネスパートナーとして、会社を善くするために同じ土俵で活動していきましょう。
審査員の指摘が、貴社の改善に関係ないものであれば意見してください。
はー?
審査員はコンサルをしてはいけないことになっていますよね。
指摘事項が企業にとって意味があるかどうかは、改善内容を検討し検証しないといけないはずです。
ところが現在の指摘事項は、
体の変調はないが不安なので高いお金を出して人間ドッグを受けた。
内臓に不具合があるようだが、それ以上はいえない。自分で見つけて1ヶ月以内に処置しなさい。処置がただしかったら、この日は身体に異常がありませんという紙を発行します。この紙は、就職する際に証明書になるかどうかは、企業の考え方によりますので、再度人間ドックを受ける必要があるかもしれません。
といわれているようなものです。

どうせなら、ISO規格の専門機関としてISO規格に則ったコンサルタントをすることの許可をとり、許可証をもった企業からコンサルタントをしてもらっているということの登録証を飾っておいたほうが、よほど登録機関の透明性が図られると思うのです。
どこか間違っているでしょうか?

私は青い鳥!様 毎度ありがとうございます。
認証機関のアドバイスがIAFのコンサルを禁じた基準に抵触するか否か?の判断は非常に難しくホントのところ私にはわかりません。
ともあれ、現状では認証機関はISOをやめるという企業をいかになだめすかして継続させようかということが重要で、そのためには青い鳥様の書かれたような発言になるのでしょうか?
まあ、コンサルと認証機関は税理士と会計士のような違いはあるわけで・・・どうしたものでしょうか?


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