外から見たISO(その1) 08.06.29

うそ800を書き始めて早や6年、悪代官ならぬ悪審査員や、おかしな認証機関、不思議な規格解釈などなど、ISOについて言いたいことをあらかた言ってしまった。それでこれからは一般市民から見たISOを書こうと思う。なにせ私はキーボードを叩き続けないと生きていけないのだ。
鳥山明のあられちゃんに登場するオートバイこぞうのようである。

人間は住んでいたところから見知らぬ所に引っ越して友人を失ってしまうと、うつまではともかく内向きに陰気になってしまう。転勤しても同じようなことがおきる。
しかし、女というのはしたたかである。私の家内は都会に来てから近所に知り合いなどまったくないところからスタートして、今ではしっかりネットワークを構築してしまった。
私である

こちらにきてしばらくの間は子供たちと一緒に4人暮らしであったが、まもなく娘は結婚し息子は大学を卒業して巣立っていった。するとすぐにパートで働きはじめそこの同僚とのネットワークを構築した。また趣味のグループに入会してその関係の友達も作った。もちろん田舎の友達も遊びに行ったり来たりで、さびしいなんてことがあるわけがない。そして時間とともに、バイ菌が増殖するように、友達の友達は友達となり家内のネットワークは広がりますます強固となりつつある。
会社勤めの人が定年退職するとすることがなくすぐに老いてしまうというが、家内とか女性一般にはそのような理屈は通用しないようである。
家内である
既に家内はパート勤めを辞めているが、そのネットワークは生きており、お友達のお宅に行ったり、お友達が来たりしている。

つい最近、家内が「ISOってもう流行は終わったの?」と私に言う。
家内がISOなんて口にするのはまれというか、めったにない。いったいどうしたのだろうか?
いきさつを聞くと、今日、以前の勤め先の同僚が家に遊びに来た。
家内はすでに勤めを辞めてはいるが以前の職場に興味を失っておらず、職場のはなしになった。誰さんと誰さんは今でも仲が悪いとか、お昼はどこそこの弁当屋がうまい、マネジャーは今何に凝っているなどなど。そんな話をしていて「もうISOの審査の時期よね」と家内が言うと、彼女は「ああ、そんなことあったわね」という。
家内が「あれもうやめちゃったの?」と聞くと、「今では環境方針を聞いたことがないし、内部監査も見かけない」という。同僚はISOそのものが終わったのではないかと思っていたそうだ。
なにしろ普通の人はISO9001や14001に特段の関心を持っているわけではない。認証だって、なにかのキャンペーンとかイベントという程度にしか思っていない。パートタイマーが勤め先のISO認証を気にするわけがない。
環境方針や品質方針はすべての人に周知しなくてはならないとあるが、これをどう受け取るか?
私は紙に書いた環境方針を配るとか、文言を覚えることではないと理解している。
私の解釈は、トップ経営者が品質や環境において目指していることを、従業員が各々の職務において何をしなければならないかを理解し実践することだと考える。
とすればパートに限らず従業員は会社の環境方針の精神は知らなくてはならないが、紙に書いた環境方針など知らないというのが理想形かもしれない。
もちろん、このお友達が環境方針を理解しているかは大きな疑問符が付く 

おっと、私の論に「方針は文書化せよ」という要求に反するのではないか?という突っ込みが入るのを予想する。
規格では「文書化され、実行され、維持される。(中略)すべての人に周知される。」と定めていて、従業員には文書化されたものを配れとは言っていない。
「文書化してすべての人に周知され、実行され、維持される。」ではないことに注意願う。文書化するという要求は経営者の理念をしっかりと書きとめて不動のものとせよという意味と理解する。そもそも識字率の低い国で紙に書いた環境方針を配ってどうする?
ま、そんなことがあったそうだ。それで家内は私がISOの仕事をしていると思っているので先行きが不安になったのだろう。
私がISOに関わっているのは無給のボランティアであるなんて言ったら、家内が逆上するかもしれない。
ともかく私はおせっかいなのでその質問にISOの認証件数の推移とか、家内の勤め先が今でも認証しているかをネットで調べて教えてやった。そして私が職を失うこともなく、我が家の暮らしも安心だよと言ったのである。
JABに登録している企業はここで検索できる。
家内は私が失業しないと知ると、すぐにISOへの関心は薄れ私のおせっかいが迷惑のようであった。

しかし転んでもただでは起きない私である。これをヒントに業界人が内側から見るISOではなく、一般人が外側から見たISOというものを考えた。
内側というか、ISO関係者だってISOの現状にそれほど問題意識を持っているわけではない。認証機関の経営者でもない私が、第三者認証制度の行く末をいろいろ考えているほど、普通のISO審査員は第三者認証スキームの行方を心配していない。
これは思い込みではない。今まで私は第三者認証制度について悩み考えている審査員にあったことがない。もし少しでも考えているなら、審査をするたびに少しづつ審査の質向上を図ろうとするだろう。
私に反論しようとする方は、書き込む前に胸に手を当てて考えてほしい。
私が会った審査員のほとんどは、規格の意図が分からないとき先輩審査員に聞いている。そして先輩の考えを取り入れてわかったように気になっている。一部の審査員はCEAR誌に質問して、そこでは契約している審査員が回答したりしている。だいぶ前だがその回答が間違っていて私がCEARに苦情を言った結果訂正になったこともある。ほとんどの審査員は疑問点を徹底的に解決しようしたり、場合によってはISO-TC委員に聞こうする人はいないようだ。まあ、そんなレベルなのだよ。
法律だって同じこと。あなた、法律を読んで解釈が分からないとき、環境省とか所轄官庁に電話する審査員が何割いると思います? まあ10割ってことはないでしょうね。私はわからないことがあったら必ず問い合わせて解決します。それが商売ですから。
数か月前のことだが、審査に陪席したとき10年ぶりにあった審査員が10年前と同じことを語っているのを見て、だめだこりゃといかりや長助のセリフをつぶやいた。
彼らは永遠に現在の環境が続くと思っているのだろうか?
地球環境問題がこれほど騒がれているとき、第三者認証スキームの環境が変わらないと考えているなら、能天気というか天然というべきか
驚くのはほかにもある。今年(2008)3月に「今ISO17021を勉強しています」と語る審査員にあった。オイオイISO17021制定は2006年のはず、飯のタネなら制定されたらすぐに、たてよこ斜め、表裏から読み解いていないといけません。私だって制定直後に自腹で買って、それ以降何度も読んでますよ。
あなた、ちゃんとした審査をしようとしたら常に勉強してないと追いついていけませんよ。ISO規格だけではありません。過去1年間に環境に関わる法改正をどのくらい知ってますか?
そんなことを考えると、CEARやJRCAのCPDというものがいかに実態に即していないかということが良くわかる。

おっと、脱線脱線、
外側からと言いながら、まだ内側だ 

では次回は間違いなく外側から・・・

私がうつになればよかったの? この文章を読んだ家内は、早速突っ込んできた。

「すると、なんですか?
 私がうつになれば良いというわけ?
 あなた、本当にそう思っているの?」

いえ、決してそんなことはありません。ハイ

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