外側から見たISO その5
会社のため?ISOのため 
08.08.05

ISOを論じている人はネットでもリアル世界でも数多く、プロもアマもいる。言論の自由は憲法が保証するところであるから、いろいろな論があってよい。しかし、私はそれらの多くの論に是非を唱える前に、そのスタンスについて違和感を感じている。具体的には、「ISOのため」、「規格にあるから」、「要求事項だから」といった言い回しに付いていけないというか、私の生まれた地方の方言で言えばハナスヌナンネと感じる。

世に存在するすべての企業は創立してから文書化しなくても会社の仕組みを作り、文書化しなくても活動の手順を決めて、存在してきた。そして利益を出し、従業員に賃金を払い、株主には配当を払い、社会に貢献してきたのではないか?
たいそうなことをいうまでもなく、そうでなければ企業は倒産しあるいは社会から排斥されることは間違いない。そういう事実を踏まえて考えると、「ISOのため」、「規格にあるから」、「要求事項だから」という発想はあきらかにおかしいし、厳しくいえば間違っている。
例えば、なぜ「教育訓練はどうしたらよいでしょう」という発想がでてくるのでしょうか?
あなたの会社では創立以来、そこで働く人に教育訓練をしてこなかったのでしょうか? まさか学校をでて入社したばかりの人に、すぐ一人前の仕事をしろとは言わないでしょう。会社によっては半年とか一年間、学校並みのカリキュラムで座学や実習で教えているところもある。
規模が小さく新人を遊ばせておくのはできない会社でも、とりあえずは簡単な仕事、あるいは先輩のお手伝いをさせるでしょう。少し慣れてきたら一人でさせる、そしてだんだんと難しい仕事をさせる、そういうステップを経ていないのでしょうか? まさに、してみせて、話して聞かせ、させて見て、誉めてやるという、山本五十六の言葉通りのことをしているのではないでしょうか?

もっと簡単な、文書管理について考えて見ましょう。なになに?ISO規格によると、発行前にチェックすること、必要に応じて見直すこと、現在有効な版がわかること、必要な文書が使えるようにすること、読みやすいこと・・などなどが要求事項だそうです。これを読んで、当社の文書管理規則を作ろうと考える人はまっとうじゃありません。そう言っちゃ言いすぎなら、会社でお仕事をしたことがないに違いない。だって、あなたの勤めている会社・・おっと失礼、あなたはオーナー社長であるかもしれない・・もう何年も存続しているではありませんか。だったら、こんな規格に書いてあるような基本的、常識的なことなど十二分に満たしているはずです。そうでなければ会社がうまく動かないことは間違いありません。
万一、規格に書いてあることを満たしていなければ、「社長、古い図面で部品を作ってしまいました」とか「寸法を読み間違えて今日生産したのが全部不良です」とか「この仕事をどうしたらいいか分からないんです」なんてことが続出し、会社はストップする。
ISO認証していてもそのような問題は発生する。なぜだろうか? 

ISO14001では環境側面を特定しなさいという要求もある。これを何かものすごく難しく考える方が多いのです。しかし、環境側面ていったい何なの?と基本に返って考えると単純で「環境と相互に作用する可能性のある組織の活動やサービスの要素(定義)」ではないか? 規格のどこにも改めて考え直せとは書いてないし、もちろん計算方法を決めろとか側面を決める論理をひねり出せとも書いてない。
そもそも、あなたの会社で『自分の会社が環境と相互に作用する可能性のある組織の活動やサービスの要素』を認識していなければ仕事ができるはずがない。ご理解いただけないでしょうか? 平たく言えば、製品の省エネ性能は社会の要求を満たしているか、工場の騒音振動で近隣に迷惑をかけることはないか、廃棄物が多く処理費用がかかっているからなんとかせにゃならんな・・というようなことなのです。

もうひとつ例をあげましょう。「組織の環境側面に関係して適用可能な法的要求事項を特定する」とある。これを読んで、当社の製品や活動に関わる法律をしっかり洗い出せという管理者がいたら・・日本には多々いることは間違いないが・・笑いものですよ。あなたの会社は創立以来、何十年も自分の会社がどのような法律に関わるかを知らずに仕事をしてきたのでしょうか? いやあ、知らぬが仏、めくら蛇におじずとはよく言ったものです。
そんな要求事項を笑い飛ばしましょう
「おい、 ISO規格では規制を受ける法律を特定しろってよ、いまさら何を言ってるの」
それにですよ、環境に関わる法規制だけを把握して対応することにいかなる意義がありますか? 企業が存続し社会に受け入れられるためには、環境だけでなく会社の事業に係るすべての法律を把握し対応しなければならないのです。いえ、とんでもありません、日本に存在する1800本の法律だけでなく、社会通念や時代の要請をよく理解し対応しなければなりません。そうでないと「KY」という尊称をいただけます。
北朝鮮に高精度計測器を輸出した世界的計測器メーカー、中国に無人ヘリコプター不正輸出した大手楽器メーカー、セクハラで訴えられた自動車メーカー、談合をした鋳鉄管メーカー・・・きりも限りもありません。そういう犯罪と環境測定データを捏造した会社の間に社会的評価の違いはありません。

会社はISO規格などできる前から存在し、利益を上げ社会に貢献するために存在してきた。そして継続して存続して来た会社は、すべて利益を上げ社会に貢献してきたはずだ。(権力と結びついた企業や公害たれ流し企業は除く)
「社長がワンマンで」とか、「当社は会社の規則も十分でなくて」などと謙遜することはない。卑下せずに堂々と「当社の社長はリーダーシップを発揮している」とか「当社はその業務特性と構成員の力量から複雑な文書を必要としない」と自信を持ってポジティブに語るべきではないか。
聞くところによると、某ISO認証機関は認定機関対応の文書は最低限制定しているが、人事管理、職務分掌などに関してはほとんど何もないと言う。それで仕事が進むなら最高ではないか。
規格はいってますよ、
 文書化の程度は次の理由によって異なる。
 a)組織の規模及び活動の種類
 b)プロセス及びそれらの相互関係の複雑さ
 c)要員の力量(ISO90001では4.2.1参考2、ISO14001ではアネックス4.4)

私の言いたいことは教育や文書についてではない。規格の読み方、受け取り方についてである。
まず大前提として、あなたの勤めている会社・組織はISO規格を満たしているはずだと考えるべきです。しかしあなたがそう確信するだけでなく、外部の第三者に会社の仕組みが規格を満たしていることを説明しなければなりません。だからそこを考えるのです。
規格で要求しているのは事故やトラブルを予防するためだ。当社は過去からの方法で事故もトラブルも起こしていない。ならば、従来の方法は規格を満たしているはずだ。
論理的には「ISO規格を満たしていると事故は起きない。当社では過去に事故は起きていない。ゆえに当社の方式はISO規格を満たしている」は偽である。
(A⇒B、C⇒B、よってA=Cは成り立たない。)
もっともISO規格を満たせば事故が起きないということも保証されない。 
でも御社の方法で過去事故もトラブルも起きていないなら規格要求を満たしている可能性はきわめて大きい。規格で上品にエレガントに語っていることを、あなたの会社は昔から泥臭く簡素な方法で実施してきたのではないだろうか?
そんなふうに考えると、ISO認証とは新しいことを付け加えることではなく、規格と実態をつなぐことである。

あなたが
「教育訓練にどのような文書を作成していますか」とか
「著しい環境側面の決定の論理はどうしているのでしょう」とか
「文書管理規定のひながたありませんか」
というのではなく
「当社の教育訓練はこれこれしかじかでそのとおり書いてみました」とか
「当社はこういう理屈で著しい環境側面を決定してます」とか
「当社の文書管理はこうしてます」
というべきなのです。

堅苦しく考えずに、基本に立ち返って考えませんか?
だってISO規格は会社のマネジメントを有効に効率的に進めるためのものです。
会社をISO規格に合わせることになんぼの価値がありましょうか?
ISO規格を会社にあわせて考えてみましょう。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.08.05)
堅苦しく考えずに、基本に立ち返って考えませんか?
だってISO規格は会社のマネジメントを有効に効率的に進めるためのものです。

仰せの通りだと思います。
今から4年ぐらい前、今の職に就いてISO9001規格というものに初めて触れたときのことです。とても日本語とは思えない高尚で難解な規格要求事項を読むうちに睡魔に襲われること数え切れず。文字を目で追っても、理解できる形では一向に頭に入ってきません。
困った私は一計を案じました。身近なものに置き換えて考えるという、たいへんオーソドックスなやり方です。
そこで、寿司屋さんを想定してISO9001を考えてみることにしました。
規格の文章全てを、組織がもし寿司屋さんだったらどうしているだろうと考えてみることにしたのです。(この考え方は、後に勝手に「寿司屋理論」と名付け、内部監査員教育に大いに役立ちました。)
そこで大きな発見がありました。規格要求事項の全ての項目が、頭に思い描いた街中の寿司屋さんでもすでに行っていることばかりだったのです。理解が難解といわれる「7.3 設計開発」でさえ、街中の寿司屋の大将(見下しているのではありません)は日常業務の中で立派にやってのけていることがわかりました。
教育訓練のニーズがどうとか、力量の評価がホニャリャリャだとか、そんなことは大正・昭和の時代から、寿司屋の大将は見習い相手、アルバイトの学生を相手にやっているのです。それができないと店がつぶれるのですから、できていて当たり前です。
そんな当たり前のことが、ヨーロッパから、さも最新の経営マネジメントツールであるかのごとく高尚な存在として、しかも「認証制度」というお墨付きでやってきたのですから、権威に弱い日本の企業が総カン違いするのもムリはありません。
もし、ISO認証取得に取り組む企業の担当者たちが、帰りに寿司屋に立ち寄ってあれこれ口角泡を飛ばしながら議論している様を大将が見聞きしたら、「へえ、オイラが普段やってることとどこが違うんだろ。インテリは考えることが大層でいけねぇや」なんて思うことでしょう。

「寿司屋理論」の一例をあげましょう。
「7.2.1 製品に関連する要求事項の明確化」と「7.2.2 製品に関連する要求事項のレビュー」です。
むずかしいことがたくさん書かれていますが、要は「お客の注文を間違いがないかよく聞いた上で伝票に書くこと。お品書きで品切れがある場合はちゃんと言うこと。注文の取り消しや追加があったときは、忘れずに伝票を直してすぐに厨房に伝えること」ぐらいの意味です。
「内部監査」、「是正処置」、「マネジメントレビュー」なんてものは店を閉めた後、店員を相手に大将が毎日やっていることでしょう。「おい、サブ。お前、今日、サビ抜きで注文した客とそうじゃない客と間違えて出しやがったな。あの客、怒ってたじゃねえか。何で間違うんだよ。あれほどサビ抜きの寿司は、仲居がわかるように器を変えて盛り付けしろって言ってあるじゃねえか。なんでそれができないのか理由を言え」ってな感じですね。

たいがぁ様 毎度含蓄あるお話ありがとうございます。
全く同意で何も語ることはありません。
結局、ISOとは何なのか? 何のために存在するのか? 我々の認識によってその位置づけは我々の上位にもなり、道具に過ぎないかも知れないということです。
tono.gif たいがぁ様が以前おっしゃった「ISO規格の黒帯といっても、実務の黒帯と道場の黒帯がある。これは天と地の違いです。」という言葉から思いついたことがあります。
碁でも剣術でも天才とか達人と呼ばれた人は多々いますが、種類があるようです。
一人独学で悟りの境地に至ったタイプ、剣の道なら上泉信綱、ISOならぶらっくたいがぁ氏かと・・
迷惑を顧みず手当たり次第に戦いを挑み、相手を傷つけ己も傷だらけになりつつも道を究めようとした、宮本武蔵タイプ、ISOなら私かと・・
そして、道場で剣の道を極めんとする吉岡一門・・ネットやリアル世界でISOを論じている人々はこのタイプが多いようです。
もう20年も前、私が現場にいたときのこと、外注で生産が上がらないとき「ああだ、こうだ」と語る人はたくさんいます。そんなとき「お前が行って指導してこい」というのが決まり文句でした。指導に行って、問題を解決できなければ、論評する資格はありません。
ISOのあるべき姿を語っている人々にはぜひとも「会社に貢献するISO」を実践してもらいましょう。
会社に貢献する審査を標榜する審査員には「会社に貢献する審査」を実践してもらいましょう。
実際にできなければ語る資格はありません。
マージャンなら上がってなんぼ、碁なら下駄をはくまで分からない。
ISOなら会社の社会的評価が上がってなんぼです。
おお!これって経済産業省の言うパフォーマンス向上しなければISO認証するなというのと同じことなのでしょうか?


ななし様からお便りを頂きました(08.08.07)
文書管理を例にあげてどの会社でも規格を満たしているように書いていますが、実際には不十分なところが多いのではないでしょうか。中小企業では規格に書いてあるようなしっかりとした文書管理体制のあるところは少ないです。

実は原文はかなり言い回しが複雑(?)で分かりにくかったので、私が意図を変えずに文章を見直しております。

ななし様 書き込みありがとうございます。
そうですね、しっかりした文書管理規則というものがない会社は多いでしょう。でも文書管理というルールはあるのではないですか?
昔、もう20年以上前になりますが、私が知っている中小企業の一例をあげます。
新しく取引を始めた会社に立ちあいに行きました。そこでは私どもから渡した図面をなんと!毎日の新聞広告の片面が白い紙を取っておき、それにゼロックスコピーをして現場に渡していました。作業者はその裏面(表面?)がパチンコ屋とか夕食のおかずの広告の紙にプリントされた図面で仕事していました。
さすがの私も驚いて、こりゃあだめだろうと思ったのです。
しかし、図面管理のミスによる不良はありませんでした。それ以外の不良はありましたけど
そこの事務担当は単に私どもの図面をコピーしていたのではないのです。日付、その日に加工する担当者名、加工台数、払いだし先などをその裏面広告の図面に書き込んでいたのです。だからその図面は新聞と同じくその日限りだったのです。結果として実用的には不具合なく運用されていました。
その会社では過去に図面の改定の伝達ミスで不良を作ったそうです。どうしたらよいかを皆で考えたそうです。一般的に言えば改定版を表示して、差し替えをしっかりするというパターンになるのでしょう。しかし、作業者がそんな難しい面倒なことはできないよといったそうです。そこで事務員がどっちにしても加工台数とか納期とか払いだし先などを指示しなくてはならないから、そういったことを全部書き込んで、その代りその日限りの文書にしようと考えたそうです。そうしますと親方が紙が無駄だと言いだして、そんなら広告でもいいじゃないかということになったそうです。
これはまったくの実話です。
えーと、文書管理の要求事項ですが、
ISO14001 4.5.5項この会社の方法
a) 発行前に、適切かどうかの観点から文書を承認する。事務員が書いたのを親方が一応見ている。
b) 文書をレビューする。また、必要に応じて更新し、再承認する。その日限りなので再確認は必要ない。
c) 文書の変更の識別及び現在の改訂版の識別を確実にする。その日のもの以外は使用しないことになっている。
d) 該当する文書の適切な版が、必要なときに、必要なところで使用可能な状態にあることを確実にする。 一日前の図面は使えないのだから、なければ作業者は事務員のところに来るから問題ない。
e) 文書が読みやすく、容易に識別可能な状態であることを確実にする。読みやすいかどうか? その事務員の字は私よりは達筆だった。
f) 環境マネジメントシステムの計画及び運用のために組織が必要と決定した外部からの文書が識別され、その配布が管理されていることを確実にする。私どもの図面を使わず、ゼロックスコピーしたその会社の文書としているので該当しない。
g) 廃止文書が誤って使用されないようにする、また、これらを何らかの目的で保持する場合には、適切な識別をする。 日付で識別されている。
要するに小企業であろうと、過去の経験を踏まえてちゃんとした文書管理体制はあるのです。ただ、一見、普遍的な方法と異なるので文書管理システムがないように思えるのではないでしょうか?


ヤマダン様からお便りを頂きました(08.12.05)
山本元帥の格言の真意
かの山本五十六元帥が言ったとされる格言で、「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば人は動かじ。」などいろいろ言い方はあるようですが、「人というものは、いろいろとしてあげないと動かないよ。」というような事を述べてたと聞いています。
しかし、これは違うという説を聞いたことが有ります。それは、「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやれども人は動かじ。」というものです。
つまり、「ここまで丁寧にやって上げても、人というものは動いてくれないものだ。」という全く逆の意味になる説です。
こちらの方が、人間の本質を突いているように感じますが、
(長嶋茂雄ではありませんが、)さあ、どうでしょう?

ヤマダン様 毎度ありがとうございます。
うーん、おっしゃることは分かります。そのほうが現実には近いのかもしれません。
でもですよ・・それじゃあ、人生訓とか諦念の境地であって、人を指導する方法論ではなくなってしまいますね
それこそ、さあ、どうでしょうか?


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