ISO認証していてもそのような問題は発生する。なぜだろうか?
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北朝鮮に高精度計測器を輸出した世界的計測器メーカー、中国に無人ヘリコプター不正輸出した大手楽器メーカー、セクハラで訴えられた自動車メーカー、談合をした鋳鉄管メーカー・・・きりも限りもありません。そういう犯罪と環境測定データを捏造した会社の間に社会的評価の違いはありません。
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聞くところによると、某ISO認証機関は認定機関対応の文書は最低限制定しているが、人事管理、職務分掌などに関してはほとんど何もないと言う。それで仕事が進むなら最高ではないか。
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論理的には「ISO規格を満たしていると事故は起きない。当社では過去に事故は起きていない。ゆえに当社の方式はISO規格を満たしている」は偽である。 (A⇒B、C⇒B、よってA=Cは成り立たない。) もっともISO規格を満たせば事故が起きないということも保証されない。 |
堅苦しく考えずに、基本に立ち返って考えませんか? だってISO規格は会社のマネジメントを有効に効率的に進めるためのものです。 仰せの通りだと思います。 今から4年ぐらい前、今の職に就いてISO9001規格というものに初めて触れたときのことです。とても日本語とは思えない高尚で難解な規格要求事項を読むうちに睡魔に襲われること数え切れず。文字を目で追っても、理解できる形では一向に頭に入ってきません。 困った私は一計を案じました。身近なものに置き換えて考えるという、たいへんオーソドックスなやり方です。 そこで、寿司屋さんを想定してISO9001を考えてみることにしました。 規格の文章全てを、組織がもし寿司屋さんだったらどうしているだろうと考えてみることにしたのです。(この考え方は、後に勝手に「寿司屋理論」と名付け、内部監査員教育に大いに役立ちました。) そこで大きな発見がありました。規格要求事項の全ての項目が、頭に思い描いた街中の寿司屋さんでもすでに行っていることばかりだったのです。理解が難解といわれる「7.3 設計開発」でさえ、街中の寿司屋の大将(見下しているのではありません)は日常業務の中で立派にやってのけていることがわかりました。 教育訓練のニーズがどうとか、力量の評価がホニャリャリャだとか、そんなことは大正・昭和の時代から、寿司屋の大将は見習い相手、アルバイトの学生を相手にやっているのです。それができないと店がつぶれるのですから、できていて当たり前です。 そんな当たり前のことが、ヨーロッパから、さも最新の経営マネジメントツールであるかのごとく高尚な存在として、しかも「認証制度」というお墨付きでやってきたのですから、権威に弱い日本の企業が総カン違いするのもムリはありません。 もし、ISO認証取得に取り組む企業の担当者たちが、帰りに寿司屋に立ち寄ってあれこれ口角泡を飛ばしながら議論している様を大将が見聞きしたら、「へえ、オイラが普段やってることとどこが違うんだろ。インテリは考えることが大層でいけねぇや」なんて思うことでしょう。 「寿司屋理論」の一例をあげましょう。 「7.2.1 製品に関連する要求事項の明確化」と「7.2.2 製品に関連する要求事項のレビュー」です。 むずかしいことがたくさん書かれていますが、要は「お客の注文を間違いがないかよく聞いた上で伝票に書くこと。お品書きで品切れがある場合はちゃんと言うこと。注文の取り消しや追加があったときは、忘れずに伝票を直してすぐに厨房に伝えること」ぐらいの意味です。 「内部監査」、「是正処置」、「マネジメントレビュー」なんてものは店を閉めた後、店員を相手に大将が毎日やっていることでしょう。「おい、サブ。お前、今日、サビ抜きで注文した客とそうじゃない客と間違えて出しやがったな。あの客、怒ってたじゃねえか。何で間違うんだよ。あれほどサビ抜きの寿司は、仲居がわかるように器を変えて盛り付けしろって言ってあるじゃねえか。なんでそれができないのか理由を言え」ってな感じですね。 |
たいがぁ様 毎度含蓄あるお話ありがとうございます。 全く同意で何も語ることはありません。 結局、ISOとは何なのか? 何のために存在するのか? 我々の認識によってその位置づけは我々の上位にもなり、道具に過ぎないかも知れないということです。 たいがぁ様が以前おっしゃった「ISO規格の黒帯といっても、実務の黒帯と道場の黒帯がある。これは天と地の違いです。」という言葉から思いついたことがあります。 碁でも剣術でも天才とか達人と呼ばれた人は多々いますが、種類があるようです。 一人独学で悟りの境地に至ったタイプ、剣の道なら上泉信綱、ISOならぶらっくたいがぁ氏かと・・ 迷惑を顧みず手当たり次第に戦いを挑み、相手を傷つけ己も傷だらけになりつつも道を究めようとした、宮本武蔵タイプ、ISOなら私かと・・ そして、道場で剣の道を極めんとする吉岡一門・・ネットやリアル世界でISOを論じている人々はこのタイプが多いようです。 もう20年も前、私が現場にいたときのこと、外注で生産が上がらないとき「ああだ、こうだ」と語る人はたくさんいます。そんなとき「お前が行って指導してこい」というのが決まり文句でした。指導に行って、問題を解決できなければ、論評する資格はありません。 ISOのあるべき姿を語っている人々にはぜひとも「会社に貢献するISO」を実践してもらいましょう。 会社に貢献する審査を標榜する審査員には「会社に貢献する審査」を実践してもらいましょう。 実際にできなければ語る資格はありません。 マージャンなら上がってなんぼ、碁なら下駄をはくまで分からない。 ISOなら会社の社会的評価が上がってなんぼです。 おお!これって経済産業省の言うパフォーマンス向上しなければISO認証するなというのと同じことなのでしょうか? |
文書管理を例にあげてどの会社でも規格を満たしているように書いていますが、実際には不十分なところが多いのではないでしょうか。中小企業では規格に書いてあるようなしっかりとした文書管理体制のあるところは少ないです。 実は原文はかなり言い回しが複雑(?)で分かりにくかったので、私が意図を変えずに文章を見直しております。 |
ななし様 書き込みありがとうございます。 そうですね、しっかりした文書管理規則というものがない会社は多いでしょう。でも文書管理というルールはあるのではないですか? 昔、もう20年以上前になりますが、私が知っている中小企業の一例をあげます。 新しく取引を始めた会社に立ちあいに行きました。そこでは私どもから渡した図面をなんと!毎日の新聞広告の片面が白い紙を取っておき、それにゼロックスコピーをして現場に渡していました。作業者はその裏面(表面?)がパチンコ屋とか夕食のおかずの広告の紙にプリントされた図面で仕事していました。 さすがの私も驚いて、こりゃあだめだろうと思ったのです。 しかし、図面管理のミスによる不良はありませんでした。それ以外の不良はありましたけど そこの事務担当は単に私どもの図面をコピーしていたのではないのです。日付、その日に加工する担当者名、加工台数、払いだし先などをその裏面広告の図面に書き込んでいたのです。だからその図面は新聞と同じくその日限りだったのです。結果として実用的には不具合なく運用されていました。 その会社では過去に図面の改定の伝達ミスで不良を作ったそうです。どうしたらよいかを皆で考えたそうです。一般的に言えば改定版を表示して、差し替えをしっかりするというパターンになるのでしょう。しかし、作業者がそんな難しい面倒なことはできないよといったそうです。そこで事務員がどっちにしても加工台数とか納期とか払いだし先などを指示しなくてはならないから、そういったことを全部書き込んで、その代りその日限りの文書にしようと考えたそうです。そうしますと親方が紙が無駄だと言いだして、そんなら広告でもいいじゃないかということになったそうです。 これはまったくの実話です。 えーと、文書管理の要求事項ですが、
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山本元帥の格言の真意 かの山本五十六元帥が言ったとされる格言で、「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば人は動かじ。」などいろいろ言い方はあるようですが、「人というものは、いろいろとしてあげないと動かないよ。」というような事を述べてたと聞いています。 しかし、これは違うという説を聞いたことが有ります。それは、「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやれども人は動かじ。」というものです。 つまり、「ここまで丁寧にやって上げても、人というものは動いてくれないものだ。」という全く逆の意味になる説です。 こちらの方が、人間の本質を突いているように感じますが、 (長嶋茂雄ではありませんが、)さあ、どうでしょう? |
ヤマダン様 毎度ありがとうございます。 うーん、おっしゃることは分かります。そのほうが現実には近いのかもしれません。 でもですよ・・それじゃあ、人生訓とか諦念の境地であって、人を指導する方法論ではなくなってしまいますね それこそ、さあ、どうでしょうか? |