ISOは経営のツールである 08.12.14

「ISOは経営のツールである」と語る認証機関、コンサルタント、審査員研修機関、それに一般人もたくさんいる。ISOは経営のツールであるのか? 本日はそんなことを考える。
考えるといっても、私の場合は論理を積み重ねるのではなく、頭に浮かぶことを書き連ねるだけだ。なにせ私の頭の中はDO(溶存酸素)がゼロに近い嫌気性らしく、メタンガスや硫化水素そしてそれ以上に危険でおかしな考えがブツブツと沸き出してくる。もし酸素が十分あれば頭の中の汚物がすべて酸化分解されて、澄んだ考えになるのだろうか?

経営のツールとはなんだろうか?
考えるまでもなく「経営 + ツール」でググルとたくさん出てくる。
検索結果トップにくるのはSNS、さてSNSとはなんだろうか? Social Networking ServiceといってMIXIのようなものを意味することもあるし、原子力潜水艦もある おっとこれはSSNであった  
その他、検索結果に並ぶのは、ISO9000、財務とか会計に関すること、経営支援ツールという本、経営のロールプレイ指導、バランススコアカード、日本経営品質賞、人事政策、懐かしい小集団活動も出てくる。
まあ、いろいろあるものだ。
経営ツールといってもいったいどんなものか?正確な意味は分からないが、現場に近いものから社長室で扱われるようなものまであるようだ。
そもそも経営に役立つといっても、経営の定義がまた難しく、企業活動全般ともいえるだろうし、社長をはじめとする経営トップが行う行為ともおもえる。企業全体と考えれば小集団もTPM も3Sも経営に役に立つツールだろうし、社長室の中に限定すれば、ロールプレイ演習とか経営指標の見方などをいうのかもしれない。
ところで日本経営品質賞というのは企業経営の評価ツールというより評価結果であって、賞そのものが経営に役立つツールとは思えない。
いや、待てよ、受賞が企業イメージを向上させ、その結果売上げを上げることにつながれば、経営全体から見て役立つツールであることは間違いない。でも経営品質賞が経営に役立つツールと語っている人はそのような営業的な考えではなく、受賞を目指せば会社はよくなるという大昔のデミング賞を目指した活動のイメージで語っているようにも思える。
ともかくいろいろな見方があり、いずれかの見方では存在するすべてのものが経営に役立つと言えそうだ。よってISO9001にせよ、ISO14001にせよ経営に役立つと言っても間違いではないのだろう。定かでないのは企業経営のどのレベルに役立つのか? あるいは日本経営品質賞のように企業の評価ツールなのであろうかということである。

ところでISO9001:1987は経営に役立つと称していたのか?と振り返れば、私の知る限り発祥したときはそのような大言壮語は語っていなかったと思う。
そもそもISO9001は品質保証規格であり、顧客が供給者に対して(本来の意味の)品質保証として行なうべきことを示したものであった。品質を確認するための計測器は国家標準とトレースがとれること、出荷検査の記録はちゃんと残すこと、文書管理をしっかりすることなどなど・・はお客様に提供する製品の(本来の意味の)品質保証そのものであったわけだ。
「(本来の意味の)品質保証」と表記するのは、多くの人が品質保証の意味を勘違いしているからである。
いずれにしても1987年時点、計測器は国家標準とトレースできること、出荷検査の記録はちゃんと残すこと、文書管理をしっかりすることなどを定めたISO9001を経営ツールと考えた人はいなかったのではないかと思う。当時、日○技○などは小集団活動の延長上にISO9001を位置づけていた。それを揶揄した外資系の審査機関もあった。もっとも多くの方々は20年も前のことは忘れてしまっただろう。
年寄りは最近のことは物忘れするのだが、昔のことは忘れないのだ。 

本来ISO9001は外部品質保証の規格であった。それは同時に内部品質保証にも使えたが、内部品質保証が初めの目的であったわけではない。その理由は経営者なら内部品質保証を要求するのではなく、自らが構築することは自明ではないだろうか? 私は顧客から品質保証を求められたが、経営者から品質保証を求められたことはない。
変化しないものはないということのみが世の中で絶対に変化しない真理らしく、ISO規格に対しての認識はドンドン変わってきた。ISO9001認証がはやりだしてすぐにISO認証は外部のためと内部のためがあり、本当は会社を改善する内部のために用いるべきであるという思想がでてきた。
この内部のためとは内部品質保証ではなく、企業の改善という意味である。
それが ISO9001の本来の姿、あるべき姿であるというのだ。
その時点で、関係者は「それは真であるか?」ということを検証すべきであったのだ。
しかしだれもそんなことを考えなかったようだ。
客先から要求されて行うことより、自発的に行うことの方が質が高いと考えたのだろうか?
あるいはISO9001が現れた1980年代末にそんなもの不要だと言った自信あふれていた時期と違い、バブルがはじけた90年半ばには、日本の従来の経営改善ツールより欧州のISO9001が素晴らしいと思ったのかもしれない。

「ISO9001が品質保証とは昔のことだ。ISO9001:2000になって品質保証から品質マネジメントの規格になり2008年で更にパワーアップしたのだ」という反論を予想する。
本当にそうなのか?
そうかどうか規格を読めばいいじゃないか。
ISO9001:2008を読んでこれは経営の規格だ!経営のツールだと考える人がいかほどいるだろうか?
そりゃたくさんいることは事実だろうが 
しかし私は経営とは、社会に貢献するという企業設立の目的を実現ことだと考えている。ISO規格をどう読んでも、経営の規格であるとかマネジメントの規格には思えない。せいぜいが管理の規格・オペレーションコントロールの規格なのである。ISO9001:1987にしてもISO9001:2008にしても管理の規格なのである。経営ではなく運用管理レベルにおいて、いかに効率的にミスなく遂行するかという観点においてISO規格価値がある。

ISOは経営のツールであると同じことであるが、「会社を良くするためにISO9001に取り組みました」「経営改革を目指してISO認証しました」そういう言い回しを良く聞く。
そういう言葉を聞くと、私は非常に違和感を持つ。いや、本当を言えば間違っているのではないかと考える。私はISO9001をそうとらえても犯罪だとは言わないが、やはりおかしい。
ISO規格は企業経営に役に立つ、でもマネジメントそのものではなく管理レベルのものであるし、万能ではない。ISO規格は企業経営という戦場において担当できる守備範囲は極めて狭いのである。
私が女だと自称しても女になるわけがない。マネジメントシステムの規格と自称したとしても、マネジメントシステムの規格になるわけではない。あるいはマネジメントシステムの規格ではあるのだが、マネジメントの規格ではないということでしょう。
「業務改善のためにISO9001に取り組みました」「業務の質向上を目指してISO認証しました」そう言うのが正しいのではないだろうか?

最後に経営ツールと語る人に聞きたい。
なぜそのツールを使って、QMSの認証件数を増やさないのですか?
ISO9001が経営の規格であるならきっとそれは可能でしょう。
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