JAB/ISO9001公開討論会 08.06.19
日本規格協会の出版している本は高いなんていつも文句を言っている私である。とはいえ、私はそこが発行している月刊誌「標準化ジャーナル」の愛読者でもある。特に面白い雑誌ではないが、ISO規格やJIS規格の制定状況や、規格関連の本のカタログとして重宝していた。もっとも現在ではインターネットが発達してきたので検索するとすぐに規格の検討状況や発行状況がわかり、この本ばかりが情報源ではなくなってきた。値段から考えて止めようと思っている。
ところでISOの志士、ぶらっくたいがぁさんが日本規格協会の「標準化と品質管理」の今月号(Vol.61 No.7 08/06/15発売)に面白い記事があるよと教えてくれた。さすがにこの本まで手を広げて購読していなかったので、つてをたどって購読している人に見せてもらった。

記事はいささか旧聞であるが、今年3月17日に開催された「JAB/ISO9001公開討論会」の内容である。
品質ISOだけでなく環境ISO大会には知り合いから無料の招待券などをいただいて聴講したこともあるが、何分参加するだけで1万円も取られるので自腹では躊躇してしまう。

さてたいがぁ氏が面白いというので何が?どんなに面白いのかと期待して本を開いた。
発表は多々あったのだろうが、おもな記事は日本適合性認定協会(JAB)の井口専務理事とISOの大御所飯塚教授、そして日本規格協会の加藤さんのお話である。
以下、その順にコメントする。

井口さんの語っていることはまともなことだと思います。そりゃ日本のISO認証制度の元締めですから、第3者認証スキームの信頼性をなんとしても回復し、今後の興隆を図ろうとしているのは重々わかります。
しかし不思議なことはなぜこれほど手を打つのが遅れに遅れたのかということです。せめてもう少し早く審査の厳正化を図っておれば起死回生の手になったかもしれませんが、今となっては既に証文の出し遅れ、バットの振り遅れのような気がします。

飯塚先生のいうことも本旨においては間違いではないと思います。ただなんで今頃という疑問はこれまた当然です。
ところでこの先生、ISOの定義の理解など規格の専門家ではないということがミエミエです。
品質保証とか広義の品質管理(QM)を理解しているのか、いささかというか大いに疑問です。なかなかいいことを書いているわいと読んでいると、突然ずっこけるので目が離せません。 
「品質保証とはお客様に安心していただける製品サービスを提供するためのすべての活動ではない」といい、「品質保証とは国際的にはこのように認識されている」というのです。これを読むと、素人相手に説明しているというわけではないし、ご自身がご理解されていないのかなと思ってしまいます。そんなところがあちこちに見えます。
私の文章の意図を読み取れなかった人がいるようで、補足する。(08.07.05)
「品質保証とはお客様に安心していただける製品サービスを提供するためのすべての活動ではない」というのはまったくまっとうな文章です。
しかし「品質保証とは国際的にはこのように認識されている」というのはどうでしょうか?
飯塚先生は「国際的に認識されている」ということを根拠に主張するのでしょうか?
「国内的に認識されていなかった」のでしょうか?
これは新しいアイデアなのでしょうか?
全部間違いです。
品質保証ってISO9000:2005では「品質要求事項が満たされるという確信を与えることに合わせた品質マネジメントの一部」となっています。
表現は多少違いますがISO9001:1987の時代から「製品又はサービスが、所与の品質要求を満たしていることの妥当な信頼感を与えるために必要なすべての計画的及び体系的活動」となっています。
誰が何をどう考えようと関係ありません。私たちはISOという土俵の上で相撲を取っているのですから、相撲のルールを守ることが必要です。
私は、飯塚先生はそういった基礎的なこと、いや定義さえ知らないのか!と驚きます。
より本音を言えば、そのようなことさえ知らないなら、ISOなどに関わって欲しくありません。
このような余分な説明文を書いては私のスタイルが失われてしまうのだが
第3者認証の顧客とは誰か?なんても書いています。しかしそんなこといまさら考えることはありません。顧客の代理人である認証機関の経営者というのが当たり前の事実なんですから。それを理解しない審査機関や審査員がいたからと言って、それに合わせて考えなおすなんて必要はないのです。現在はなくなってしまいましたが、ISO10011-1:1990の3.4client d)で「品質システムを登録するための独立機関」がクライアントと定義されています。何をいまさらですね
真の顧客も知らんで審査をしちゃいかんと断罪すればよいことです。

加藤さんの文!いやあ苦渋に満ちたという感じで読ませていただきました。
先ほどの飯塚先生も「第3者認証というビジネスモデルには審査の質が低下するような構造になっているのではないか」と語っておりましたが、加藤さんも言葉は違いますが、底にあるのは同じとお見受けしました。
しかしそう断定できないお立場であるので辛い。ISO認証する企業の分類をされて、これが正しいあり方、これは正しくないあり方とご論評されています。でもそんなことは企業にとってはどうでもいい話でありまして、余計なお世話でしょう。言い方変えれば審査機関(認証機関)がドシっと構えて不動心で審査を行えば良いだけのことではないでしょうか?
結局、「第3者認証というビジネスそのものが不安定なのだ」ということなのでしょう。
しかしエライサンを集めてワーキンググループを作り時間をかけて議論した結果が、私が過去にネットに書いていると全く同じことであります。
ひょっとして私のウェブを参考にしているのでしょうか?
提言1の情報公開は私の所見報告書公開、提言2は私の審査機関格付け、そのまんまです。私はこれらを昨年11月以前に書いており、JAB/ISO9001公開討論会があった今年3月よりはるかに早い時期であり、私が盗作していることは絶対にありません。
いやこのワーキンググループの報告が私の駄文と酷似し、かつ時間的な関係をみると、ワーキンググループが私の意見を参考にしたとまでは言わないが、たぶんメンバーの中にこのウェブサイトをご覧になった方がいて、私の意見にご賛同いただいたのであろう。
万が一 強気だな  どなたもこのウェブサイトをご覧にならず、あるいはご訪問されても一顧だにしなかったとしても、これほどの日本のISOの英知がメンバーとなったWGの検討結果が私と同意見とは心強い。私のような学のない素人がひとりでひねりだしたアイデアをワーキンググループが追認してくれたということでしょう。
あるいは、私のような市井の庶民が一人で考えても結論は見えていたということだろう。
このような手を打てば、きっとISO規格の第3者認証スキームは力強くよみがえるだろうか?
実を言って、ぶらっくたいがぁ氏と私が意見を交換した結果では、ISO認証制度はよみがえらないだろうという結論となった。理由は簡単。既に時期を逸しているということだ。今から5年前、負のスパイラルが報告された2003年頃に対策していれば効果はあっただろう。しかしその後、単にISO認証の形骸化だけが問題ではなく、実質的な品質問題が頻発し、また偽証、偽装問題が相次いだ。
そしてその結果、行政は第3者認証に見切りをつけたというか、愛想を尽かしISO離れしているのが事実である。
愛想を尽かし ⇒ ISOを尽かし?
国土交通省
1999年 積極的ISO9001認証を要請 ⇒ 2004年 ISO9001を入札条件から除外
東京都
2000年 ISO9001認証企業の試行 ⇒ その後、認証の有無を入札条件にせず
経済産業省
2007年「公害防止に係る環境管理に関する報告書」でISOの効果を認めていない。
行政の動きはすぐに民間に伝染し、建設業界は認証返上が多発している。なにしろ入札のためのISOなら、入札に役に立たないなら返上は当然である。
もっともその5年間、審査機関、コンサルは甘い汁を吸ったと思えば文句も言えまい。

そういうことを考えると、IAFが動く前にJABやJACBが自発的に改善に努めるべきだったはずだ。しかし認証機関の中には負のスパイラルは企業の責任などと問題を理解せず具体策を打たないところもあったのだから、戦(いくさ)に負けるのは必然である。
いや、そんな組織的、国家レベルの動きを待つまでもなく、個々の認証機関、あるいは審査員個人が己を律して行動すれば負のスパイラルそのものが解消されたのではないだろうか?
過去、審査の問題、判定の問題、手抜き審査などがいろいろなところで語られていた。そういうこと、つまり顧客満足を一顧だにしない企業が存続できるはずがない。
「革命家はまず己を改革しなければならない」という英語のことわざがあるが、品質マネジメントシステムの審査を行いますとか、顧客満足を見ますと語るなら、まず己が品質システムを確立し顧客満足を実現しなければならないだろう。
認証機関が顧客満足を実現していると信じているのだろうか?
例えば営業部門は信頼できる業務の質を確保しているのだろうか? 私は過去にそれも問題提起している

なぜ彼らは早く手を打たなかったのだろうか?
認証機関の知り合いの営業マンは2年も前に「認証件数が減ると予想されているのです」と語っていたのだから、認証機関(とJACB)はとうに先行きを把握したはずだ。一般の事業において、市場規模がシュリンクすることが分かっていれば、座して死を待つ企業はなかろう。もちろん弱小認証機関の中には事業を他に移管して撤退したところはある。

とまれ、ISO第3者認証スキームはどうなるのだろうか? 私も縁が切れそうないからじっくりと拝見したい。
しかし、WG報告の最後にあったが、ISO第3者認証スキームの価値と、ISO規格を活用することは別であると語って、そういう道への期待をにじませているように思えたのは私だけであろうか?
もし、それが本音なら、WGも第3者認証スキームに見切りをつけたのかもしれない。
おっとそういう道についても私は既に論じており、ぜひ参考にしていただきたい。

ともかく、この「うそ800」の意見が、権威ある人々に先んじていたとはうれしいことだ。
私はISOの預言者ではなく予言者であったのか?
ただ懸念は、タイトルを「うそ800」でなく、「まじめ9001」と改名しなければならないかもしれないことだ。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.06.21)
井口理事の言うことはもっともだというのは、僭越ながら同感です。
しかし、「なぜこれほど手を打つのが遅れに遅れたのか」については私は少し違う見方をしております。
「遅れた」のではなく、今まで「できなかった」(もっと勘ぐると「やりたくなかった」)ところへもって取得企業の不祥事が相次ぎ、審査制度の信頼性が揺らぎ始めたために重い腰をあげざるをえなかったというのが真相だと思います。
そもそも審査で有効性を見るのは当たり前であり、いまさら声高らかに宣言するのはおかしな話です。ISO9001の8.5.1には「品質マネジメントシステムの有効性を継続的に改善すること」、ISO14001の4.1には有効性の文言はないものの「・・環境マネジメントシステムを確立し、(中略)継続的に改善し、」とあります。
ところが審査員と審査機関にはその能力がなかった。あるいはやりたくなかった。適合性を見ることに比べれば、有効性を見ることはハードルが高く、手間ヒマもかかります。
そのできもしない、やりたくもないことを、背に腹は換えられぬとばかりにJABは2007年4月の通知で宣言したわけですが、では具体的に何をどうやって実現するのかについては1年以上経った今でもサッパリわかりません。
組織にプロセスアプローチを説く審査側が、具体的なプロセスを示すこともなく、ただ通知(ただの願望)を出してオシマイではお粗末以外の何物でもありません。
唯一の認定機関としての責任を果たすのであれば、まずは次のことを速やかに実践するべきであろうと思います。
・適合性審査しか行ってこなかったことの反省
・有効性審査によって市場の信頼を得ることの具体的プロセス

ぶらっくたいがぁ様 いつもご指導ありがとうございます。
仰せのとおりと思います。
真正面の議論からはずしますが、いったい全体、ISO第三者認証のご本人である認定機関や認証機関あるいは審査員より、我々企業に身を置く者の方が真剣に考えて議論しているような気がするのは私だけでしょうか?
そりゃ当事者も考えているのかもしれませんが、たいがぁ様のおっしゃるように、ただ通知(ただの願望)を出してオシマイではお粗末以外の何物でもありません。
会社では毎日が問題の連続です。
問題と言ってもトラブルではありません。課題と言ったほうが良いでしょうか?
課題を前に腕組みしてなにもしないで放っておけば間違いなく売り上げは落ち、シエアは落ち、生産性は落ちるでしょう。そして最終的に社員なら会社から、企業なら市場から排除されてしまいます。だから現状を維持するだけでも企業人は必死に努力し、成果を出そうとしています。
第三者認証制度に関わっている人々は、どうもこの非情な自然界の掟をご存じないようです。ご存じなくても努力なきものは裁きを受けて社会から排除されるというだけのことかもしれません。




ISO9001とは何なのか? 08.06.21

前回の続きである。
JABの大会の基調講演で、我が尊敬する飯塚先生はISO9001は『1994年版までは「品質保証」でしたが、2000年版では品質保証に「顧客満足」と「QMS(品質マネジメントシステム)の有効性改善」という薄皮2枚を加えたモデルになりました』とのたまっている。
私が飯塚先生を尊敬しているか否かは、私の囲碁の段位と同じく国家機密である。
大昔、今の福田首相の親父さんは囲碁八段の免状を持っていたが、実力は国家機密と言っていた。
ISO9001が2000年版になって、品質保証規格から品質マネジメントシステムの規格になったと語る人は多い。当時、成長した、脱皮したと褒めたたえた人もいた。実を言ってこのような論調が大勢を占めていたと記憶している。
そして飯塚先生のようにほんの少し加わったのよと語る人もいらっしゃる。規格改定時の説明会でISOの重鎮 加藤重信さんも同じことを語ったことを覚えている。私は2000年改定の審査員の追加研修をLMJで受けたが、その時の講師であった三代さんも品質保証に過ぎないと語っていたのを覚えている。
では、上記ふたつの論のいずれが正しいのだろうか?
何事も疑ってかかる私は今一度、ISO9001:2000年版がなんなのか?考えてみたいと思う。
今年2008年、ISO9001が三度(みたび)改定されることになり、今までの移り変わりを考えることは無駄ではないと思う。
と言っても、私の考えでは休むに似たりであることも間違いなさそうである。

飯塚先生は
(ISO9001:1994)+(顧客満足)+(QMSの有効性改善)=(ISO9001:2000)
という式を提示している。
これをその通りと思う方、手を挙げてほしい。
何割くらいいらっしゃるのだろうか?
インターネットだから、あげられた手を数えることはできないが、まあ4割5割だろうと推定する。

手を上げないその他の方はどんなお考えだろうか?
想像であるが
(ISO9001:1994)<(ISO9001:2000)
もはや品質保証ではない、マネジメントシステム規格なのだ!という方は2・3割いらっしゃるだろう。
あるいは
(ISO9001:1994)≒(ISO9001:2000)
ほとんど何も変わっていないという方も2・3割いらっしゃるだろう。
まあ、どう考えてもだれに迷惑をかけるわけでもない。考えることは自由だ。

しかし、私は
(ISO9001:1994)+(顧客満足)+(QMSの有効性改善)−(品質保証の基本)=(ISO9001:2000)
という認識です。
あっつ、私の意図がわかっちゃいましたか?
ISO認証が大流行した94年頃から認証企業やその顧客が「ISO認証しても品質が上がらない」という声が出始め、そしてISO14001がマネジメントシステムと標榜したために、あわてて顧客満足やマネジメントシステムなんてものを規格に取り込んでみたものの、その時に87年版の品質保証というもっとも重要な9001のコアが漏れてしまった、あるいは入りきれずに押し出されてしまったのではないだろうか?
それは文言だけでなく、人々の意識もそう変わってしまったと考える。審査において審査員が理解もしていないマネジメントを審査しようと思ったところでそんなこと元々無理であったし、審査において最重要であった品質保証のチェックが重心からはずれてしまったのではないかというのが私の仮説である。

つまり、飯塚先生の語る『1994年版までは「品質保証」でしたが、2000年版では品質保証に「顧客満足」と「QMS(品質マネジメントシステム)の有効性改善」という薄皮2枚を加えたモデルになりました』ではなく
『1994年版までは「品質保証」でしたが、2000年版では「顧客満足」と「QMS(品質マネジメントシステム)の有効性改善」という考えを取り入れたとき、品質保証が漏れてしまったのです』ではないのだろうかというのが私の考えである。

では、2008年改定はISOを救うか? ISO認証の価値をあげるか? なんて私なんぞ想像もつかない。しかし、世の中の人々は、その会社のマネジメントシステムが良いかなんてことに関心はない。
人々は良い品質の製品を期待しているのだ。
もちろん、システム認証は良い品質の製品を保証することはできないのは当然である。
しかし、良い製品を作るための仕組みであるかをチェックして社会に対して表明することはできるだろう。それは外部品質保証の定義そのものだ。
それこそがISO9001の存在意義であり、第三者認証の価値ではないのだろうか?
一般社会がISOの定義による品質保証を求めているのに、ISO9001が提供するのは会社のための品質マネジメントシステムであるというなら、すれ違いである。
顧客が求めるものを提供しないのは、顧客満足と正反対ではないのかしら?

品質だけではない。環境のISO14001だって他人ごとと言ってはいられない。
今 エクセレントEMSなんて語る人は多い。改善を考えることは大変良いことです。しかし今何が問題になっているのか? 社会は何を求めているのか? を把握しないと単なる思いこみ、ひとりよがりである。
今社会が要求しているのは、第一義として法違反をしないことと事故を起こさないことである。そんな基本を知らない方はISO14001に関わってはいけません 
その社会の要求を満たすために会社は環境マネジメントシステムを作るという因果関係を忘れてはいけない。そして環境マネジメントシステムの継続的改善というのは更に下位のことになる。
私がISO14001を改定できるなら、法に関わる4.3.2、4.4.6、4.5.2の強化である。そして是正処置には遵法に関わる文言を追加したい。
そんなのエクセレントEMSじゃないといわれても構わない。役に立たないものに値打ちはなく、有効なものなら価値がある。形より実質、み目より心である。
そしてもちろん、良い規格だけで良い品質や良い環境が実現されるわけではない。ISO規格を形だけか、機能させるかは運用にかかっている。
その運用、つまり有効性を見るのが第三者審査ではないのかな?


名古屋鶏様からお便りを頂きました(08.06.21)
「社会の要求を満たすために会社は環境マネジメントシステムを作る」
まさにその通りだと思います。
従って、システムの全て(環境側面、環境目的・目標等)はその「社会のニーズを満たす」という視点から始めなくてはなりません。ホントは。
お客様からお足を戴くのですから、お客様の要求するものを提供する。ビジネスとして当然ですよね。キャベツを買いに来たお客にトマトを押し売りする八百屋なんぞありゃせんのです。

「構内の芝生に撒く(MSDSに無害と書いてある)除草剤は著しい環境側面だ!」と、ほざきやがっ・・じゃなくて、仰った某審査員に佐為様の言葉を読み聞かせてやりたいものです。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
第三者認証というのはなんなのか? 改めて考える必要があります。
そんなこと大学の先生ひとりとか、JABとかJACBが決めることではありません。私たち、社会一般の人々が決めれば良いこと、というか私たちが決定することです。
なにせ、第三者認証とはデジュリスタンダードではなく、デファクトスタンダードにすぎませんから。
../man2.gif 第三者認証とはなんなのでしょうか?
 ・認定機関や認証機関を食べさせるためのもの
 ・会社のためのもの
 ・社会のためのもの
 ・コンサルを食べさせるもの
 ・ISO事務局の失業を防ぐもの
さあて? どれなんでしょう?

「構内の芝生に撒く(MSDSに無害と書いてある)除草剤は著しい環境側面だ!」と、ほざきやがっ・・じゃなくて、仰った某審査員には、「審査員が著しく企業活動を妨げる環境側面である」と申し上げるというのはいかがでしょうか?


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