環境審査 レッスン12 2006.08.18
えー、私は商売がISOに関わっておりますので、毎月それに関係する本を読んでないと時代に遅れてしまうのではないかと恐怖を感じております。というわけで安くもないISO規格の月刊誌のふたつやみっつ、そのほか毎月数冊はISOと銘打った本を買っては読んでおります。
もちろん、どんなお仕事でも、常日頃関係する本や業界紙あるいは業界誌を読んでいないと話題にも付いていけなくなるでしょう。
本当を言えば、そんな雑音とかゆらぎに惑わされることもないのです。でもいろいろな本を読んであら(欠点)を探すのもまた楽しいということもあるのです。 
そんなわけでいつもISO業界誌を読んでおりますが、最近「そんなことはないだろう!」という驚いた記事がありましたので本日はそれについて一言

少し長いが以下引用する。
「内部監査に不適合が検出されない場合の審査」ですが、これは「不適合がない」という会社が多いからです。従来、審査員は「(内部監査による指摘が)なかったのですね」「ないなら体制はいいですね」
といって次に話題を移していた。大抵そのようにやっていたと思います。ところがこれを見たJABの認定審査員から不適合が出されました。というのはISO19011の少なくとも審査員の力量に着眼点をおき、質問していないという理由からです。 JABからの不適合に対して、審査機関はなんと回答すると思いますか?証拠の議事録などつけて「本件については、いついつの審査員会議で徹底しました」と答えます。そうしますとJABから「貴機関は、創立以来何年間も、このような審査でやってこられたのではありませんか?」といわれ、疑われると受け取ってくれません。ですから審査機関はどのような回答書を出すべきか苦慮しています。
また企業側でも同じようなことをやっています。私も先週、環境の内部監査に付き合いましたが、不適合が出ないのです。当たり前と思っているのですね。それを審査した審査機関も当たり前と思って指摘しません。この原因はやはり監査、審査をする人の力量に問題があるのではないかと思います。ですから内部監査では不適合を出すことが重要になります。またそれを見つけることができる要員を養成すべきです。」

「最近のJAB立会い審査指摘事項に関連した審査、内部監査のあり方」(アイソムズ 2006年8月号)
JAB(日本適合性認定協会)は審査機関の審査を抜き取りして、審査機関がISO規格、JABコードに則って審査をしているかを確認するために認定審査というのを行います。
あなたの会社にも審査員のほかに審査員を審査するJABの認定審査員が来たことがありませんか?
非常に興味深い論理である。いや非常におかしな論理であるといった方が話が早い。

その一
内部監査で不適合を見つけないことが『おかしなこと』であり、審査において内部監査の項目で問題を見つけないことが『おかしなこと』であるのだろうか?
quest.gif 「監査とは不適合を見つけることではなく、適合を確認することである」というのが監査の基本。適合であるか否か判断することが監査員・審査員の役目であって、問題のないところで必死に不具合を見つけようすることが監査・審査ではない。
審査機関が確認しなければならないことは、「内部監査が有効であるか否か」であって、「内部監査で不適合を見つけているかいないか」ではない。
同じ意味で、内部監査計画、プログラム、チェックリスト、内部監査員の認定、それらがISO規格を満たしているか、会社の規則通りであるかをチェックしても実は意味がないのである。
そしてまた、内部監査で不適合を検出していないから問題ないとか、内部監査で不適合を検出しているから問題ないということではない。
内部監査が機能しているか否かを確認するということは、審査において検出した不適合・適合を内部監査でも検出しているか否かを確認することであり、内部監査が機能しているか否かの確認することではないのですか?
認定審査においてどうこう言われようと「審査において検出した不適合・適合と、内部監査において検出した不適合・適合が一致しているので、内部監査は有効であり規格要求に適合していると判断できる」と反論すればよいのではないですか?
同様に、JABの認定審査員は、審査において不適合があるかないかではなく、認定審査員が検出した適合・不適合を審査員が検出しているかを確認することではないのでしょうか?
力量とはなにか?ということを以前語ったが、力量があるかないかを判定するのは非常に困難である。教育を受けたとか、有資格者だとか、経験の有無などとは無関係である。力量を確認する最善で唯一の方法は、実務において間違いなく業務を遂行しているかを確認することであり、それしか力量があるか否かを判定することはできない。
それは「内部監査が適切であるか否か」であり「内部監査で不適合を出したか否か」ではない。
「内部監査で不適合を検出していれば、審査のときまで不適合があるはずがない」という理屈もある。
そのとおり
でも当然トレースすればその判断が適切であるか否かはわかるはず

そのニ
審査機関は日常たくさんの会社・工場を審査していて、さまざまな不適合を見つけていることでしょう。そのような会社から
「本件については、いついつの会議で間違えないように周知徹底しました」というような是正(?)計画書の提出を受けたとして、是正が適正であると判断して受領するのでしょうか?
まさか、審査機関はそのような是正処置を受け取らないでしょうね 
「気をつけろといいました」というようなものが是正処置であるはずがない。
「教育しました」といっても是正処置とはいえない。その結果、力量を持ったのか否かが要点である。そしてその教育は一過性ではなく制度化され以降の問題発生を防ぐことを保証できなくてはならない。
アッツ、釈迦に説法でしたね
同様に、審査機関が「審査員会議で徹底しました」という是正処置(?)を提出して、JABが受け取るはずがないでしょう。
仮に認定審査員が見つけた不適合を審査員が見つけることができなかったなら、審査機関は審査員に対して、教育訓練を含めていかなる対策を行うか検討し、計画し、実施して、その有効性を確認しなければ是正処置にはならないでしょう。
それとも審査機関とは是正処置の理屈も手順も知らないのでしょうか? まさかそれで審査しているとは・・・
いやいや、この文章を書かれた方が勘違いしているに違いありません。日本の審査機関はそのような稚拙な是正処置(?)なんてしてませんよね。

その三
「原因はやはり監査、審査をする人の力量に問題があるのではないかと思います。ですから内部監査では不適合を出すことが重要になります。」
この文章を読んでおかしいと感じない人はオカシイです。
まず論理的に前の文章と、後の文章はつながっていません。
仮に「監査、審査する人の力量に問題がある」ことが真だとしましょう。
☆☆「内部監査では不適合を出すこと」が力量を立証するのでしょうか?
☆☆力量があれば「内部監査で不適合を出す」のでしょうか?
☆☆不適合を出すことがなぜ重要なのでしょうか?
私はどれも正しいとは思えません。
「原因はやはり監査、審査をする人の力量に問題があるのではないかと思います。ですから内部監査員は力量を持つことが重要になります。」
とするべきではないのだろうか?
あるいは、どうしても不適合を出すのにこだわるのなら
「原因はやはり監査、審査をする人の力量に問題があるのではないかと思います。ですから内部監査において不適合があるのならそれを見つけて不適合を出せなくてはなりません。」

人をあげつらうだけでは生産的ではない。私のことを語る。
私は監査に行く前にその会社の内部監査報告書を見る。内部監査報告書を見るだけでその組織のレベル、成熟度というものがわかる。そして多くの場合、内部監査報告書を見ただけで内部監査に不適合や改善項目がないということはまずない。
そういう意味では「内部監査で不適合を出せない審査員は力量がない」のは間違いない。
誤解なきよう。
私は「内部監査で問題を見つけることが重要だ」と考えているのではない。わざわざ欠点を見つけようなどとしなくても「内部監査で問題を検出する」ということに過ぎない。
もちろん、私は内部監査において不適合がないことを確認することもある。

この記事はA4サイズで3ページものであるが、突っ込みどころはこのほかに多々あった。 
まずこの記事の冒頭に「負のスパイラルは受審企業の責任である」と語っておられる。私の論と正反対である。 興味がある方はぜひご一読、ご検討願います。
本屋で売っていなくても、大きな図書館では閲覧できます。



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問題あればご連絡願います。

そしてもちろん、反論は甘んじてお受けしますし、
反論が間違っていると判断すれば大いに議論するところであります。

まさか公の議論において名誉毀損と訴訟を起こす方はいないと思います。



2006.12.31追加
「アイソムズ」誌は2006年12月号をもって休刊となった。
休刊とは敗戦を終戦というような婉曲話法であって、終刊、廃刊であろう。
この拙文がそのトリガになったわけではあるまい。
ISO規格関連の雑誌は3つあったが、その内容がほとんど類似であり、内容も審査機関、認定機関のお偉方のお話と、審査登録しましたという喜びの声を除くとなにもないというのが実態である。そしてページ数の3分の1は公告である。
口の悪い人はアイソムズを中野のコミュニティ誌なんて言ってた人もいた。
中野とは出版している会社の所在地である。
ISO規格とはなにかが知れ渡り、形だけのQMS、EMSを脱する時代にはこのような雑誌は不要なのかもしれない。
それどころか審査機関も、審査員研修機関も、認定機関も、審査員も、ISOコンサルも不要になるのかもしれない。
ISO規格に価値があり、規格に適合したシステムに価値があるのは間違いないが、己のシステムに確信があれば、わざわざシステムが規格適合であることを確認してもらうことには価値がないのかもしれない。
さて、次はどんな変化がおきるのだろうか?

楽しみである




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