審査機関格付け 2007.11.03

私のようにボランティアでISO認証の指導をしている人が数人集まって雑談していた。
世の中には物好きがいるもので、金ももらわずISOの指導なんかをしている人々がいるのである。コンサルタントを生業(なりわい)としている人々、つまりプロコンサルに対してアマコンサルあるいはボランティアコンサルと言うべきだろうか?
プロのコンサルから見たら我々アマコンサルはコスト無視の競争相手、言語道断の商売がたき、根絶やしにしたい天敵と思っていることだろう。
ところでプロ野球は草野球より上手いのは当然だが、ISOコンサルはプロが必ずしもアマより上とは限らない・・・と思っている。もちろんアマが必ずしもプロより上とも限らないが。
アマにせよプロにせよコンサルがシステム構築なんてできるはずがない。システム構築できるのは経営者だけである。コンサルができるのはISO認証支援だけである。

さて話は審査員の力量不足を嘆くことに流れてきたのだが、仲間の一人が「審査員の力量不足を嘆くのは間違いだ。審査機関の力量不足が問題じゃないか」という。
いやあ、これは至言です。そうです、マネジメントシステムが個人の力量ではなく、人が変わっても組織がちゃんと業務を継続して遂行することを求めているのですから。審査という業務においてもそれが適正に行われることは審査員に要求することではなく、審査機関あるいは審査システムに要求することはあきらかです。
そしてJABも数年前からさかんにそう語っています。
じゃあ、審査に問題がある、審査員に問題がある、バラツキがあるということは、即 審査機関の力量不足である・・と言い切ってよいだろう。
審査員が審査で「人が変わっても同じ品質を保証するのはシステムです」なんて語っているのだから、「人が変わっても同じ審査の品質を保証するのはシステム」であることは間違いない。
企業に要求しているにもかかわらず、審査機関自身が実行できないのはいかがなものか?
ISO規格の月刊誌や審査員登録機関の季刊誌などを読むと、いろいろな審査機関のエライサンがご大層なことを語っている。
「審査とはこうあるべきである」、「私はこう審査した」、「このような審査でかような成果を出した」などなど・・・結構なことである。
そのような記事を読むと、きっとみなさんはすばらしい実績を残し、かつ後輩を育成してきたのであろうと思う。このような方が大勢いらっしゃるということは、ISO審査登録制度はますます興隆し、負のスパイラスや空洞化、認証件数の減少など無縁であろうことを喜ぶ。
現実はどうであろうか?
彼らの言を信じれば、彼らはすばらしい審査機関を、審査システムを築き上げてきたことになる。だが現実がそうではないということは、彼らの言は事実と異なることになり、それはウソか、現実を知らないのか、それとも審査の力量はあっても審査機関としての力量を持たせることができなかったということなのだろうか?

さて、審査機関の力量とは何をもって測るのだろうか?
まず個人の力量を考えてみよう。
個人の力量を測るのは経歴や資格ではない。教育を受けたとかでもない。目の前で、実際にやらせてみてうまいか下手かということが絶対的な判定である。
内部監査員の認定を外部研修を受講したことをもって・・などというのはまったく無意味である。内部監査をやらせて、その首尾をみて評価することが唯一無二の方法であるとは私は何度もいっている
その意味でJRCAのCPの評価というものが現実離れしていることは間違いない。
といっても現実の審査に立ち会わなければ、力量のレベルもまたそれが向上したかもわからないのはいうまでもない。そもそも書面で評価しようなんてことは無理なのである。
ISO規格でも「力量を持つことを確実にすること(ISO14001 4.4.2)」といっているのであって、教育すればよいとか有資格者ならよいなんていっていない。
実に簡単明瞭なことである。
そしてそれを成し遂げるのが簡単でないことも明瞭である。

では審査機関の力量とは何をもって測るのだろうか?
審査が審査機関の製品(サービス)であるなら、良い製品を提供するか否かであることは自明である。
ただ個人と違い、組織の力量とは良い製品をバラツキなく継続して提供できることが力量の指標であろう。
なんてことを語るまでもない。審査機関いや審査員は企業に出向いてはそのようなご高説をいつも語っている。
もちろん、審査機関の力量とは、一定品質の審査を提供するだけではない。ステークホルダーとのコミュニケーション、情報管理、透明性など企業が当然備えるべき品質を保有し、企業市民として評価されることであると考える。といってもたいしたことではない。どの企業に要求される当たり前なベーシックなことに過ぎない。
お客様と連絡ミスが多発したり、ひとりよがりの運用などしていては社会に受け入れられないのである。
某審査機関はお客様から電話を受けると「いついつ来てください」という。高額商品を扱っている販売会社が問い合わせを受けたとき、そんな態度をとっているようではお客様はほかにいってしまうことを知らないのだろうか?
某審査機関はどこぞの会社がISO認証を考えているという情報を聞くと営業担当が飛んでいく。なんと取締役がお出かけになる審査機関もある。私の知る限りでは、審査の質が高いのは取締役が出向いている某審査機関である。決して営業上手だけで事業をしているのではない。
ところでなぜか私の付き合った審査機関(複数)は連絡ミス、お客様(私)からの書類紛失などありました。一般企業でお客様からの注文書を紛失して製品を納入しなかったなんていったら、信用失墜 即 取引中止となることは間違いない。
 いや訴えられるかもしれない。
ISO審査で「当審査機関は貴社が送付された書類をなくしたのですから、そのような審査機関に継続して審査を依頼することは購買管理で不適合です」なんて・・・言うはずがないか 

世の中の審査を見れば、審査機関によって審査の質が異なっているのは事実である。
また、報道されるようにたくさんの環境事故が起きているし、品質事故が起きている。皆さんご存じのように賞味期限のうそ、公害測定データの捏造もある。そういう報道をみるにつけ、そういった会社のISO9001やISO14001を認証した審査機関はどこなのか、知りたいのは当然だ。いやそれだけではなく、すべての審査登録機関の審査登録企業の不祥事発生率を知りたいのは当然である。

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環境経営度調査というのが毎年一回発表される。日本中の会社の環境部門はどこも、この順位をひとつでも上げようと一生懸命である。
企業経営においても格付けというのがあり、これは環境経営度どころではない。格付けが上がらないと資金調達が困難になり、事業推進が困難になり、悪循環で一層評価が下がる。大変である。
世界経済フォーラム(WEF)の国家競争力順位というのもある。
世の中、厳しいのである。

そこで提案です。
審査登録機関の力量評価をしませんか!
もちろんステークホルダーが評価するのであるが、評価項目としてはなるべく客観性のある、定量化できるものが望ましい。
よって次のような指標を提案する。 などをあげたい。
審査費用とか審査員の経歴、資格なんて、そんなの関係ない。←2007年10月の流行語である
なお、審査工数はルールで決まっていてどの審査機関も同じである。だから審査工数が少ないほうが良いなんてことは言えない。

もちろん、審査機関だけではない。審査員研修機関も質の違いがあるのが現実であり、これについても格付けするべきだろう。
審査員登録機関と認定機関はひとつしかないので格付けはない 
とはいえ、王冠マークを欲しがる組織がほとんどで
ある現実をみると格付けはすでにおこなわれている

こうなると、審査登録した組織に不祥事があったらその審査機関の順位はドンドンと下がる。順位下落が公表されれば審査依頼が減り企業として存続が危うい。
少し前、建築設計の不祥事で設計を審査した検査会社に責任追及が及んだことを思えば、それは当然である。
そうなったら、何か困ることがあるだろうか?
審査登録証を発行するということはそういうことなのだ。

ここまできても、審査登録とは品質を保証するものではなく、遵法を保証するものではない・・・なんておっしゃいますか?
それは引かれ者の小唄と言います 
そんなみじめったらしいことを言っちゃいけません。
審査登録の意義とは何でしょうか?
審査登録した組織に、公害測定データの改ざんがあっても、賞味期限のウソがあっても、事故が起きても、審査登録機関は無関係というなら・・・審査登録とは無意味ということだろう。
あの審査機関が認証したなら安心だね・・と言われることが審査機関のブランドなのです。
どの審査機関も「当社は質の良い審査を行います」とか「豊かな審査実績があります」とか「審査は○○がよいと言われています」などと宣伝している。
ぜひ、それを立証していただきたいと思います。
力量とは「実証された個人的特質、並びに知識及び技能を適用するための実証された能力(ISO19011:2002)」
立証できなければ力量はないのだ。

本日の提言

審査登録機関の格付け制度を設けよう

私が書いている中にISO9001やISO14001がランダムに出てきているが、混乱しているわけではない。お気遣いは無用である。

私の意見にいかような反論・批判も承ります。
しかしながら、発言する方は以下の要件を満たす方に限らせていただきます。
すなわち
審査員であれば、常に規格適合を判定し個人的意見などよけいなことを要求しない方
規格の理解はまっとうだと自認していること
法規制については該非判定と社内展開及び順守評価については確実にみてしっかりと判断していると自認していること
コンサルなら会社の文化、実力に合わせた指導をしていると自認されていること
事務局なら会社を良くするための活動をしていると自認していること

但し、次のような方は私の土俵に上がってはいけない
ISO規格の理解が不十分な方
IAFガイドやJABコードを理解していない審査員
環境法規制を良く知らない審査員
マニュアルや方針のひながたを基に一括変換で文書を作っているコンサルや事務局
不適合を出さないことが目的の事務局
認証維持サービスなどを利用している事務局

では、ご意見をお待ちしております




Yosh師匠からお便りを頂きました(07.10.03)
とうた様、
審査機関を審査する所や審査することがあるのでせうか?
Yosh様 いつもありがとうございます。
審査機関は認定機関というところから認定を受けることになっています。この仕組みは全世界共通で、民主主義国も共産主義国家も同じです。
とはいえ認定を受けずに商売をしてもいけなくはなく、そういう審査機関も数多いのです。
しかしながら認定を受けた審査機関が質が良く、認定を受けていないところは質が悪いのかといいますと、認定の有無と審査の質はあまり関係はないようです。
認定機関は当然ながら審査機関を書類審査や実際の審査に立ち会って良否を見るわけですが、それが甘いのか?節穴なのか?
よくチェックは抜き取りだからという言い訳が使われていますが、抜き取りというのはいいかげんということではなく、れっきとした科学ですから抜き取りの効果が許容できないほど悪いなら抜き取りの設計がまずいということにすぎないでしょう。
おっとあまりいうといよいよ命を狙われそうな・・
とうた様、
其の認定機関を審査するのは?
認定機関を審査するのは・・・ありません
認定機関は国に一つしか作ってはいけないということになっており、各国の国際機関同士がお互いに検査しあって質を保つことになっています。

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