私のようにボランティアでISO認証の指導をしている人が数人集まって雑談していた。
世の中には物好きがいるもので、金ももらわずISOの指導なんかをしている人々がいるのである。コンサルタントを生業
(なりわい)としている人々、つまりプロコンサルに対してアマコンサルあるいはボランティアコンサルと言うべきだろうか?
プロのコンサルから見たら我々アマコンサルはコスト無視の競争相手、言語道断の商売がたき、根絶やしにしたい天敵と思っていることだろう。
ところでプロ野球は草野球より上手いのは当然だが、ISOコンサルはプロが必ずしもアマより上とは限らない・・・と思っている。もちろんアマが必ずしもプロより上とも限らないが。
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アマにせよプロにせよコンサルがシステム構築なんてできるはずがない。システム構築できるのは経営者だけである。コンサルができるのはISO認証支援だけである。
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さて話は審査員の力量不足を嘆くことに流れてきたのだが、仲間の一人が「審査員の力量不足を嘆くのは間違いだ。審査機関の力量不足が問題じゃないか」という。
いやあ、これは至言です。そうです、マネジメントシステムが個人の力量ではなく、人が変わっても組織がちゃんと業務を継続して遂行することを求めているのですから。審査という業務においてもそれが適正に行われることは審査員に要求することではなく、審査機関あるいは審査システムに要求することはあきらかです。
そしてJABも数年前からさかんにそう語っています。
じゃあ、審査に問題がある、審査員に問題がある、バラツキがあるということは、即 審査機関の力量不足である・・と言い切ってよいだろう。
審査員が審査で「人が変わっても同じ品質を保証するのはシステムです」なんて語っているのだから、「人が変わっても同じ審査の品質を保証するのはシステム」であることは間違いない。
企業に要求しているにもかかわらず、審査機関自身が実行できないのはいかがなものか?
ISO規格の月刊誌や審査員登録機関の季刊誌などを読むと、いろいろな審査機関のエライサンがご大層なことを語っている。
「審査とはこうあるべきである」、「私はこう審査した」、「このような審査でかような成果を出した」などなど・・・結構なことである。
そのような記事を読むと、きっとみなさんはすばらしい実績を残し、かつ後輩を育成してきたのであろうと思う。このような方が大勢いらっしゃるということは、ISO審査登録制度はますます興隆し、負のスパイラスや空洞化、
認証件数の減少など無縁であろうことを喜ぶ。
現実はどうであろうか?
彼らの言を信じれば、彼らはすばらしい審査機関を、審査システムを築き上げてきたことになる。だが現実がそうではないということは、彼らの言は事実と異なることになり、それはウソか、現実を知らないのか、それとも審査の力量はあっても審査機関としての力量を持たせることができなかったということなのだろうか?
さて、審査機関の力量とは何をもって測るのだろうか?
まず個人の力量を考えてみよう。
個人の力量を測るのは経歴や資格ではない。教育を受けたとかでもない。目の前で、実際にやらせてみてうまいか下手かということが絶対的な判定である。
内部監査員の認定を外部研修を受講したことをもって・・などというのはまったく無意味である。内部監査をやらせて、その首尾をみて評価することが唯一無二の方法であるとは
私は何度もいっている。
その意味でJRCAのCPの評価というものが現実離れしていることは間違いない。
といっても現実の審査に立ち会わなければ、力量のレベルもまたそれが向上したかもわからないのはいうまでもない。そもそも書面で評価しようなんてことは無理なのである。
ISO規格でも「力量を持つことを確実にすること(ISO14001 4.4.2)」といっているのであって、教育すればよいとか有資格者ならよいなんていっていない。
実に簡単明瞭なことである。
そしてそれを成し遂げるのが簡単でないことも明瞭である。
では審査機関の力量とは何をもって測るのだろうか?
審査が審査機関の製品(サービス)であるなら、良い製品を提供するか否かであることは自明である。
ただ個人と違い、組織の力量とは良い製品をバラツキなく継続して提供できることが力量の指標であろう。
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なんてことを語るまでもない。審査機関いや審査員は企業に出向いてはそのようなご高説をいつも語っている。
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もちろん、審査機関の力量とは、一定品質の審査を提供するだけではない。ステークホルダーとのコミュニケーション、情報管理、透明性など企業が当然備えるべき品質を保有し、企業市民として評価されることであると考える。といってもたいしたことではない。どの企業に要求される当たり前なベーシックなことに過ぎない。
お客様と連絡ミスが多発したり、ひとりよがりの運用などしていては社会に受け入れられないのである。
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某審査機関はお客様から電話を受けると「いついつ来てください」という。高額商品を扱っている販売会社が問い合わせを受けたとき、そんな態度をとっているようではお客様はほかにいってしまうことを知らないのだろうか?
某審査機関はどこぞの会社がISO認証を考えているという情報を聞くと営業担当が飛んでいく。なんと取締役がお出かけになる審査機関もある。私の知る限りでは、審査の質が高いのは取締役が出向いている某審査機関である。決して営業上手だけで事業をしているのではない。
ところでなぜか私の付き合った審査機関(複数)は連絡ミス、お客様(私)からの書類紛失などありました。一般企業でお客様からの注文書を紛失して製品を納入しなかったなんていったら、信用失墜 即 取引中止となることは間違いない。
いや訴えられるかもしれない。
ISO審査で「当審査機関は貴社が送付された書類をなくしたのですから、そのような審査機関に継続して審査を依頼することは購買管理で不適合です」なんて・・・言うはずがないか
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世の中の審査を見れば、審査機関によって審査の質が異なっているのは事実である。
また、報道されるようにたくさんの環境事故が起きているし、品質事故が起きている。皆さんご存じのように賞味期限のうそ、公害測定データの捏造もある。そういう報道をみるにつけ、そういった会社のISO9001やISO14001を認証した審査機関はどこなのか、知りたいのは当然だ。いやそれだけではなく、すべての審査登録機関の審査登録企業の不祥事発生率を知りたいのは当然である。
環境経営度調査というのが毎年一回発表される。日本中の会社の環境部門はどこも、この順位をひとつでも上げようと一生懸命である。
企業経営においても格付けというのがあり、これは環境経営度どころではない。格付けが上がらないと資金調達が困難になり、事業推進が困難になり、悪循環で一層評価が下がる。大変である。
世界経済フォーラム(WEF)の国家競争力順位というのもある。
世の中、厳しいのである。
そこで提案です。
審査登録機関の力量評価をしませんか!
もちろんステークホルダーが評価するのであるが、評価項目としてはなるべく客観性のある、定量化できるものが望ましい。
よって次のような指標を提案する。
- 審査登録した組織の法違反率
審査は遵法を確認するのではないと言うのは良く聞くいいわけである。
でもどのようにして順守評価をチェックしていたのかを説明して欲しい。私は法違反があったとは言わないが、どうみても仕組みが規格適合でない会社がISO14001認証を受けているのを見聞きしている。規格通りに審査を行えば相当数の会社で、4.3.2、4.5.1あるいは4.5.2.2の不適合が出るだろうと確信している。少なくとも私なら不適合にする。あるいは審査員が法に関わる力量がないのかもしれない。
審査をちゃんとすれば法遵守の仕組みにおいて不適合を出すだろうし、その結果是正が進み、法違反率が下がることは必然だろう。
微妙なことはここに書けないが証拠があると申し上げておく。
- 審査登録した組織の品質事故率
ISO9001認証はシステムを見るのであって品質を保証するのではないというのは私でも知っている。しかし品質マネジメントシステムが良くて品質が悪いというなら、品質マネジメントシステムが有効でないことは否定できない。いや、一定品質を維持できない品質マネジメントシステムがISO規格に適合しているとは思えない。
少なくとも品質事故を起こした企業の多くは認証停止や取り消しを受けていることをみると、審査機関はそう考えているように見える。
- 審査登録した組織の環境事故率
もちろん前述の法違反と同じくISO認証とは事故が起きないことを保証するものではない。しかしISO14001認証グループと非認証グループを比較して、認証グループのほうが環境事故が少なくなければISO認証した企業をグリーン購入やSRIあるいはSRBで優遇する根拠がない。
むしろ審査機関は、当社が認証した企業からは環境事故が起きていませんと宣伝すべきではないか?
- 審査登録した組織の情報漏えい率
Pマーク、ISMS認証した企業での情報漏えいなどはどうなのだろうか?
残念ながら私はこれに関しては無知である。
- 審査登録した企業の環境経営度平均順位
「当社の審査を受けると日経環境経営度調査が大幅に向上します」なんていえる審査機関があれば、すばらしいことではありませんか。
審査はパフォーマンスを評価するものではないが、その審査機関が審査するとパフォーマンスが向上するというのは悪いことではない。経営に寄与すると言いながら、パフォーマンスが向上しなければ経営に寄与しないような気がする。
しかし・・すべての会社が同じ審査機関に依頼するようになると・・どうなるのだろう。矛盾である。
- 所見報告書の第三者評価
誰が見てもおかしい所見報告書を書いている審査機関はやはりおかしいと思う。以前ISO規格の月刊誌が行った所見の評価・比較のようなことを公開の場で行うとか、審査機関にすべての所見報告書を公開する義務を課したらどうなのだろうか?
どんな商品でも生産設備でも、買手はものを見て、品質を見て買うのが世の中の常識である。審査というきわめて高い買い物をするのにその審査機関の所見報告書がどの程度のものか? 経営に寄与するのかどうか? 事前に確認したいのは当然である。
現在はその審査機関で認証した企業に問い合わせて評判を聞くしか方法がない
数百万円払った結果がたった数ページの所見報告書であれば、経営に寄与するとか、付加価値があるとか思えない。
「審査の価値は所見報告書ではなく、審査時の審査員の独り言にあるのです」
まさかそんなことはおっしゃらないでしょうね

- 判定委員会の力量評価
どうみても日本語になっていない所見報告書が多々あるという事実は、判定委員会ではなにをチェックしているのだろうか?
裁判は特別な理由があって非公開にするもの以外、誰でも傍聴することができる。話題になった裁判は傍聴希望者が多く抽選になるのはご存じの通り。裁判の傍聴記が本になり売れている。
「裁判長 ! ここは懲役4年でどうですか」(北尾 トロ 著)
判定委員会も外部の第三者が自由に傍聴できるようにすべきではないのだろうか?
判定委員会の傍聴記も本にして出版していけない理由はなさそうである。
- 審査員、審査機関、判定委員会への異議・苦情申し立て件数
審査員は異議を受けると更新時に登録機関に申告することになっている。審査機関だって同じだ。認定機関あるいは審査員登録機関はこれらの情報を公開しているのだろうか? ちょっとみたことがない。認定機関のウェブサイトに載るのは認定の停止とか取り消しだけである。もっともっと広く周知すべきだろう。
「おっ、この審査機関は異議申し立てが多いんだ。じゃあ別の審査機関と契約しようか」と判断するのは購買管理の基本である。
- ビジネスマナー
お客様からの問い合わせにいかに対応しているか、書類紛失はないか、伝言はちゃんと伝えているか、電話のマナーは良いか、他社の話を漏らさないか、敬語は間違えないか、審査員が移動する車内で審査資料を読んでいないか、飛行機や飲み屋で審査の話をしてないか、セキュリティ管理はしっかりしているか、約束の時間に遅刻していないか、挨拶はちゃんとできるか、言葉使いは適切か、態度は大きくないか・・
もっともこれらはビジネスマナーというより常識以前か
- 認定審査結果
JABが行っている認定審査の評価結果も公表して欲しい。これこそが審査機関の評価指標の基本のキであろう。
- CSR
企業市民に要求されることは法を守り税金を払うことだけではない。社会貢献もある。審査機関といえど一企業であり、企業市民として社会から評価され認知されなければならない。
グリーン調達・・審査時の移動方法、契約審査員のグリーン認定などが考えられる。
SRI、SRBなどはいかがでしょうか? 電気は再生可能のものを購入していますか?
ステークホルダーマネジメントは大丈夫ですよね?
審査機関が確固たるCSRコンセプトを持たず、CSRポリシーを確立せずに、審査で「御社のCSRは・・」なんて語ることはありませんよね?
タバコを吸いながら禁煙を勧める医者は信用ならん
- 顧客満足度
ISO審査機関は企業がどのように顧客満足jを評価しているか見るのが大好きである。ぜひご自身がどのように顧客満足を評価し向上しようとしているのか拝見したいものである。
などをあげたい。
審査費用とか審査員の経歴、資格なんて、そんなの関係ない。
←2007年10月の流行語である
なお、審査工数はルールで決まっていてどの審査機関も同じである。だから審査工数が少ないほうが良いなんてことは言えない。
もちろん、審査機関だけではない。審査員研修機関も質の違いがあるのが現実であり、これについても格付けするべきだろう。
審査員登録機関と認定機関はひとつしかないので格付けはない

とはいえ、王冠マークを欲しがる組織がほとんどで
ある現実をみると格付けはすでにおこなわれている
こうなると、審査登録した組織に不祥事があったらその審査機関の順位はドンドンと下がる。順位下落が公表されれば審査依頼が減り企業として存続が危うい。
少し前、建築設計の不祥事で設計を審査した検査会社に責任追及が及んだことを思えば、それは当然である。
そうなったら、何か困ることがあるだろうか?
審査登録証を発行するということはそういうことなのだ。
ここまできても、審査登録とは品質を保証するものではなく、遵法を保証するものではない・・・なんておっしゃいますか?
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それは引かれ者の小唄と言います 
そんなみじめったらしいことを言っちゃいけません。
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審査登録の意義とは何でしょうか?
審査登録した組織に、公害測定データの改ざんがあっても、賞味期限のウソがあっても、事故が起きても、審査登録機関は無関係というなら・・・審査登録とは無意味ということだろう。
あの審査機関が認証したなら安心だね・・と言われることが審査機関のブランドなのです。
どの審査機関も「当社は質の良い審査を行います」とか「豊かな審査実績があります」とか「審査は○○がよいと言われています」などと宣伝している。
ぜひ、それを立証していただきたいと思います。
力量とは「実証された個人的特質、並びに知識及び技能を適用するための実証された能力(ISO19011:2002)」
立証できなければ力量はないのだ。
本日の提言
審査登録機関の格付け制度を設けよう
私が書いている中にISO9001やISO14001がランダムに出てきているが、混乱しているわけではない。お気遣いは無用である。
私の意見にいかような反論・批判も承ります。
しかしながら、発言する方は以下の要件を満たす方に限らせていただきます。
すなわち
審査員であれば、常に規格適合を判定し個人的意見などよけいなことを要求しない方
規格の理解はまっとうだと自認していること
法規制については該非判定と社内展開及び順守評価については確実にみてしっかりと判断していると自認していること
コンサルなら会社の文化、実力に合わせた指導をしていると自認されていること
事務局なら会社を良くするための活動をしていると自認していること
但し、次のような方は私の土俵に上がってはいけない
ISO規格の理解が不十分な方
IAFガイドやJABコードを理解していない審査員
環境法規制を良く知らない審査員
マニュアルや方針のひながたを基に一括変換で文書を作っているコンサルや事務局
不適合を出さないことが目的の事務局
認証維持サービスなどを利用している事務局
では、
ご意見をお待ちしております。
Yosh師匠からお便りを頂きました(07.10.03)
とうた様、
審査機関を審査する所や審査することがあるのでせうか?
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Yosh様 いつもありがとうございます。
審査機関は認定機関というところから認定を受けることになっています。この仕組みは全世界共通で、民主主義国も共産主義国家も同じです。
とはいえ認定を受けずに商売をしてもいけなくはなく、そういう審査機関も数多いのです。
しかしながら認定を受けた審査機関が質が良く、認定を受けていないところは質が悪いのかといいますと、認定の有無と審査の質はあまり関係はないようです。
認定機関は当然ながら審査機関を書類審査や実際の審査に立ち会って良否を見るわけですが、それが甘いのか?節穴なのか?
よくチェックは抜き取りだからという言い訳が使われていますが、抜き取りというのはいいかげんということではなく、れっきとした科学ですから抜き取りの効果が許容できないほど悪いなら抜き取りの設計がまずいということにすぎないでしょう。
おっとあまりいうといよいよ命を狙われそうな・・
認定機関を審査するのは・・・ありません
認定機関は国に一つしか作ってはいけないということになっており、各国の国際機関同士がお互いに検査しあって質を保つことになっています。
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