四十五十は鼻たれ小僧 2009.02.15

私の仕事は出張が多い。というか電車や飛行機に乗ることが仕事みたいなものだ。
先日のことである。新幹線の「のぞみ」ではなく「こだま」に乗っていた。私は速い新幹線が好きで、遅いのは好きではない。だから「こだま」に乗るのはめったにない。
「こだま」は各駅に停車して、「のぞみ」や「ひかり」をお先にどうぞ!とやりすごすために存在しているようだ。そして田舎町がお金を出して作る新幹線の駅は、乗客が乗り降りするためではなく、速い新幹線が「こだま」を追い越すためにあるのかと思ってしまう。
いくら速い新幹線が好きだといっても、目的地に停まらない電車に乗っても仕方ありません。というわけでそのときは「こだま」に乗っておりました。
さて、多くの方も同じだとは思うが、私は3列シートより、2列シートの方が、そして通路側より窓際が好きだ。予約する時は必ずこの席を取る。その方が出入りが楽だし、東海道ですと富士山が見えるときがある。実際に富士山が見えるのは10回乗って二三回なのだが。
以前も書いたが、南側というべきか海側のシートでも静岡の先あたりでは、海の向こうに富士山が見えるところがある。

平日の日中のしかも「こだま」は乗客はまばらで、横方向に5つ並んだ席に私が一人しか座っておりません。私はゆったりと読書を楽しんでおりました。
とある駅で老婦人が乗ってこられて私の隣の席に座りました。
もちろん指定席を取られていたのでしょうが、まわりは空席だらけでしたので、なぜ他の所に座らないのだろうと不思議に思いました。本音を言えば、離れて座って欲しいところです。
まあ、何もすることはありませんので、本を読むふりをしてお隣の方をチラチラと観察しますと、歳の頃は70歳を過ぎたくらい、旅行の予定表らしきものを眺めております。老眼鏡もかけないでよく見えるものだと感心します。実を言いまして、私はもう数年前から本や新聞を読むときは眼鏡を外して裸眼で見るようになりました。私はもともと近眼ですから、老眼鏡をかけることはないのですが、近視の眼鏡をかけたままでは本を読むのがもう無理です。

私が観察しているのに気がついたわけでもないでしょうけど、このご婦人が私に話しかけてきました。
「会社の出張ですか?」
「はいそうです」
私は出会った人と誰とでも世間話をしたりするほうではありません。まあ、差しさわりない程度に返事をいたしました。
ところがそのご婦人は私の気持ちなどどうでもよいようで、話したくて話したくてしかたないようで、いろいろと話しかけてくるのです。
まず妙齢とお見うけしたのですがなんと90歳とおっしゃいます。嘘というか冗談という可能性も無きにしもあらずですが、わざわざ見知らぬ人に年齢を偽ってもなんの得もないと思います。私は90歳説を信じましょう。
とすると1918年生まれ・・大正8年です。オヤジより少し若いくらい。我がオヤジは30年も前に死んでおります。
妙齢の使い方が間違っているなんて突っ込んじゃいけません。 
老婆と呼ばれるより、妙齢のご婦人と呼ばれた方が何歳になられてもうれしいでありましょう。
お話では、日本で生まれて子供の頃お父上のお仕事の関係で上海に渡り、戦争がはじまって日本に帰ってきたと語ります。その後、旦那さんに先立たれたり、戦争でいろいろご苦労されたとおしゃいました。ともかく現在まで生き抜いて、今は息子さん夫婦と一緒に暮らしているとのこと。息子さんといってもたぶん私より年上なのでしょう。
さかんに私に対して、「若い者はしっかり勉強して一生懸命働かなければならないよ」と叱咤激励します。
「あのう〜私も還暦を過ぎておりまして、若くはありません」と申し上げますと
「私はあなたより30も上ですよ。この歳になっても今でも毎日日経新聞を読んでいて世界情勢や経済危機はちゃんと知ってます」と切り返されました。
彼女は補聴器を使っている気配がありません。耳は遠くないのですか?と聞きますと、目も耳もみなしっかりしている。頭もぼけていないと言われてしまいました。
今回はおひとりでカンポの宿に泊りに来て、関西の家に帰る途中とのこと。
旅行が好きで高齢になった今も、国内旅行はおひとりで、海外旅行も息子さん夫婦と世界中を歩いていると語ります。
まことに健康で精神力もあり経済的にも恵まれて、すばらしいうらやましい人生を送っておられるとお見受けしました。
以前定年後なんて駄文を書きましたが、もしこのご婦人がお読みになられたら、軟弱な私をガミガミと叱りつけるのではないかと懸念いたします。
お話をお聞きするにつれ、私はまだ若い、もっと勉強して、世の中のために尽くさねばと思い知らされたのであります。

「四十五十は鼻たれ小僧」とは明治の偉大な実業家、渋沢栄一のことば
これを単純に「そうか、まだ若いから頑張らねば」と納得してはいけない。
日本人の平均寿命は、明治39才、大正43才でした。それに対して現在は男女平均で80才。
明治の御代であって「四十五十は鼻たれ小僧」なのですから、人生80年の21世紀では還暦なんてまだよちよち歩きでしょう。
不肖おばQ、これから大学で学びなおし、もう一度世の中に出直さなければと自覚した次第であります。 

本日の妄想
もし可能なら定年退職後に大学で学んで再就職して、第二の人生にチャレンジしてみたい
バーチャルなセカンドライフではなく、リアルのセカンドライフをしてみたい
64歳で大学を出て就職して90歳まで働けるとすれば26年間、22歳で就職して48歳まで働くのと同じことです。まして人生経験豊かですからはじめから管理職が務まるでしょう。
私を採用してくれる会社はありませんか? 


外資社員様からお便りを頂きました(09.02.19)
60,70 洟垂れ小僧
始めまして、法律関連:二重処罰のことを調べていて、こちらにたどり着きました。日本国憲法への内容が楽しくて、ついつい読みふけっておりました。
私自身は、ついに50代に入った男性で、アジア系外資に努めております。
前の会社は、伝統ある総合家電メーカで、その時はISOの担当もしたので、スゴロクを拝見して思わず笑ってしまいました。
外資に勤めておりますが、日本の伝統は大好きで、茶道や合気道は子供を教えていた時期もあります。(最近は体調が悪いので、知人にお願いしました)
”独り言、四十五十は鼻たれ小僧”を拝見して、私も思いました。
最近、体力や知力の衰えを感じていたのですが、まだ人生折り返し、またはもう一度やり直すくらいの元気を持ちたいと思います。
先週まで、出光美術館で”文字の力”という展示があり、そこには彫刻家 平櫛田中氏が晩年に書いた”不老”という軸が飾られておりました。
それに曰く”六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから ”、 うーん 思わず感じ入ってしまいました。
どうぞ管理人さまも、お元気で これからもご活躍ください。

外資社員様 お便りありがとございます。
人生、好奇心に尽きると思います。人間が人間になったのも、あの山の向こうに何があるだろう?体の中はどうなっているのだろう?星はなぜ光るのだろう?知的でなくても好奇心が改善、改革の原動力だったと思います。
ということは、好奇心をなくさなければ老いないということでしょうか?
幸い、私には好奇心だけは人一倍ありますので、それを満たそうとする限り老いず、人生に飽きが来ないのではないかと期待します。
外資社員様も、お元気で これからもご活躍ください。


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