自己宣言の意義
自己宣言 その3 
09.04.26

これはISO14001の自己宣言について話である。自己宣言をしようという会社の支援というか相談を受けて、考えさせられることが多々ある。ISOに関わって長年いろいろしてきたと思っていたが、第三者認証の経験しかないことに気付かされた。そして自己宣言という観点から見ると、規格を読んで疑問に思うことは多く、規格を理解していなかったのか?あるいは規格が変なのか?など基本のところで迷うことも多い。本日もそんなことについて書く。
繰り返すが、これは現実に現在進行中のはなしである。だから私の考えも今後変わっていくだろうと付け加えておく。

ISO14001:2004の1.適用範囲には
この規格は、次の事項を行おうとするどのような組織にも適用できる。
a)環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、改善する。
b)表明した環境方針との適合を自ら確信する。
c)この規格との適合を次のことによって示す。
1)自己決定し、自己宣言する。
2)適合について、組織に対して利害関係をもつ人又はグループ、例えば顧客などによる確認を求める。
3)自己宣言について組織外部の人又はグループによる確認を求める。
4)外部機関による環境マネジメントシステムの認証/登録を求める。
と書いてある。
本日は上記文章の意味・・意義と言い換えてもよいが・・について考える。決して異議を唱えるわけではない。 

a)環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、改善する。
前の文章とこのセンテンスを合わせると「この規格は、環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、改善しようとする組織も使うことができる。」と理解して良いだろう。
これは素直に理解できる気がする。もっとも私の理解が正しいかどうかは分からないが・・
いかなる組織においてもマネジメントシステムというものは存在し、それはただ一つであることは間違いない。マネジメントシステムなんていうと訳が分からないが、簡単に言えば指揮系統のこと。指揮官が二人いたり指揮系統が複数あれば組織はまっとうに機能しない。
もちろん組織が一つの目的を共有せず、単なる同好会であるなら指導者が複数であろうとなかろうと、あるいは指導者がなくても問題はない。インターネットなどはまさにそういう集合体である。
しかし営利企業であろうと、自治体であろうと、暴力団であろうと、プロスポーツ団体であろうと、ほとんどの組織は組織が目指す目的を持ちそれを実現するために存在する。だからそういう組織においては指揮系統は一つでなければならず、マネジメントシステムはただ一つ存在する。
恐竜には脳が二つあったという説もあるが、もし二つあったならきっと役割分担が決められていて、それぞれの脳からの指示が干渉しないようになっていたに違いない。
もちろん命令の伝達ルートが複数あるケースはある。タイムラグやノイズの影響を考慮しなければならないが、ある程度の冗長は必要とされる。
そして環境マネジメントシステムとは「組織のマネジメントシステムの一部で、環境方針を策定し、実施し、環境側面を管理するために用いられるもの(ISO14001 3.8)」であるから、当然ほとんど(すべて?)の組織はマネジメントシステムの中に環境マネジメントシステムに相当する部分がある。よって環境マネジメントシステムを維持改善するためにISO14001規格を利用することは可能であろうと思う。
それがa)項を是認する理屈だ。

もちろん、すべての組織においてそのEMSがISO14001規格を満たすことが必須でもなく、満たせば良いというわけでもない。かって「当社のEMSはISO14001を超えているから認証を受けない」なんて語っていた会社もあった。自己宣言するにしても「当社のEMSはISO14001規格も参考にしているが、より自社にみあって高い水準のものにしている」と表明してもおかしくない。
結論としてISO14001規格をEMSの一つの基準として参考にすることができるという主張については異議はない。
ただそうなるとISO14001に適合しているという自己宣言にいかなる意味があるのだろうか? つまり当社のEMSは最低限をクリアしてますとわざわざ大声で言うまでもないだろう。
TOEICは730点以上でなければ履歴書などに書いてはかえって恥と聞く。それと同じくISO14001を満したレベルなら黙っている方が良いのだろうか?

b)表明した環境方針との適合を自ら確信する
実を言って、私がこの文章を理解できたのか、あまり自信がない。
まず文章構造から考えると、a)b)c)項は同等・並列である。だが文の意味としては、b)項はa)項と同じことを述べているように見える。つまりa)項で「環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、改善する」といっている。このa)項でいう「維持し、改善する」ためには、PDCAを回す必要があり、そのためには「表明した環境方針」と己の組織が適合していることかの監視測定は必須だ。
ということは、b)項は単にa)項の繰り返しなのだろうか?
「表明した環境方針」とは原語では「stated environmental policy」で、組織外部に表明する意味でなく、単に「表明すること」である。

c) この規格との適合を次のことによって示す。
まずこの文章の前段として「この規格は、次の事項を行おうとするどのような組織にも適用できる。(applicable)」があるのだから、c)項で述べる1)から5)を適用することは必須事項ではない。
c)項は誰かに対して組織のEMSがISO14001に適合していることを説明することだ。
c)項1)号で記述する「自己決定し、自己宣言する」ことにどのような意味があるのか?
誰かが自己宣言してほしいと要求しているのだろうか?
その場合、自己宣言という形式を、その誰かが信用してくれないと意味がない。宣言すれば信用するという条件においてのみ自己宣言が成り立つ。当然あとで何事かあった場合は、自己宣言は無効であり、その責任は宣言した組織が負う。しかしCEマーキングと違い、ISO14001の自己宣言が間違いであったあるいは虚偽であったとして、法的な責任を問われることは想像つかない。そもそも入札などで自己宣言をしていても信用されないだろう。
一体自己宣言することはどういう意味というか価値というか効力が発生するのだろう?
ISO14001のレベルになりましたと「自己宣言」をしたところで、それが客先との取引において意味があるならともかく、現実的にいかなる意味もなさそうに思える。
なんかこう考えてくると、自己宣言の意義というものはないような気がしてきた。
もっとも翻って考えれば、c)項4)号で記述する第三者認証だって客先から要求されたならともかく、これまた意味のないことのようだ。
c)項2)号「適合について、組織に対して利害関係をもつ人又はグループ、例えば顧客などによる確認を求める。」だけが意味があり効力がありそうに思える。

この駄文をお読みになられた方が、第三者認証や自己宣言の意義をご理解されていらっしゃいましたらぜひともご教示をお願いします。

本日の感想
ISO14001の第4章は手垢がつくほど読んでましたが、自己宣言をしたいという人から相談を受け序文を読んでわからないことがたくさんあることに気付きました。


外資社員様からお便りを頂きました(09.04.27)
自己宣言の意味
自分の会社なら、お話が出来ます。
私は会社全体の意識向上、社会的な責任を負うぞという外部への決意表明みたいなものと思っています。子供の夏休みの宿題で、”7月末には終わらせます”と自己宣言すれば、7月中に遊んでいても「宿題は終わったか?」とフォローが入ります。(笑)
人間は怠惰なものですから、多少のリスクがあっても厳しい目標を宣言しないと、簡単な方向に流れるか何もしません。そうした点では、ISO14001に沿った活動をして、仕組みや用語は共通のものを使うから、誰でもフォローして下さいという立場が必要と思っています。
ちなみに私の会社では、「社員全員が自分で出来ることをやろう」という小学校並の目標ですが、それでも環境への意識を全員に浸透させるには、まだまだと思っています。
外部から監査があっても、自社のチェックシートでフォローする会社はあまり怖くないです。いくらでも解釈の問題で切り抜けられるし、当社は製造をしていないので、使用材料をフォローされても問題は少ないのです。
一方で、貴社の理念や独自取組は、とか 社員全員が実施してことを聞かれると大変 緊張します。
まだまだ、出来ない所を突かれているので、八月末で宿題が出来ていない子供の気分になります。

無意味な自己宣言
流石に見なくなりましたが、”核廃絶宣言都市”とか”平和都市宣言”みたいなものですね。
自身で出来ない範囲とか、他の問題との重要度から考えれば、まだやるべきことがあるのにと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
うーん、でもですよ、自己宣言すれば外聞悪いからしっかりやろうとかフォローが入るからという意識はいいのですが、誰も自己宣言なんて意味ないよと相手にしないかもしれません。
自己宣言しても、シカト、放置プレイの場合はどうなるのでしょうか?
後段の”核廃絶宣言都市”とか”平和都市宣言”についてのご意見には全く同意です。しかし残念ながら、過去のものじゃありません。私が市川に住んでいた時は駅前に見通しが悪くなって交通の邪魔になるような看板がありました。
自分の努力でできるわけもないのに大言壮語を語るのは恥ずかしいですよね。
まったくアホ丸出しです。



外資社員様からお便りを頂きました(09.04.28)
自己宣言の意味
佐為さま こうしたことを、意見交換できるのは大変ありがたいです。
自分でも、不明だった点が、はっきりしてくる気がします。
自己宣言しても、シカト、放置プレイの場合はどうなるのでしょうか? 私なりの答えは、”本気で自分のため、自社のためにする”なら、それでも構わないのだと思います。
勉強も同じで、良い成績をとって親や教師に褒められたいのが目的の内はあまり伸びなかったように思います。 本当にその勉強が自分に必要と思った時に、多少でも身についた気がします。ISOも同じなのだと思っています。
地球が危ないとか、自分の子供の為 など、社員それぞれの意味が違っても構わないのだと思います。それでも、必要だから出来ることをやろうと、考えられたら素晴らしいのだと思います。(この書き方から出来ていないことが自明ですが)だからこそ、社外より、社内の全員を、自分で出来る範囲だけでも、取り組んでゆくことは難しいのだと思います。
ちなみに、私の会社では1400は後回しで(やらないという意味ではなく、物づくりをしていないので省エネ意識の範囲で可能と思っています)、9000番シリーズを何とかしたいと思っています。
また、色々と御教示頂けると幸いです。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
あのう・・お断りしておきますが、私はうそを書いているつもりはありませんし、わからないときは認証機関とかISOの権威に問い合わせてはおります。しかしまだ駆け出しでありますので、私をあまり信用してはいけません。
本論ですが、
本気で自分のため、自社のためにする なら、自己宣言する意味がないのではないでしょうか?
どうしても自己宣言する理由が見つからないのです。
できる範囲で少しづつでも改善活動をするということは、素晴らしいことだと思いますが、大声で宣言せずに黙して行動してもよいのではないかと思います。


外資社員様からお便りを頂きました(09.04.29)
自己宣言の意味
回答を頂けるのに甘えてもう少しお願いします。
本気で自分のため、自社のためにする なら、自己宣言する意味がないのではないでしょうか?
信念の話になってきたので、宗教の比喩(ISO教?)にて言えば、自己宣言とは”ISO教徒だと表明すること”と思っています。(笑)
宗教において、信徒であることは自己宣言と思います。もちろん、イニシエーションなどを経て、”教団の信徒”と認められることはありますが、信徒であるかは個人の宣言であり信仰の範疇と思います。
信徒であること(同門)を宣言する目的は、同じ言葉で理解しあい同じ価値観を共有し、時には助け合うことができる点と思います。
この点では、重要な意味があると思います。そのお陰で、初めて付き合う会社でも、海外の会社でも会話が成り立ち、短時間での理解が可能です。
そういう点では、第三者認証は”教団への入会”のためのイニシエーションや”告解”なのかもしれません。それには寄付もいりますし、儀式も重要です。また、信仰は教団への帰属ではなく、個人によるとの考えは、プロテスタントにも似ている気がします。

外資社員様 まことに恐れ入りました。
ISO原理主義者とかISO教とか世に言われていましたが、まさしくISOとは宗教になぞらえることができるというか、宗教そのもののようですね。
それでは、私のような異端者はISOの正統派に磔され火あぶりの刑に処されるのでしょうか?
私は意気地なしです。死にたくありません。
司祭様、私は悔悛しました。命だけはお助けください
・・・と言わねばなりませんね 


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.04.29)
ロケットけんちゃん様
空手を習っている番長が袋叩きですか。例え話に噛み付くようで恐縮ですが、やはり「空手は悪」のイメージなのですね。柔道や剣道との落差を感じます。
昔は、バイク、空手、ロックは不良の三種の神器といわれましたが、今でもそうなのでしょうか。そうすると3点セットでそろっている私なぞは立派な不良中年ということになります。
ちなみに私なら袋叩きにするどころか、逆に友達になると思います。

外資社員様
はじめまして、ぶらっくたいがぁと申します。
自己宣言とは話がズレて恐縮ですが、質問があります。
それでも環境への意識を全員に浸透させるには、まだまだと思っています。
とのことですが、「環境への意識」を「全員に」浸透させるとは具体的にどういうことでしょうか? 何を浸透させようとお考えなのか、その目的はどこにあるのか、メリットは何なのかに興味があります。
当社は製造業なので、公共水域に汚水が流出しないよう予防するとか環境に関する具体的な課題があり、それに対する意識を関係する社員(「全員」ではありません)に浸透させる必然性があります。
一方、非製造業の場合、いわゆるカミ・ゴミ・デンキの削減が思い浮かびますが、これはどちらかというと「経費への意識」であって、「環境への意識」とは違うように思います。
社員に、それも全員に「環境への意識」を浸透させることで、環境に関連する何か新しいビジネスモデルへの展開を図るとか、そういったことを想定されているのでしょうか?
兄弟会社が商社なので、参考にさせていただきたいと思います。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
私が中学高校の頃の不良の印は、たばこ、かつあげ、外泊でした。当時は空手に限らず武道を正式に習うような余裕がありません。時代とともに悪というものが変わるようです。
環境の意識というのも、人によってご都合次第ではないのでしょうか?
市役所がいう環境意識はごみの分別、会社で言う環境意識は費用節減、学者が言う環境意識は研究費を出せということ・・・まあ、そんなところかな?

おっと、ロケットけんちゃん様、外資社員様、みなさんご返事をお願いします。


外資社員様からお便りを頂きました(09.04.30)
自己認証の意味(続き)
佐為さま それではお言葉に更に甘えまして

ぶらっくたいがぁさま:いつもキレのあるご意見、拝見しております。
「環境への意識」を「全員に」浸透させるとは具体的にどういうことでしょうか?
私の言葉足らずを補足できる質問を有難うございます。
会社にはCSR、創業の精神、*社x則など、言い方は様々、基本精神がありますよね。14000シリーズを取り入れるのは、この会社の基本精神に環境保護があり、それを実現するための手段としてと思います。ですから、本当に大事なのは会社としての、環境保護への精神なのだと思います。それが無いままに、社員に理解されないまま、ISO認証をしても上手くゆかないと思います。
確かに職責により、関わり方、重要度は変わりますが、事務員でも節電やゴミ分別でもかかわることは可能だと思いますし、会社精神というものは本来 全員が理解しているべき(言い方から出来てないのが自明ですが)と思います。
当然なのですが、認証の上位にはCSR等があり、これとISOの活動が繋がることが経営への貢献として重要と思います。

佐為さま:司祭様、私は悔悛しました
私には、カソリックの免罪符を攻撃したルターの如くみえます。
愛妻家な所などは、共通ですよね(笑)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
個人レベルで環境保護の精神というのは、それこそ精神論としてはわかるのですが、企業の活動としてどうなのでしょうか?
目の前の現実問題としては高尚な自然保護ではなく、業務改善、効率向上、費用削減を打ち出すべきかと思います。
まあ、たいがぁ様のご登場をお待ちしましょう。

私には、カソリックの免罪符を攻撃したルターの如くみえます。
外資社員様、まじめな話ですが、真理を追究しようとして険しいルターの道をたどるより、ISOで銭儲けしようという道を歩いた方が、ISO業界からは好かれ、企業の事務局から頼られ、己も豊かになるという三拍子そろった人生が送れるのではないでしょうか?
まあ、何年かしてISO審査というスキームが崩壊しても、稼いだ金は残るわけですし・・



ぶらっくたいがぁ様から外資社員様にご返事がありました(09.04.30)
外資社員様
キレのあるというよりは、頭のネヂが何本か飛んだかのような駄文で恐れ入ります。ところで、せっかく回答いただいたのですがどうもよく理解できません。
ですから、本当に大事なのは会社としての、環境保護への精神なのだと思います。
とのことですが、非製造業で「環境保護」というのがどうしてもピンときません。
会社の大事とは、儲けることと損失を抑えることだと思いますが、環境保護がこの2つにどうつながるのでしょうか? 広告宣伝の一環でしょうか?
それから、私的には節電は経費の節減、ゴミの分別はマナーというか当たり前のルールであって、「環境保護」とどう関係があるのかがわかりません。
おそらくは、私が頭に描く環境保護と外資社員様のそれとにギャップがあるのだと思います。


外資社員様からお便りを頂きました(09.05.01)
ぶらっくたいがぁさまへ
会社の大事とは、儲けることと損失を抑えることだと思いますが、環境保護がこの2つにどうつながるのでしょうか?

説明が不十分ですみません、話の流れとしては CSRなど会社精神があってISOなどをツールと使うという前提での一般論のつもりです。
ですから、1400を論じるなら、CSRの中の環境保護の精神が重要であり、9000なら顧客への貢献などが重要になるのだという趣旨です。
ですから、自分なりの論点はISOの上流にある企業の精神が大事で、これはISO序文にもある当たり前のことなので、ご期待を外したら済みません。

自分の話ですと、
私の会社は従業員30名程度の小さな会社ですが、試験用PCが400機種くらいあり、頻繁に新機種を評価用に入替えています。
大電力の測定器も沢山あり、発熱により室温を上げます。環境の面で言えば、省エネ以外でも、効率の良い空調のために随分とレイアウトやダクトを変更しています。
PC等の廃棄機種も多いので、これらを規定に沿いリサイクル(例としてパソコン3R http://www.pc3r.jp/office/index.html)しています。
この場合にはデータ消去なども行っています。
こうした取組は、単に非製造業なら不要と思っていたら無かったかもしれませんし、直接の利益にはつながらないかもしれませんが、企業としては必要と思っております。
ご参考まで。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
ぶらっくたいがぁ様にはお便りをいただいた旨をお伝えしました。
しかし、パソコンが400台ですか!
これはものすごい熱量でしょうね〜 一度見てみたいです。

まきぞう様からお便りを頂きました(09.05.02)
自己宣言の意義
お久しぶりです。
自己宣言の意義は、第三者認証に代わるもの、と漠然と考えていましたが全然違うという思いが強くなってきました。むしろ第三者認証が企業価値を高めないことがバレた場合の逃げとして準備されていたのではないか、とうがった見方をしはじめました。
それに、第三者認証や自己宣言のこと以前に、マネジメントシステム規格って何なのでしょう。そのような規格が存在することにどんな意味があるのでしょうか。経営のシステムは会社によって文化もあるので万別です。それらの一本柱は同じ所にある、ということを示しているだけではないでしょうか。
ISOやJISの規格に適合していようがなかろうが、会社は過去も今も存在し続けるのですから、マネジメントシステム規格というのは存在の意義が無いようにも思えてくるのです。誤解されたくないですが、ISO14001の要求は間違っていないと思いますし、数年間とはいえ相棒のような気持で接してきました。尊敬というか、間違っていない存在という意識は変わっていません。
でも、そういった理屈以前に、規格適合を外部にコミットメントすること自体、もはや意味などない世の中になっているのが現実ではないでしょうか。ドライすぎますか。

まきぞう様 毎度ありがとうございます。
私も今まで第三者認証というものとしか付き合ってきませんでした。自己宣言というものを考えれば考えるほど、規格にこだわらなくてもいいじゃないかという気がしてきました。
会社の文化を最大限に尊重し、過不足のないようにISO規格を参考にするという方法が、会社にあった仕組みを作ることができるのではないでしょうか?
もしISOコンサルというものがあるなら、規格の意図をその会社にいかに活用するかということをアドバイスする存在なのではないでしょうか?
間違っても文書の入ったCD−ROMを持ってきて、一括変換でマニュアルや下位文書を作るのを手伝う人ではありません。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.05.03)
外資社員様
たびたびのご回答、ありがとうございます。
非製造業イコール設備レスであり、原材料レス、エネルギーレス、すなわち事務のみという思い込みがあったようです。
それから、ロケットけんちゃん様からもご指摘いただいたように、「環境保護」に対する考え方の違いもあるようですね。
私の場合、「環境保護」はかなり狭義に捉えています。企業活動においてできうる環境保護は、せいぜい汚染の予防ぐらいではないかと思うのです。また、そもそも人が環境を保護することなどできるものなのだろうかという疑問も持っています。
「自己宣言」と話がどんどんズレてくるので、機会があればまた改めて考えを述べさせていただこうと思います。


メタン菌様からお便りを頂きました(09.09.25)
環境ISOの自己宣言について
今月、2度目の更新審査を終えました。弊社の環境ISOスタートから担当した最後の生き残りです。(スタート時担当5名/3事業所・製造業)
「自己宣言は、意味がない」という意見に反対です。(以下愚痴も含みます.)環境の事前調査から7年お付き合いしています。
審査員により意見が違い、今回の更新審査では環境側面に製品・サービスの側面がない・流れが分かりずらいと指摘されました。
そのときの気持ちは、審査員が替ればまたかわるだろうと思いながらきいていました。
自己宣言には、大きな意義があると考えています。それは、まず審査員の相手をしなくて済むこと、またこの審査に100万円以上(品質・将来安全で300万円以上)の支払いがなんとも空しい気持ちからです。
顧客から信頼・・・は、ISO認証しているのでその会社を信頼しているという会社が何社あるてしょうか。
どちらに転んでも同じなら経費節減を優先したいと考えます。環境ISOで最も効果があったのは、この7年間で廃棄物処理費用を1/5にできた事と思います。
自己宣言の勉強をろくにせず夢を抱いているメタン菌です。

メタン菌様 お便りありがとうございます。
正直申しまして、なにか論点がずれているように思います。
御社では何を目的として第三者認証をされておられるのでしょうか?
入札条件など商売のため? ブランドと言えば聞こえがいいけどかっこいいから? 同業他社が認証しているので世間並みになりたいから? 貴社の会社の良さを他人に認めてほしいから? あるいはそれ以外でしょうか。
メタン菌様が「自己宣言は意味がある」とおっしゃるのは、どのような目的であっても、その目的を満たすからだろうと思います。
いくらタダだって、審査員にイヤミを言われなくてすんでも、目的を果たさなくては意味がありません。
私が自己宣言が意味があるのだろうか?と言いましたのは、目的が何であろうと自己宣言がその期待に応えてくれる可能性はすくないなあと思ったということであります。
ところで、私は 現実的にいかなる意味もなさそうに思える と書いたのであって、 自己宣言は、意味がない と断定はしておりません。そこまでの考えが煮詰まっておりません。ちょっとしたではなく、大きな違いですのでお間違えないように。
環境ISOで最も効果があったのは、この7年間で廃棄物処理費用を1/5にできた事と思います。
うーん、その論理は理解しかねます。
経費削減とか無駄排除というのはISOと関係ないと思います。言い方を変えればISO認証もせずに廃棄物費用をなぜ削減できなかったのかと反省すべきでしょう。
ISOのためという論理は私が毛嫌いするところですが、同時にISOのおかげという論理にも同意しません。
私にとってISOとかISO認証というのは、己のマネジメントシステムをより良くするための物差しにすぎません。


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