ISOの価値を立証するのは組織 09.08.16

本日はISO14001に限定して論じる。でもISO9001だってISMSだって同じだと思うよ。
いつもISO第三者認証制度の制度設計が悪いとか、審査員が規格を知らないとか、誤解が重なって6階建てになっているなどと言いたい放題を語っているが、本日は組織側に檄を飛ばす。
まあ、私が何と言おうと、誰も何とも気にしないだろう。でも語らずにはいられない。なぜなら私はISO規格を愛しており、それを損なうような輩(やから)を許すことができないからだ。
実を言って、誰も聞いていないというわけではない。この稚拙な「うそ800」にも毎日300人から400人の方がご訪問されている。賛同されるか否かはともかく、私の話をそれだけの方はお読みになっていることは事実だ。
まず旗幟鮮明にしておきたいが、私はISO14001というものは素晴らしいと考えている。このウェブサイトをご覧になっている方はご存じであろうが、過去より私は規格を批判したり悪口を書いたりしたことは一度もない。私ISO-TC委員であらせられる寺田さん、吉田さん以上に規格を愛していると思っている。
実を言って、寺田さんにお会いしたことがあり、その時に「私は日本で一番ISO14001を愛している男です」と自己紹介したら、寺田さんは言下に「君は二番目だ」とおっしゃった。
私は年長者を敬う礼儀正しい男なので寺田さんに反論はしなかった。

本日は規格を知らない審査員や、第三者認証制度の価値はとりあえず棚上げして、組織の立場で行うべきことについて考える。 EMS(環境マネジメントシステム)というものはマネジメントシステムの属性というかその一部である。(ISO14001 3.8)だから、いかなる会社・組織にもEMSというものが内在している。多くの人はISO認証のためにEMSを見直すことをEMS導入とか構築と呼んでいるが、それは間違いだ。もちろん従来から無意識に存在しているEMSは不完全であるかもしれないし、文書化されていないことも多いし、有効に機能していない場合もある。だがEMSというものが存在していることは事実だし、存在しないはずはない。
QMSもEMSも、組織の「唯一のマネジメントシステム」の一部であって、在りて在るものなのだ。これを理解していない人は、審査員にもコンサルにも事務局にも多い。それは会社の組織とか経営ということを知らないためだろうと推察する。いずれにしてもそういう人はISOに関わるべきではない。
そして組織・企業は審査を受け認証を受けるために、自社のEMSがISO規格に適合しているかを見直し、不足個所を補強しているはずだ。それは審査とは関わりなく組織自身が行い確立しなければならない。
コンサルの言うがままとか、事務局代行業とか事務局派遣業に依頼するような、主客転倒でもの知らずな企業は論外である。

組織は規格の意図を理解し、それを己の会社に見合った形で実現して、それを運用して遵法を確実にして汚染の予防にも努めなければならない。だから審査員の力量がなくても、認証機関の規格解釈が誤っていても、審査がいい加減でも、そんなの関係ない。いやしくも認証を受けているなら(あるいは自己宣言しているなら)、あなたの会社のEMSは遵法を確実にするもので、汚染の予防に役立つものであるはずだ。
誤解しては困る。単に規格適合とか、審査で不適合が出ないですか?というのではない。審査で不適合が出ようが出まいが、EMSが役に立ち有効に機能していなければならないのは組織の責任です。
考えてごらんなさい、ISO審査で適合と言われたとしても、事故が起きたり法違反が起きたりすれば、困るのは認証機関でもなければ審査員でもありません。仮にそんな事態になれば、認証機関はさっさと御社の認証を取り消して、後は知らんふりです。決して認証した責任を取りません。そしてあなたの会社を審査した審査員は、あなたの会社のことなど忘れているでしょう。彼らが唯一気にするのは、認証機関の評判が落ちて、以降の商売に影響しないかということだけです。
それにあなた個人の立場で考えてみたって、刑務所に行くとかそこまでいかなくても会社の評判が落ちたりあるいは倒産してほしくないでしょう。だから、あなたの会社の遵法と汚染の予防は、あなた自身が確実にしなければならないのです。

となると、ISO規格を読むにしても認証機関の統一見解はどうだろうか?とか、どういうルールにすれば審査をパスするだろうとか、審査のためにどんな文書とか記録がいるのかというのは、まったくの間違いであることが分かります。
あなたの目的達成のための規格を読むときの注意事項は、事故違反を防ぐために規格はどのようなアドバイスをしているのか?と考えて読むということです。規格の頭から最後まで、4.1から4.6までの18項目(正確には4.1を除く)について、その項番はなにを意図しているのかを読み解かなくてはなりません。
具体的事例をあげましょう。
文書管理で
なぜ版管理をしなければならないのか? 旧版を使かえば問題が起きるからです。
なぜ承認が必要なのでしょう? 組織において役割、責任を考えれば当然です。
文書の見直しをなぜするのか? 見直さなければどうなりますか?
監視測定をなぜしなければならないか? 審査で不適合にならないためではないですよね。多くの会社でPDCAといいますが、多くはPDだけでCAが機能していないようです。計画倒れ、やりっぱなしなのです。計画を必ず達成するためには監視測定をしてフィードバックが必要なのは明白です。
「それをしないと不適合になります」とか「これだけで審査は大丈夫」なんて言うコンサルがいます。そんな言葉を鵜呑みにしないで、当社には必要なのか?これで目的はかなうのかを考えて判断しましょう。
ちょっと頭に浮かんだ懸念というか妄想であるが・・
そういったことを実務において経験し、身をもって理解していない人でなければ、そもそもマネジメントシステムなんてものに関わるのが10年早いのではないだろうか?

主体性なんて言葉がありますが、何事も自分が考えて自分が決める、それが民主主義の基本でしょう。そういうスタンスであれば、審査員に言われたから仕組みを変えたとか、不適合になったから○○せにゃならないという発想は出てきません。
審査員に言われたけど当社にはそれは不向きだし、現状で規格適合と我々が判断したのでお断りしたとか、審査員に規格を満たしていないところを指摘されたので当社に合わせて仕組みを強化したという発想になるでしょう。
ということになると、「審査は教える場」とか「経営に貢献する審査」という発想も、あり得ないような気がしてきました。いえ、元々私はそんなものがあるはずがないと思っております。
正しく言えば間違いかと・・
会社の遵法も汚染予防も、審査員じゃありません、あなたが保証するのです。そして会社のEMSの価値はすべて会社が決めるのです。そしてそれはISO規格が正しいか有効であるかということにもつながるのです。ISO規格の価値を立証するのは審査機関でもなければ、審査員でもありません。彼らは単に組織のシステムがISO規格に適合しているかいないかを判定するだけです。
素晴らしいファインプレイも、嵐を呼ぶ熱戦も、審判が作り上げることはできません。素晴らしい試合を作り上げるのはプレイヤーだけです。
しかし、審判は素晴らしい試合をダメにしてしまうことがあります。良い試合を実現するためには良い審判でなければなりません。
同じことはISO審査でも言えます。よいEMS を実現するためには・・ピー放送禁止

本日の主張
認証している組織のシステムが規格不適合である場合、認証した責任は認証機関にある。審査員と認証機関は、認証したことの責任逃れをしてはならない。なんとなれば、組織が偽ろうと、コンサルがごまかそうと、審査員が不適合と判定することは可能だし、それができなければ審査というビジネスをしてはならない。
しかしシステムが不具合だった責任は組織にある。なんとなれば、審査員が規格適合と表明しても不適合と表明しても、そのシステムが良いか悪いかは組織自身の問題なのだ。
ISOの価値は組織が示さなくてはならない。JABだって、認証機関だって、ISO-TC委員だって価値があることを証明することはできないのだから。

本日の挑戦状
私の主張に文句ある人はかかっておいで 待ってますよ



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